先月末に開設した、123便関連の英文サイト「Prayer of White Camellia(白椿の祈り)」に、この記事を書いている時点で30カ国以上からのアクセスをいただきました。今の時点では、たまたま目にされた方が多いのだろうと想像されますが、まずは、27年前の昔、東洋の片隅で、2001年の911事件に比肩しうる巨大な共同謀議が謀られていたこと。そこまで及ばなくても、飛行機事故の背後に何か大きな隠し事があると、世界の多くの方々に気がついていただきたいと、強く願っております。
123便関連の主力記事は、徐々に新サイトに移していく予定ですが、ブログの方でも書きかけのテーマは、一応完結させたいと思っています。
* * *
■奥三河トンネルの謎
123便の墜落現場とされている御巣鷹の尾根、そこから西側に尾根を越えると、かつてこのブログでその不可解さを指摘した南相木ダムが現れ、そこからさらに下ると南相木村の集落へと続きます。
その集落部とダムを繋ぐ舗装道路の途中に、「奥三河トンネル」という、トンネルの両出入口にシャッターが取り付けられている、ちょっと奇妙なトンネルがあります。このトンネルの奇妙さはこれだけでなく
トンネル迂回路の舗装道を使っても、トンネルを使っても所要時間はほとんど変わらないこと
冬季など、時々トンネルだけシャッターが閉まって通れないことがあること(上記の事情から、ダムとの行き来に全く支障はないが)。
そして、これはS氏が地元住民の方に聞いた話として
昔からトンネルはあったが、今あるトンネルは123便墜落後、自衛隊の工兵が爆破破壊し、新たに作り直したものだ
という証言もあります。
これに加え、トンネル周辺の小山、中山があちこち削られ、「多目的広場」という訳のわからない広大な更地にされているのは、現地にいけば違和感として誰でもすぐに気がつくはずです。
図1:奥三河トンネルと、多目的広場
トンネル西側入り口の経緯度(36.003753, 138.639248)
グーグルマップなどでご自身で確認してみてほしい。
ただし、トンネルは表示されないので、図1では赤線で示した。
「神々の落涙(4)」でも指摘しましたが、これらの「多目的広場」からは、福島の311原発事故以前に、ロシア製のRADEX放射線測定器で 毎時0.3〜0.4マイクロシーベルとの高い数値を測定しています。この辺に長時間滞在すると、私自身が、嘔吐感など軽い急性放射線症に近い症状を覚えたことも、かつて報告させていただきました。
これら「多目的広場」の土壌からは、S氏とともに、1〜2cm程度に細かく粉砕された航空機体のものと思われる破片を採集しています。あまりに細かすぎて、私たちの分析力では機種の同定はとてもかなわないのですが。
結論を急げば、この奥三河トンネル周辺までが、123便事件関連機材の墜落現場と考えられ、核兵器などを搭載した軍機などが墜落し放射能漏れを起こした、または核兵器そのものが実際に使用されたとする想定も可能です。そうであれば、放射能汚染された土壌を大量に運び出し、その跡地がダム湖に、ダム湖で誤魔化しきれない跡地が「多目的広場」として現在そこ在るように放置されたとみなすことが可能です。
図2:御巣鷹事変は広範囲に発生したと予想される
群馬、長野、埼玉の3県にまたがる戦闘となったのではないか。
■トンネルは語る
最後に、奥三河トンネルの西側入り口を撮影した写真を以下に掲載します。これには、何か尋常ではないものがが映り込んでいるのに読者様は気が付かれるでしょうか?
普通なら困惑するところなのでしょうが、幸い、私には信仰があります。そして、この写真に現れた現象を神からのメッセージと受け取ります。残念ながらその意味についてはっきりした事はよくわかりません。しかし、123便事件の調査を続けることに、偉大な方からの大いなる後押しを感じることだけはできます。
123便事件の真相解明は天意であると、断言することは果たして不遜なことでしょうか?
写真1:奥三河トンネルの西側入口と複数のオーブ。
神からのメッセージとは何なのであろうか?
* * *
人に伝えてもあまり信用されることではないので、これまで敢えて触れることもありませんでしたが、調査活動の最中には、神の介在としか考えられない数々の奇跡に遭遇しています。しかし、それ以上に、人の心に潜む恐ろしい悪魔にも出会っています。私にとって123便事件の調査とは、世の中の真相を見つけ出すこと以上に、「人とは何か」という、根源的な問いを投げかけるものとなりつつあります。
ABRAHAM PATER VESTER EXULTAVIT UT VIDERET DIEM MEUM ET VIDIT ET GAVISUS EST
あなたたちの父アブラハムは、わたしの日を見るのを楽しみにしていた。そして、それを見て、喜んだのである。
(ヨハネの福音書 弟8章56節)
遠つ御親の始まりの地より
管理者 日月土
123便関連の主力記事は、徐々に新サイトに移していく予定ですが、ブログの方でも書きかけのテーマは、一応完結させたいと思っています。
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■奥三河トンネルの謎
123便の墜落現場とされている御巣鷹の尾根、そこから西側に尾根を越えると、かつてこのブログでその不可解さを指摘した南相木ダムが現れ、そこからさらに下ると南相木村の集落へと続きます。
その集落部とダムを繋ぐ舗装道路の途中に、「奥三河トンネル」という、トンネルの両出入口にシャッターが取り付けられている、ちょっと奇妙なトンネルがあります。このトンネルの奇妙さはこれだけでなく
トンネル迂回路の舗装道を使っても、トンネルを使っても所要時間はほとんど変わらないこと
冬季など、時々トンネルだけシャッターが閉まって通れないことがあること(上記の事情から、ダムとの行き来に全く支障はないが)。
そして、これはS氏が地元住民の方に聞いた話として
昔からトンネルはあったが、今あるトンネルは123便墜落後、自衛隊の工兵が爆破破壊し、新たに作り直したものだ
という証言もあります。
これに加え、トンネル周辺の小山、中山があちこち削られ、「多目的広場」という訳のわからない広大な更地にされているのは、現地にいけば違和感として誰でもすぐに気がつくはずです。
図1:奥三河トンネルと、多目的広場
トンネル西側入り口の経緯度(36.003753, 138.639248)
グーグルマップなどでご自身で確認してみてほしい。
ただし、トンネルは表示されないので、図1では赤線で示した。
「神々の落涙(4)」でも指摘しましたが、これらの「多目的広場」からは、福島の311原発事故以前に、ロシア製のRADEX放射線測定器で 毎時0.3〜0.4マイクロシーベルとの高い数値を測定しています。この辺に長時間滞在すると、私自身が、嘔吐感など軽い急性放射線症に近い症状を覚えたことも、かつて報告させていただきました。
これら「多目的広場」の土壌からは、S氏とともに、1〜2cm程度に細かく粉砕された航空機体のものと思われる破片を採集しています。あまりに細かすぎて、私たちの分析力では機種の同定はとてもかなわないのですが。
結論を急げば、この奥三河トンネル周辺までが、123便事件関連機材の墜落現場と考えられ、核兵器などを搭載した軍機などが墜落し放射能漏れを起こした、または核兵器そのものが実際に使用されたとする想定も可能です。そうであれば、放射能汚染された土壌を大量に運び出し、その跡地がダム湖に、ダム湖で誤魔化しきれない跡地が「多目的広場」として現在そこ在るように放置されたとみなすことが可能です。
図2:御巣鷹事変は広範囲に発生したと予想される
群馬、長野、埼玉の3県にまたがる戦闘となったのではないか。
■トンネルは語る
最後に、奥三河トンネルの西側入り口を撮影した写真を以下に掲載します。これには、何か尋常ではないものがが映り込んでいるのに読者様は気が付かれるでしょうか?
普通なら困惑するところなのでしょうが、幸い、私には信仰があります。そして、この写真に現れた現象を神からのメッセージと受け取ります。残念ながらその意味についてはっきりした事はよくわかりません。しかし、123便事件の調査を続けることに、偉大な方からの大いなる後押しを感じることだけはできます。
123便事件の真相解明は天意であると、断言することは果たして不遜なことでしょうか?
写真1:奥三河トンネルの西側入口と複数のオーブ。
神からのメッセージとは何なのであろうか?
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人に伝えてもあまり信用されることではないので、これまで敢えて触れることもありませんでしたが、調査活動の最中には、神の介在としか考えられない数々の奇跡に遭遇しています。しかし、それ以上に、人の心に潜む恐ろしい悪魔にも出会っています。私にとって123便事件の調査とは、世の中の真相を見つけ出すこと以上に、「人とは何か」という、根源的な問いを投げかけるものとなりつつあります。
ABRAHAM PATER VESTER EXULTAVIT UT VIDERET DIEM MEUM ET VIDIT ET GAVISUS EST
あなたたちの父アブラハムは、わたしの日を見るのを楽しみにしていた。そして、それを見て、喜んだのである。
(ヨハネの福音書 弟8章56節)
遠つ御親の始まりの地より
管理者 日月土