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JAL123便墜落事故−真相を追う−見えざる人々と神の鉄槌(3)

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※一部に加筆・修正があります(2012.06.26 03:40)

前回の「見えざる人々と神の鉄槌(2)」を読み直し、まだかなり説明が不足していると思ったので、その補足をここに記したいと思います。特に、第二層の「経済戦争」については、これまであまり記事にしてこなかった部分なので、そこを重点に解説します。基本的に過去の新聞記事や年表で追える内容なので、必要がない限り出典は特に示しません。

まずは、私が作成した日航機事件の事象別チャートの概略を下記に示します。詳細は前回関連記事を参考にしてください。4年以上に渡る調査活動経験から、複雑なこの事件の全貌を理解するには、チャート内の各層毎に、事象を整理しながら解釈していく必要があると考えます。

?第一層「表」
   一般社会が認知している日航機事件

?第二層「表の裏」
   日航機事件当時の国際間経済対立構造(プラザ合意など)の現れ

?第三層「裏の表」
   日航機事件当時の軍事覇権対立構造(日本の核兵器開発など)の現れ

?第四層「裏の裏」
   世界の意思決定者層の思惑(予期せぬ展開、昭和天皇暗殺疑惑など)

?第五層「真相」
   知られざる最高統治者の露呈(超常事象の発現)


■1985年、プラザ合意(先進5カ国蔵相・中央銀行総裁会議)の背景と日航機事故

日航機事件が発生した1985年、未曾有の520名が死亡するという大事故から、わずか一月余りの9月、米国においてプラザ合意が電撃的に締結されます。これにより、1ドル240円台前後だった為替レートが、1年後には150円台になるという、急激な円高が始まります。

実は、この年の1月にも同じ先進5カ国蔵相・中央銀行総裁会議、加えて6月にも東京で先進10ヶ国蔵相会議が開かれています。基本的に財政赤字と貿易赤字という双子の赤字に悩む米国経済を他の先進国がどう支援するかというのがお題目だったのですが、当時の報道を読む限り、1月の会議でも日本の円高を容認するという意味での合意が甚だしく不調だった痕跡は認められません。ところが、1月の会議直後はむしろ円安に振れ、会議から半年経っても、10円程度の円高に留まりました。その成果は9月の合意に比べれば見る影もありません。

注意すべきなのは、同じくG5の参加国である西ドイツ、フランスの動きです。特に西ドイツのコール首相(当時)は、前年1984年の5月にはフランスと軍事協力協定を調印し、翌1985年には1月、8月とフランスのミッテラン大統領との間で2回も首脳会談を行っています。国際軍事評論家B氏のお話によると、コール首相は米国支配の軍事・経済網から離脱するため、隣国フランスと連携を強め、最終的にはNATO軍の脱米国依存、独立軍化を狙って積極的に外交を進めていたと言います。ここで、ヨーロッパへの影響力を失うことなど、米国政府として到底容認できなかったことは容易に想像されます(*1)。

巨額の対米貿易黒字で潤う日本、米国の影響力排除を計る独仏。しかも、日本は円高を誘導すべき1985年1月のG5の合意を、まともに実行しようとする気配はありません。日本の経済的立場からすれば、自らの不利益になる円高誘導案など飲めるはずがないという理屈も、透けるように見えてきます。貿易立国、電子立国と、現在の姿からは想像できない程の経済力を蓄えた日本が次に打ち出したプランが、アジア共通通貨圏構想だったのです。つまり、将来的なFRB(米国連邦準備制度)からの離脱宣言です。加えて、西ドイツも経済は極めて好調、心配されるのは中距離核弾頭SS20を配備したソ連の動き位だったかもしれません。

ここで、プラザ合意前の「脱米国」という日独仏の基本スタンスがくっきりと見えてきます。そんな矢先に起こったのが次の大事件・大事故です。

(1)1985年7月 虹の戦士号爆破事件(フランス)
(2)1985年8月 ドイツスパイ事件(西ドイツ)
(3)1985年8月 日航機事故(日本)

そして、この3国内政を揺るがした国内事件・事故の直後(9月)に、プラザ合意が改めて締結されるのです。この年、何と3回目の世界的蔵相会議にてです。

(1)の事件では、フランス政府が爆破事件への関与を認め、諜報工作機関(DGSE)の局長が解任され、国防大臣が辞任するなど、フランス国内の大スキャンダル事件となりました。また、(2)の事件では、コール首相の女性秘書とその夫が東側のスパイとされ、国家重要機密情報の流出懸念と、首相の脇の甘さが問題視された大スキャンダルとなりました。そして(3)の日航機事故こそ、表面上でも520名が死亡する大事故として世間の大きな関心を集め、一方その裏側では、本ブログでお伝えしているように、日米ソの軍部が直接介入する程の、未曾有の大事件(事変)であったのです。

これら、脱米国を目指した日独仏3国内で立て続けに起きた大事件と、プラザ合意の電撃締結が、果たして全く無関係であると、読者の皆様は思われるでしょうか?もちろん、これらを繋げる明確な証拠がない限り、それぞれ独立した事象であると言われても反論できません。もしも、状況証拠的な説明を許していただけるなら、

「例え、政府間・中央銀行間で合意が成されても、民間の膨大な資金が実際に動かなければ合意は反故にされる」

という点を指摘します。特に、当時の経済大国、日本と西ドイツ(*2)の民間資本が協調介入しなければ名目だけの合意に終わってしまうはずです。それは、1985年1月のG5合意直後にほとんどその目標が達成されなかったことに端的に現れています。では、9月の合意では何故民間資金がこれだけ大きく変動したのでしょうか?民間資本を突き動かす動機、言い換えれば「恐怖」を考えた時、答は自と見えてきます。


図1:2010.05.16 の講演会資料から(1)
   講演時には、日航機事変は日本、および西ドイツ、フランス
   への英米による軍事的恫喝であると捉えていた


写真1:1985年5月、G8サミットに出席した5カ国首脳(西ドイツ、ボン)
    左から、ミッテラン(仏)、サッチャー(英)、コール(独)、
    レーガン(米)、中曽根康弘(日)、他、伊加露の首脳は省略。
    3国が英米首脳に分断されながら中央に並んでいるのが興味深い。
    良し悪しは別として、当時の首脳クラスには重みがあったものだ。
    それに比べて今は・・・いったい何なのだろう、この軽さは?


(*1)NATO軍の独立は容認できない:TWA800便事故(Wikipedia)など米国発パリ行き便はよく落ちると言われている。NATO軍の主権に絡み、米仏の確執が生んだ計画的事故とも読み解くことができる。実際にTWA機のミサイル撃墜説もある。日航機事件のフランス版といったところだろうか。そういえば、2009年に発生した疑惑のエールフランス447便事故(Wikipedia)も、米国発ではないがパリ行きである。時間が許せば本ブログで取り上げたい。

(*2)日本と西ドイツ:あまり知られていないが、日航機事故犠牲者の中には電通社員が8名含まれている。実は、この年(1985年)に電通ドイツ支社が設立されている。また外国人犠牲者の中には2名のドイツ人貿易商も含まれていた。「蘇る亡霊(15)」では核を巡る日本とドイツの関係にも少し触れた。第二次大戦時の同盟国・敗戦国同士という歴史的背景もあり、日航機事件に絡む日本とドイツの見えない関係がとても気になる。


■予告されていた日航機事故

プラザ合意に前後する、日本航空のおかしな動きにについては以前にもお伝えしたと思います。それは、航空機燃料の先物調達で、

 (1)10年先の先物を購入したこと
 (2)円安想定で購入したこと
 (3)購入決定が事故当月の1985年8月であったこと

などです。9月のプラザ合意以降大幅な円高に触れ、以後高い円が定着したため、日航は約2200億円の大損失を計上することになります。こんな取引は一般銀行が受けるとは考えにくく、どこかの投資銀行と相対取引を行った可能性があります(知ってる方、教えてください)。つまり、2200億円のボロ儲けをした企業があるということです。

(1)の10年先物については、船舶関連など燃料を先物で扱う企業などでも、10年先の燃料価格を見通せるはずなどなく、そんな長期の先物を買うことはまずあり得ないと言います。それは、もはや燃料価格の高騰を防ぐリスクヘッジなどではなく、無謀な賭けに近い取引です。

(2)で円安を想定すること自体は企業判断ですが、(3)の決定時期からするとやはり変です。1月にG5、6月にG10など、日本の円高容認を求める英米の動きは明らかだったはずなのに、何故ここで円安判断をしたのでしょうか?これがプロの購買担当者の結論であるとはとても信じ難いです。

(3)の8月の決定時期ですが、詳しくはわかりませんが、私の調査では8月上旬頃ということで、ちょうど日航機事故発生の前後となります。事故との関連は日付がわからないと何とも言えませんが、少なくとも、9月のプラザ合意に向けて、まるで滑り込むように損を取りに行ってるように見えるのがたいへん気になります。

以上、この先物購入はおかしなことばっかりです。これについては、9月のプラザ合意に実効性が生まれ急激な円高に振れる、つまり、日航機事故の発生とその意味を予め分かっていればこそ可能な(*3)、巨額の利ざや取りだとも言えます。「プラザ合意を予見しているのならどうして円高想定ではないのだ」との反論もあると思いますが、当時、日航という会社が、半官半民企業であり、政治家や官僚、暴力団関係者に事実上私物化された特殊な会社であることを理解する必要があります。その辺の事情は、小説ですが、山崎豊子さんの『沈まぬ太陽』を読むと、雰囲気がよくわかります。作中に書かれた内容が全て事実とは言いませんが、他のノンフィクションと読み合わすと、かなり事実に近いであろうと想定されます。

(*3)事故の発生を予見:先物購入決定が事故発生より前と仮定した場合はもちろん、事故直後だとしても、裏事情には精通していたことになり、事故の惨劇を知りつつ実行した分、なおさら犯罪性が高いとも言える。


図2:2010.05.16 の講演会資料から(2)
   映画『沈まぬ太陽』から。実在の人物と役名を対比してみた。、
   本作品は日航組織内の様子については、非常に参考になる。
   もちろん、フィクションであることは差し引くべきだが。

説明がちょっと長くなりましたが、要するに

「大事故があって、プラザ合意が確定的なら、どうやって日航から金をむしり取ればよいだろうか。この会社は半分政府出資だし潰れることはないから、いくらでも上限は吊り上げられる」

と考えた輩が、日航外部、内部に居たと考えられるのです。金を受け取るのは外部、無理の多い先物購入案を立案するのが内部で、後は両者で話しさえ通しておけば、これ以上よくできたシナリオはありません。あまり想像を膨らましてはいけませんが、私が指摘したいのは、日航機事故の発生とプラザ合意成立の関係性を予め知らされた人物が確実にいて、日航内部に働きかけてこの無茶な先物買いの絵を描いたのだろうということです。更に加えるなら、大事故による混乱で、日航社内に監査の目が行き届きにくくなることも計算の内だったかもしれません。

極秘情報に近く日航内部に影響力のある人物となれば、政治家や有力官僚ということになりますが、それだけでも該当者の数が多くて「誰が」というところまで絞り込めていません。日航とはそんな有力者連中の漁り場のような会社だったようです。以下に関係有力者名の一部を列記して、今回の解説を終わらせたいと思います(役職などは当時のもの)。

 中曽根グループ
 ・中曽根康弘 (総理大臣)
 ・瀬島龍三 (伊藤忠商事会長、旧帝国陸軍参謀、中曽根ブレーン)
 ・竹下登 (大蔵大臣)
 ・糸山英太郎 (前JAL個人筆頭株主、中曽根の資金調達係)
 ・後藤忠政 (後藤組組長※、前JAL個人筆頭株主、糸山との交友関係)
 田中グループ(※)
 ・金丸信 (自民党幹事長、暴力団・朝鮮人脈に強い)
 ・後藤田正晴 (総務庁長官、元警察庁長官)
 ・小佐野賢治 (国際興業、前JAL個人筆頭株主、田中角栄の盟友)
 その他
 ・三塚博 (運輸大臣、福田派)

※田中角栄元首相は、同年2月、脳梗塞で倒れ田中派は急速に影響力を失い、中曽根派に寝返った竹下大蔵大臣(当時)の発言力が強まります。田中元首相の急病についても諸説あるのは皆様ご存知でしょう。ところで、後藤組といえば歴とした山口組系。山口組内では前年(1984)から同年にかけて派手な抗争事件を起こしています。同組の名からはまた、同和・在日系団体、住友銀行、そして米国CIA、英国情報部、バチカン情報部など各国諜報機関との太いパイプが連想されます。このように、関係有力者の人脈を辿るだけでも、日航機事件の裾野の広さが伺えるのです。


 * * *


今回の記事だけにフォーカスすれば、「123便は日本にプラザ合意を飲ませるため米国に撃ち落された!」と性急に結論を出すことは可能です。これなら、「悪の帝国アメリカ」、「属国日本」という一般的な陰謀論が求める答にピタリと合致するでしょう。実際、調査を始めてしばらくは私もそう思っていました。その考えを改めるきっかけとなったのが、S氏の集めてきた、夥しいまでのミサイル・軍機破片の数々、墜落現場に残る核の残像と事件隠蔽に暗躍するクロカモさんたちとの邂逅です。

一例を挙げれば、どうして撃ち落し役の米軍機が落されているのか、それも10数機も。上記シナリオでは全く説明がつきません。そして、ソ連軍機にソ連製装甲車まで見つかった現在、上記のような単純な二元的陰謀論の世界観では全く歯が立たないのが実情です。必然的に事件解釈のレベルを、第三層、第四層へとエスカレートせざるをえません。

但し、第二層の分析からこれだけは言えます。123便を撃墜する計画は当初から存在したと。その最終目的が何であったかはこれから追っていく問題ですが、少なくとも「1つの事象=1つの目的」に囚われる必要はないと言えます。本来の目的を知らなくても、墜落することがわかっていれば、そこにいくらでも謀議を組み込むことができるからです。例えば、経済人にとってはプラザ合意も含め日本のライバル企業に対する圧力に、政府・暴力団・マフィアにとっては知りすぎた関係者の始末に、核開発関係者にとってはIAEAの査察から秘密の核物質を隠すためにと、後めたい背景を持つ人物たちにとってはまさに絶好の機会であったはずです。グリコ・森永事件の実行犯が乗っていたという説も、日航機事件と同日の8月12日に終結宣言が出されたこともあり、その意味では蓋然性が認められると思います。ですから、同事件と日航機事件の関りを私は否定しません。しかし、同事件が日航機事件の主目的とする発想は、論理の主客が転倒しているとみなします。

奇しくも1985年4月、陰謀論世界の帝王、デビッド・ロックフェラー氏が東京を訪れ、三極委員会の場で講演をしています。ここで彼は、「世界経済のために、三極(日米欧)諸国の政府が取るべき措置」を勧告しています。また、当時の日銀総裁であった前川春雄氏も「日本の金融自由化」について発表しています(『日銀−円の王権−』吉田祐二 )。表向きの話はともかく、彼らが裏でどんなことを話していたのか興味があります。そこに、日航機撃墜計画はあったのでしょうか?

以下1985年の関連事件をまとめてみました。

 ・1月 独仏首脳会談
 ・    G5蔵相・中央銀行総裁会議
 ・2月 サッチャー英首相訪米
 ・    田中角栄元首相倒れる
 ・3月 日ソ首脳会談
 ・4月 デビッド・ロックフェラー氏東京講演
 ・5月 G8サミット開催 (西ドイツ、ボン)
 ・6月 G10蔵相・中央銀行総裁会議 (東京)
 ・7月 虹の戦士号爆破事件(フランス)
 ・8月 独仏首脳会談
 ・    ドイツスパイ事件(西ドイツ)
 ・    日航機事故(日本)
 ・9月 G5蔵相・中央銀行総裁会議(プラザ合意)

以後、急激な円高が進み、翌年1986年には日本の市場開放を求める前川レポートが発表されます。そして過剰なバブル経済が生まれ、弾けた後、坂道を転がり落ちるかのように日本の経済は失われた20年へと続くのです。それがすなわち、今の私たちが住む日本なのです。

このように時間の流れを俯瞰すると、日航機犠牲者の悲痛な運命と、現在に生きる私たちの運命とは、27年の時が過ぎようとしている今も、歴史の底流部では深く繋がっていることに気が付かされるのです。


ET NUNC DIXI VOBIS PRIUSQUAM FIAT UT CUM FACTUM FUERIT CREDATIS IAM NON MULTA LOQUAR VOBISCUM VENIT ENIM PRINCEPS MUNDI HUIUS ET IN ME NON HABET QUICQUAM
事が起こったときに、あなたがたが信じるようにと、今、その事の起こる前に話しておく。 もはや、あなたがたと多くを語るまい。世の支配者が来るからである。だが、彼はわたしをどうすることもできない。
(ヨハネの福音書 第14章29,30節)

遠つ祖霊の地より
管理者 日月土

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