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Channel: (新) 日本の黒い霧
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JAL123便墜落事故−真相を追う−御巣鷹事変、26年目の夏に

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あの忌まわしい悲劇から、早くも26年の年月が経過しました。123便の乗客乗員、全ての犠牲者のご冥福を祈ると共に、同事変により人知れずその命を散らすこととなった、米国軍兵士、旧ソ連軍兵士、自衛隊隊員、警視庁・警察関係者、その他の方々に追悼の意を表します。

 * * *

思えば、本件の調査を始めたおよそ3年前、大事故と報道された本件が、これほどまで複雑な背景を有しているとは想像もしませんでした。調査開始当初、世の中は陰謀論やスピリチュアルの話題が花盛りであり、当然ながら、123便事故についても「自衛隊の標的機の衝突説」、「米軍によるミサイル撃墜説」などが囁かれていました。このブログは、それら諸説の検証からスタートし、単なる資料分析の範囲においては、後者の「米軍撃墜説」がより有力であろうと論じておりました。

その見方がガラっと変わったのが、2年前、墜落現場を何年も探索し続けたS氏との出会いです。彼から提供された多数の「ミサイル破片」、「軍機の破片」、「軍機搭乗員の装備品」、その他などから、墜落現場周辺からとんでもない軍事衝突の痕跡が発見されたのです。これらの分析が可能になったのも、私の師であり、軍事分野において深い見識を兼ね備えた国際軍事評論家B氏の存在が非常に大きかったことは言うまでもありません。私のブログを通しS氏とB氏が繋がったことで、事故の真相がよりはっきりと見えてきました。それは、それまでの陰謀説をはるかに凌駕した、世界規模の軍事衝突だったのです。

これまでの記事の繰り返しになりますが、墜落現場からは、複数の米軍機破片が回収されただけではなく、ソ連空軍のミグ戦闘機の破片、ソ連製装甲車の装甲板、そして航空自衛隊の戦闘機破片までもが見つかっているのです。それに加え、軍用毒ガス瓶や糜爛性毒ガス原料までもが、現場で発見され、調査チームの手で回収されています。軍用毒ガス瓶はその口が開いているので、おそらく、M氏が目撃したという多くの生存者を、秘密保持のため絶命させる用途に使われたのでしょう。更に恐ろしいことに、核兵器使用の痕跡までもが残っており、私やS氏などは現場調査を繰り返した影響で軽い放射線症にもかかっています。事件から20年以上経過した現在でも、事故現場周辺の自治体では高目の空間放射線量が測定されています(ただし311前の測定)。

調査に対する妨害も熾烈でした。移動用車両に発信機を取り付けたり、ブレーキに細工するなどはまだ可愛い方で、排気に神経ガスを混入した特殊車両で前方を走ったり、電車内でニセ車掌が毒を撒いたり、そして、外食店で料理に毒物を混入してきたことも何度かありました。未だにその所持が公表されていない、電磁パルス銃や光線銃、超音波銃等で私たちを狙ってきたことも、このブログでお伝えしてきた通りです。それも、国家の治安を守るべき、公安警察や自衛隊の手から発射されたものもあれば、アジア系外国人、地元ヤクザと思われるならず者たちからのものもありました。彼らは皆、裏で繋がっているのです。


写真1:S氏に近づく白百合を掲げた女。制服に注目、ある有名企業のものだ。
    軍事暗号の一種で、その意味は「和解」または「家族へ死を」(B氏談)
    花を捧げ和解を求めるべき相手は私たちではない!

公安警察、自衛隊と書きましたが、これらが組織内でひどく分裂し、すでに統制がとれていないこともこれまでブログでお伝えしてきたつもりです。私たちを狙ってくる分派は、もはや正規の警察とも自衛隊とも言えず、別の組織に牛耳られた私設軍隊であると断言してよいでしょう。上記の写真で示したように、一部の有名企業もその仲間です。このような生死に関わるひどい妨害を体験し続ければ、彼らを操る闇の組織の存在に気がつくのは自然な帰結です。私はこの鵺(ぬえ)のような姿の見えない組織を「クロカモ」と呼ぶことにしました。


図1:ゴッホ作「ひまわりのある静物」
   このメッセージの終わりに南国の花を添えて


 * * *


日本航空123便事故、それは間違いなく隠された戦争の犠牲です。よくもまあ、26年間も隠し続けられたものだとある意味感服します。しかし、26年目の夏を迎える直前の3月、新たな攻撃が日本へ向けて加えられました。「核」あるいは「放射能」による「日本殲滅計画」です。私が、今一番危惧すること、それは123便事件、あるいは御巣鷹事変のような国家の存亡に関わるような重大事変をこれだけ長い期間無視し続けた日本人の心の有様です。26年間、真実を見ようとしなかったオイディプスたちが、今まさにその目を奪われようとしています。目を失いそして死んでいくか、苦痛に耐えそれでも前を見て歩んでいくのか、その決断に日本人の心の有様が問われています。

私は外地フィリピンから、123便の犠牲者に祈ります。「あなた方の命を掛けた警告が、ついに現実のものとなってしまいました。どうか愚かな私たちを許してください。」と。

 PATER NOSTER, QUI ES IN CAELIS,
 SANCTIFICETUR NOMEN TUUM,
 ADVENIAT REGNUM TUUM,
 FIAT VOLUNTAS TUA,
 SICUT IN CAELO, ET IN TERRA.
 PANEM NOSTRUM SUPERSUBSTANTIALEM DA NOBIS HODIE;
 ET DIMITTE NOBIS DEBITA NOSTRA,
 SICUT ET NOS DIMITTIMUS DEBITORIBUS NOSTRIS;
 ET NE INDUCAS NOS IN TENTATIONEM,
 SED LIBERA NOS A MALO.

 天にまします我らの父よ
 願わくは
 み名の尊まれんことを
 み国の来たらんことを
 み旨の天に行わるる如く地にも行われんことを
 我らの日用の糧を今日我らに与え給え
 我らが人に許す如く我らの罪を許し給え
 我らを試みに引き給わざれ
 我らを悪より救い給え
 アーメン

※この「主の祈り」こそ、この世に真実を知らしめ、お互いの過去を許し許される関係に修復したいという、「(新)日本の黒い霧」スタート当初からの一貫した精神を象徴した言葉です。特別な日を迎え、再度この祈りを祖国に向けて捧げます。

南の島フィリピンより
管理者 日月土

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