今日3月10日は東京大空襲の日。この悲惨な体験談はネットでも多く見ることができます。今回はその体験談より以下の部分を抜粋しました。
昭和20年3月10日の未明、空襲警報が鳴って飛行機が数機やって来たがすぐ引き返したので安心していた。そのあと、B29の戦闘爆撃機が空を覆うようにやってきた。
大きな化け物のように見えた。焼夷弾が雨あられのように落ちてきた。焼夷弾は日本の家屋を焼くように作ってあり、最初から家も人も殺すつもりだったのではないかと思う。
犠牲者は殆どが民間人です。民間人は戦闘に巻き込んではならないはずなのに。一夜にして10万人が焼け死んだ。
消火訓練で良くバケツリレーをしていたが、そんなものは全く役に立たない。
引用元:https://miyotya.hatenablog.com/entry/20180802
これ、何かおかしいと思われないでしょうか?
「空を覆うように」ということは、少なくともB29の飛行高度は1000m以下だと思われます。2000m以上なら、密集編隊でも点が散らばっているように見えるはずです。
当時の高射砲の公称スペック上の最長到達高度は16,000~19,000m。果たしてB29の大編隊は玉砕覚悟でみすみす高射砲の射程高度内に侵入してきたのでしょうか?
これを説明する理由は
1)高射砲のスペックがそもそも詐称したものであること
2)日本軍に首都防衛する気が初めからなかった
すると、米国空軍は
1)または2)の事実を初めから知っていた
ことになります。日本軍の張りぼて防衛体制が丸裸だったとも言えますが、私は日米共謀の下、東京空襲計画が初めから計画されていたのではないかと疑っています。これはまた、広島・長崎にも言えることなのです。
すると次のような反論が聞こえそうです。
そんなバカな、日本軍が日本を守らないはずがない!
果たしてそうでしょうか?ならばなぜ、1985年8月12日に起きた日航123便の遭難で、日本国政府は救助を何時間も遅らし乗客乗員を見殺しにしたのでしょうか?大きな目的のためには一部の国民の命などどうでもいい、そういう思想が戦時中から現在にかけて、この国に全くないと言えるのでしょうか?
ある元自衛隊員が言ってました、「本当に恐ろしいのは眼前の敵ではなく、愚かな味方である。後ろから撃たれたら我々はもう何もできないのだよ」と。
疑いは今でも晴れることはありませんが、今はまず、この日失われた命に対して謹んで哀悼の意を捧げたいと思います。
* * *
写真1:東京慰霊堂敷地内の句碑
焼けてなお 芽ぐむ力ぞ 青草の民
元歌は「焼けて直ぐ 芽ぐむ力や 棕梠の露」、元東京市長の永田秀次郎の作とされていますが、おそらくそれは違うでしょう。震災の犠牲者にこんなに呪いの詰まった歌を捧げるのは、その道の専門家であるとしか考えられません。この句碑により、1923年9月1日に起きた関東大震災も計画震災であった可能性が濃厚となってきました。
キリストの御国にて記す
管理人 日月土
昭和20年3月10日の未明、空襲警報が鳴って飛行機が数機やって来たがすぐ引き返したので安心していた。そのあと、B29の戦闘爆撃機が空を覆うようにやってきた。
大きな化け物のように見えた。焼夷弾が雨あられのように落ちてきた。焼夷弾は日本の家屋を焼くように作ってあり、最初から家も人も殺すつもりだったのではないかと思う。
犠牲者は殆どが民間人です。民間人は戦闘に巻き込んではならないはずなのに。一夜にして10万人が焼け死んだ。
消火訓練で良くバケツリレーをしていたが、そんなものは全く役に立たない。
引用元:https://miyotya.hatenablog.com/entry/20180802
これ、何かおかしいと思われないでしょうか?
「空を覆うように」ということは、少なくともB29の飛行高度は1000m以下だと思われます。2000m以上なら、密集編隊でも点が散らばっているように見えるはずです。
当時の高射砲の公称スペック上の最長到達高度は16,000~19,000m。果たしてB29の大編隊は玉砕覚悟でみすみす高射砲の射程高度内に侵入してきたのでしょうか?
これを説明する理由は
1)高射砲のスペックがそもそも詐称したものであること
2)日本軍に首都防衛する気が初めからなかった
すると、米国空軍は
1)または2)の事実を初めから知っていた
ことになります。日本軍の張りぼて防衛体制が丸裸だったとも言えますが、私は日米共謀の下、東京空襲計画が初めから計画されていたのではないかと疑っています。これはまた、広島・長崎にも言えることなのです。
すると次のような反論が聞こえそうです。
そんなバカな、日本軍が日本を守らないはずがない!
果たしてそうでしょうか?ならばなぜ、1985年8月12日に起きた日航123便の遭難で、日本国政府は救助を何時間も遅らし乗客乗員を見殺しにしたのでしょうか?大きな目的のためには一部の国民の命などどうでもいい、そういう思想が戦時中から現在にかけて、この国に全くないと言えるのでしょうか?
ある元自衛隊員が言ってました、「本当に恐ろしいのは眼前の敵ではなく、愚かな味方である。後ろから撃たれたら我々はもう何もできないのだよ」と。
疑いは今でも晴れることはありませんが、今はまず、この日失われた命に対して謹んで哀悼の意を捧げたいと思います。
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写真1:東京慰霊堂敷地内の句碑
焼けてなお 芽ぐむ力ぞ 青草の民
元歌は「焼けて直ぐ 芽ぐむ力や 棕梠の露」、元東京市長の永田秀次郎の作とされていますが、おそらくそれは違うでしょう。震災の犠牲者にこんなに呪いの詰まった歌を捧げるのは、その道の専門家であるとしか考えられません。この句碑により、1923年9月1日に起きた関東大震災も計画震災であった可能性が濃厚となってきました。
キリストの御国にて記す
管理人 日月土