現在行われているオリンピックもいよいよ後半。日本人選手も頑張っておられるようです。
その一方で、国内では緊急事態宣言が拡大され、次のような報道までなされる始末となりました。
ロックダウンの手法検討を 都道府県境またぐ旅行、お盆の帰省も原則中止を 知事会、国に緊急提言へ
2021年8月1日 19時26分
新型コロナウイルスの急激な感染拡大を受け、東京、神奈川、埼玉、千葉の1都3県知事は3日、テレビ会議を開いた。「1都3県緊急事態」として、都民や県民に夏休みやお盆の旅行や帰省を、原則中止・延期するよう求める共同メッセージをまとめた。
メッセージは、1都3県の新規感染者数が2週間で約3倍に増えたと強調。「これまでにない急激なスピードで感染が拡大している」として、夏休みの旅行や都県境を越える移動を控えるよう呼びかけた。40、50代については入院が増加していることから「少しでも自覚症状があればすぐに相談を」と訴えた。
一方、会議で小池百合子都知事は、都民への行動制限の要請について「常にお願いベース。現行の特措法の課題が浮き彫りになっていると痛切に感じる」と指摘。「法改正も含めて議論すべき時期に来ている」と述べた。(岡本太)
引用元:東京新聞 https://www.tokyo-np.co.jp/article/121058
これに対してネット上では
国境を越えた運動会はOKで県境を越えた墓参りはNGなのか!?
との声が聞こえてますが、心情的というか道理で考えればそれが当たり前の疑問です。結局のところ、国民の権利を制限する法律を急いで成立させたいがための方便としか聞こえてきません。
例の感染症に関してはもはやバカバカしくて記事にする気にもならないのですが、この報道で言う「感染拡大」とは厳密には「PCR陽性拡大」が正しく、そうなるとPCR陽性が本当に感染を意味するのか厳密に議論しなければなりません。これって1年以上前から指摘されていることなのですけどね。
これに関して、大阪の吉村知事ははっきりと明言しています。
厳密にはPCR陽性と感染は違う
と(引用元ツイッター投稿)。やっと言ったかという思いではありますが、だったら「感染言うな」ですし、「厳密でない数字で国民の権利を制限するな」であります。そんな適当な規制で飲食店・観光業はたいへんな思いをしている訳で、私の近所にあった唯一のラーメン屋も店を閉めてしまい、個人的にも実害を被っているのです。
もしも、全国の飲食店さんが国や都道府県、報道機関やテレビ出たがりの専門家に集団訴訟を起こされるなら、私もこれを積極的に支援したいと思っています。
オリンピックの話から逸れてしまいましたが、オリンピックの強行自体も、この道理が全く欠如した大きな計画のアジェンダであることは間違いないと私は捉えます。
その一端を(真)ブログ記事「HYOGO 2020」に記しましたが、何より、無観客が主流になったオリンピック会場は、当たり前ですが、外国人選手がひと際目立つ状況となります。もちろん多くの日本人スタッフがそこに居るのは分かってはいますが、メディアに映るその映像は、「空っぽの箱の中に外国人ばかり」になっているのは間違いありません。
実は、それこそが今回の大計画の狙いであり、絵として映るその有様は
外国による日本占領
を印象付けるものであると考えられるのです。
そう言えば、今回のオリンピック式典コンセプトが全て横文字(英語)だったのが物議を醸しましたが、占領軍による主催ならば、そりゃ当然であろうと言うこともできます。
関連報道:開閉会式コンセプトに「復興五輪」記載ゼロ…式典Pの言い訳にも批判殺到
差別する意図は全くありませんが、最終聖火ランナーにビジュアル的には外国人にも見え、また海外での知名度が極めて高い「大阪なおみ」選手を、わざわざ往年の名選手起用の慣例を破ってまで起用したのも、そのような意図が予めあったと考えれば合点が行くのです。
画像:大阪選手の点火シーン
さて、この点火シーンで流れた楽曲は吉松隆さん作曲の「交響曲第2番 地球(テラ)にて」なのだそうですが、吉松さん自身が個人のブログ中で次のように語っています。
この曲、〈地球(テラ)にて〉という副題が五大陸を繋げるオリンピックっぽいと言えば言えるが、基本は鎮魂曲で、4つの楽章それぞれが・東(中近東~アジア)・北(北方文化圏)・西(西欧キリスト教文化圏)・南(アフリカ)という4つの地域の音の素材によるレクイエムになっている。
なんと、鎮魂曲(レクエイム)だそうな・・・簡単に言って葬式の音楽ということです。そして、オリンピックでの採用に関しては次のような感想も漏らしているのです。
何度か弔いの鐘が鳴り渡ったあと、最後は全てを肯定する「アーメン」で終わる。
そのあたりを含んだ上で「今回のオリンピックに相応しい」と思って選んでくれたのなら嬉しい(というより怖い)が、さてどうなのだろう。
日本の地でありながら、外国人ばかりの会場で聖火点灯時に鳴り響く弔いの音楽、これが日本終了を宣言していないと言い切ることは出来るでしょうか?どうやら、辞任が続いた開催前のゴタゴタも、無観客での開催も、全ては演出の内だったようです。
国内の政治中枢に入り込んだ外国勢力がいよいよ日本を食いにきた。このように外国勢力の侵食と書くと、戦後のGHQやOSSとかをその起源に語り始める言論人が多いのですが、私の見立てでは、2000年位前にはすでに日本侵食は始まっており、長長期の計画を立てて現在に至っているのです。
何故そのようなことが言えるのか?それは、1985年に起きた日本航空123便の遭難がどのように計画され、事件後どのように処理(隠蔽)されたのか、その歴史的背景を含む全体像を追うことで見えてきたことなのです。
真に気をつけなければならないのは、日本人の顔をした外国人なのです。その手先は政財界、仏教・神道界のみならず、日本の象徴と言われる皇室内にも数多く入り込んでいます。
アニメ映画「竜とそばかすの姫」を観賞された方へ
主人公たち数名を除き、仮想空間Uに出てくるオリジンたちがどれも外国人であったことに違和感を覚えませんでしたか?
国際性を演出していると言えば聞こえは良いのですが、歌姫といい、暴れん坊の龍といい、結局のところ日本人オリジンの主人公たちは
世界の晒し物
扱いなのです。それは、Uの創設者が最後まで姿を明かさないことから窺えます。
このような設定の映画をオリンピックの開催時期に合わせて、しかも緊急事態宣言下にわざわざ公開する時点で、同映画が大計画の中に予め組み込まれていたと言わざるを得ないのです。
関連記事:そばかす顔の秘密
HAEC ENIM DICIT DOMINUS NE INGREDIARIS DOMUM CONVIVII NEQUE VADAS AD PLANGENDUM NEQUE CONSOLERIS EOS QUIA ABSTULI PACEM MEAM A POPULO ISTO DICIT DOMINUS MISERICORDIAM ET MISERATIONES
主はこう言われる。「あなたは弔いの家に入るな。嘆くために行くな。悲しみを表すな。わたしはこの民から、わたしの与えた平和も慈しみも憐れみも取り上げる」と主は言われる。
(エレミヤ書 第16章5節)
キリストの御国にて記す
管理人 日月土
その一方で、国内では緊急事態宣言が拡大され、次のような報道までなされる始末となりました。
ロックダウンの手法検討を 都道府県境またぐ旅行、お盆の帰省も原則中止を 知事会、国に緊急提言へ
2021年8月1日 19時26分
新型コロナウイルスの急激な感染拡大を受け、東京、神奈川、埼玉、千葉の1都3県知事は3日、テレビ会議を開いた。「1都3県緊急事態」として、都民や県民に夏休みやお盆の旅行や帰省を、原則中止・延期するよう求める共同メッセージをまとめた。
メッセージは、1都3県の新規感染者数が2週間で約3倍に増えたと強調。「これまでにない急激なスピードで感染が拡大している」として、夏休みの旅行や都県境を越える移動を控えるよう呼びかけた。40、50代については入院が増加していることから「少しでも自覚症状があればすぐに相談を」と訴えた。
一方、会議で小池百合子都知事は、都民への行動制限の要請について「常にお願いベース。現行の特措法の課題が浮き彫りになっていると痛切に感じる」と指摘。「法改正も含めて議論すべき時期に来ている」と述べた。(岡本太)
引用元:東京新聞 https://www.tokyo-np.co.jp/article/121058
これに対してネット上では
国境を越えた運動会はOKで県境を越えた墓参りはNGなのか!?
との声が聞こえてますが、心情的というか道理で考えればそれが当たり前の疑問です。結局のところ、国民の権利を制限する法律を急いで成立させたいがための方便としか聞こえてきません。
例の感染症に関してはもはやバカバカしくて記事にする気にもならないのですが、この報道で言う「感染拡大」とは厳密には「PCR陽性拡大」が正しく、そうなるとPCR陽性が本当に感染を意味するのか厳密に議論しなければなりません。これって1年以上前から指摘されていることなのですけどね。
これに関して、大阪の吉村知事ははっきりと明言しています。
厳密にはPCR陽性と感染は違う
と(引用元ツイッター投稿)。やっと言ったかという思いではありますが、だったら「感染言うな」ですし、「厳密でない数字で国民の権利を制限するな」であります。そんな適当な規制で飲食店・観光業はたいへんな思いをしている訳で、私の近所にあった唯一のラーメン屋も店を閉めてしまい、個人的にも実害を被っているのです。
もしも、全国の飲食店さんが国や都道府県、報道機関やテレビ出たがりの専門家に集団訴訟を起こされるなら、私もこれを積極的に支援したいと思っています。
オリンピックの話から逸れてしまいましたが、オリンピックの強行自体も、この道理が全く欠如した大きな計画のアジェンダであることは間違いないと私は捉えます。
その一端を(真)ブログ記事「HYOGO 2020」に記しましたが、何より、無観客が主流になったオリンピック会場は、当たり前ですが、外国人選手がひと際目立つ状況となります。もちろん多くの日本人スタッフがそこに居るのは分かってはいますが、メディアに映るその映像は、「空っぽの箱の中に外国人ばかり」になっているのは間違いありません。
実は、それこそが今回の大計画の狙いであり、絵として映るその有様は
外国による日本占領
を印象付けるものであると考えられるのです。
そう言えば、今回のオリンピック式典コンセプトが全て横文字(英語)だったのが物議を醸しましたが、占領軍による主催ならば、そりゃ当然であろうと言うこともできます。
関連報道:開閉会式コンセプトに「復興五輪」記載ゼロ…式典Pの言い訳にも批判殺到
差別する意図は全くありませんが、最終聖火ランナーにビジュアル的には外国人にも見え、また海外での知名度が極めて高い「大阪なおみ」選手を、わざわざ往年の名選手起用の慣例を破ってまで起用したのも、そのような意図が予めあったと考えれば合点が行くのです。
画像:大阪選手の点火シーン
さて、この点火シーンで流れた楽曲は吉松隆さん作曲の「交響曲第2番 地球(テラ)にて」なのだそうですが、吉松さん自身が個人のブログ中で次のように語っています。
この曲、〈地球(テラ)にて〉という副題が五大陸を繋げるオリンピックっぽいと言えば言えるが、基本は鎮魂曲で、4つの楽章それぞれが・東(中近東~アジア)・北(北方文化圏)・西(西欧キリスト教文化圏)・南(アフリカ)という4つの地域の音の素材によるレクイエムになっている。
なんと、鎮魂曲(レクエイム)だそうな・・・簡単に言って葬式の音楽ということです。そして、オリンピックでの採用に関しては次のような感想も漏らしているのです。
何度か弔いの鐘が鳴り渡ったあと、最後は全てを肯定する「アーメン」で終わる。
そのあたりを含んだ上で「今回のオリンピックに相応しい」と思って選んでくれたのなら嬉しい(というより怖い)が、さてどうなのだろう。
日本の地でありながら、外国人ばかりの会場で聖火点灯時に鳴り響く弔いの音楽、これが日本終了を宣言していないと言い切ることは出来るでしょうか?どうやら、辞任が続いた開催前のゴタゴタも、無観客での開催も、全ては演出の内だったようです。
国内の政治中枢に入り込んだ外国勢力がいよいよ日本を食いにきた。このように外国勢力の侵食と書くと、戦後のGHQやOSSとかをその起源に語り始める言論人が多いのですが、私の見立てでは、2000年位前にはすでに日本侵食は始まっており、長長期の計画を立てて現在に至っているのです。
何故そのようなことが言えるのか?それは、1985年に起きた日本航空123便の遭難がどのように計画され、事件後どのように処理(隠蔽)されたのか、その歴史的背景を含む全体像を追うことで見えてきたことなのです。
真に気をつけなければならないのは、日本人の顔をした外国人なのです。その手先は政財界、仏教・神道界のみならず、日本の象徴と言われる皇室内にも数多く入り込んでいます。
アニメ映画「竜とそばかすの姫」を観賞された方へ
主人公たち数名を除き、仮想空間Uに出てくるオリジンたちがどれも外国人であったことに違和感を覚えませんでしたか?
国際性を演出していると言えば聞こえは良いのですが、歌姫といい、暴れん坊の龍といい、結局のところ日本人オリジンの主人公たちは
世界の晒し物
扱いなのです。それは、Uの創設者が最後まで姿を明かさないことから窺えます。
このような設定の映画をオリンピックの開催時期に合わせて、しかも緊急事態宣言下にわざわざ公開する時点で、同映画が大計画の中に予め組み込まれていたと言わざるを得ないのです。
関連記事:そばかす顔の秘密
HAEC ENIM DICIT DOMINUS NE INGREDIARIS DOMUM CONVIVII NEQUE VADAS AD PLANGENDUM NEQUE CONSOLERIS EOS QUIA ABSTULI PACEM MEAM A POPULO ISTO DICIT DOMINUS MISERICORDIAM ET MISERATIONES
主はこう言われる。「あなたは弔いの家に入るな。嘆くために行くな。悲しみを表すな。わたしはこの民から、わたしの与えた平和も慈しみも憐れみも取り上げる」と主は言われる。
(エレミヤ書 第16章5節)
キリストの御国にて記す
管理人 日月土