本日より、両陛下が奈良を訪れるようです。
両陛下、京都・奈良を訪問へ 神武天皇山稜で退位報告
緒方雄大 2019年3月4日20時42分
宮内庁は4日、天皇、皇后両陛下が25~28日に京都府と奈良県を訪れると発表した。4月30日に退位することを報告するため神武天皇山陵を訪れる。両陛下の京都府、奈良県への訪問は在位中最後になる。
宮内庁によると、25日は即位30年にあたり京都市の京都御所で近畿地方の2府4県の知事や議長らを招き、茶会を開く。天皇陛下がお言葉を述べる予定。26日には奈良県橿原市の神武天皇山陵に参拝し、退位することを報告する。
27日には、関西の宮内庁職員による即位30年や結婚60年を祝う茶会に出席する。(緒方雄大)
引用元:朝日新聞デジタル
https://www.asahi.com/articles/ASM343K7TM34UTIL00W.html
歴代天皇の初代であられる神武天皇(神日本磐余彦天皇:かむやまとひはれひこのすめらみこと)は、古史においては天から降りた神の子孫にして、人の世の王として初めてその威容を表した方とされています。
ここで神話の真偽を議論するつもりはありませんが、神の御系統でありながら、人として世に現れたという伝説から、 神武天皇のことを神の現人(うつしおみ)と表現することがあります。その概念が最も過剰な形で現れたのが、明治政府成立から第2次世界大戦の敗戦まで、国策として神武天皇だけにとどまらず、時の天皇陛下その人の事を現人神(あらひとかみ)と呼び、崇拝の対象として国民に強要したことは、近現代史の常識となっています。
この「現人」なのですが、実は、この語を冠した神社が、福岡県の那珂川市にあるのです。その社名は「現人神社(あらひとじんじゃ)」です。そして、この神社の近くには、日本書紀にも記述され、第十四代仲哀天皇妃の神宮皇后の命により造られた、日本最古の農業用水路とされる「裂田の溝」(さくたのうなで)があります。日本最古の灌漑土木事業にして奈良大和の地ではないことに注目です。
この現人神社では背振の山々から降りてきたであろう地下水を汲むことができ、私もよく飲料用の水を頂戴に伺ったものです。境内にある大きな樟の木の木陰で佇みながら物思いに耽ったこともありました。もちろんお参りもしてますよ。
写真1:現人神社
さて、上記引用記事中にある「神武天皇山陵」ですが、こちらはあくまでも宮内庁が言う「推定」神武陵であることにご留意ください。宮内庁だって、御陵を荒らされたくありませんから、本当の存在位置をトボける位の奥ゆかしさと度量はあるのです。しかしながら、今年の5月に新陛下が即位されるという時節ですから、私の方から、もう少し絞り込んだ御陵の位置を、本ブログ読者様に向けてお知らせしたいと思います。
写真2:【推定】神武天皇陵 (奈良県橿原市)
ここに行っても神武天皇はおられません
遥拝所としてのご利用なら可かと思います
下図1の図中にその御陵はあります。両陛下は当然ご存知のことでしょう。気になる方は現地で探してみては如何でしょうか?
図1:現人神社、裂田の溝、そして神武天皇御陵(ひみつ)
調査の時、よく福岡県警のヘリに張り付かれました
柏原(橿原)の 南に坐す 九ニ父は
一八十成る世の 行くすゑをみる
* * *
神武東征や大和朝廷などという、明治政府や歴史学者が創作した寓話を信じている内は、本記事の真意を理解するのは難しいかもしれません。長きに続く日本(にほん)の歴史の中で、京都や奈良などというのは、たった1000年の歴史しかない新参者とすら言えます。
キリストの御国にて記す
管理人 日月土
両陛下、京都・奈良を訪問へ 神武天皇山稜で退位報告
緒方雄大 2019年3月4日20時42分
宮内庁は4日、天皇、皇后両陛下が25~28日に京都府と奈良県を訪れると発表した。4月30日に退位することを報告するため神武天皇山陵を訪れる。両陛下の京都府、奈良県への訪問は在位中最後になる。
宮内庁によると、25日は即位30年にあたり京都市の京都御所で近畿地方の2府4県の知事や議長らを招き、茶会を開く。天皇陛下がお言葉を述べる予定。26日には奈良県橿原市の神武天皇山陵に参拝し、退位することを報告する。
27日には、関西の宮内庁職員による即位30年や結婚60年を祝う茶会に出席する。(緒方雄大)
引用元:朝日新聞デジタル
https://www.asahi.com/articles/ASM343K7TM34UTIL00W.html
歴代天皇の初代であられる神武天皇(神日本磐余彦天皇:かむやまとひはれひこのすめらみこと)は、古史においては天から降りた神の子孫にして、人の世の王として初めてその威容を表した方とされています。
ここで神話の真偽を議論するつもりはありませんが、神の御系統でありながら、人として世に現れたという伝説から、 神武天皇のことを神の現人(うつしおみ)と表現することがあります。その概念が最も過剰な形で現れたのが、明治政府成立から第2次世界大戦の敗戦まで、国策として神武天皇だけにとどまらず、時の天皇陛下その人の事を現人神(あらひとかみ)と呼び、崇拝の対象として国民に強要したことは、近現代史の常識となっています。
この「現人」なのですが、実は、この語を冠した神社が、福岡県の那珂川市にあるのです。その社名は「現人神社(あらひとじんじゃ)」です。そして、この神社の近くには、日本書紀にも記述され、第十四代仲哀天皇妃の神宮皇后の命により造られた、日本最古の農業用水路とされる「裂田の溝」(さくたのうなで)があります。日本最古の灌漑土木事業にして奈良大和の地ではないことに注目です。
この現人神社では背振の山々から降りてきたであろう地下水を汲むことができ、私もよく飲料用の水を頂戴に伺ったものです。境内にある大きな樟の木の木陰で佇みながら物思いに耽ったこともありました。もちろんお参りもしてますよ。
写真1:現人神社
さて、上記引用記事中にある「神武天皇山陵」ですが、こちらはあくまでも宮内庁が言う「推定」神武陵であることにご留意ください。宮内庁だって、御陵を荒らされたくありませんから、本当の存在位置をトボける位の奥ゆかしさと度量はあるのです。しかしながら、今年の5月に新陛下が即位されるという時節ですから、私の方から、もう少し絞り込んだ御陵の位置を、本ブログ読者様に向けてお知らせしたいと思います。
写真2:【推定】神武天皇陵 (奈良県橿原市)
ここに行っても神武天皇はおられません
遥拝所としてのご利用なら可かと思います
下図1の図中にその御陵はあります。両陛下は当然ご存知のことでしょう。気になる方は現地で探してみては如何でしょうか?
図1:現人神社、裂田の溝、そして神武天皇御陵(ひみつ)
調査の時、よく福岡県警のヘリに張り付かれました
柏原(橿原)の 南に坐す 九ニ父は
一八十成る世の 行くすゑをみる
* * *
神武東征や大和朝廷などという、明治政府や歴史学者が創作した寓話を信じている内は、本記事の真意を理解するのは難しいかもしれません。長きに続く日本(にほん)の歴史の中で、京都や奈良などというのは、たった1000年の歴史しかない新参者とすら言えます。
キリストの御国にて記す
管理人 日月土