下図は、これまで私が調査した結果および情報提供者からの情報を元にして、日本列島の中西部地域でほぼ確実に地下原発があると判断された場所です。「日本の憂うべき現状(7) 」と関連します。
図1:中西部地下原発マップ
これも全体の中のほんの一握りでしかありません。福岡は調査頻度が
高いので、たまたまプロット数が増えただけです。
正直なところ、日本の全ての大都市の地下に地下原発が建設されているのは間違いなさそうです。しかも、情報提供者によると、これでもまだほんの一部であり、日本の至る所に大小規模の地下原発が建設されているそうです。数年前、東京の地下に原発があるかもしれないと私も心騒がせていましたが、もはやどこに地下原発があるかなどというのは、無意味な議論であることに気が付かされました。
原発は、全ての日本人の身近にあるのです
■長崎、広島の被曝の原因
上図では、長崎と広島の色を黄色にしています。これは何を意味しているのかというと、第2次世界大戦時に既に地下原子炉が存在していたことを表しています。昭和20年(1945年)の8月に、それぞれの都市で相次いで使用された特殊兵器により破壊された、あるいはタイミングを合わせて自爆したか、または放射性物質のみを地上に大量放出することにより、地上に多くの被爆者を生み出す原因となりました。
その時、地下原発が破壊されたかどうかは定かではありませんが、少なくとも地下空間は存在していたはずです。ですから、戦後、新たに地下原子炉を設置したとも考えられるし、戦後も同じ原子炉が使われ続けているのもしれません。その意味で地図上にプロットを記しています。
そんな時代に日本に原子炉がある訳がないと思われる方は、正統科学史の説明する原子力技術の発展史を再度考察してみてください。
1898年 マリー・キュリー ラジウムを発見
1900年 マックス・プランクの量子仮説
1905年 アインシュタイン 光量子仮説
1911年 ラザフォードの原子模型
1925年 ハイゼンベルグ、量子力学を一般化
1927年 ハイゼンベルグ 不確定性原理
1939年 ドイツのオットー・ハーンとフリッツ・シュトラスマンが核分裂反応を発見
1942年 シカゴ・パイル1号 臨界に達する
1944年 最初のプルトニウム生産炉であるハンフォードB炉運転開始
米国で1944年に原子炉が運転されていたなら、1945年の日本に原子炉があってもおかしくないという考え方もできなくはありません。それよりも気になるのは、1998年のキュリー夫人のラジウム発見から1939年のオットー・ハーンの核分裂反応の発見まで、40年近く多くの超天才たちをして基礎理論の構築と実験室での検証を続けてきた原子核物理学が、それから僅か3年後に試験炉の運転を始めるまでに至ったことに大きなギャップを感じるのです。
純粋科学の世界に身を置いたことのある経験からすると、各種材料の選定から強度や安全性の確認・設計、そして生産設備の建設まで、理論を工学的に実用化することの方がはるかに多くの試行錯誤を要求される、すなわち時間がかかるのです。そうすると、シカゴ・パイル1号の運転開始は、あまりにも早く、応用段階に至る試行錯誤の過程が見えないのです。なので、それまでの原子核物理理論の発展時間から類推して、私はこう考えます
原子炉構築のノウハウは1900年頃にはあったはずだ
原子核物理学は当時既に完成していた学問のスピンアウトである
と。そして、そのノウハウが日本にあった、いや、この世界に存在するであろう特殊な集団の中にあったと考えれば、大戦中に日本や米国で地下原子炉が稼動してたという考えも成立すると思われるのです。そして、その特殊な集団こそが、地下住人たちなのだと思うのです。
私は、封建時代の諸勢力が地下住人となったのは幕末から明治新政府の頃だと想定していますが、地下に潜るためには、当然エネルギーが必要です。その場合に煙が立ち、酸素を消費するような燃焼型の燃料では地下空間では利用できません。なので、もうその頃から電気の使用を想定していたとしか考えられないのです。しかし、電気を利用するにも発電設備が必要です。その発電機が燃焼型では、やはり地下空間内では利用できない。すると、あまり考えたくないのですが、江戸末期には燃料交換が数年~10年に一度で、酸素を消費しない原子力発電の技術があったのではないかと疑ってしまうのです。いや、原子力発電のノウハウがあったからこそ地下住人になるという選択肢が生まれたのだと思われるのです。そうすると原子炉構築のノウハウは1850年代にはあっただろうと言う結論になります。
それはともかく、長崎と広島の地下原発。もしも地下原発が大戦の事実であるなら、長崎と広島の史実は大きく修正されることになります。これは、ネット上で議論されている空中起爆か地上起爆かなどという瑣末な議論を凌駕する極めて重要な問題となります。記事「長崎72回目の原爆の日に」で、核起爆は無かったと私は書きましたが、その真意を、稿を改めてお知らせしようと思います。
写真1:広島の被爆者=原発由来の放射能を使用した大規模人体実験の犠牲者
無国籍日本人(地下住人)に国家観念などないのだろう、地上の愚か者たち?
地下原発の存在からこの悲劇を再検証する時が来ました
■何のための地下原発なのか
私は、「憂うべき日本の現状(6)」で100万人を超える地下住人の可能性を指摘しましたが、100万人という数字を出した根拠の一つが、この地下原発の異常な多さなのです。地下という、光の届かない空間に、まさか蝋燭で集団生活しているなどとは考えられないでしょう。当然、前述したように電気エネルギーが必要となります。限られた地下空間に、数万人程度住むだけならこれほど発電施設を作る必要はありません。しかし、それでも全国に地下原発が点在しているということは、おそらく数千、数万人が居住する地下サイトも地下原発に隣接して点在しているのだろうと考えられるのです。
仮に1万人が居住できる地下空間が全国に20箇所あるとしただけでも20万人の地下住人が居ることになります。これまでの調査で、彼らは核・兵器ビジネスを営んでいるようですから、当然生活用以外に生産用の原子炉も必要になるでしょう。ざっと調べただけで確実に20箇所は地下施設があり、それもまだ全体の一部でしかありません。地下施設の運用保守の人員まで考えると、100万人の地下住人はけして大袈裟ではないのです。私の計算では、最大300万人位いてもおかしくないと思っています。
これまでは、核・兵器ビジネスのための地下原発と考えていましたが、どうやら地下住人の生存環境を支える基幹的インフラとして、100年以上前から整備拡大されてきたとの見解を加えなければならないようです。
■地下原発と地上原発
地上社会と地下社会の間には、当然何らかの密約が交わされていると思いますが、今回は原発に限ってその関係性を考察します。
理由はよくわかりませんし、それこそが彼らの特性でもあるのですが、地下住人のメンタリティーは、とにかく自分たちの存在を毛の一本まで地上に知られないことにあるようです。もちろん、地上の協力者を除いてですが。いくら協力者がいても、何10万人もの人間が地下で活動すれば、やはり足がつく。それは食料・資材・廃棄物など物流の痕跡となって現れるはずです。
地下社会を発展させる上で、原発の増設が急務となり、そのために地上との資材の出入りは避けられない現実となるでしょう。この動きを隠蔽するためには、まず地上を経済成長で高度産業化させ、平和利用という名目で地上の原子力発電所の建設を進める必要があったはずです。それこそが、世界唯一の被爆国と言われながら、53基も原子炉を作ってきた真の理由であり、過去の経済成長も、そのための世界的シナリオであったと考えられるのです。
写真2:東京電力 神流川発電所
なぜか123便遭難現場の地下に作られた発電所
これだけ大規模な地下空間を作る技術が現実にある
電力会社こそ地下社会のエージェント企業であろう
そうすると、地上の原発には元々以下のような目的があったと類推されます
1)地下社会への出入りの帳尻をあわせるためのダミーであること
2)地下原子炉から出される使用済み核燃料の保管庫であること
3)地下原発の不具合に備えたバックアップであること
要するに、主は地下原発で、従は地上原発ということになります。資材の輸送・移動には地下トンネルが使用されているとも考えられますが、海外との輸出入は、やはり船などで大量輸送する必要(*1)が生じると想像されます。その意味でも地上社会で原発が稼動していると見せかける必要が出てきます。
福島の事故?直後のように、地上の原子炉を全停止することになると、地上の窓口機能も停止することになり、そのままでは、物流の辻褄が合わなくなったり、必要物資が不足してくると予想されます。地下住人の思考に立ってみれば、早く再稼動(ということに)しろとなるのは、全く頷けることなのです。
*1 船による輸出入:地下潜水艦ドックも多数建設されているようですが、潜水艦の構造上、輸送できないものも多いと考えられます。(参考記事「日本の憂うべき現状(4)」)
ここで、読者の皆さん、冒頭の図1を見ながらもう一度よく考えてみてください。
なぜ、放射能汚染瓦礫を日本中で焼却したのか?
なぜ、原発の再稼動を急ぐのか?
なぜ、国民の半数がガンになるのか?
そして
311とは何だったのだろうか?
ここに書かれていることは他の娯楽的陰謀論と一緒にできないことがお解かりになるでしょうか?これを読んでるあなたはすでに殺されかかっているのです。あなたは傍観者ではなく当事者なんですよ。今現在切迫しているのが、たまたま福島や名古屋だというだけのことなのです。
集スト被害者の方へ
あなたは、何かのきっかけで地下社会の一端を知ってしまった。または、その地上協力者たちの活動を見聞きしてしまったのでしょう。もう怯えることはありません、彼らを地上へと迎え入れ私たちの友人となって頂きましょう。彼らもまた、地上の人間に怯えているのですから。
* * *
写真3:この鉄道も地下原発から電力供給を受けているのか?
写真4:名古屋の高層ビル街で深刻な電力不足が起こるかも
一度大災害が起これば都市は放射能地獄になりかねない
高層ビルや、鉄道、これらは主に地下原発から電力供給を受けているようです。都会では高層ビルが次々と建設されますが、発電所が新たに建設されたなどという話は殆ど聞きません。実は自家発電用の小型原子力発電装置が密かに大型建築物に付随して設置されているのです。これらについても今後明らかにしていきましょう。しかし、私が最も関心を寄せるのは、地下住人たちが123便撃墜計画にどのように関ったかです。何故ならば、123便事件こそ今に至る世の迷走の始まりだったと思われるからです。
SECUNDUM DURITIAM AUTEM TUAM ET INPAENITENS COR THESAURIZAS TIBI IRAM IN DIE IRAE ET REVELATIONIS IUSTI IUDICII DEI QUI REDDET UNICUIQUE SECUNDUM OPERA EIUS
あなたは、かたくなで心を改めようとせず、神の怒りを自分のために蓄えています。この怒りは、神が正しい裁きを行われる怒りの日に現れるでしょう。 神はおのおのの行いに従ってお報いになります。
(新共同訳聖書 ローマ信徒への手紙 第2章5,6節)
キリストの御国にて記す
管理人 日月土
図1:中西部地下原発マップ
これも全体の中のほんの一握りでしかありません。福岡は調査頻度が
高いので、たまたまプロット数が増えただけです。
正直なところ、日本の全ての大都市の地下に地下原発が建設されているのは間違いなさそうです。しかも、情報提供者によると、これでもまだほんの一部であり、日本の至る所に大小規模の地下原発が建設されているそうです。数年前、東京の地下に原発があるかもしれないと私も心騒がせていましたが、もはやどこに地下原発があるかなどというのは、無意味な議論であることに気が付かされました。
原発は、全ての日本人の身近にあるのです
■長崎、広島の被曝の原因
上図では、長崎と広島の色を黄色にしています。これは何を意味しているのかというと、第2次世界大戦時に既に地下原子炉が存在していたことを表しています。昭和20年(1945年)の8月に、それぞれの都市で相次いで使用された特殊兵器により破壊された、あるいはタイミングを合わせて自爆したか、または放射性物質のみを地上に大量放出することにより、地上に多くの被爆者を生み出す原因となりました。
その時、地下原発が破壊されたかどうかは定かではありませんが、少なくとも地下空間は存在していたはずです。ですから、戦後、新たに地下原子炉を設置したとも考えられるし、戦後も同じ原子炉が使われ続けているのもしれません。その意味で地図上にプロットを記しています。
そんな時代に日本に原子炉がある訳がないと思われる方は、正統科学史の説明する原子力技術の発展史を再度考察してみてください。
1898年 マリー・キュリー ラジウムを発見
1900年 マックス・プランクの量子仮説
1905年 アインシュタイン 光量子仮説
1911年 ラザフォードの原子模型
1925年 ハイゼンベルグ、量子力学を一般化
1927年 ハイゼンベルグ 不確定性原理
1939年 ドイツのオットー・ハーンとフリッツ・シュトラスマンが核分裂反応を発見
1942年 シカゴ・パイル1号 臨界に達する
1944年 最初のプルトニウム生産炉であるハンフォードB炉運転開始
米国で1944年に原子炉が運転されていたなら、1945年の日本に原子炉があってもおかしくないという考え方もできなくはありません。それよりも気になるのは、1998年のキュリー夫人のラジウム発見から1939年のオットー・ハーンの核分裂反応の発見まで、40年近く多くの超天才たちをして基礎理論の構築と実験室での検証を続けてきた原子核物理学が、それから僅か3年後に試験炉の運転を始めるまでに至ったことに大きなギャップを感じるのです。
純粋科学の世界に身を置いたことのある経験からすると、各種材料の選定から強度や安全性の確認・設計、そして生産設備の建設まで、理論を工学的に実用化することの方がはるかに多くの試行錯誤を要求される、すなわち時間がかかるのです。そうすると、シカゴ・パイル1号の運転開始は、あまりにも早く、応用段階に至る試行錯誤の過程が見えないのです。なので、それまでの原子核物理理論の発展時間から類推して、私はこう考えます
原子炉構築のノウハウは1900年頃にはあったはずだ
原子核物理学は当時既に完成していた学問のスピンアウトである
と。そして、そのノウハウが日本にあった、いや、この世界に存在するであろう特殊な集団の中にあったと考えれば、大戦中に日本や米国で地下原子炉が稼動してたという考えも成立すると思われるのです。そして、その特殊な集団こそが、地下住人たちなのだと思うのです。
私は、封建時代の諸勢力が地下住人となったのは幕末から明治新政府の頃だと想定していますが、地下に潜るためには、当然エネルギーが必要です。その場合に煙が立ち、酸素を消費するような燃焼型の燃料では地下空間では利用できません。なので、もうその頃から電気の使用を想定していたとしか考えられないのです。しかし、電気を利用するにも発電設備が必要です。その発電機が燃焼型では、やはり地下空間内では利用できない。すると、あまり考えたくないのですが、江戸末期には燃料交換が数年~10年に一度で、酸素を消費しない原子力発電の技術があったのではないかと疑ってしまうのです。いや、原子力発電のノウハウがあったからこそ地下住人になるという選択肢が生まれたのだと思われるのです。そうすると原子炉構築のノウハウは1850年代にはあっただろうと言う結論になります。
それはともかく、長崎と広島の地下原発。もしも地下原発が大戦の事実であるなら、長崎と広島の史実は大きく修正されることになります。これは、ネット上で議論されている空中起爆か地上起爆かなどという瑣末な議論を凌駕する極めて重要な問題となります。記事「長崎72回目の原爆の日に」で、核起爆は無かったと私は書きましたが、その真意を、稿を改めてお知らせしようと思います。
写真1:広島の被爆者=原発由来の放射能を使用した大規模人体実験の犠牲者
無国籍日本人(地下住人)に国家観念などないのだろう、地上の愚か者たち?
地下原発の存在からこの悲劇を再検証する時が来ました
■何のための地下原発なのか
私は、「憂うべき日本の現状(6)」で100万人を超える地下住人の可能性を指摘しましたが、100万人という数字を出した根拠の一つが、この地下原発の異常な多さなのです。地下という、光の届かない空間に、まさか蝋燭で集団生活しているなどとは考えられないでしょう。当然、前述したように電気エネルギーが必要となります。限られた地下空間に、数万人程度住むだけならこれほど発電施設を作る必要はありません。しかし、それでも全国に地下原発が点在しているということは、おそらく数千、数万人が居住する地下サイトも地下原発に隣接して点在しているのだろうと考えられるのです。
仮に1万人が居住できる地下空間が全国に20箇所あるとしただけでも20万人の地下住人が居ることになります。これまでの調査で、彼らは核・兵器ビジネスを営んでいるようですから、当然生活用以外に生産用の原子炉も必要になるでしょう。ざっと調べただけで確実に20箇所は地下施設があり、それもまだ全体の一部でしかありません。地下施設の運用保守の人員まで考えると、100万人の地下住人はけして大袈裟ではないのです。私の計算では、最大300万人位いてもおかしくないと思っています。
これまでは、核・兵器ビジネスのための地下原発と考えていましたが、どうやら地下住人の生存環境を支える基幹的インフラとして、100年以上前から整備拡大されてきたとの見解を加えなければならないようです。
■地下原発と地上原発
地上社会と地下社会の間には、当然何らかの密約が交わされていると思いますが、今回は原発に限ってその関係性を考察します。
理由はよくわかりませんし、それこそが彼らの特性でもあるのですが、地下住人のメンタリティーは、とにかく自分たちの存在を毛の一本まで地上に知られないことにあるようです。もちろん、地上の協力者を除いてですが。いくら協力者がいても、何10万人もの人間が地下で活動すれば、やはり足がつく。それは食料・資材・廃棄物など物流の痕跡となって現れるはずです。
地下社会を発展させる上で、原発の増設が急務となり、そのために地上との資材の出入りは避けられない現実となるでしょう。この動きを隠蔽するためには、まず地上を経済成長で高度産業化させ、平和利用という名目で地上の原子力発電所の建設を進める必要があったはずです。それこそが、世界唯一の被爆国と言われながら、53基も原子炉を作ってきた真の理由であり、過去の経済成長も、そのための世界的シナリオであったと考えられるのです。
写真2:東京電力 神流川発電所
なぜか123便遭難現場の地下に作られた発電所
これだけ大規模な地下空間を作る技術が現実にある
電力会社こそ地下社会のエージェント企業であろう
そうすると、地上の原発には元々以下のような目的があったと類推されます
1)地下社会への出入りの帳尻をあわせるためのダミーであること
2)地下原子炉から出される使用済み核燃料の保管庫であること
3)地下原発の不具合に備えたバックアップであること
要するに、主は地下原発で、従は地上原発ということになります。資材の輸送・移動には地下トンネルが使用されているとも考えられますが、海外との輸出入は、やはり船などで大量輸送する必要(*1)が生じると想像されます。その意味でも地上社会で原発が稼動していると見せかける必要が出てきます。
福島の事故?直後のように、地上の原子炉を全停止することになると、地上の窓口機能も停止することになり、そのままでは、物流の辻褄が合わなくなったり、必要物資が不足してくると予想されます。地下住人の思考に立ってみれば、早く再稼動(ということに)しろとなるのは、全く頷けることなのです。
*1 船による輸出入:地下潜水艦ドックも多数建設されているようですが、潜水艦の構造上、輸送できないものも多いと考えられます。(参考記事「日本の憂うべき現状(4)」)
ここで、読者の皆さん、冒頭の図1を見ながらもう一度よく考えてみてください。
なぜ、放射能汚染瓦礫を日本中で焼却したのか?
なぜ、原発の再稼動を急ぐのか?
なぜ、国民の半数がガンになるのか?
そして
311とは何だったのだろうか?
ここに書かれていることは他の娯楽的陰謀論と一緒にできないことがお解かりになるでしょうか?これを読んでるあなたはすでに殺されかかっているのです。あなたは傍観者ではなく当事者なんですよ。今現在切迫しているのが、たまたま福島や名古屋だというだけのことなのです。
集スト被害者の方へ
あなたは、何かのきっかけで地下社会の一端を知ってしまった。または、その地上協力者たちの活動を見聞きしてしまったのでしょう。もう怯えることはありません、彼らを地上へと迎え入れ私たちの友人となって頂きましょう。彼らもまた、地上の人間に怯えているのですから。
* * *
写真3:この鉄道も地下原発から電力供給を受けているのか?
写真4:名古屋の高層ビル街で深刻な電力不足が起こるかも
一度大災害が起これば都市は放射能地獄になりかねない
高層ビルや、鉄道、これらは主に地下原発から電力供給を受けているようです。都会では高層ビルが次々と建設されますが、発電所が新たに建設されたなどという話は殆ど聞きません。実は自家発電用の小型原子力発電装置が密かに大型建築物に付随して設置されているのです。これらについても今後明らかにしていきましょう。しかし、私が最も関心を寄せるのは、地下住人たちが123便撃墜計画にどのように関ったかです。何故ならば、123便事件こそ今に至る世の迷走の始まりだったと思われるからです。
SECUNDUM DURITIAM AUTEM TUAM ET INPAENITENS COR THESAURIZAS TIBI IRAM IN DIE IRAE ET REVELATIONIS IUSTI IUDICII DEI QUI REDDET UNICUIQUE SECUNDUM OPERA EIUS
あなたは、かたくなで心を改めようとせず、神の怒りを自分のために蓄えています。この怒りは、神が正しい裁きを行われる怒りの日に現れるでしょう。 神はおのおのの行いに従ってお報いになります。
(新共同訳聖書 ローマ信徒への手紙 第2章5,6節)
キリストの御国にて記す
管理人 日月土