先日発生したエジプト航空機墜落事故について、次のような続報がありました。
http://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2016/05/ms8804.php
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不明エジプト航空機の残骸や遺体の一部発見
エジプト海軍がアレキサンドリアの北290キロメートルで発見
2016年5月21日(土)12時10分
パリ発カイロ行きのエジプト航空機墜落で、エジプト政府は20日、同国海軍が機体の残骸や遺体などの一部を発見したと発表した。
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シシ大統領は犠牲者への追悼の意を表明したものの、墜落原因などについては一切明らかにしなかった。
民間航空省は声明で「エジプト海軍が機体の残骸や乗客の持ち物、遺体、座席の一部を回収することができた」と述べた。
エジプト海軍の捜索区域は、地中海沿岸の都市アレキサンドリアの北約290キロメートルで、エジプト航空機が消息を絶った地点からちょうど南方に位置する。
ブラックボックスに関する詳細については不明。
[カイロ 20日 ロイター]
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国際軍事評論家であり海戦史を一番のご専門とするB氏によると、アレキサンドリアの北約290キロメートルの地点とは、かつてナポリを出港したネルソン提督率いるイギリス海軍とエジプトに向かうフランスのナポレオン軍との間で海戦が行われた場所(有名なトラファルガー海戦とは別)で、この戦いの勝利から地中海におけるイギリス軍の優勢が決定付けられとのことです。
そして、この史実とエジプト航空墜落から読み取れる暗号とは
「アングロサクソン(英米)による欧州圏(仏独露)への報復」
であり、シリア紛争における仏露の優勢に対して、英米が本格的な反撃に転じたことを象徴しています。ここでエジプトの名前が出てくるのは、「パリのテロ事件、その他について」でも少し触れましたが、英米を離れ仏露に接近するエジプトへのけん制と解釈することができます。
この状況は、第二次世界大戦前のドイツ・欧州と英米との対立構造とよく似ており、第三次世界大戦へ向けての環境作りがいよいよ開始されたと捉えることができます。
なお、公金問題で世間をお騒がせ中の東京都知事、舛添要一氏ですが、こちらのケースもアングロサクソンvs欧州の切り口で説明が可能です。舛添氏の留学先がパリ大学であり、欧州内の政治研究所を渡り歩いてきた経歴は、英米留学組が圧倒的な日本の社会上層部において極めて異質であります。今回舛添氏が槍玉にあがったのは、この世界的対立が日本国内の勢力争いへ如実に反映されたからだとみなすこともできます。
お騒がせの舛添都知事
同情するつもりもないが、誰でもやってることで何故ここまで叩かれるのか・・・
詳細はB氏の講演会で直接お聞きください。5/24(火)、6/4(土)開催のB氏講演会情報はこちらをご参照ください。
* * *
英米vs欧州の対立構造は、実は123便事件の発生当時の状況によく似ているとも言えます。その詳説は「見えざる人々と神の鉄槌(3)」をご覧ください。123便事件からの教訓とは日本は傍観者でいられないということ。日本はこの国際政治構造の中で国家としてどのようなスタンスを取るべきなのかを、早晩決定しなければならないということです。そこで忘れてならないのは、第一に無意味な争いを避けること、戦争を望む人々の思惑を排除し、国民が傷つくことを何としても避けるという視点です。
ABSQUE SYNAGOGIS FACIENT VOS SED VENIT HORA UT OMNIS QUI INTERFICIT VOS ARBITRETUR OBSEQUIUM SE PRAESTARE DEO ET HAEC FACIENT QUIA NON NOVERUNT PATREM NEQUE ME
人々はあなたがたを会堂から追放するだろう。しかも、あなたがたを殺す者が皆、自分は神に奉仕していると考える時が来る。彼らがこういうことをするのは、父をもわたしをも知らないからである。
(新共同訳聖書 ヨハネの福音書第16章2,3節)
遠つ祖霊の始りの地より
管理人 日月土
http://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2016/05/ms8804.php
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不明エジプト航空機の残骸や遺体の一部発見
エジプト海軍がアレキサンドリアの北290キロメートルで発見
2016年5月21日(土)12時10分
パリ発カイロ行きのエジプト航空機墜落で、エジプト政府は20日、同国海軍が機体の残骸や遺体などの一部を発見したと発表した。
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シシ大統領は犠牲者への追悼の意を表明したものの、墜落原因などについては一切明らかにしなかった。
民間航空省は声明で「エジプト海軍が機体の残骸や乗客の持ち物、遺体、座席の一部を回収することができた」と述べた。
エジプト海軍の捜索区域は、地中海沿岸の都市アレキサンドリアの北約290キロメートルで、エジプト航空機が消息を絶った地点からちょうど南方に位置する。
ブラックボックスに関する詳細については不明。
[カイロ 20日 ロイター]
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国際軍事評論家であり海戦史を一番のご専門とするB氏によると、アレキサンドリアの北約290キロメートルの地点とは、かつてナポリを出港したネルソン提督率いるイギリス海軍とエジプトに向かうフランスのナポレオン軍との間で海戦が行われた場所(有名なトラファルガー海戦とは別)で、この戦いの勝利から地中海におけるイギリス軍の優勢が決定付けられとのことです。
そして、この史実とエジプト航空墜落から読み取れる暗号とは
「アングロサクソン(英米)による欧州圏(仏独露)への報復」
であり、シリア紛争における仏露の優勢に対して、英米が本格的な反撃に転じたことを象徴しています。ここでエジプトの名前が出てくるのは、「パリのテロ事件、その他について」でも少し触れましたが、英米を離れ仏露に接近するエジプトへのけん制と解釈することができます。
この状況は、第二次世界大戦前のドイツ・欧州と英米との対立構造とよく似ており、第三次世界大戦へ向けての環境作りがいよいよ開始されたと捉えることができます。
なお、公金問題で世間をお騒がせ中の東京都知事、舛添要一氏ですが、こちらのケースもアングロサクソンvs欧州の切り口で説明が可能です。舛添氏の留学先がパリ大学であり、欧州内の政治研究所を渡り歩いてきた経歴は、英米留学組が圧倒的な日本の社会上層部において極めて異質であります。今回舛添氏が槍玉にあがったのは、この世界的対立が日本国内の勢力争いへ如実に反映されたからだとみなすこともできます。
お騒がせの舛添都知事
同情するつもりもないが、誰でもやってることで何故ここまで叩かれるのか・・・
詳細はB氏の講演会で直接お聞きください。5/24(火)、6/4(土)開催のB氏講演会情報はこちらをご参照ください。
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英米vs欧州の対立構造は、実は123便事件の発生当時の状況によく似ているとも言えます。その詳説は「見えざる人々と神の鉄槌(3)」をご覧ください。123便事件からの教訓とは日本は傍観者でいられないということ。日本はこの国際政治構造の中で国家としてどのようなスタンスを取るべきなのかを、早晩決定しなければならないということです。そこで忘れてならないのは、第一に無意味な争いを避けること、戦争を望む人々の思惑を排除し、国民が傷つくことを何としても避けるという視点です。
ABSQUE SYNAGOGIS FACIENT VOS SED VENIT HORA UT OMNIS QUI INTERFICIT VOS ARBITRETUR OBSEQUIUM SE PRAESTARE DEO ET HAEC FACIENT QUIA NON NOVERUNT PATREM NEQUE ME
人々はあなたがたを会堂から追放するだろう。しかも、あなたがたを殺す者が皆、自分は神に奉仕していると考える時が来る。彼らがこういうことをするのは、父をもわたしをも知らないからである。
(新共同訳聖書 ヨハネの福音書第16章2,3節)
遠つ祖霊の始りの地より
管理人 日月土