北方領土、竹島問題、そして尖閣諸島と、最近になって突然降って沸いたように領土問題が騒がしくなっています。長く本ブログにお付き合いいただいた読者様なら、これら日本の隣国であるロシア、韓国、中国が、日航機123便事件に密接な関係を持つ国々であることにすでに気がついておられることでしょう。
・ロシア > 御巣鷹事変の紛争直接当事国−物証による確認
・韓国 > 在韓米軍、在日米軍朝鮮人部隊による事件処理関与疑惑
・中国 > 旧帝国陸軍(関東軍)と北京情報部との戦時コネクション
これらの国々は、旧帝国陸軍参謀、伊藤忠商事元会長である故瀬島龍三氏を通して一つに繋がることに改めて気がつかされます。瀬島龍三氏は中曽根康弘当時首相のブレーンとして、123便事件以後も日航人事に大きな影響力を及ぼした人物です。その瀬島氏は、韓国の情報機関であるKCIA、在日・部落運動組織、その政治工作部隊である国際勝共連合を影で操っていたと言われてます。これら朝鮮系組織とグリコ・森永事件の繋がり、そしてグリコ・森永事件と123便事件との更なる繋がりを考察すれば、やはり瀬島氏の関与抜きに123便事件を語ることはできません。
その意味で、現在の丹羽駐中国大使が、伊藤忠出身の民間大使であるということは大変興味深いです。瀬島氏が作り上げた中国・朝鮮半島コネクションは現在でも健在であり、シベリア抑留中、あるいはそれ以前から築いたとされるロシアコネクションも含め、日本の極東外交において今以って大きな影響力を保っているように見えます。
写真1:故瀬島龍三氏(左)と丹羽宇一郎駐中国大使(右)
123便事件だけでなく、戦後日本の暗部に伊藤忠商事が深く関与
していたことは、いずれ明らかにされるであろう
これら三国の中でも、中国・朝鮮の軍事技術が日本の産業技術に深く依存している可能性については、本ブログでも度々触れたかと思います。中国の核ミサイルしかり、北朝鮮のテポドンしかり、核兵器製造技術を含む日本の産業技術がなければ達成し得なかったと言えるかもしれません。
このように、社会の闇で日本と深く繋がるこれらの国々が、領土問題で派手に争そうことに、何か胡散臭い策略を感じるのは私だけでしょうか?このような時、最初に考えられるのが、日本国民(当事国国民)の目を何かから逸らそうとしていることです。では、その「何か」とは何なのか?私が最も危惧しているのは、国(日本の闇組織=クロカモ)は、福島第一原発による関東・東北地方での健康被害が、数ヶ月以内に顕在化することをすでに想定しており、その予防線として、国民感情を操作誘導する目的で、茶番の領土問題を関係各国共同で打ち上げたとするものです。
事実はいずれ分かってくるとは思いますが、御用マスコミの扇動に乗じることなく、私たちは事の推移を冷徹に見守るべきだと思います。
■海上保安庁も事件隠蔽に加わっていた
前置きがちょっと長くなりました。下記の写真2は、改めて123便事件関連資料を整理していた時に見つけた新聞記事です。まずは、ご覧ください。
写真2:横浜港に陸揚げされた垂直尾翼を報じる記事
「海上保安庁職員たちによって陸揚げされた日航機の垂直尾翼
部分 = 13日午後10時45分、横浜市中区の新港ふ頭で」
1985年8月14日(123便事件発生から2日後) 朝日新聞 朝刊
「尾翼の一部が横浜港着」
事故機の垂直尾翼の一部は、第三管区海上保安本部の巡視艇「あきづき」で横浜港に運ばれ、十三日午後四十五分、同港新港ふ頭4号岸壁に引き揚げられた。
甲板に置かれていた垂直尾翼の一部を、十二、三人がかりでかかえ上げ、船から下ろした。細長い台形をしており、日航のマークであるつるの羽の先端が一部見えた。両端の白い金属板がめくれ上がり内部の骨組みが露出しており、衝撃のすさまじさを物語っていた。しかし、物がぶつかったような跡はなかった。
同岸壁に待機していた運輸省の航空事故調査委員会の、門田利周・次席調査官と、樫原福二郎調査官が、検分を始めた。日航職員も見入った。門田調査官は「回収されたものは垂直安定版にほぼ間違いない。この安定板は事故機の物である可能性が高い」と述べた。
また、安定板の底の部分についていた製造番号は、「65B03286-1」と確認され、「747」とも記されていた。
垂直翼の一部は巡視船「みうら」の甲板に移され、同夜はそのまま同船に保管された。
写真に写る人物の身長から推測すると、この垂直尾翼破片は1.5m×5.0m以上はあろうかというたいへん大きな物です。また、12、3人で持ち上げたということですから、重量は軽くても2〜300kg程度はあったと推測されます。外板を支える骨組まで付いていたということですから、いくら軽量に作られている航空機材料とは言え、それなりの重量であったことでしょう。
鶴のマークの断片、写真2に写る物体の形状から判断すると、この物体は垂直尾翼の左側前縁部であると考えられます。写真3から分かるように、ボーイング747の垂直尾翼と鶴のマークの位置関係、それらの実寸などから、この推測でほぼ正しいことが確認できます。破れた外板から反対側が透かし見えていないことから、右側前縁部を含む垂直尾翼前縁上部が丸ごともぎ取られたことを示しているように見えます。
写真3:回収部分の機体推測位置
事件翌日の夜に横浜港に陸揚げされたということですから、かなり早い回収だったということになります。すると、回収は13日の日中、日本中が大騒ぎになっている最中に行われたことになります。公式発表では墜落場所が確認されたのが13日の早朝であり、同日日中は事故の発生した明確な場所も、事故原因もまだはっきりとわからないはずの時間ですから、海上保安庁の巡視艇はたまたま相模湾の巡視行動中に、海上で123便の尾翼破片を見つけたのか、何か特別な情報を得て現場に急行したということになります?残念ながら、この記事には「あきづき」の海上行動の経緯が一切書かれておりらず、その辺は推測でしか語れません。
この早すぎる部品回収の他、これまでに浮上した垂直尾翼海上破壊説の疑問点を列記してみます
(1) 圧力隔壁破壊、急減圧はなかった
(2) 日航鶴のマークは陸上でも複数目撃されている
(3) 海上自衛隊の不自然な回収部品の陸揚げ地選択
(4) 金属部品は、通常海上で浮遊するはずがないのに、海上で回収されている
そして、この記事から伺える新たな疑問点として次の項目を加えたいと思います
(5) 海上保安庁の早すぎる部品回収
(6) どう考えても、垂直尾翼前縁部が海上で浮いてるはずがない
(7) 鶴マークを含む最重要証拠なのに、事故調査報告書で検証されていない
(1)については、「折れなかった垂直尾翼−番外編」でも簡単に指摘しましたが、多くの専門家、書籍等でもその不合理性に疑問の声が投げかけられており、生存者4名の証言とも全く噛み合いません。本来ならば、この1点を洗うだけでも十分に事件の隠蔽を覆せるはずなのですが、客観的知見を提供するはずの学識経験者がこぞって体制側に着いており、この事件の根本をなす疑問は20数年間無視され続けたままです。
(2)と(7)は「鶴マーク」で関連があります。鶴マークのペイントを含む垂直尾翼の一部が本当に海上に落ちていたのならば、その周辺部を含む垂直尾翼の大部分が相模湾上空の異変で破壊されたという事故調査委員会の報告は正しいことになります。しかし、「見えざる人々神の鉄槌(1)」で掲載した証言のように、墜落現場近くで複数の目撃者が、「鶴マーク」を目撃しているのです。123便の陸上での目撃証言は初期の報道で多く取り上げられていますが、「飛び方がおかしい」というものはあっても、「尾翼がなかった」、「機体の一部が壊れていた」という証言は全くないのです。一つ一つの証言には不正確さが残るとは思いますが、何十もの目撃証言が尾翼について語っていない不自然さをどう説明すればよいのでしょうか?尾翼は折れていなかったのです。
(4)と(6)については、「折れなかった垂直尾翼(3)」と内容が重なるので詳細は省略します。とにかく、物事を隠すにしろ、やり口があまりにも杜撰です。海上保安庁が回収したとされる部品は、その形状、その大きさ、重量から見て、海上を何時間も浮いていたとは到底思えません。(7)に関連しますが、事実だったら超が付くほどの重要証拠であっただろう当該部品が、事故調査報告書で何故か十分に検証された形跡がないこと、この記事そのものの扱いが極端に小さいこと(*1)、その後、この部品に関する追跡記事がないこと(*2)など、不明瞭な点が多すぎます。
ここからは推測になりますが、海上で異常が発生したとする国民印象操作シナリオが事件直後に急遽作成され、それに基づいて、誰にでも分かりやすく印象的な鶴マークの刻まれた部品が海上で回収されたという事実を急いで捏造したのでしょう。但し、それがちょっと急ぎ過ぎでした。また、隠す側でも、まともな基礎科学知識があればこんな嘘はすぐにばれることに気が付き、その後に「鶴マーク」の目撃証言が幾つか出た頃から、大きく取り扱うのを止めたのだと考えられます。この場合、鶴マークの強調は彼らのシナリオをかえって危うくするものだと気が付いたのでしょう。
では、この鶴マークの部品はどこからやってきたのか?一番考えられるのは、123便の墜落現場から陸上自衛隊のヘリを使って巡視艇まで空輸したことです。
*1 小さな扱い:事件直後は犠牲者の安否が優先で、大きく取り上げる余地がなかったとも言える。必ずしも悪意があったとは考えられず、逆に、このおかしな状況に気がついて欲しいという、記者の必至の訴えだったのかもしれない。
*2 追跡記事がない:私の調査範囲でという意味。追跡情報があれば教えていただきたい。
* * *
今回の記事で、ご注意を頂きたいのは、海上での証拠捏造に加担したのが、海上自衛隊でなく、海上保安庁である点です。同庁は現在は国土交通省の管轄ですが、当時は運輸省の配下でした。事故調査委員会の出鱈目など、これまでの経緯を踏まえれば不思議はありませんが、運輸省は海上保安庁という自前の実働部隊を投入してまで日航機事件の隠蔽にやっきになっていたことが伺えます。
同時に、事故調査報告書に部品回収で登場した海上自衛隊がこの時関与しなかったことに、同事件の取り扱いに対する海上自衛隊内の激しい抵抗を感じます。私は、報告書に記載された、すぐにインチキだと分かる海上浮遊部品の項目、また上記(3)にある海上自衛隊が見せた不自然な陸揚げ行動については、彼らの声に出せない抵抗であったとも見ています。
現在起きている領土問題において、海上保安庁は日本の守りの要です。現職員の多くは本件と直接関係ないことは分かっていますが、彼らの一部、また旧運輸省上官の一部が123便犠牲者の血で汚れた人物であることは、疑いようがありません。前から唱えているように、私は罪を責めるつもりはありません。しかし、事実を隠し続けることは新たな罪を作るのと同じことです。どうか真実を私たちに話してください。私は、あなた方も救ってあげたいと本気で考えているのです。
QUAE DIXIT NEMO DOMINE DIXIT AUTEM IESUS NEC EGO TE CONDEMNABO VADE ET AMPLIUS IAM NOLI PECCARE
女が、「主よ、だれも」と言うと、イエスは言われた。「わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい。これからは、もう罪を犯してはならない。」
(ヨハネの福音書 第8章11節)
遠い祖霊の始まりの地より
管理者 日月土
・ロシア > 御巣鷹事変の紛争直接当事国−物証による確認
・韓国 > 在韓米軍、在日米軍朝鮮人部隊による事件処理関与疑惑
・中国 > 旧帝国陸軍(関東軍)と北京情報部との戦時コネクション
これらの国々は、旧帝国陸軍参謀、伊藤忠商事元会長である故瀬島龍三氏を通して一つに繋がることに改めて気がつかされます。瀬島龍三氏は中曽根康弘当時首相のブレーンとして、123便事件以後も日航人事に大きな影響力を及ぼした人物です。その瀬島氏は、韓国の情報機関であるKCIA、在日・部落運動組織、その政治工作部隊である国際勝共連合を影で操っていたと言われてます。これら朝鮮系組織とグリコ・森永事件の繋がり、そしてグリコ・森永事件と123便事件との更なる繋がりを考察すれば、やはり瀬島氏の関与抜きに123便事件を語ることはできません。
その意味で、現在の丹羽駐中国大使が、伊藤忠出身の民間大使であるということは大変興味深いです。瀬島氏が作り上げた中国・朝鮮半島コネクションは現在でも健在であり、シベリア抑留中、あるいはそれ以前から築いたとされるロシアコネクションも含め、日本の極東外交において今以って大きな影響力を保っているように見えます。
写真1:故瀬島龍三氏(左)と丹羽宇一郎駐中国大使(右)
123便事件だけでなく、戦後日本の暗部に伊藤忠商事が深く関与
していたことは、いずれ明らかにされるであろう
これら三国の中でも、中国・朝鮮の軍事技術が日本の産業技術に深く依存している可能性については、本ブログでも度々触れたかと思います。中国の核ミサイルしかり、北朝鮮のテポドンしかり、核兵器製造技術を含む日本の産業技術がなければ達成し得なかったと言えるかもしれません。
このように、社会の闇で日本と深く繋がるこれらの国々が、領土問題で派手に争そうことに、何か胡散臭い策略を感じるのは私だけでしょうか?このような時、最初に考えられるのが、日本国民(当事国国民)の目を何かから逸らそうとしていることです。では、その「何か」とは何なのか?私が最も危惧しているのは、国(日本の闇組織=クロカモ)は、福島第一原発による関東・東北地方での健康被害が、数ヶ月以内に顕在化することをすでに想定しており、その予防線として、国民感情を操作誘導する目的で、茶番の領土問題を関係各国共同で打ち上げたとするものです。
事実はいずれ分かってくるとは思いますが、御用マスコミの扇動に乗じることなく、私たちは事の推移を冷徹に見守るべきだと思います。
■海上保安庁も事件隠蔽に加わっていた
前置きがちょっと長くなりました。下記の写真2は、改めて123便事件関連資料を整理していた時に見つけた新聞記事です。まずは、ご覧ください。
写真2:横浜港に陸揚げされた垂直尾翼を報じる記事
「海上保安庁職員たちによって陸揚げされた日航機の垂直尾翼
部分 = 13日午後10時45分、横浜市中区の新港ふ頭で」
1985年8月14日(123便事件発生から2日後) 朝日新聞 朝刊
「尾翼の一部が横浜港着」
事故機の垂直尾翼の一部は、第三管区海上保安本部の巡視艇「あきづき」で横浜港に運ばれ、十三日午後四十五分、同港新港ふ頭4号岸壁に引き揚げられた。
甲板に置かれていた垂直尾翼の一部を、十二、三人がかりでかかえ上げ、船から下ろした。細長い台形をしており、日航のマークであるつるの羽の先端が一部見えた。両端の白い金属板がめくれ上がり内部の骨組みが露出しており、衝撃のすさまじさを物語っていた。しかし、物がぶつかったような跡はなかった。
同岸壁に待機していた運輸省の航空事故調査委員会の、門田利周・次席調査官と、樫原福二郎調査官が、検分を始めた。日航職員も見入った。門田調査官は「回収されたものは垂直安定版にほぼ間違いない。この安定板は事故機の物である可能性が高い」と述べた。
また、安定板の底の部分についていた製造番号は、「65B03286-1」と確認され、「747」とも記されていた。
垂直翼の一部は巡視船「みうら」の甲板に移され、同夜はそのまま同船に保管された。
写真に写る人物の身長から推測すると、この垂直尾翼破片は1.5m×5.0m以上はあろうかというたいへん大きな物です。また、12、3人で持ち上げたということですから、重量は軽くても2〜300kg程度はあったと推測されます。外板を支える骨組まで付いていたということですから、いくら軽量に作られている航空機材料とは言え、それなりの重量であったことでしょう。
鶴のマークの断片、写真2に写る物体の形状から判断すると、この物体は垂直尾翼の左側前縁部であると考えられます。写真3から分かるように、ボーイング747の垂直尾翼と鶴のマークの位置関係、それらの実寸などから、この推測でほぼ正しいことが確認できます。破れた外板から反対側が透かし見えていないことから、右側前縁部を含む垂直尾翼前縁上部が丸ごともぎ取られたことを示しているように見えます。
写真3:回収部分の機体推測位置
事件翌日の夜に横浜港に陸揚げされたということですから、かなり早い回収だったということになります。すると、回収は13日の日中、日本中が大騒ぎになっている最中に行われたことになります。公式発表では墜落場所が確認されたのが13日の早朝であり、同日日中は事故の発生した明確な場所も、事故原因もまだはっきりとわからないはずの時間ですから、海上保安庁の巡視艇はたまたま相模湾の巡視行動中に、海上で123便の尾翼破片を見つけたのか、何か特別な情報を得て現場に急行したということになります?残念ながら、この記事には「あきづき」の海上行動の経緯が一切書かれておりらず、その辺は推測でしか語れません。
この早すぎる部品回収の他、これまでに浮上した垂直尾翼海上破壊説の疑問点を列記してみます
(1) 圧力隔壁破壊、急減圧はなかった
(2) 日航鶴のマークは陸上でも複数目撃されている
(3) 海上自衛隊の不自然な回収部品の陸揚げ地選択
(4) 金属部品は、通常海上で浮遊するはずがないのに、海上で回収されている
そして、この記事から伺える新たな疑問点として次の項目を加えたいと思います
(5) 海上保安庁の早すぎる部品回収
(6) どう考えても、垂直尾翼前縁部が海上で浮いてるはずがない
(7) 鶴マークを含む最重要証拠なのに、事故調査報告書で検証されていない
(1)については、「折れなかった垂直尾翼−番外編」でも簡単に指摘しましたが、多くの専門家、書籍等でもその不合理性に疑問の声が投げかけられており、生存者4名の証言とも全く噛み合いません。本来ならば、この1点を洗うだけでも十分に事件の隠蔽を覆せるはずなのですが、客観的知見を提供するはずの学識経験者がこぞって体制側に着いており、この事件の根本をなす疑問は20数年間無視され続けたままです。
(2)と(7)は「鶴マーク」で関連があります。鶴マークのペイントを含む垂直尾翼の一部が本当に海上に落ちていたのならば、その周辺部を含む垂直尾翼の大部分が相模湾上空の異変で破壊されたという事故調査委員会の報告は正しいことになります。しかし、「見えざる人々神の鉄槌(1)」で掲載した証言のように、墜落現場近くで複数の目撃者が、「鶴マーク」を目撃しているのです。123便の陸上での目撃証言は初期の報道で多く取り上げられていますが、「飛び方がおかしい」というものはあっても、「尾翼がなかった」、「機体の一部が壊れていた」という証言は全くないのです。一つ一つの証言には不正確さが残るとは思いますが、何十もの目撃証言が尾翼について語っていない不自然さをどう説明すればよいのでしょうか?尾翼は折れていなかったのです。
(4)と(6)については、「折れなかった垂直尾翼(3)」と内容が重なるので詳細は省略します。とにかく、物事を隠すにしろ、やり口があまりにも杜撰です。海上保安庁が回収したとされる部品は、その形状、その大きさ、重量から見て、海上を何時間も浮いていたとは到底思えません。(7)に関連しますが、事実だったら超が付くほどの重要証拠であっただろう当該部品が、事故調査報告書で何故か十分に検証された形跡がないこと、この記事そのものの扱いが極端に小さいこと(*1)、その後、この部品に関する追跡記事がないこと(*2)など、不明瞭な点が多すぎます。
ここからは推測になりますが、海上で異常が発生したとする国民印象操作シナリオが事件直後に急遽作成され、それに基づいて、誰にでも分かりやすく印象的な鶴マークの刻まれた部品が海上で回収されたという事実を急いで捏造したのでしょう。但し、それがちょっと急ぎ過ぎでした。また、隠す側でも、まともな基礎科学知識があればこんな嘘はすぐにばれることに気が付き、その後に「鶴マーク」の目撃証言が幾つか出た頃から、大きく取り扱うのを止めたのだと考えられます。この場合、鶴マークの強調は彼らのシナリオをかえって危うくするものだと気が付いたのでしょう。
では、この鶴マークの部品はどこからやってきたのか?一番考えられるのは、123便の墜落現場から陸上自衛隊のヘリを使って巡視艇まで空輸したことです。
*1 小さな扱い:事件直後は犠牲者の安否が優先で、大きく取り上げる余地がなかったとも言える。必ずしも悪意があったとは考えられず、逆に、このおかしな状況に気がついて欲しいという、記者の必至の訴えだったのかもしれない。
*2 追跡記事がない:私の調査範囲でという意味。追跡情報があれば教えていただきたい。
* * *
今回の記事で、ご注意を頂きたいのは、海上での証拠捏造に加担したのが、海上自衛隊でなく、海上保安庁である点です。同庁は現在は国土交通省の管轄ですが、当時は運輸省の配下でした。事故調査委員会の出鱈目など、これまでの経緯を踏まえれば不思議はありませんが、運輸省は海上保安庁という自前の実働部隊を投入してまで日航機事件の隠蔽にやっきになっていたことが伺えます。
同時に、事故調査報告書に部品回収で登場した海上自衛隊がこの時関与しなかったことに、同事件の取り扱いに対する海上自衛隊内の激しい抵抗を感じます。私は、報告書に記載された、すぐにインチキだと分かる海上浮遊部品の項目、また上記(3)にある海上自衛隊が見せた不自然な陸揚げ行動については、彼らの声に出せない抵抗であったとも見ています。
現在起きている領土問題において、海上保安庁は日本の守りの要です。現職員の多くは本件と直接関係ないことは分かっていますが、彼らの一部、また旧運輸省上官の一部が123便犠牲者の血で汚れた人物であることは、疑いようがありません。前から唱えているように、私は罪を責めるつもりはありません。しかし、事実を隠し続けることは新たな罪を作るのと同じことです。どうか真実を私たちに話してください。私は、あなた方も救ってあげたいと本気で考えているのです。
QUAE DIXIT NEMO DOMINE DIXIT AUTEM IESUS NEC EGO TE CONDEMNABO VADE ET AMPLIUS IAM NOLI PECCARE
女が、「主よ、だれも」と言うと、イエスは言われた。「わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい。これからは、もう罪を犯してはならない。」
(ヨハネの福音書 第8章11節)
遠い祖霊の始まりの地より
管理者 日月土