今日は令和3年8月6日、広島に核爆弾が投下されてから76回目の同じ日を迎える日、ということになっています。今回はその核爆弾について考察します。
さて、核爆弾とは核分裂の際に放出されるエネルギーが破壊力として使われる爆弾であると一般には信じられています。それではそのエネルギーの正体が何であるのか、一般科学教書に従って説明すると次の様になります。
画像:一般的な原子モデル
上図は中学校の理科教科書にも載っているような、よく知られた原子モデルで、更に小さな素粒子を考慮しなければ、この世の物質の最小単位であると考えられています。
中心に+電荷を帯びた原子核があり、その周りを衛星の様に-電荷の電子がグルグル周っているという構造です。このような状態が維持できるのは+と-の電荷が互いに引き付けあってるからと説明されることが多いようです。
さて、それはそれで良いのですが、そうなるとモデルの中心部分で+電荷の陽子同士や電荷を持たない中性子が密着しているのはどういうことなのだ?+同士が互いに近づけば互いに反発し合うはずじゃないか!という疑問の声が昔の科学者の間でも当然湧き起ったのです。
そこで考え出されたのが、更に小さな中間子と呼ばれる素粒子が陽子・中性子の間で力を伝達し合い、互いを引き付け合っているからだという考え方なのです。特に中性子同士を結びつける中間子を理論的に予測したのが、ノーベル賞を受賞した湯川秀樹博士なのです。
この陽子・中性子を結びつける力を「強い力」あるいは「強い相互作用」と呼び、その力は電気的な力の130倍以上あるので、電気的な反発力をしのいで互いを結びつけ、原子核を構成してるのだとされています。
そして、核分裂によって解放されたその「強い力」こそが、核爆弾を大量破壊兵器たらしめる力の源泉となるのです。
・・・・・・・
はい、ここまで一般教書通り説明したところで、読者様に質問があります。以上の話の中でおかしな点はどこでしょうか?難しく考えず気楽に考えてください。
答はとってもシンプルです。
原子核の存在に拘る理由はない
のです。原子核に拘るからこそ、「+電荷の密集」というかなり無理のある設定を強いられ、それゆえに中間子などという無理を説明するための無理を更に創作するはめになったとも言うことができるのです。
原子核という概念はラザフォードの散乱実験によって発見されたことになっていますが、ラザフォードが確認したのは散乱が起きるという現象だけであって、
原子核の存在を証明した訳ではない
のです。別の言い方をすれば、物質内に散乱を起こす高密度領域があるという実験結果と、それが原子核であるという議論は全く別のものなのです。
画像:アーネスト・ラザフォード(引用元:Wikiペディア)
物質の正体が何であるか、そのような基本コンセプトを確立すべき大事な科学的議論が省略され、いきなり現在の原子モデルありきで、今の今まで原子核物理が進展してきたのが本当のところなのです。
もちろん、現在の原子モデルで説明できることは多いのですが、説明できないこともある。本来ならば、一つでも説明できない観測事実があるなら、基本モデルの見直しが求められるのですが、実際のところは理論物理の分野で更に無理無理な理論が後付けで追加されるだけで、このままでは、説明にとって都合の良い素粒子の種類は無限に増え続けてしまうかもしれません。
ここで話を核爆弾に戻します。
仮に現在の原子モデルが正しいとしても、長崎に投下されたと言う爆縮レンズを用いた核爆弾はナノ秒レベルの制御が不可欠で、現在のコンピュータでもその精度が出せるかどうか分からないのに、当時のアナログ回路でそんなことができたのか?という大きな疑問が残るのです。
関連記事:広島・長崎、原爆73年後の真実(2) - 長崎の原爆はなかった
広島の核爆弾を定義する上で必要な要素は次の3つです。
爆発力、放射性物質、放射線
即ち、この3つの物理現象を発現できれば、必ずしも「核分裂」というあるかどうかも分からない原子核を当てにした理論は必要ないのです。
同じように、原子力発電においても「核分裂」の必要性は薄く、燃料の金属を高温化させる別の方法さえあれば、後は水素共鳴爆という熱化学反応の連鎖で発電に必要な水蒸気を作り出すことができるのです。現実に微生物の発酵現象を使って数百度まで温度を上昇させることもできるのです(稼働中の実験装置を実際に見てます)。
おそらく原子力発電所で実際に行われているのはこの「別の方法」であり、この方法による金属の劣化現象が放射性物質への転換として物理的に現れていると私は考えます。
そして、この「別の方法」による発電で生まれた放射性物質を、爆発現場に撒いてから「核を使用した」と宣言すれば、概念としての核爆弾に必要な「放射性物質」という要素は満たされるのです。
それら後撒きの放射性物質こそが、政府による集団訴訟の上告断念で最近話題になった「黒い雨」であったと私は考えます。
ここでご注意頂きたいのは、概念としての原子爆弾を成立させる上で最初に必要なのは、この原子力発電所なのです。これが生み出す電気エネルギーによって「爆発力」と「放射線」が作られ、また、その廃棄燃料を「放射性物質」として再利用することができます。
大電力送電が物理的に不可能であることは既に記事にしていますが、それならば、大正時代、昭和初期の電力はどのように供給されていたのか?その頃には全国で電力消費の激しい電気鉄道が敷かれ始めています。
関連記事:大電力送電の大嘘
例えば関東の大手私鉄である小田急電鉄や東武鉄道などは、丹沢や鬼怒川の水力発電によって生まれた豊富な電力を有効利用する目的で敷設されましたが、そんな長距離送電は無理に決まっているので、別の電源が必ず用意されていたはずです。この状況を説明するには
大正期には既に都会の地下に原発が整備され始めていた
と考えるのが最も現実に近いと私は考えます。それならば、1945年の8月6日、この運命の日には既に大量の放射性物質ストックが地下に存在していたはずなのです。
広島と長崎の共通点
原爆の真実を考える時、広島・長崎の両都市に市電が開通していた事実こそが大きな注目点です。市電の運行を支える大電力はどこから供給されていたのかという観点はもちろん、市電のパンタグラフそのものが、放電による爆発性ガスへの引火装置に成り得る点を見逃してはなりません。
両都市とも舞台装置は揃っていたのです。(画像引用:Wikiペディア)
なお、「別の方法」とぼかした金属温度の制御方法、電力によって「爆発力」と「放射線」を作り出すメカニズムについては、また別の記事で考察したいと思います。これらは現代科学にとっては未知のテクノロジー(ブラックテクノロジー)を用いていると考えられ、原理を解明するのは大変難しいです。むしろ、中世に発達した錬金術や魔術と呼ばれるものの論理を用いる方が適切かもしれません。
最後に、米国の科学雑誌に掲載された、不確定性原理の提唱者でドイツの大理論物理学者、ヴェルナー・ハイゼンベルクの言葉をここに残します。私たちが学校で教えられる原子モデルが本当に現実世界を構成する基本単位なのか、大科学者の言葉から改めて考えてみてください。(和訳:日月土)
“It is obvious that at the present state of our knowledge it would be hopeless to try to find the correct theory of the elementary particles,”(Science 1955)
明らかなのは、現在の我々の知識では、素粒子の正しい理論を見つけ出すのは絶望的だということである。
“... the idea of an objective real world whose smallest parts exist objectively in the same sense as stones or trees exist, independently of whether or not we observe them... is impossible,”(Physics and Philosophy 1958)
そこらにある石や木を個々に観察したりしなかったりするが如く、この世の最小単位が物体として存在しているという物質的な現実世界観は そもそもあり得ないのだ。
注意すべきはこれらが広島・長崎の惨劇から10年以上経ってからの発言であることです。既に「核」の脅威が叫ばれていた中で、大科学者が原子核理論そのものを否定しかねない言説を吐露した真意とはいったい何なのでしょうか?ここからも、核爆弾の原理を説明するはずの常識的な科学理論がどれほど危ういものなのか、お分かりになるかと思います。
画像:ヴェルナー・ハイゼンベルク(引用元:Wikiペディア)
* * *
今回の記事で一番お伝えしたいことは
核爆弾は概念 (この世に核爆弾などない)
ということです。そんなものに世界の人々は何十年間も恐怖してきた訳ですが、新たな概念上の恐怖が最近になって世界的に導入されました。そうです、それが皆さんがよくご存知の「新型インフルエンザ」なのです。
私たちはまた、この在りもしない恐怖にこれからも付き合わされるのでしょうか?
画像:平和記念式典でスピーチする菅首相 (引用元:YAHOOニュース)
読み飛ばしたという「核兵器のない世界」は初めから実現されている
隠された地下開発と諸外国との共謀を話さねば本当の平和は来ない
PRINCIPIUM SAPIENTIAE POSSIDE SAPIENTIAM ET IN OMNI POSSESSIONE TUA ADQUIRE PRUDENTIAM
知恵の初めとして/知恵を獲得せよ。これまでに得たものすべてに代えても/分別を獲得せよ。
(箴言 第4章7節)
キリストの御国にて記す
管理人 日月土
さて、核爆弾とは核分裂の際に放出されるエネルギーが破壊力として使われる爆弾であると一般には信じられています。それではそのエネルギーの正体が何であるのか、一般科学教書に従って説明すると次の様になります。
画像:一般的な原子モデル
上図は中学校の理科教科書にも載っているような、よく知られた原子モデルで、更に小さな素粒子を考慮しなければ、この世の物質の最小単位であると考えられています。
中心に+電荷を帯びた原子核があり、その周りを衛星の様に-電荷の電子がグルグル周っているという構造です。このような状態が維持できるのは+と-の電荷が互いに引き付けあってるからと説明されることが多いようです。
さて、それはそれで良いのですが、そうなるとモデルの中心部分で+電荷の陽子同士や電荷を持たない中性子が密着しているのはどういうことなのだ?+同士が互いに近づけば互いに反発し合うはずじゃないか!という疑問の声が昔の科学者の間でも当然湧き起ったのです。
そこで考え出されたのが、更に小さな中間子と呼ばれる素粒子が陽子・中性子の間で力を伝達し合い、互いを引き付け合っているからだという考え方なのです。特に中性子同士を結びつける中間子を理論的に予測したのが、ノーベル賞を受賞した湯川秀樹博士なのです。
この陽子・中性子を結びつける力を「強い力」あるいは「強い相互作用」と呼び、その力は電気的な力の130倍以上あるので、電気的な反発力をしのいで互いを結びつけ、原子核を構成してるのだとされています。
そして、核分裂によって解放されたその「強い力」こそが、核爆弾を大量破壊兵器たらしめる力の源泉となるのです。
・・・・・・・
はい、ここまで一般教書通り説明したところで、読者様に質問があります。以上の話の中でおかしな点はどこでしょうか?難しく考えず気楽に考えてください。
答はとってもシンプルです。
原子核の存在に拘る理由はない
のです。原子核に拘るからこそ、「+電荷の密集」というかなり無理のある設定を強いられ、それゆえに中間子などという無理を説明するための無理を更に創作するはめになったとも言うことができるのです。
原子核という概念はラザフォードの散乱実験によって発見されたことになっていますが、ラザフォードが確認したのは散乱が起きるという現象だけであって、
原子核の存在を証明した訳ではない
のです。別の言い方をすれば、物質内に散乱を起こす高密度領域があるという実験結果と、それが原子核であるという議論は全く別のものなのです。
画像:アーネスト・ラザフォード(引用元:Wikiペディア)
物質の正体が何であるか、そのような基本コンセプトを確立すべき大事な科学的議論が省略され、いきなり現在の原子モデルありきで、今の今まで原子核物理が進展してきたのが本当のところなのです。
もちろん、現在の原子モデルで説明できることは多いのですが、説明できないこともある。本来ならば、一つでも説明できない観測事実があるなら、基本モデルの見直しが求められるのですが、実際のところは理論物理の分野で更に無理無理な理論が後付けで追加されるだけで、このままでは、説明にとって都合の良い素粒子の種類は無限に増え続けてしまうかもしれません。
ここで話を核爆弾に戻します。
仮に現在の原子モデルが正しいとしても、長崎に投下されたと言う爆縮レンズを用いた核爆弾はナノ秒レベルの制御が不可欠で、現在のコンピュータでもその精度が出せるかどうか分からないのに、当時のアナログ回路でそんなことができたのか?という大きな疑問が残るのです。
関連記事:広島・長崎、原爆73年後の真実(2) - 長崎の原爆はなかった
広島の核爆弾を定義する上で必要な要素は次の3つです。
爆発力、放射性物質、放射線
即ち、この3つの物理現象を発現できれば、必ずしも「核分裂」というあるかどうかも分からない原子核を当てにした理論は必要ないのです。
同じように、原子力発電においても「核分裂」の必要性は薄く、燃料の金属を高温化させる別の方法さえあれば、後は水素共鳴爆という熱化学反応の連鎖で発電に必要な水蒸気を作り出すことができるのです。現実に微生物の発酵現象を使って数百度まで温度を上昇させることもできるのです(稼働中の実験装置を実際に見てます)。
おそらく原子力発電所で実際に行われているのはこの「別の方法」であり、この方法による金属の劣化現象が放射性物質への転換として物理的に現れていると私は考えます。
そして、この「別の方法」による発電で生まれた放射性物質を、爆発現場に撒いてから「核を使用した」と宣言すれば、概念としての核爆弾に必要な「放射性物質」という要素は満たされるのです。
それら後撒きの放射性物質こそが、政府による集団訴訟の上告断念で最近話題になった「黒い雨」であったと私は考えます。
ここでご注意頂きたいのは、概念としての原子爆弾を成立させる上で最初に必要なのは、この原子力発電所なのです。これが生み出す電気エネルギーによって「爆発力」と「放射線」が作られ、また、その廃棄燃料を「放射性物質」として再利用することができます。
大電力送電が物理的に不可能であることは既に記事にしていますが、それならば、大正時代、昭和初期の電力はどのように供給されていたのか?その頃には全国で電力消費の激しい電気鉄道が敷かれ始めています。
関連記事:大電力送電の大嘘
例えば関東の大手私鉄である小田急電鉄や東武鉄道などは、丹沢や鬼怒川の水力発電によって生まれた豊富な電力を有効利用する目的で敷設されましたが、そんな長距離送電は無理に決まっているので、別の電源が必ず用意されていたはずです。この状況を説明するには
大正期には既に都会の地下に原発が整備され始めていた
と考えるのが最も現実に近いと私は考えます。それならば、1945年の8月6日、この運命の日には既に大量の放射性物質ストックが地下に存在していたはずなのです。
広島と長崎の共通点
原爆の真実を考える時、広島・長崎の両都市に市電が開通していた事実こそが大きな注目点です。市電の運行を支える大電力はどこから供給されていたのかという観点はもちろん、市電のパンタグラフそのものが、放電による爆発性ガスへの引火装置に成り得る点を見逃してはなりません。
両都市とも舞台装置は揃っていたのです。(画像引用:Wikiペディア)
なお、「別の方法」とぼかした金属温度の制御方法、電力によって「爆発力」と「放射線」を作り出すメカニズムについては、また別の記事で考察したいと思います。これらは現代科学にとっては未知のテクノロジー(ブラックテクノロジー)を用いていると考えられ、原理を解明するのは大変難しいです。むしろ、中世に発達した錬金術や魔術と呼ばれるものの論理を用いる方が適切かもしれません。
最後に、米国の科学雑誌に掲載された、不確定性原理の提唱者でドイツの大理論物理学者、ヴェルナー・ハイゼンベルクの言葉をここに残します。私たちが学校で教えられる原子モデルが本当に現実世界を構成する基本単位なのか、大科学者の言葉から改めて考えてみてください。(和訳:日月土)
“It is obvious that at the present state of our knowledge it would be hopeless to try to find the correct theory of the elementary particles,”(Science 1955)
明らかなのは、現在の我々の知識では、素粒子の正しい理論を見つけ出すのは絶望的だということである。
“... the idea of an objective real world whose smallest parts exist objectively in the same sense as stones or trees exist, independently of whether or not we observe them... is impossible,”(Physics and Philosophy 1958)
そこらにある石や木を個々に観察したりしなかったりするが如く、この世の最小単位が物体として存在しているという物質的な現実世界観は そもそもあり得ないのだ。
注意すべきはこれらが広島・長崎の惨劇から10年以上経ってからの発言であることです。既に「核」の脅威が叫ばれていた中で、大科学者が原子核理論そのものを否定しかねない言説を吐露した真意とはいったい何なのでしょうか?ここからも、核爆弾の原理を説明するはずの常識的な科学理論がどれほど危ういものなのか、お分かりになるかと思います。
画像:ヴェルナー・ハイゼンベルク(引用元:Wikiペディア)
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今回の記事で一番お伝えしたいことは
核爆弾は概念 (この世に核爆弾などない)
ということです。そんなものに世界の人々は何十年間も恐怖してきた訳ですが、新たな概念上の恐怖が最近になって世界的に導入されました。そうです、それが皆さんがよくご存知の「新型インフルエンザ」なのです。
私たちはまた、この在りもしない恐怖にこれからも付き合わされるのでしょうか?
画像:平和記念式典でスピーチする菅首相 (引用元:YAHOOニュース)
読み飛ばしたという「核兵器のない世界」は初めから実現されている
隠された地下開発と諸外国との共謀を話さねば本当の平和は来ない
PRINCIPIUM SAPIENTIAE POSSIDE SAPIENTIAM ET IN OMNI POSSESSIONE TUA ADQUIRE PRUDENTIAM
知恵の初めとして/知恵を獲得せよ。これまでに得たものすべてに代えても/分別を獲得せよ。
(箴言 第4章7節)
キリストの御国にて記す
管理人 日月土