最近、123便事件関連の記事が少ないと思われていたかもしれませんが、前から述べているように、このブログを初め、関連ブログで取り上げている電力・宇宙・気象・政治経済・歴史・芸能など殆ど全ての話題は、123便事件あるいは
1985計画
に関連するものとして取り扱っています。
最近の(真)ブログ記事「響くか?ユーフォニアム」では、現在放映中の少年少女向けアニメ作品の中にも、「123便」に関するメッセージがまるで呪いのように混入されている点を指摘しました。
別の言い方をすれば、私たちが学校教育や報道、娯楽作品などを通して真実だと思わされていた物事の多くに、事故として処理された123便のような、
真赤な嘘・作り話
が混入されていることを知って頂きたかったのです。
今回は真正面に123便事件のトピックを扱いますが、この情報は39年前の出来事とは言え、現在も国内に居住する多くの関係者に関わってくることをお断りします。
■1985年と自衛隊幹部人事
123便事件と当時の自衛隊との関係性と問われれば、多くの123便陰謀説で囁かれる所謂「自衛隊誤射説」が有名ですが、本ブログでは開設当初にその説の信憑性は乏しいと否定しています。
しかし、自衛隊は全く無関係だとも言っていないことにご注意ください。面倒なのは、自衛隊も10万人を超える大所帯ですし、そんな大組織を「自衛隊」で一括りにしてよいのかという点は常に扱いを悩ませます。大企業など大きな組織で働いた経験のある方なら、大組織の統治・統制がどれだけ大変なのかはご理解頂けるのではないかと思います。時には部署間で全く正反対の目的で動いたりすることもあったりするのですから。
しかも、123便の事件現場では、過去記事でもお伝えしたように、偽装自衛隊員と見られる人員も紛れ込んでおり、ますますもってこれを「自衛隊」の名で語るのは躊躇われるのです。
とは言っても、自衛隊内で事件に積極的に関わったセクションはどこなのか、加えて擬装隊員を現地に送りこみ、正規隊やメディアを黙らせたのは誰なのか、それについて考察することは可能だと考えられます。
次に示す資料は、公的記録から垣間見える自衛隊内に巣食う別組織の存在可能性を示すものとなるでしょう。
以下は、陸海空自衛隊の1985年8月当時及びその前後代の幕僚長及び幕僚副長の人事記録です。ここから何が読み解けるでしょうか?なお、赤字で強調した人名が123便事件当時の幕僚幹部名です。
表1:陸上自衛隊 幕僚長
表2:陸上自衛隊 幕僚副長
表3:海上自衛隊 幕僚長
表4:海上自衛隊 幕僚副長
表5:航空自衛隊 幕僚長
表6:航空自衛隊 幕僚副長
※註
陸士:陸軍士官学校、陸航士:陸軍航空士官学校、海兵:海軍兵学校、
名幼:陸軍幼年学校名古屋校、防大:防衛大学校
色分けした部分を見ればお分かりのように、1985年のこの年は、旧日本軍の養成機関出身者が
陸海空自衛隊3隊の幕僚幹部を務める最後の代
の年でもあったのです。
ずい分前になりますが、旧日本軍の軍人(海軍)だったという方から、軍内は硬直化した縦割り社会で、それこそ上長の命令は、親親戚はもちろん天皇よりも絶対であったとのお話を聞いたことがあります。
終戦後に旧軍が解隊された後も、軍隊内の人間関係はそのまま存続し、それこそ元上長の要請に対しては首を縦に振るしか答えようがなかったとのことです。
もちろん、全ての旧軍関係者がそうだと言うつもりもありませんが、表向き社会から消滅したとされる組織が、実は当時の人間関係のまま別組織としてそのまま存続し続けていたなら、彼らはいったいその存在意義を何に求めるのか、私が疑問に思うのはその点なのです。
これまで私に軍事関連の情報を教えて下さった国際軍事評論家のB氏も、その数ある情報源の一つに、今は財団法人に名を変えた、旧日本軍系組織があることを示唆していただいたことがあります。
なんでも、その財団が保管している内外戦史のコレクションは、現在の自衛隊や外務省のそれを優に凌いでおり、それらの情報にアクセスする為にその財団に通い詰めたこともあったとB氏はおっしゃっていました。
旧軍時の人間関係は残され、重要な軍事情報を有する組織も設立されている。そして、現役の武装組織(自衛隊)の中では、旧軍教育を受けた人物たちが幕僚幹部の席を占めていたものの、いよいよそれも最後となった。これらの状況こそが、1985年における防衛庁内で起きていた背景として無視してはならない重要な点なのです。
■瀬島龍三氏だけではない旧軍関係者
本ブログ記事ではもちろん、14年前に開催した講演会でも、123便事件の背後に旧軍関係者が蠢いている可能性を指摘しており、その最も象徴的なアイコンとして、この人物のことを紹介してきました。
ご存知、瀬島龍三氏
瀬島氏は、元陸軍参謀にしてシベリア抑留者、帰国後は伊藤忠商事の会長にまで昇進し、123便事件時には政治的フィクサーとして日本航空のトップ人事に介入します。旧陸軍の参謀まで務めた人物ですから、もしも、戦後旧軍ネットワークが存在していたならは、その組織の指導的ポジションに収まったのは確実だろうと考えられます。
これまで、仮定した旧軍ネットワークの中では瀬島氏のみに注目してきましたが、瀬島氏はあくまで陸軍系であり、海軍系を指導する強力な指導者の一人として私が注目したのは、表4の安岡亀雄、第18代海上幕僚副長なのです。
安岡亀雄 第18代海上幕僚副長
なぜ、表3の長田海上幕僚長でないのか、それは長田氏の就任日が1985年の8月1日と事件の直前であり、隊内を掌握しこの事件の直接的な指導ポジションを務めるにはあまりにも時間が無さ過ぎると考えられるからです。
この他、当時の航空幕僚長である、森繁弘氏も十分に疑わしいでしょう。何故なら、事故当時、自衛隊を擁護する答弁をメディアで高らかに宣言していたのはこの人だからなのです。例えば「御巣鷹は日本のチベットだ」発言。あまりにも山深い現場なので、自衛隊は近付けなかったという弁明なのですが、これは群馬県上野村の人にも、チベット住民にもたいへん失礼な発言です。
過去記事「福岡講演のご報告/犠牲者の死を悼む」で書いたように、同現場はかつて杉材の産地として開発が進み、現場には今でも積み出し用のトロッコ軌道が残っている場所もあるのです。要するに、近隣の林業関係者が普通に出入りしていた山だったということであり、こんなあからさまな嘘をどうして森氏が必死に吐かなければならなかったのか、そこにこそ疑問が生じるのです。
■1985計画と旧軍ネットワーク
上述でも疑問として挙げましたが、仮に旧軍ネットワークが実在し、自衛隊を巻き込み123便事件の背後で暗躍していたとするなら、彼等にとって123便事件、あるいは1985計画とは何であったのか、そこに焦点を当てるのは、この事件を解明する上で極めて重要なポイントとなるでしょう。
そのためには、事件当夜及び翌朝の自衛隊の動きを目撃したという、いわゆるM氏の証言、そして一般メディアではもちろん、陰謀論界隈でも殆ど取り上げられることのない、
長野側での出来事
についても改めて調査を深めていかなくてはなりません。もはや「垂直尾翼の破損」などという、国家が仕組んだフェイクニュースに踊らされている場合ではないのです。
金属フレームと一緒に1週間も海上にプカプカ浮いていた?
海上自衛隊及び海上保安庁が関与した垂直尾翼喪失の偽装演出
以下、長野側問題について触れた動画を紹介します。
外閣調査室
【緊急】局面を変え得る川上村住民の証言【123便調査File_No.40】
さらに付け加えるなら、本来相性が良いとは言えない旧陸海軍を統合し事に及ばせた上位組織の存在も考慮しなければなりません。
そこに「京都アニメーション」が「123」に執拗に拘って来る本当の意味があると、私は睨んでいるのです。
参考:黒霧123便関連記事ガイド
NAM ET FRATRES TUI ET DOMUS PATRIS TUI ETIAM IPSI PUGNAVERUNT ADVERSUM TE ET CLAMAVERUNT POST TE PLENA VOCE NE CREDAS EIS CUM LOCUTI FUERINT TIBI BONA
あなたの兄弟や父の家の人々
彼らでさえあなたを欺き
彼らでさえあなたの背後で徒党を組んでいる。
彼らを信じるな
彼らが好意を示して話しかけても。
(エレミヤ書 第12章6節)
キリストの御国にて記す
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