コロ病ネタはあまりに〇カらしいので基本的に取り扱いたくないという姿勢でしたが、流行から3年目に突入しようとしている現在、重要かつ興味深い情報がネットに掲載されるようになってきたようです。
ここまで国の無策が続くと、ネット情報に無関心であった方々もさすがに今の状態のおかしさに気付かずにはいられないのでしょう、私はそう思いたいです。
さて、次もネットに載せられていた情報なのですが、基本的な公文書の体裁は整っているので、偽物ではないとして取り扱います。
公文書:厚労省から地方自治体衛生局へ
官庁から地方行政局に出される通達には、一般に「通知・通告・連絡・通信・伝達」などがあり、その通達内容の強度によってこれらの言葉が使い分けられていると言われています。
この文書に使われた「連絡」は「関係者に情報などを知らせる」というごく一般的な連絡の意で、そこに指示や命令の意味は含まれていないと解釈されるのが言葉上の定義ですが、実際の行政訴訟など司法の場では
通達は法的根拠と成り得る
というのが一般的な通念であり、すなわち
通達とは法律の一部である(強制力がある)
と解釈されるべきものです。これは、私もかつて厚労省が絡む地方自治体の行政訴訟に携わったことがあるので、このような実際の運用を目の当たりにしています。
要するにこの公文書は
死人が増えるから火葬場の準備をしとけ
と、厚労省から全国の地方自治体に向けて通達という名の事実上の命令を強いているのです。
■通達の矛盾点
現在流行している(とされている)尾身株は、感染力が強いとされながらも、重症化率、死亡率は低いとされています。そして英国では、マスクの着用義務や公共施設へ制限などが実際に解除されています。
画像:某病院の判断
本ブログ記事「令和4年のご挨拶」でもお知らせしたように、昨年末までのコロ病の死亡者数を俯瞰しても
99.992%(ほぼ100%)の国民はコロ病で死んだりしない
と、統計上の結論が出ています。
つまり、普通に統計学的(科学的)に数値分析したところで、コロ病がパンデミックである根拠など全くないのです。
ところがです、この実態がほとんど確認できない病気に対して、「日常に戻る為」と称して2回の接種が実行され、その舌の根も乾かない内に「日常に戻る為の3回目を」と話が変わり、今度は「1日100万回接種だ!」と総理大臣までが音頭取りをする始末です。
関連記事:こんなのばかりの報道秘数
「架空のコロ病」に対して「実体の接種」そして、今度厚労省が出した連絡文は
実体の命令(=死亡者の増加による火葬能力の増強)
なのです。これがどういう意味なのかもうお分かりになったでしょう。架空の話などしても無意味ですから、実体の話だけを論理的に繋げれば事の因果関係は見えてきます。
接種による死亡者の増加
これがはっきり予測できていると、厚労省は暗に語っているのです。そう言えば「コロワク大騒動-厚労省はこう答えた」の中でも次の様な厚労省からの回答がありましたよね。
画像:接種死亡者に対する厚労省の見解
いやはや、厚生労働省もとい日本国政府はいったい誰を見て仕事をしているのでしょうね?こういう状況を「末法の世」と言うのではないでしょうか?
■事前に棺を用意させた123便事件
今回の厚労省通達文を見て、私は123便事件に関わる次のエピソードを思い出しました。
123便の機影がレーダーから消え、報道ではどこに墜落したのかも分からないとされていた1985年8月12日の夜、棺や卒塔婆などの葬儀用具生産者が集中する東京都奥多摩の関係者に向けて大量の発注がかかり、しかも、墜落地点が長野方面である可能性も示唆されている最中、群馬県の藤岡市に向けて発送するよう指示が出ていたという事実があります。
この事実は角田四郎氏の著書「疑惑」(1993 早稲田出版)に触れらていますが、私も葬儀用品を扱う関係者の談として間接的にこの話を聞いています。
これはすなわち、1985年8月12日の夜半には、日本政府はこの事件の全体像を死者数を含めて明確に掴んでいたことを意味します。そして、翌日の朝まで都合の悪い事実の隠蔽処置に奔走していたことを窺わせるのです。
画像:123便撃墜計画は事前に存在した、それが本ブログの結論です
このように、日本政府がマスコミを総動員して都合の悪い事実をねじ伏せることなどは、昔から当たり前に行われていることなのです。
あの事件から37年目の夏を迎えようとしている令和4年、私たち日本人は再び政府の嘘と誤謬の言いなりになってよいのか、今から肝に銘じておくべきでしょう。
* * *
Denn alles, was mit der öffentlichen Meinung meint, hat sich die Augen verbunden und die Ohren verstopft.
世論に従ってものを考える人は、自分で目を閉じ耳を塞いでいるのに等しい
これは有名なドイツ哲学者 FRIEDRICH NIETZSCHE (ニーチェ)が Unzeitgemäße Betrachtungen (反時代的考察)中の Schopenhauer als Erzieher (教育者としてのショーペンハウアー)の項で述べている言葉です。
本ブログの読者様は大丈夫だとは思いますが、世論に従う人々、「テレビや新聞が言ってるから」・「政府が言ってるから」と他者に判断を預けてしまった人々がいったいどこに連れて行かれるのか、私はそれを思うと胸が痛むのです。
キリストの御国にて記す
管理人 日月土
ここまで国の無策が続くと、ネット情報に無関心であった方々もさすがに今の状態のおかしさに気付かずにはいられないのでしょう、私はそう思いたいです。
さて、次もネットに載せられていた情報なのですが、基本的な公文書の体裁は整っているので、偽物ではないとして取り扱います。
公文書:厚労省から地方自治体衛生局へ
官庁から地方行政局に出される通達には、一般に「通知・通告・連絡・通信・伝達」などがあり、その通達内容の強度によってこれらの言葉が使い分けられていると言われています。
この文書に使われた「連絡」は「関係者に情報などを知らせる」というごく一般的な連絡の意で、そこに指示や命令の意味は含まれていないと解釈されるのが言葉上の定義ですが、実際の行政訴訟など司法の場では
通達は法的根拠と成り得る
というのが一般的な通念であり、すなわち
通達とは法律の一部である(強制力がある)
と解釈されるべきものです。これは、私もかつて厚労省が絡む地方自治体の行政訴訟に携わったことがあるので、このような実際の運用を目の当たりにしています。
要するにこの公文書は
死人が増えるから火葬場の準備をしとけ
と、厚労省から全国の地方自治体に向けて通達という名の事実上の命令を強いているのです。
■通達の矛盾点
現在流行している(とされている)尾身株は、感染力が強いとされながらも、重症化率、死亡率は低いとされています。そして英国では、マスクの着用義務や公共施設へ制限などが実際に解除されています。
画像:某病院の判断
本ブログ記事「令和4年のご挨拶」でもお知らせしたように、昨年末までのコロ病の死亡者数を俯瞰しても
99.992%(ほぼ100%)の国民はコロ病で死んだりしない
と、統計上の結論が出ています。
つまり、普通に統計学的(科学的)に数値分析したところで、コロ病がパンデミックである根拠など全くないのです。
ところがです、この実態がほとんど確認できない病気に対して、「日常に戻る為」と称して2回の接種が実行され、その舌の根も乾かない内に「日常に戻る為の3回目を」と話が変わり、今度は「1日100万回接種だ!」と総理大臣までが音頭取りをする始末です。
関連記事:こんなのばかりの報道秘数
「架空のコロ病」に対して「実体の接種」そして、今度厚労省が出した連絡文は
実体の命令(=死亡者の増加による火葬能力の増強)
なのです。これがどういう意味なのかもうお分かりになったでしょう。架空の話などしても無意味ですから、実体の話だけを論理的に繋げれば事の因果関係は見えてきます。
接種による死亡者の増加
これがはっきり予測できていると、厚労省は暗に語っているのです。そう言えば「コロワク大騒動-厚労省はこう答えた」の中でも次の様な厚労省からの回答がありましたよね。
画像:接種死亡者に対する厚労省の見解
いやはや、厚生労働省もとい日本国政府はいったい誰を見て仕事をしているのでしょうね?こういう状況を「末法の世」と言うのではないでしょうか?
■事前に棺を用意させた123便事件
今回の厚労省通達文を見て、私は123便事件に関わる次のエピソードを思い出しました。
123便の機影がレーダーから消え、報道ではどこに墜落したのかも分からないとされていた1985年8月12日の夜、棺や卒塔婆などの葬儀用具生産者が集中する東京都奥多摩の関係者に向けて大量の発注がかかり、しかも、墜落地点が長野方面である可能性も示唆されている最中、群馬県の藤岡市に向けて発送するよう指示が出ていたという事実があります。
この事実は角田四郎氏の著書「疑惑」(1993 早稲田出版)に触れらていますが、私も葬儀用品を扱う関係者の談として間接的にこの話を聞いています。
これはすなわち、1985年8月12日の夜半には、日本政府はこの事件の全体像を死者数を含めて明確に掴んでいたことを意味します。そして、翌日の朝まで都合の悪い事実の隠蔽処置に奔走していたことを窺わせるのです。
画像:123便撃墜計画は事前に存在した、それが本ブログの結論です
このように、日本政府がマスコミを総動員して都合の悪い事実をねじ伏せることなどは、昔から当たり前に行われていることなのです。
あの事件から37年目の夏を迎えようとしている令和4年、私たち日本人は再び政府の嘘と誤謬の言いなりになってよいのか、今から肝に銘じておくべきでしょう。
* * *
Denn alles, was mit der öffentlichen Meinung meint, hat sich die Augen verbunden und die Ohren verstopft.
世論に従ってものを考える人は、自分で目を閉じ耳を塞いでいるのに等しい
これは有名なドイツ哲学者 FRIEDRICH NIETZSCHE (ニーチェ)が Unzeitgemäße Betrachtungen (反時代的考察)中の Schopenhauer als Erzieher (教育者としてのショーペンハウアー)の項で述べている言葉です。
本ブログの読者様は大丈夫だとは思いますが、世論に従う人々、「テレビや新聞が言ってるから」・「政府が言ってるから」と他者に判断を預けてしまった人々がいったいどこに連れて行かれるのか、私はそれを思うと胸が痛むのです。
キリストの御国にて記す
管理人 日月土