本日は3月11日。2011年のあの日から13年が経過しました。多くの犠牲を悼むと共に、現在でも不便な生活を強いられてる方々が大勢おられることも忘れてはなりません。
私にとって、この日に思う事は3年前の同日の記事「あの日が語りかけるもの」と今でも変わらないのです。
復興は未だ半であるし、福島の避難者(帰宅困難者)も多くが故郷に帰れない、福島第一原子力発電所の撤去もあと何年かかるか分からないのです。
そんな行き詰った状況の中で能登半島地震が起きましたが、これについて、政府は能登復興のための補正予算を組むつもりはないようです。
大して死者を出さなかった(3年間で4万人程度)コロコロ感染症の為にはワク薬の大量購入と接種の費用として短期間で数10兆円も予算を投じており、これまでの震災被災者への対応と比べると破格の扱いだったのが目に付きます。そこに、何か別の意図があるのではないかと、疑うなと言うのが無理というものです。
東日本大震災による原発の崩壊で、日本のみならず、世界が生き残れたのはまさに「奇跡」としか言いようがなく、この類まれな恩恵、あるいは慈悲をどう受け止めるかで世界の今後が決まると私は考えています。
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しかし、それからの13年を見てきた限り、この恩恵を恩恵とも思わない、いや、何が起きているかその事実すら伝えない社会には大いに溜息を吐くばかりなのです。
気象庁とメディアが一体となった恐怖プロパガンダ。これなんぞ、もはや被災者への冒涜としか思えないのですが?
(「迷惑な津波」から)
この先どうなるのか?私は未来予言などしませんし、出来もしないのですが、この慈悲がいつまで続くのか位は気にして欲しいと皆様にはお伝えしたいのです。
HAEC DICIT DOMINUS IN TEMPORE PLACITO EXAUDIVI TE ET IN DIE SALUTIS AUXILIATUS SUM TUI ET SERVAVI TE ET DEDI TE IN FOEDUS POPULI UT SUSCITARES TERRAM ET POSSIDERES HEREDITATES DISSIPATAS
主はこう言われる。わたしは恵みの時にあなたに答え/救いの日にあなたを助けた。わたしはあなたを形づくり、あなたを立てて/民の契約とし、国を再興して/荒廃した嗣業の地を継がせる。
(イザヤ書 第49章8節)
キリストの御国にて記す
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