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Channel: (新) 日本の黒い霧
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末代に至る責任

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※一部隠語を用いています

もう30年近く前の話になりますが、私のごく近い身内が末期の脳腫瘍に罹り、少ない余命の中、死を待つのみの状況となりました。

何とか命を救う方法はないかと、当時の最先端医療についての情報を読み漁りました。その中に、レトロウィルスを用いた「遺伝子治療」というものがありました。幸い、私の専攻分野が生体高分子(蛋白質・リボ核酸等)の物理構造の研究であったため、この分野の文献を読み解くのに苦労することはありませんでした。

遺伝子治療とは、無毒化したウィルスに正常遺伝子コードを組み込み、さらにそれを細胞核に侵入させ、病因となっている遺伝子を部分的に書き換えるという、それまでの外科的手術や薬剤の投入、または放射線治療とも全く異なる新しい治療方法として当時は期待されていました。

しかし、その治療法には多くの克服しなければならない点があります。それは

 1)組み換えたコードが独立した機能に留まるのかは不明

つまりこういうことです。A-B-Cという遺伝子列があった時、Aが単体で機能する場合もあれば、A-B、A-C、など複合的な関連性がある場合も考えられるのです。つまり、Aという機能をA’に組み換えることによって、A'-B、A'-Cという未知の組み合わせが発現してしまう、最悪の場合は新種の病気を作り出す危険性があるのです。

 2)遺伝子の改変は次の代に引き継がれる

そしてこの治療で何より危惧されるのが、組み換えられた遺伝子が子から孫へと継承されてしまうことなのです。もしも、世代継承後に遺伝子組み換えが有害であったと判明した場合、その時は既に有害遺伝子情報が広まってしまっているのです。

ですから、この遺伝子治療は極めて精密かつ慎重な治験を求められるのです。幸い私の身内は病状重篤かつ子孫を残す機会は考えられなかったので、大学病院の担当医に、人体実験でよいから遺伝子治療が受けられないかと、随分と無理を言ったものです。

もちろん、当時はデータも殆どないし、海のものとも山のものとも言えない、本質的に危険なこの治療法について、首を縦に振る医者はいませんでした。


 * * *


しかし、驚きました。あれから30年近くが経過しましたが、遺伝子治療が治療法として確立したとは聞いたことがありません。それなのに、重篤な患者ではなく、健常者に対して遺伝子組み換え技術を投入しようという動きが現在加速しているのです。

そうです。例の感染症対策の決定打として提供されているあのワクチソです。上述しましたが、本来この手の手法の安全性は、少なくとも3世代以上の追跡調査を通して検証しなければ確認できるものではありません。つまり、最低でも半世紀以上の治験期間が必要です。どう考えたら、一昨年に発生したと言われる例の感染症に対して、自信をもって安全だと言い切れるのでしょうか?

しかも、納豆などの大豆食品には「遺伝子組み換え大豆不使用」とありますが、それだけ遺伝子組み換え食品には敏感なのに、自分自身が遺伝子組み換えの対象、すなわち「遺伝子組み換え人間」となることに、人々が全く無頓着である現在の状況は、まさに「憂うべき現状」なのです。

ワクチソが今後、世代を経てどのような影響を与えるのか、イラストにしたので読者の皆様にはまずこの意味をよく考えていただきたく思います。


画像:今回のワクチソの原理(今までのとは全く違う)
解説:これまでのワクチソは、生産物である抗原を体内投入していたが、今回のは身体そのものを抗原の生産工場に作り変えようという発想なのです


画像:遺伝子組み換えは末代まで続く(世代を経て変異することも)

以上で少しお分かりいただけたでしょうか?この観点から、私は、自分の子の世代、結婚適齢期の世代にはこう忠告したいと思います

 ワクチソを打った相手とは結婚するな

これはかなりひどい発言かもしれませんが、私の本心でもあります。そして時間が経過するにつれ、結婚相手だけではなく、相手の親がワクチソ非接種者であることの証明を求めることになるでしょう。

ワクチソパスポートなる言葉があるようですが、状況が理解できている人にとってはむしろ

 ワクチソ非接種パスポート

が必要となる時代がやって来ようとしています。

既に高齢の現総理大臣が接種したところで痛くも痒くもない話かもしれませんが、若い世代にとっては重い刻印となることでしょう。そして、彼らにその責を負わせたしっぺ返しは、やがて全世代に及ぶことになるはずです。


UMBRAE ENIM TRANSITUS EST TEMPUS NOSTRUM ET NON EST REVERSIO FINIS NOSTRI QUONIAM CONSIGNATA EST ET NEMO REVERTETUR
我々の年月は影のように過ぎ行き、死が迫るときには、手のつけようがない。死の刻印を押されたら、取り返しがつかない。
(知恵の書 第2章5節)


キリストの御国にて記す
管理人 日月土

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