今年の8月12日、123便事件の調査について日頃ご協力を頂いている「外閣情報調査室」さんが主催するライブセミナーに話者としてゲスト参加することになりました。
詳しくは、次の案内ページをご覧いただきたいと思います。
そこそこの価格の有料セミナーとなることは心苦しいのですが、ご本人も述べられている様に、調査には一定の経費が掛かります。どうか、主催者への支援の意味も込めて、当ライブをご視聴頂けるとありがたいです。
なお、黒い霧メルマガ購読者の皆様には、後日、メルマガ記事中にて同ライブのダイジェストを、主催者の許可が頂けた範囲でお知らせする予定です。
最近、森永卓郎さん著の「書いてはいけない」が、ネット等で話題になっていますが、1985年の123便事件について、現在でも強い疑問を抱き続けている著者の心情については大いに理解できるものがあります。その点は私も同じですから。
ただし、人にはその人なりの解釈があるので、これを批判と取らないで欲しいのですが、正直なところ、事件から39年経過した現在でも
自衛隊標的機誤射説
が123便陰謀説の中核と見られているのは、少し残念な気がします。500人以上の国民生命の喪失が「間違って撃っちゃいました!」程度の揉み消しで説明が付くなどと本気で思われているなら、123便事件の真相究明など永久に無理な話だと言わざるを得ません。
これは、漫画やアニメやお気軽で娯楽的な陰謀説では済まない、リアルに人が亡くなっている厳然たる事実なのですから。
陰謀説を唱える多くの方が、同事件の主要な容疑者たる日本国政府の「事故調査報告書」をベースに論を展開していますが、彼らが世に出した文献を基にしていては、いつまでも肝心な論点からはぐらかされてしまうばかりです。
123便事件と言えば、垂直尾翼の喪失が直ぐに話題にされますが、
・不鮮明な写真1枚による垂直尾翼の脱落説
・海上に24時間浮いていたとされる巨大な金属塊
・垂直尾翼の異常を確認していない目撃証言
など、従来説を疑うだけの要素はいくらでもあるのです。
本当に浮いていたのか?
きちんと疑うべきところを疑わず、従来説に軸を置いたお気軽な陰謀説にいったいどのような意味があるのか、同事件を真剣に追うつもりの方ならばまずそこを改めなければなりません。
森永さんの著書で、さすが経済評論家であるなと評価できるのは、123便事件以降の日本経済の低落振りとの関係です。1985年9月のプラザ合意についての一連言及はその通りなのですが、これを「米国による対日工作」という狭い視点で見るとやはり、123便事件の本質的な部分を見誤ります。
結論から言えば、123便事件はもっと大きく綿密な計画、いわば
1985計画
の下で引き起こされたものであり、その計画者の意図を理解しなければ、この事件の本質に到達できるはずがないのです。
論を1985計画にまで拡大した時、これまでの陰謀説では名前すら挙げられなかった集団や個人名が続々と登場することになります。そして、読者の皆様の多くが「嘘だ!」と反発する軍機破片の数々が、123便遭難現場で発見された事さえ必然として肯定されてくるのです。
現場で回収したF117ステルス戦闘機破片
次のライブでは、本事件においてこれまで最大のタブーとされてきた、あの方についても、私の知り得た範囲でお話しすることになるでしょう。
もちろん、お気軽陰謀説の中で小さく納得しておられたい方には視聴をお奨めしません。あなたはどちらを選ばれるのでしょうか?
123便事件を時系列に俯瞰する
ET VISIO VESPERE ET MANE QUAE DICTA EST VERA EST TU ERGO SIGNA VISIONEM QUIA POST DIES MULTOS ERIT
この夜と朝の幻について/わたしの言うことは真実だ。しかし、お前は見たことを秘密にしておきなさい。まだその日は遠い。
(ダニエル書 第8章26節)
キリストの御国にて記す
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