この記事は、2018年1月の記事「James Bond Returned」に関連して、補足資料として下記のGIFアニメ画像をご紹介するものです。
※画像としてかなり重いのでご容赦ください
同映画が公開されたのは米国では1985年の5月、日本では7月の初旬です。画像を見ればお分かりになるように、この映画ポスターは、その年(1985年)の夏に注目するよう、観る者を促しています。巧妙に「JAL(日本航空)」というキーワードを忍ばせて。
これだけではありませんが、1980年代のメディア・興行には、こういう予告めいた仄めかしが、内外問わずあらゆるところに散りばめられています。これらを以って、私は
123便撃墜計画は予め存在していた
と結論付けるのです。
1985年の夏、8月12日、果たして日本航空123便は目的地の伊丹空港に降り立つことなく、関東甲信の山中でその無残な姿を発見されるのです。まるで、後から火をかけられたように焼け爛れた遺体と共に。
そして、真っ黒に焼けた多くの遺体の傍に、どうしてなのか、メモ書きや紙幣が焦げ跡も付けず散乱していたというおまけ付きで。
これまでに、8月12日の当日に同機を目撃した、遭難現場と思われる地点に到達したという方々からお話を伺ってきましたが、その中でも最も衝撃的だったのが、
123便はほとんど無傷で山中に不時着していた
というものです。
夜中に現場近くに入ったその方は、とにかく無事そうなので安心して帰宅したところ、後から大惨事のニュースをメディアで見て驚いたと言います(*註)。
*註:これは「闇夜に蠢くもの(4)」でご紹介したM氏の証言とはまた別のものです。時間的にはM氏よりもかなり早く現場に入られたようです。何故なら、当時既に現場近くまで林道が整備されていましたから。現場は昭和初期まで林業が盛んな場所だったのであり、「夜中に入ると危険な場所」という当時の報道は全て事実に基づかない印象操作だったのです。
私はこれまで、あまりにも極端すぎるこの証言については懐疑的でした。また、事実だとしたらこの方の身に危険が及ぶことになると、本証言の取り扱いには注意してましたが、最近その方がご高齢でお亡くなりになったこと、そして「翼で飛べないジャンボジェット」で説明した通り、
そもそも旅客機は翼なんぞで飛んでない
という点がはっきりしてきたので、何かしらの未知の飛行原理を使い同機が山中に不時着した可能性も否定できないとの結論に至りました。
もしも、123便が山中に不時着していたとするなら、あの真っ黒に焼け焦げた遺体群はいったい何だったのでしょうか?まさか、これがこの映画ポスターが予告していた
殺戮の光景 (A View to A Kill)
の意味だとしたら、あまりにもひど過ぎる話です。
123便撃墜計画とは、誰が関わったどのような目的の計画だったのか、そして、8月12日の深夜、山中で何があったのか、これをはっきりさせない限り、この国の行く末は果てしなく悲観的なままとなるでしょう。
また、これまで本件を隠し、うやむやのままとしてきた代償は、おそらく全日本国民が多かれ少なかれ、身を以って払わされることになるだろうと、ここでお伝えしておきます。
参考:黒霧123便関連記事ガイド
* * *
DIXIT CUSTOS VENIT MANE ET NOX SI QUAERITIS QUAERITE CONVERTIMINI VENITE
見張りの者は言った。「夜明けは近づいている、しかしまだ夜なのだ。どうしても尋ねたいならば、尋ねよ/もう一度来るがよい。」
(新共同訳聖書 イザヤ書 21章12節)
キリストの御国にて記す
管理人 日月土
※画像としてかなり重いのでご容赦ください
同映画が公開されたのは米国では1985年の5月、日本では7月の初旬です。画像を見ればお分かりになるように、この映画ポスターは、その年(1985年)の夏に注目するよう、観る者を促しています。巧妙に「JAL(日本航空)」というキーワードを忍ばせて。
これだけではありませんが、1980年代のメディア・興行には、こういう予告めいた仄めかしが、内外問わずあらゆるところに散りばめられています。これらを以って、私は
123便撃墜計画は予め存在していた
と結論付けるのです。
1985年の夏、8月12日、果たして日本航空123便は目的地の伊丹空港に降り立つことなく、関東甲信の山中でその無残な姿を発見されるのです。まるで、後から火をかけられたように焼け爛れた遺体と共に。
そして、真っ黒に焼けた多くの遺体の傍に、どうしてなのか、メモ書きや紙幣が焦げ跡も付けず散乱していたというおまけ付きで。
これまでに、8月12日の当日に同機を目撃した、遭難現場と思われる地点に到達したという方々からお話を伺ってきましたが、その中でも最も衝撃的だったのが、
123便はほとんど無傷で山中に不時着していた
というものです。
夜中に現場近くに入ったその方は、とにかく無事そうなので安心して帰宅したところ、後から大惨事のニュースをメディアで見て驚いたと言います(*註)。
*註:これは「闇夜に蠢くもの(4)」でご紹介したM氏の証言とはまた別のものです。時間的にはM氏よりもかなり早く現場に入られたようです。何故なら、当時既に現場近くまで林道が整備されていましたから。現場は昭和初期まで林業が盛んな場所だったのであり、「夜中に入ると危険な場所」という当時の報道は全て事実に基づかない印象操作だったのです。
私はこれまで、あまりにも極端すぎるこの証言については懐疑的でした。また、事実だとしたらこの方の身に危険が及ぶことになると、本証言の取り扱いには注意してましたが、最近その方がご高齢でお亡くなりになったこと、そして「翼で飛べないジャンボジェット」で説明した通り、
そもそも旅客機は翼なんぞで飛んでない
という点がはっきりしてきたので、何かしらの未知の飛行原理を使い同機が山中に不時着した可能性も否定できないとの結論に至りました。
もしも、123便が山中に不時着していたとするなら、あの真っ黒に焼け焦げた遺体群はいったい何だったのでしょうか?まさか、これがこの映画ポスターが予告していた
殺戮の光景 (A View to A Kill)
の意味だとしたら、あまりにもひど過ぎる話です。
123便撃墜計画とは、誰が関わったどのような目的の計画だったのか、そして、8月12日の深夜、山中で何があったのか、これをはっきりさせない限り、この国の行く末は果てしなく悲観的なままとなるでしょう。
また、これまで本件を隠し、うやむやのままとしてきた代償は、おそらく全日本国民が多かれ少なかれ、身を以って払わされることになるだろうと、ここでお伝えしておきます。
参考:黒霧123便関連記事ガイド
* * *
DIXIT CUSTOS VENIT MANE ET NOX SI QUAERITIS QUAERITE CONVERTIMINI VENITE
見張りの者は言った。「夜明けは近づいている、しかしまだ夜なのだ。どうしても尋ねたいならば、尋ねよ/もう一度来るがよい。」
(新共同訳聖書 イザヤ書 21章12節)
キリストの御国にて記す
管理人 日月土