123便事件関連の英文サイト「Prayer of White Camellia(白椿の祈り)」を開設してから、早いものでもうひと月が経過しました。この間、40ヶ国以上からアクセスがあり、日本を除けば、米国(アメリカ合衆国)の方々が最も多くの関心を示されています。本件には米国軍が深く関わっているだけに当然の結果とも言えますが、犠牲となった乗客の中には米国民も含まれることから、同じく同胞たる自国民を失った悲しみを共有し、国境を越え、人の犯した大きな罪を共に贖っていかれることを切に願います。
同サイトは、本ブログでこれまで公開した内容の整理・再掲載が主となっていますが、これまで掲載されていない情報や、高解像度写真などの資料も新たに加えられています。当面は英文主体で記事の掲載を進めますが、日本語による情報も適時本ブログでお知らせしていきたいと思います。
* * *
■尖閣・竹島問題:自衛隊は防衛軍たるのか
今回のテーマとちょっとずれるかもしれませんが、最近、こんな報道を目にしました。
「第1空挺団隊員、脱法ハーブ吸引し停職60日」
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20121215-OYT1T00536.htm?from=ylist
陸上自衛隊習志野駐屯地の第1空挺団に所属する自衛官が軽犯罪を犯したという記事です。自衛隊も大組織であり、統計学的な見地からも、若干名の隊員が犯罪行為に関わってしまうことにいちいち目くじらを立てるつもりもありません。
しかし、第1空挺団と言えば、自衛隊内でもエリート中のエリート、精鋭部隊として聞こえたセクションです。そのエリート部隊が抱える闇については、「蘇る亡霊(13)」でかつてお伝えしましたが、失礼ながらながらも、こんなみっともないニュースで世間に晒されることには少々驚きを隠せません。
国際軍事評論家B氏によれば、最近行われた世界10数国の空挺部隊による競技会では(そんなものがあるらしい)、習志野第1空挺団の成績はビリから2番目、歴史も浅く、装備も乏しいフィリピンなど東南アジア諸国の空挺団にすら及ばなかったと言います。
この低落振りについてB氏は、もはや訓練方法などの問題ではなく、何か大きな精神的支柱を失っているとしか思えないと付け加えています。
「蘇る亡霊(13)」では、空挺団内部で創価vs佼成会の信仰対立が存在するなど、同組織において深刻な問題が生じていることをお知らせしましたが、私は、精神的支柱の分裂は、全部でなくともその一部は、日航機事件の処理を巡る国防組織としての存在意義の崩壊に因ると分析しています。
直接関わったかどうかは別として、日本国民及び外国からの客人計500余名の命を失う大事件に沈黙し続けたその代償は極めて大きい。しかも、墜落現場の証言者、M氏の運転する車両を最新兵器で狙い撃ち、それを基地前の国道上で堂々と実行するなどの幼稚な行動は、隊内に潜む抑え切れない狂気すら髣髴とさせます。
写真1:「地に落ちた空挺団」とは、まさに笑えないジョークのようだ。
現在、尖閣・竹島など領土領海を巡る諸問題で、憲法改正、自衛隊の増強、国防軍への昇格などの論議が喧しいですが、日航機事件において国民の生命を見殺しにした軍隊に何かを期待することには、異を唱えざるをえません。
私は、現実問題としてある程度の武装は当面必要であると考えますが、精神無き軍隊を置くことには反対です。精神無き軍隊とは殺し屋集団のことであり、真の愛国心から程遠いものです。自衛隊を真の国防軍たらしめるには、一にも二にも、日航機事件の真実の開示と総括、組織再編が欠かせないと考えます。念のため断っておきますが、私は自衛隊を責めているつもりはありません、自衛隊には早く過去の重い頚木から開放され、真の国防組織に生まれ変わって頂きたいのです。
■聖者からのメッセージ
クリスマスの夜、今年の春まで私が滞在していたフィリピンから1通のメールが送られてきました。フィリピン滞在中はある教会に何度かお世話になりましたが、そこに降りてこられた聖者の霊から友人にメッセージが託され、それが私に送られてきたものです。
メッセージは毎回、聖書からの引用という形で示されます。そこから、天意を読み取れということです。予断を挟まず、まずは、その引用部分を下記に掲載いたします。
島々よ、わたしのもとに来て静まれ。
国々の民よ、力を新たにせよ。進み出て語れ。
互いに近づいて裁きを行おう。
東からふさわしい人を奮い立たせ、足もとに招き
国々を彼に渡して、王たちを従わせたのは誰か。
この人の剣は彼らを塵のように
弓は彼らをわらのように散らす。
彼は敵を追い、安全に道を進み
彼の足をとどめるものはない。
この事を起こし、成し遂げたのは誰か。
それは、主なるわたし。初めから代々の人を呼び出すもの
初めであり、後の代と共にいるもの。
(イザヤ書 第41章1-4節) 新共同訳
読者の皆様はどう読まれるでしょうか?私には私の解釈がありますが、それはもう少し秘することにいたします。ヒントを挙げるとすれば、旧約の地における「島々」とは何なのか、それをよく考えてみてください。少なくとも読者の皆様と無関係ではありません。また、聖句全体が伝える意味は大きな流れの中で123便事件とも関係してきます。
写真2:教会の近くにそびえるバルンガオ山
地下にはかつて日本陸軍が発見し、在比米国軍・比軍が今も管理する
ウラン鉱脈がある。歴史の本には書かれていないが、日本軍は国内外
にウラン鉱脈を見つけていた。
年末年始のお休みは、この謎解きに挑戦されてみては如何でしょうか?答えは全て皆様のお心の中に用意されています。
それでは、良い年の瀬をお過ごしくださいませ。
* * *
上記メッセージと共に次の聖句が「Bread of Life (命のパン)」として添えられていました。ラテン語訳と併せて掲載します。
ERAT AUTEM HOMO EX PHARISAEIS NICODEMUS NOMINE PRINCEPS IUDAEORUM HIC VENIT AD EUM NOCTE ET DIXIT EI RABBI SCIMUS QUIA A DEO VENISTI MAGISTER NEMO ENIM POTEST HAEC SIGNA FACERE QUAE TU FACIS NISI FUERIT DEUS CUM EO RESPONDIT IESUS ET DIXIT EI AMEN AMEN DICO TIBI NISI QUIS NATUS FUERIT DENUO NON POTEST VIDERE REGNUM DEI DICIT AD EUM NICODEMUS QUOMODO POTEST HOMO NASCI CUM SENEX SIT NUMQUID POTEST IN VENTREM MATRIS SUAE ITERATO INTROIRE ET NASCI RESPONDIT IESUS AMEN AMEN DICO TIBI NISI QUIS RENATUS FUERIT EX AQUA ET SPIRITU NON POTEST INTROIRE IN REGNUM DEI
さて、ファリサイ派に属する、ニコデモという人がいた。ユダヤ人たちの議員であった。 ある夜、イエスのもとに来て言った。「ラビ、わたしどもは、あなたが神のもとから来られた教師であることを知っています。神が共におられるのでなければ、あなたのなさるようなしるしを、だれも行うことはできないからです。」 イエスは答えて言われた。「はっきり言っておく。人は、新たに生まれなければ、神の国を見ることはできない。」 ニコデモは言った。「年をとった者が、どうして生まれることができましょう。もう一度母親の胎内に入って生まれることができるでしょうか。」 イエスはお答えになった。「はっきり言っておく。だれでも水と霊とによって生まれなければ、神の国に入ることはできない。
(ヨハネの福音書 第3章1-5節) 新共同訳
遠つ御親の始りの地より
管理者 日月土
同サイトは、本ブログでこれまで公開した内容の整理・再掲載が主となっていますが、これまで掲載されていない情報や、高解像度写真などの資料も新たに加えられています。当面は英文主体で記事の掲載を進めますが、日本語による情報も適時本ブログでお知らせしていきたいと思います。
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■尖閣・竹島問題:自衛隊は防衛軍たるのか
今回のテーマとちょっとずれるかもしれませんが、最近、こんな報道を目にしました。
「第1空挺団隊員、脱法ハーブ吸引し停職60日」
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20121215-OYT1T00536.htm?from=ylist
陸上自衛隊習志野駐屯地の第1空挺団に所属する自衛官が軽犯罪を犯したという記事です。自衛隊も大組織であり、統計学的な見地からも、若干名の隊員が犯罪行為に関わってしまうことにいちいち目くじらを立てるつもりもありません。
しかし、第1空挺団と言えば、自衛隊内でもエリート中のエリート、精鋭部隊として聞こえたセクションです。そのエリート部隊が抱える闇については、「蘇る亡霊(13)」でかつてお伝えしましたが、失礼ながらながらも、こんなみっともないニュースで世間に晒されることには少々驚きを隠せません。
国際軍事評論家B氏によれば、最近行われた世界10数国の空挺部隊による競技会では(そんなものがあるらしい)、習志野第1空挺団の成績はビリから2番目、歴史も浅く、装備も乏しいフィリピンなど東南アジア諸国の空挺団にすら及ばなかったと言います。
この低落振りについてB氏は、もはや訓練方法などの問題ではなく、何か大きな精神的支柱を失っているとしか思えないと付け加えています。
「蘇る亡霊(13)」では、空挺団内部で創価vs佼成会の信仰対立が存在するなど、同組織において深刻な問題が生じていることをお知らせしましたが、私は、精神的支柱の分裂は、全部でなくともその一部は、日航機事件の処理を巡る国防組織としての存在意義の崩壊に因ると分析しています。
直接関わったかどうかは別として、日本国民及び外国からの客人計500余名の命を失う大事件に沈黙し続けたその代償は極めて大きい。しかも、墜落現場の証言者、M氏の運転する車両を最新兵器で狙い撃ち、それを基地前の国道上で堂々と実行するなどの幼稚な行動は、隊内に潜む抑え切れない狂気すら髣髴とさせます。
写真1:「地に落ちた空挺団」とは、まさに笑えないジョークのようだ。
現在、尖閣・竹島など領土領海を巡る諸問題で、憲法改正、自衛隊の増強、国防軍への昇格などの論議が喧しいですが、日航機事件において国民の生命を見殺しにした軍隊に何かを期待することには、異を唱えざるをえません。
私は、現実問題としてある程度の武装は当面必要であると考えますが、精神無き軍隊を置くことには反対です。精神無き軍隊とは殺し屋集団のことであり、真の愛国心から程遠いものです。自衛隊を真の国防軍たらしめるには、一にも二にも、日航機事件の真実の開示と総括、組織再編が欠かせないと考えます。念のため断っておきますが、私は自衛隊を責めているつもりはありません、自衛隊には早く過去の重い頚木から開放され、真の国防組織に生まれ変わって頂きたいのです。
■聖者からのメッセージ
クリスマスの夜、今年の春まで私が滞在していたフィリピンから1通のメールが送られてきました。フィリピン滞在中はある教会に何度かお世話になりましたが、そこに降りてこられた聖者の霊から友人にメッセージが託され、それが私に送られてきたものです。
メッセージは毎回、聖書からの引用という形で示されます。そこから、天意を読み取れということです。予断を挟まず、まずは、その引用部分を下記に掲載いたします。
島々よ、わたしのもとに来て静まれ。
国々の民よ、力を新たにせよ。進み出て語れ。
互いに近づいて裁きを行おう。
東からふさわしい人を奮い立たせ、足もとに招き
国々を彼に渡して、王たちを従わせたのは誰か。
この人の剣は彼らを塵のように
弓は彼らをわらのように散らす。
彼は敵を追い、安全に道を進み
彼の足をとどめるものはない。
この事を起こし、成し遂げたのは誰か。
それは、主なるわたし。初めから代々の人を呼び出すもの
初めであり、後の代と共にいるもの。
(イザヤ書 第41章1-4節) 新共同訳
読者の皆様はどう読まれるでしょうか?私には私の解釈がありますが、それはもう少し秘することにいたします。ヒントを挙げるとすれば、旧約の地における「島々」とは何なのか、それをよく考えてみてください。少なくとも読者の皆様と無関係ではありません。また、聖句全体が伝える意味は大きな流れの中で123便事件とも関係してきます。
写真2:教会の近くにそびえるバルンガオ山
地下にはかつて日本陸軍が発見し、在比米国軍・比軍が今も管理する
ウラン鉱脈がある。歴史の本には書かれていないが、日本軍は国内外
にウラン鉱脈を見つけていた。
年末年始のお休みは、この謎解きに挑戦されてみては如何でしょうか?答えは全て皆様のお心の中に用意されています。
それでは、良い年の瀬をお過ごしくださいませ。
* * *
上記メッセージと共に次の聖句が「Bread of Life (命のパン)」として添えられていました。ラテン語訳と併せて掲載します。
ERAT AUTEM HOMO EX PHARISAEIS NICODEMUS NOMINE PRINCEPS IUDAEORUM HIC VENIT AD EUM NOCTE ET DIXIT EI RABBI SCIMUS QUIA A DEO VENISTI MAGISTER NEMO ENIM POTEST HAEC SIGNA FACERE QUAE TU FACIS NISI FUERIT DEUS CUM EO RESPONDIT IESUS ET DIXIT EI AMEN AMEN DICO TIBI NISI QUIS NATUS FUERIT DENUO NON POTEST VIDERE REGNUM DEI DICIT AD EUM NICODEMUS QUOMODO POTEST HOMO NASCI CUM SENEX SIT NUMQUID POTEST IN VENTREM MATRIS SUAE ITERATO INTROIRE ET NASCI RESPONDIT IESUS AMEN AMEN DICO TIBI NISI QUIS RENATUS FUERIT EX AQUA ET SPIRITU NON POTEST INTROIRE IN REGNUM DEI
さて、ファリサイ派に属する、ニコデモという人がいた。ユダヤ人たちの議員であった。 ある夜、イエスのもとに来て言った。「ラビ、わたしどもは、あなたが神のもとから来られた教師であることを知っています。神が共におられるのでなければ、あなたのなさるようなしるしを、だれも行うことはできないからです。」 イエスは答えて言われた。「はっきり言っておく。人は、新たに生まれなければ、神の国を見ることはできない。」 ニコデモは言った。「年をとった者が、どうして生まれることができましょう。もう一度母親の胎内に入って生まれることができるでしょうか。」 イエスはお答えになった。「はっきり言っておく。だれでも水と霊とによって生まれなければ、神の国に入ることはできない。
(ヨハネの福音書 第3章1-5節) 新共同訳
遠つ御親の始りの地より
管理者 日月土