私は、基本的に未来予言的なことは書かないようにしています。いついつに大地震が来るとか、大恐慌が来るとか、そういう類のものです。
もちろん、現状から高確率で予想できるものは別ですが、それでも未来の出来事を正確に言い当てるのは難しいことです。ですから、私は常にこう思っています。
未来は不確かであり、予見不能である
と。
それを最も思い知らされたのが、9年前、福島第一原発の破壊で、少なくとも関東在住者の4千万人がほぼ全員死亡するだろうと予測した時です。そして、その時は世界でも人口の何割が生き残れるか、まじめに危惧したのです。
今、あなたがこの文章を読んでいるように、果たして世界はその通りになりませんでした。私たちは311の後でもこうして生きています。
何度も同じことの繰り返しになりますが、その時の顛末を記したのが以下の三つの記事です。
・陽電化する日本人(1)-陽電化した世界
・陽電化する日本人(2)-世界滅亡前夜
・陽電化する日本人(3)-9月25日の奇跡
要約:
311の災害で複数の原子炉内部が環境に晒されてしまった。何とか放射能被曝への治療法を見出そうと血液の観察を始めたが、その実情は極めて悲惨なものであった。その時に、日本人の多くが数か月後までに死亡し、世界も大きな被害を受けると予想したが、結果はそうではなかった。2012年以降、予想が外れた理由を探し求めていたが、2018年にその理由が判明する。2011年の9月25日に人類の放射能耐性が突如一律に150倍に跳ね上がっていたのだ。
この観測の中で、私は多くの知見を得ることができました。それは何といっても、
地上の生命体は環境と不可分である
ということです。「免疫機能の向上」とか世間ではよく言われますが、その免疫システムをコントロールしてるのも、赤血球に運動エネルギーを供給しているのも、実は外部環境だったのです。少なくとも、今のこの身体は私たちのものでありながら、同時に私たちのものではないのです。
311の当時を振り返ると、この外部環境が「人類を救え」という判断を下したとしか言いようがありませんし、事実その通りなのです。
そして、ここからが私個人の予想になりますが、身体の基本機能の実行権限が外部にあるということは、その停止権限も外部にあるということになります。
外部環境は果たして、無条件に私たちを救済するようにできているのでしょうか?むしろ、2011年の一斉救済は
人類へ与えられた最後の試し
と思えてなりません。そして、その成果を最終確認するのがきっとこれからなのでしょう。
311が人工地震であることはほぼ明らかになりました。原理はうまく説明できませんが、昨年来、大きな地震が極端に少なくなっていることがそれを証明しています。なぜなら、ある機関が地震を起こさせないように動き始め、それが功を奏しているからです。
要するに、福島の災害は人が自ら起こしたものなのです。しかし、外部環境はそれでも人に生きる希望を与えた。今回のコロナウィルス騒ぎもおそらく同じことの繰り返しでしょう。しかし、今回は311の様に人類が一斉救済されることはないでしょう。なぜなら、今回こそが人類の最終選考なのでしょうから。果たして、人類のほとんどがパスできるのか、あるいは何分の一しか選ばれないのか、それは全く分かりません。
私たちが今できること、それは
良き未来をデザインし、それを実践する
ことしかありません。政治・経済・科学・宗教、あらゆる旧システムを見直し、外部環境との調和を図りながら、いかに人が生きやすい社会を作り上げるか、そこにかかっているのだと思います。
そのためにはまず、この世の権力者がこれまで独占していた技術、これまで吐いてきた嘘を全ての人民に向けて公表することから始めなければなりません。在りもしない核爆弾の嘘や、宇宙開発の虚構、そして、2回の世界大戦の目的から、123便事件の真実、地下社会の存在などです。それらについて正しく現状認識しない限り、人類は再スタートなどできないのです。
* * *
本日、2020年3月28日、政府・自治体による外出自粛要請に合わせ、関東で地下を中心とした軍事集団が事を起こそうとしているようですが、彼らに改めて警告します。外部環境は、まずあなた方を選択的に環境から排除するでしょう。あなた方は、この9年間、何も学んで来なかったのですから。改めるチャンスは、もはや今この瞬間しかありません。
ET CUM VIDISSEM EUM CECIDI AD PEDES EIUS TAMQUAM MORTUUS ET POSUIT DEXTERAM SUAM SUPER ME DICENS NOLI TIMERE EGO SUM PRIMUS ET NOVISSIMUS ET VIVUS ET FUI MORTUUS ET ECCE SUM VIVENS IN SAECULA SAECULORUM ET HABEO CLAVES MORTIS ET INFERNI SCRIBE ERGO QUAE VIDISTI ET QUAE SUNT ET QUAE OPORTET FIERI POST HAEC
わたしは、その方を見ると、その足もとに倒れて、死んだようになった。すると、その方は右手をわたしの上に置いて言われた。「恐れるな。わたしは最初の者にして最後の者、また生きている者である。一度は死んだが、見よ、世々限りなく生きて、死と陰府の鍵を持っている。さあ、見たことを、今あることを、今後起ころうとしていることを書き留めよ。
(新共同訳聖書 ヨハネの黙示録 第1章16-18節)
キリストの御国にて記す
管理人 日月土
もちろん、現状から高確率で予想できるものは別ですが、それでも未来の出来事を正確に言い当てるのは難しいことです。ですから、私は常にこう思っています。
未来は不確かであり、予見不能である
と。
それを最も思い知らされたのが、9年前、福島第一原発の破壊で、少なくとも関東在住者の4千万人がほぼ全員死亡するだろうと予測した時です。そして、その時は世界でも人口の何割が生き残れるか、まじめに危惧したのです。
今、あなたがこの文章を読んでいるように、果たして世界はその通りになりませんでした。私たちは311の後でもこうして生きています。
何度も同じことの繰り返しになりますが、その時の顛末を記したのが以下の三つの記事です。
・陽電化する日本人(1)-陽電化した世界
・陽電化する日本人(2)-世界滅亡前夜
・陽電化する日本人(3)-9月25日の奇跡
要約:
311の災害で複数の原子炉内部が環境に晒されてしまった。何とか放射能被曝への治療法を見出そうと血液の観察を始めたが、その実情は極めて悲惨なものであった。その時に、日本人の多くが数か月後までに死亡し、世界も大きな被害を受けると予想したが、結果はそうではなかった。2012年以降、予想が外れた理由を探し求めていたが、2018年にその理由が判明する。2011年の9月25日に人類の放射能耐性が突如一律に150倍に跳ね上がっていたのだ。
この観測の中で、私は多くの知見を得ることができました。それは何といっても、
地上の生命体は環境と不可分である
ということです。「免疫機能の向上」とか世間ではよく言われますが、その免疫システムをコントロールしてるのも、赤血球に運動エネルギーを供給しているのも、実は外部環境だったのです。少なくとも、今のこの身体は私たちのものでありながら、同時に私たちのものではないのです。
311の当時を振り返ると、この外部環境が「人類を救え」という判断を下したとしか言いようがありませんし、事実その通りなのです。
そして、ここからが私個人の予想になりますが、身体の基本機能の実行権限が外部にあるということは、その停止権限も外部にあるということになります。
外部環境は果たして、無条件に私たちを救済するようにできているのでしょうか?むしろ、2011年の一斉救済は
人類へ与えられた最後の試し
と思えてなりません。そして、その成果を最終確認するのがきっとこれからなのでしょう。
311が人工地震であることはほぼ明らかになりました。原理はうまく説明できませんが、昨年来、大きな地震が極端に少なくなっていることがそれを証明しています。なぜなら、ある機関が地震を起こさせないように動き始め、それが功を奏しているからです。
要するに、福島の災害は人が自ら起こしたものなのです。しかし、外部環境はそれでも人に生きる希望を与えた。今回のコロナウィルス騒ぎもおそらく同じことの繰り返しでしょう。しかし、今回は311の様に人類が一斉救済されることはないでしょう。なぜなら、今回こそが人類の最終選考なのでしょうから。果たして、人類のほとんどがパスできるのか、あるいは何分の一しか選ばれないのか、それは全く分かりません。
私たちが今できること、それは
良き未来をデザインし、それを実践する
ことしかありません。政治・経済・科学・宗教、あらゆる旧システムを見直し、外部環境との調和を図りながら、いかに人が生きやすい社会を作り上げるか、そこにかかっているのだと思います。
そのためにはまず、この世の権力者がこれまで独占していた技術、これまで吐いてきた嘘を全ての人民に向けて公表することから始めなければなりません。在りもしない核爆弾の嘘や、宇宙開発の虚構、そして、2回の世界大戦の目的から、123便事件の真実、地下社会の存在などです。それらについて正しく現状認識しない限り、人類は再スタートなどできないのです。
* * *
本日、2020年3月28日、政府・自治体による外出自粛要請に合わせ、関東で地下を中心とした軍事集団が事を起こそうとしているようですが、彼らに改めて警告します。外部環境は、まずあなた方を選択的に環境から排除するでしょう。あなた方は、この9年間、何も学んで来なかったのですから。改めるチャンスは、もはや今この瞬間しかありません。
ET CUM VIDISSEM EUM CECIDI AD PEDES EIUS TAMQUAM MORTUUS ET POSUIT DEXTERAM SUAM SUPER ME DICENS NOLI TIMERE EGO SUM PRIMUS ET NOVISSIMUS ET VIVUS ET FUI MORTUUS ET ECCE SUM VIVENS IN SAECULA SAECULORUM ET HABEO CLAVES MORTIS ET INFERNI SCRIBE ERGO QUAE VIDISTI ET QUAE SUNT ET QUAE OPORTET FIERI POST HAEC
わたしは、その方を見ると、その足もとに倒れて、死んだようになった。すると、その方は右手をわたしの上に置いて言われた。「恐れるな。わたしは最初の者にして最後の者、また生きている者である。一度は死んだが、見よ、世々限りなく生きて、死と陰府の鍵を持っている。さあ、見たことを、今あることを、今後起ころうとしていることを書き留めよ。
(新共同訳聖書 ヨハネの黙示録 第1章16-18節)
キリストの御国にて記す
管理人 日月土