(真)ブログ記事「山体膨張と黒い霧」でもお伝えしたように、昨日まで鹿児島へ調査に赴いてました。
本来の調査目的とは違うのですが、大隅半島方面を訪れたので、その行程の途中で高隈山系の麓にも足を運びました。その理由の一つが、今から7年前の4月に起きた航空自衛隊のU125飛行点検機の墜落事故についての再確認です。
航空自衛隊のU125
同機が墜落したとされるのは、高隈山系の御岳ですが、同山系は頂が7つある連山で、その標高は高いもので凡そ1200m超となっています。
少々前の出来事ではありますが、幸いネットに事故当日の記事が残っていましたので、それを貼り付けておきます。
引用元:サンスポ https://www.sanspo.com/article/20160407-2MEZJHQXEJMWNDJNCDFEGS5M4A/
この件については、本ブログでも取り上げ考察を加えています。
関連記事:
・123便事件と川内原発(3)
・123便事件と川内原発(5)
当時はこの事故と123便事件との関連性を疑ったのですが、関連性そのものは否定しないものの、今回の訪問により、その関り方についてはもう少し違ったものであるとの考えに至りました。
まずは、次の3つの画像を見て頂きたいと思います。
画像1:上空から見た鹿児島湾と桜島、高隈山系の位置関係
画像2:海上自衛隊鹿屋基地の滑走路と事故現場
画像3:大崎町照日神社から見た高隈山系
画像2を見ると、この高隈山系は鹿屋基地のすぐ北側に桜島との間を遮る壁の様に聳え立っていることが分かります。当然、鹿屋基地の滑走路の向きは、この山系を避けるように東西方向に敷かれているのです。
つまり、U125が鹿屋基地を進入・進出する為に高隈山系のルートを通ったとは考えにくく、明らかに、高隈山系の上空を狙ってここを飛行したと考えるべきなのです。
飛行点検機とは言うものの、U125が実際は高度な観測機材を備えているだろうことは過去記事でも触れていますが、それでは、U125はいったい何を観測しようとしていたのでしょうか?
また、上記過去記事では、航空自衛隊と海上自衛隊の関係性についても考察しましたが、そんな政治的な話よりも、まずは高隈山に眠る謎の観測対象について明らかにすることの方が、この事故を考察する上での優先事案であると私は考えます。
事故当時は、鹿児島湾周辺と日本古代史を結びつける考えはありませんでしたし、日本中に張り巡らされた地下発電ネットワークの知識もありませんでした。どうやら、旧い遺跡類との関連性や隠された地下開発を意識した中で、改めて真の事故原因を再考する必要があるようなのです。
自衛隊中枢部が、どうやらこれらの見えざる存在について当時から何か気付いていただろうということは、今年1月の記事「The Truth They Only Know」(彼らだけが知る真実)からも想像に難くありません。
これについての試案はメルマガの中で発表したいと思いますが、そこでは桜島を中心とした、この土地の旧い歴史について触れることになるでしょう。
そして、それこそが、この事故と123便事件を結びつける強固な糸となるであろうと私は確信を覚えるのです。
ET DOMINABITUR THESAURORUM AURI ET ARGENTI ET IN OMNIBUS PRETIOSIS AEGYPTI PER LYBIAS QUOQUE ET AETHIOPIAS TRANSIBIT
海とあの『麗しの地』の聖なる山との間に天幕を張って、王の宿営とする。しかし、ついに彼の終わりの時が来るが、助ける者はない。
(ダニエル書 第11章45節)
キリストの御国にて記す
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