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核汚染日本の再生−聖なる使者からの啓示(2)

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※JAL123便墜落事故の真相に関する記事は、こちらのカテゴリーをご参照ください。なお、現在起きている原発事故は、123便の撃墜事件と同様に、事故に見せかけた核テロ事件であるというのが私の個人的見解です。

 * * *

今回の記事は日本語で正確に文意を伝えるのは困難と感じましたので、英文にでお届けします(引用部分のみ日本語を使用しています)。
Since I feel difficulty to express my intention exactly through Japanese, I dared to write this article in English (Japanese used in reference part).


Apocalypse from Holy Spirit(2)

The young boy-J, who is one of the evacuees from Japan visited again the church 1.5 hour away by bus from our base town in Philippine. He asked the master who speaks words of holy spirits about his interests especially concerning his home country, Japan.

He also took my written question, and showed him it. The question is as following:

"Do you have any words to the descendants of Zebedee who live in this time, about The Land of Edom ?"

The holy spirit replied

"Read 3 thru 7 verses in chapter 41 of Isaiah."

The followings are those verses from the Bible with Latin and Japanese translations. I hope readers read them and think of the implicit meanings by yourself. My question is corresponding to the answer when boy-J had asked the master last time "What is the future of Japan?". His answer was "Read 9 thru 14 in chapter 34 of Isaiah" (see the former article "Apocalypse from Holy Spirit").

He shall pursue them, he shall pass in peace,
no path shall appear after his feet.
PERSEQUETUR EOS TRANSIBIT IN PACE
SEMITA IN PEDIBUS EIUS NON APPAREBIT
彼は敵を追い、安全に道を進み
彼の足をとどめるものはない。

Who hath wrought and done these things,
calling the generations from the beginning?
I the Lord, I am the first and the last.
QUIS HAEC OPERATUS EST ET FECIT
VOCANS GENERATIONES AB EXORDIO EGO
DOMINUS PRIMUS ET NOVISSIMUS EGO SUM
この事を起こし、成し遂げたのは誰か。それは、主なるわたし。
初めから代々の人を呼び出すもの
初めであり、後の代と共にいるもの。

The islands saw it, and feared,
the ends of the earth were astonished, they drew near, and came.
VIDERUNT INSULAE ET TIMUERUNT
EXTREMA TERRAE OBSTIPUERUNT ADPROPINQUAVERUNT ET ACCESSERUNT
島々は畏れをもって仰ぎ
地の果てはおののき、共に近づいて来る。

Every one shall help his neighbour, and shall say to his brother:
Be of good courage.
UNUSQUISQUE PROXIMO SUO AUXILIATUR ET FRATRI SUO DICIT CONFORTARE
彼らは助け合い、互いに励ましの声をかける。

The coppersmith striking with the hammer encouraged him
that forged at that time,
saying: It is ready for soldering: and he strengthened it with nails,
that it should not be moved.
CONFORTABIT FABER AERARIUS PERCUTIENS MALLEO EUM
QUI CUDEBAT TUNC TEMPORIS DICENS GLUTINO BONUM EST
ET CONFORTAVIT EUM IN CLAVIS UT NON MOVEATUR
職人は金工を励まし大鎚を振るう者は小鎚を使う者を励ます。
ひとりが据え付けて、良しと言うと
ひとりは釘を打って動かないようにする。



PICT 1: Tomi Shrine in Chiba prefecture, Japan


 * * *


核汚染の話にどうして宗教が出てくるのか疑問を持たれる方は多いと思います。しかし、心の拠り所を持たずして、どうして今を生きられるのか、ましてやこの困難の時期を生きられるのか、私にはそちらの方が疑問です。私は特定の宗教を信じろと教唆する意志はありません。しかし、父や母、遠いご先祖様が何か特別な神性を感じて残してきた信仰の証を、少しでも理解し、次世代に繋げるのが、今に生きる者の使命であると思っています。日本という国は、余りにもその事を忘れ過ぎてしまったのではないでしょうか?


南の島フィリピンより
管理者 日月土

JAL123便墜落事故−真相を追う−そしてミサイルは発射された(16)

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※被曝治療、人体の放射化など、核汚染に関する記事は「核汚染日本の再生」カテゴリーをご参照ください。1985年のJAL123便日航機事件と今回の福島原発の件は、根源を同じくする問題であると私は捉えています。

 * * *

このブログに古くからお付き合いしていただいてる読者にとっては、既に目新しい話ではなくなっていることですが、123便の墜落現場には123便以外の多くの機体破片が散乱しており、私たちの現地調査で収集され、その一部については国際軍事評論家のB氏の分析によって機種や所属まで判明していることは、これまでお伝えしてきた通りです。

これまで、私たちの調査活動に対し、一般の方から資料提供を受けることも度々ありました。今回お知らせする情報は、それらの資料の中から新たな墜落機種の断片が確認されたこと、そして、これまで墜落が疑われていた機種について、その信憑性を強化する更なる証拠が見つかったことです。


■報道ビデオに写り込んだ小さな水平尾翼

まず下記の写真1をご覧ください。


写真1:報道映像に映り込んだ小さな水平尾翼
    赤い線と寸法は資料提供者が描き込んだもの
    オレンジ色の線は計測用に筆者が描き加えたもの

資料提供者によると、1990年、TBSの「報道特集」で放映された123便墜落直後の現場ビデオ録画に、123便のものとは異なる機体が映り込んでいたと言います。親切に、赤い線補助線と寸法まで描き込まれていたのですが、実際の画像を見れば分かるように、「100cm(1m)」と「70cm」と記載されている赤線の長さの比率が、目分量でも明らかに間違っているのがわかります。背景に写る樹木の大きさから推し量れば、大体のところ 最長辺で1m前後であることは納得できるのですが・・

とりあえず、補足を入れずにこの画像をB氏に分析していただいたのですが、B氏の見立ては次のようなものでありました。、

「小型戦闘機の水平尾翼に見える。この画像から正確な判別は難しいが、1985年当時、日本周辺に就役中だった機種から選定すれば、アメリカ海軍のA4、または韓国空軍のF-5Eのものである可能性が高い。」


写真2:A4スカイホーク(左)とF-5Eノースロップタイガー(右)
    形状的にA4のものとは言いにくい

それまでの調査で、小型ジェットエンジンのものと思われる小さな径の空気吸入口グリルの断片などが見つかっており、F-5Eが飛来し、撃墜されている可能性は調査当初から考えられていました。しかし、この写真の小型水平尾翼と同様、他の機種(ヘリコプターのエンジンなど)と明確に区別することが困難なため、今に至るまでF-5Eが墜落しているとの明言は避けていました。

ところが、現在、私が避難先にしているフィリピンの公園に、退役したフィリピン空軍のF-5Eが展示されているのをたまたま発見し、水平尾翼の形状がどうなっているか、実際に手で触れながら観察してみることができました。その時、計測メジャーがなかったので不正確ですが手尺で寸法を測りました。測った部分は水平尾翼先端の縁の長さ、および機体側の縁の長さです。


写真3:公園に展示されていたフィリピン空軍のF-5E


写真4:展示機の水平尾翼


図1:水平尾翼の実測値

先端部と機体側の縁の長さを測定したのは、その比率を特定すれば、実寸値が曖昧な写真1からも、F-5Eとの関連が読み取れると判断したからです。そこで、写真1に両縁を示すオレンジ色の補助線を加えて、その比率を測ってみました。なお、尾翼機体側(下側)は枯葉などに多少埋まっていると見てやや下方側に補助線を、尾翼先端側(上側)は明らかに破損しているので、少し上方に補助線を引きました。写真1上の両縁の比率は次のようになります。

     先端側:機体側=1:2.8

一方、実測値から計算した比率は次のようになります。

     先端側:機体側=1:2.8

補助線の引き方に任意性が残ると批判はあるでしょうが、比率は実測値とほぼドンピシャです。これに、機体側縁長がおよそ1m前後であろうという写真からの判断、そして、何より、写真1と写真4とを見比べた時に、その形状がそっくりであるという見た目の判断から、写真1の水平尾翼がF-5Eのものであると、ほぼ断定してもよい条件が揃ったと言えます。御巣鷹事変を巡る新たな軍用機の墜落がこれで確認されました。


■説明困難なF-5Eの飛来と別機種

ところが、F-5Eが墜落していたとすると、新たに、軍事・政治的に説明困難な問題が生じることがわかりました。B氏によると、当時、とりあえず航続可能圏内にF-5Eを配備していたのは韓国空軍だけであり、仮に韓国から飛来していたとしても、長野・群馬県上空で戦闘行動をして本国に帰還するというミッションには無理が多いと言います(カタログ上の航続距離は3700kmあるが、戦闘時はその1/3程度。偵察任務なら飛来可能だ)。また、政治的には、韓国空軍が日本の上空を侵犯するというという国際信用上の重大問題が生じることになります。もっとも、その点に関しては、「韓国空軍は米空軍の指揮下にある(B氏)」という現実から見れば、事実上の米空軍とみなすことは可能です。

もう一つ別の可能性があるとB氏はいいます。米国海兵隊で訓練飛行に使われていた複座のT38がF-5Eとほぼ共通の機体設計であり、それが現地に飛来していたというものです。訓練機とは言っても、訓練飛行だけに使用されるとは限らず、現実には、連絡用途や偵察任務に借り出されるのは、むしろ軍事の常識です。御巣鷹で起きた急変に対し、米国海兵隊が持てる機材を急派し、情報を探ろうとしたのは、韓国空軍のF-5Eの飛来よりもより説得力のある話であると考えられるのです。


写真5:T38タロン複座機

いずれにせよ、F-5E、またはT38という非力な軍用機が現地に派遣されたという事実は、同機の担当任務が極めて限られていたことを物語っています。それと同時に、同機をどうしても派遣しなければならなかった背景として、私は、予測不能の展開に、米国軍内の慌てふためく様子が見て取れるのです(日本・ソ連側もそれは同じだったでしょうが)。

※提供された資料により判明したもう一つの事実については、次回のこのシリーズでお知らせします。


 * * *


これまで、123便の真実追求の大先輩、池田昌昭氏や、私たちの調査チームの他に、この事件を深く追う人々は極めて限られていると思っていました。しかし、これまで複数の資料提供を受けるに付け、この事件を以前から疑い、長い時間をかけて情報収集している方が少なからずこの世に存在していることを知りました。資料提供者には改めて感謝の意を伝えると共に、どうかいつまでも、気の毒な私たちの同胞のことを忘れないでいただきたいとお願い申し上げます。私は日本を助けたいと願っているのです。


PATER CLARIFICA TUUM NOMEN VENIT ERGO VOX DE CAELO ET CLARIFICAVI ET ITERUM CLARIFICABO
「父よ、御名の栄光を現してください。」すると、天から声が聞こえた。「わたしは既に栄光を現した。再び栄光を現そう。」
(ヨハネの福音書 第12章28節)


南の島フィリピンより
管理者 日月土

避難地、フィリピンにて思う

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福島第一原発の事故後、3月16日に日本の住居を離れ、現在の避難地フィリピンに住むようになってから早くも5ヶ月が経過しようとしています。

避難を決意したその日から、123便事故の真実追求という重い仕事に加えて、核被曝から人を、国土を如何に解放すればよいのかという、直近の問題までを抱えてしまうことになりました。

ブログ記事で何度も触れているように、福島第一原発の事故は、事故そのもに恣意性を強く感じます。つまり、天災の発生から全て計画的に実行されたテロであり、天災とそれに伴う事故を装いながら日本という国家を瓦解させるまで追い詰める、いわば戦争における奇襲攻撃と見なすことができます。

何故そんなことが言えるのか?地震発生の不自然さや、原子炉格納施設の爆発状況などを詳細に観察すれば、公式発表では説明できない疑問点がいくつも湧き出してきます。詳細な議論は、いくつかの掲示板で行われているようですが、この手の議論をいくら尽くしても「疑い」以上のものは何も出てこないでしょう。そんな曖昧な状況の中でも私が「計画的事故=戦争」を言葉にするのは、日航123便墜落事故の調査の中で、日本領土内、それも首都東京からそれほど遠くない地で、米国、ソ連(現ロシア)という当時の超大国と日本が交戦するという、一般常識では到底信じられない事実を、議論ではない物証から知るに至ってしまったからです。

そのような大事変が発生したにも拘わらず、123便の墜落は「事故」として処理され、当事者の超大国、米国・ソ連、そして、当時世界ナンバーワンの経済力を誇った日本も沈黙を保ったのです。私は、この時から、隠された戦争の時代に入ったのだと認識しています。そして、豪腕を以って「大事変」を「大事故」にまで変容させてしまう、見えない組織の存在に気がついたのです。一般マスコミだけでなく、米国軍・ソ連軍を黙らせるような強大な力を保持する組織ですから、世界的な結社と見立てるのが正解なのでしょう。

それでは、御巣鷹事変で事が丸く収まったのかと言えばそれは疑問です。123便の墜落直後の1985年9月に電撃合議された「プラザ合意」で、日本は経済衰退の道を歩み始めます。翌1986年になれば、3月の米国スペースシャトルの爆発事故、続けて4月に発生したチェルノブイリ事故など、御巣鷹事変関係国で国の威信を揺るがす「大事故」が立て続けに発生しているのです。その後も、時間を置いてソ連の共産主義政府の解体、日本の地下鉄サリン事件と阪神大震災、米国の911偽装テロ事件と大政変・大災害・大事件が繰り返し発生しています。近年の歴史を俯瞰して得た私の結論とは、「隠された戦争は終わっていない」というものです。

このような歴史的流れの中で、311の震災と福島第1原発の事故をもう一歩深く推し量れば、そこにはやはり隠された戦争が潜んでいるのだと言えるのです。


 * * *

以上をお読みいただければ、私が何故、早い時期に海外避難を決断できたのかお分かりいただけるのではないかと思います。私は現在の事態を隠された戦争と判断したのです。いわば私は、戦争避難者です。

外地にいても、日本(戦地)に残る知人から様々な情報が送られてきます。核汚染に関する悪い情報が多い中、朗報も入ってきます。その中でも「ほとんど全ての核種について放射性物質の吸着除去を可能にする浄化装置(試作)が完成した」という一報には思わず胸をなでおろしました。外部被曝要因を除去できる見込みが技術的に立った訳ですから。これに内部被曝要因を排除する私たちの「被曝治療」の技術を組み合わせれば、もうこれ以上、核の恐怖に怯える必要はありません。

しかし、問題が一つだけ残ります。それは、「争いを求める人の心」です。その心がなければそもそも「核汚染」などという悲劇はあり得なかったはずです。また、危ない原子力を求める心も、その源泉は核兵器の開発など「争いを求める人の心」だったのではないでしょうか?この人心の問題を解決しない限り、つまり現在起きている戦争を止めない限り、どんなに優れた核除染技術も意味をなさないと思います。

日本から遠く離れたフィリピンでも、放射能の雨が降り始めました。地球を一周してやって来た放射能です。日本に比べてまだマシなレベルですが、日本と同緯度の北米、欧州、ロシア、中国の危険な状況が手に取るように分かります。このまま福島が放置され、戦争が続く限り、日本が死に、やがて世界が死ぬことになるでしょう。この人類最大の危機を救うのはやはり人の心なのです。


 * * *


日本から避難する時、慌しい中で何枚かのお気に入りクラシックCDを鞄に押し込み外に飛び出しました。その中の一枚が、ピアノの名手グレン・グールドが演奏する独逸の大作曲家J・Sバッハ作曲の「ゴールドベルグ変奏曲」です。こちらフィリピンでも、一人で静かに何かを考えたい時に流しています。

穏やかでいて時に激しく、切なさと同時に生きる喜びを与えてくれる名曲・名演奏です。このCDを持ち出すことができて本当によかった。この1枚があることで、美しいものを理解し創造する人の心をいつまでも信じることができます。時間とお金ができたら、ぜひこちらでも古いピアノを購入して演奏したいと思っています。



J・Sバッハ「ゴールドベルグ変奏曲 BWV988」より(聖書からの引用に代えて)


南の島フィリピンより
管理者 日月土

JAL123便墜落事故−真相を追う−御巣鷹事変、26年目の夏に

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あの忌まわしい悲劇から、早くも26年の年月が経過しました。123便の乗客乗員、全ての犠牲者のご冥福を祈ると共に、同事変により人知れずその命を散らすこととなった、米国軍兵士、旧ソ連軍兵士、自衛隊隊員、警視庁・警察関係者、その他の方々に追悼の意を表します。

 * * *

思えば、本件の調査を始めたおよそ3年前、大事故と報道された本件が、これほどまで複雑な背景を有しているとは想像もしませんでした。調査開始当初、世の中は陰謀論やスピリチュアルの話題が花盛りであり、当然ながら、123便事故についても「自衛隊の標的機の衝突説」、「米軍によるミサイル撃墜説」などが囁かれていました。このブログは、それら諸説の検証からスタートし、単なる資料分析の範囲においては、後者の「米軍撃墜説」がより有力であろうと論じておりました。

その見方がガラっと変わったのが、2年前、墜落現場を何年も探索し続けたS氏との出会いです。彼から提供された多数の「ミサイル破片」、「軍機の破片」、「軍機搭乗員の装備品」、その他などから、墜落現場周辺からとんでもない軍事衝突の痕跡が発見されたのです。これらの分析が可能になったのも、私の師であり、軍事分野において深い見識を兼ね備えた国際軍事評論家B氏の存在が非常に大きかったことは言うまでもありません。私のブログを通しS氏とB氏が繋がったことで、事故の真相がよりはっきりと見えてきました。それは、それまでの陰謀説をはるかに凌駕した、世界規模の軍事衝突だったのです。

これまでの記事の繰り返しになりますが、墜落現場からは、複数の米軍機破片が回収されただけではなく、ソ連空軍のミグ戦闘機の破片、ソ連製装甲車の装甲板、そして航空自衛隊の戦闘機破片までもが見つかっているのです。それに加え、軍用毒ガス瓶や糜爛性毒ガス原料までもが、現場で発見され、調査チームの手で回収されています。軍用毒ガス瓶はその口が開いているので、おそらく、M氏が目撃したという多くの生存者を、秘密保持のため絶命させる用途に使われたのでしょう。更に恐ろしいことに、核兵器使用の痕跡までもが残っており、私やS氏などは現場調査を繰り返した影響で軽い放射線症にもかかっています。事件から20年以上経過した現在でも、事故現場周辺の自治体では高目の空間放射線量が測定されています(ただし311前の測定)。

調査に対する妨害も熾烈でした。移動用車両に発信機を取り付けたり、ブレーキに細工するなどはまだ可愛い方で、排気に神経ガスを混入した特殊車両で前方を走ったり、電車内でニセ車掌が毒を撒いたり、そして、外食店で料理に毒物を混入してきたことも何度かありました。未だにその所持が公表されていない、電磁パルス銃や光線銃、超音波銃等で私たちを狙ってきたことも、このブログでお伝えしてきた通りです。それも、国家の治安を守るべき、公安警察や自衛隊の手から発射されたものもあれば、アジア系外国人、地元ヤクザと思われるならず者たちからのものもありました。彼らは皆、裏で繋がっているのです。


写真1:S氏に近づく白百合を掲げた女。制服に注目、ある有名企業のものだ。
    軍事暗号の一種で、その意味は「和解」または「家族へ死を」(B氏談)
    花を捧げ和解を求めるべき相手は私たちではない!

公安警察、自衛隊と書きましたが、これらが組織内でひどく分裂し、すでに統制がとれていないこともこれまでブログでお伝えしてきたつもりです。私たちを狙ってくる分派は、もはや正規の警察とも自衛隊とも言えず、別の組織に牛耳られた私設軍隊であると断言してよいでしょう。上記の写真で示したように、一部の有名企業もその仲間です。このような生死に関わるひどい妨害を体験し続ければ、彼らを操る闇の組織の存在に気がつくのは自然な帰結です。私はこの鵺(ぬえ)のような姿の見えない組織を「クロカモ」と呼ぶことにしました。


図1:ゴッホ作「ひまわりのある静物」
   このメッセージの終わりに南国の花を添えて


 * * *


日本航空123便事故、それは間違いなく隠された戦争の犠牲です。よくもまあ、26年間も隠し続けられたものだとある意味感服します。しかし、26年目の夏を迎える直前の3月、新たな攻撃が日本へ向けて加えられました。「核」あるいは「放射能」による「日本殲滅計画」です。私が、今一番危惧すること、それは123便事件、あるいは御巣鷹事変のような国家の存亡に関わるような重大事変をこれだけ長い期間無視し続けた日本人の心の有様です。26年間、真実を見ようとしなかったオイディプスたちが、今まさにその目を奪われようとしています。目を失いそして死んでいくか、苦痛に耐えそれでも前を見て歩んでいくのか、その決断に日本人の心の有様が問われています。

私は外地フィリピンから、123便の犠牲者に祈ります。「あなた方の命を掛けた警告が、ついに現実のものとなってしまいました。どうか愚かな私たちを許してください。」と。

 PATER NOSTER, QUI ES IN CAELIS,
 SANCTIFICETUR NOMEN TUUM,
 ADVENIAT REGNUM TUUM,
 FIAT VOLUNTAS TUA,
 SICUT IN CAELO, ET IN TERRA.
 PANEM NOSTRUM SUPERSUBSTANTIALEM DA NOBIS HODIE;
 ET DIMITTE NOBIS DEBITA NOSTRA,
 SICUT ET NOS DIMITTIMUS DEBITORIBUS NOSTRIS;
 ET NE INDUCAS NOS IN TENTATIONEM,
 SED LIBERA NOS A MALO.

 天にまします我らの父よ
 願わくは
 み名の尊まれんことを
 み国の来たらんことを
 み旨の天に行わるる如く地にも行われんことを
 我らの日用の糧を今日我らに与え給え
 我らが人に許す如く我らの罪を許し給え
 我らを試みに引き給わざれ
 我らを悪より救い給え
 アーメン

※この「主の祈り」こそ、この世に真実を知らしめ、お互いの過去を許し許される関係に修復したいという、「(新)日本の黒い霧」スタート当初からの一貫した精神を象徴した言葉です。特別な日を迎え、再度この祈りを祖国に向けて捧げます。

南の島フィリピンより
管理者 日月土

JAL123便墜落事故−真相を追う−そしてミサイルは発射された(17) 8.24追記

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※被曝治療、人体の放射化など、核汚染に関する記事は「核汚染日本の再生」カテゴリーをご参照ください。なお、核汚染について危機感を同じくする優れたブログ「放射能防御プロジェクト」があります。こちらを読むと被爆治療を通して私たちが予見していたことが、今、本当に日本で起きつつあることがわかります。残念ながら、東北・関東はもちろん、日本国民の多くが福島原発起因の放射性物質を体内に取り込んでしまったのは容易に推察されます。

多くの日本人が真性の放射能キャリアになってしまった現在、もはや「人体の放射化」があるかないかを議論する意味はありません。今必要なのは体内の放射性物質を速やかに取り除くことです。そして、その手段はあります。しかし、福島が今も放射能を吐き出し続け、国土が広範囲に汚染されている状況では、その手段を行使することすら無意味です。状況を改善させるには、何よりも先に福島の放出を止めることです。100兆円かかろうが、200兆円かかろうが、もはやお金の問題ではありません。これをやらない限り地球上に逃げ場はありません。日本発のカタストロフィーはもう始まっています。


 * * *

-----------------------追記(ここから)-----------------------
この記事の提供資料の写真について次のようなご指摘を受けました。

CUMは、よく見るとCU.M.となっており、これはcubic meterつまり立法メートルを示していると思われ、また、数値の前にはVOL(体積or容積)を示す単語があり、・・・VOL 3.8 CU.M./135 CU.Ftとかかれている部分が切れている状況と考えられます。つまり、何らかの体積あるいは容積(一部荷室容積?)の数値です。ちなみに、3.8立方m(メートル)は、約135立方Ft(フィート)です。

また、その上の行にはWT(重量の略語)があるので、重量が記載されており、・・・WT 153 KGS/338LBSと続くと推測できます。KCSといわれているのは、KGSの”G”の一部が消えて”C”に見えるだけだと思われます。ちなみに153kgは約338LB(ポンド)です。

たいへん合理性のあるご意見だと思います。私たちも「米軍機墜落」ありきの先入観があるので、時々、このような当たり前の解析方法を見逃してしまうことがあります。よってこの写真からだけでは、135系の米軍機とは断定できないことも合わせて記載しておきます。

しかしながら、他の重要証拠から135系の機体が墜落している可能性はいささかも揺るぎません。墜落機体破片の収集はほぼその目的を終了しつつあります。私たちも、そろそろ墜落機体の分析から、社会背景の分析にその着眼点を移していくべきだと考えています。

ご指摘ありがとうございました。

※このブログのコメント欄をオープンできればよいのですが、諸事情により止めさせていただいています。悪しからずご了承ください。
-----------------------追記(ここまで)-----------------------

今回は前回の「そしてミサイルは発射された(16)」に続いて、提供された資料の分析を行います。やはり新事実が出てくる訳ではありませんが、私たちのこれまの検証結果を補強する材料としては充分なものです。


■TV放映された航空機破片

以下の写真は、前回同様、1990年に放映された「報道特集」の中で、123便の墜落現場に落ちていた機体の残骸としてTV画面に映し出されたものです。


写真1:TV放映された航空機破片

この破片映像を見て「何かおかしい」と感じた資料提供者様の感性には脱帽します。この写真を早速、国際軍事評論家のB氏に見てもらったところ、はっきりとB747(ジャンボジェット)の物でないことが同定されました。詳細を以下に記します。

「"TB216"と書かれた大きな文字はおそらく民間機のものでしょう。しかし、その下の小さな文字には米軍の軍事用語が使われています。それぞれ
 CUM 爆弾燃料チャージャー
 Cur タンカー:現金・郵便・物資などの運搬
 KCS タンカー:燃料などの運搬、空中給油機
の意味になります。複数の用途がここに記載されていますが、要するに、民間機を軍事転用したタイプの航空機で、燃料輸送や一般輸送・その他として幅広く使われる機種の共通部品であると考えられます。ここで考えられる機材はただ一つ、民間旅客機ボーイング707の軍事仕様タイプ、135シリーズです。この破片に記されている"135"もそれを指していると思われます。」

これまで回収された特殊な機体破片、報道写真などから、本ブログでは米軍の「RC-135」が同現場に墜落していると断じていました。このTV映像も、まさしくその米軍「135」シリーズ墜落の痕跡を示すものです。


写真2:米軍ボーイング135シリーズ
    左上から時計回りに、C-135 一般輸送機、RC-135 偵察機
    EC-135 空中指揮管制機、KC-135 空中給油機、この他に、
    VC-135 VIP輸送専用機などがある

どのタイプに特定できるかと問われれば、現場で見つかった位相差レーダーの断片などから、RC-135またはEC-135の可能性が高いと判断できます。所属については戦闘の状況などから、B氏は米国海兵隊のものである可能性が高いと予想していますが、F106と思われる戦闘機破片が見つかったこと、「小さな目は見た」で紹介した大型機と小型機(戦闘機)が編隊飛行していたとの目撃例から、北米防空宇宙軍(NORAD)の空中管制機であったとも考えられます。

そして極めつけは「そしてミサイルは発射された(10)」で紹介した、明らかにジャンボジェットのものとは明らかに大きさの異なるジェットエンジンでしょう。これがしっかりと新聞の第1面に収められています。ジャンボのエンジン直径は2m以上あり、人物との比較で分かるように、この写真のように小さくありません。しかし、ボーイング135シリーズのTF33系エンジン(直径1m)なら納得です。これを再掲します。


写真3:エンジン回収作業中の写真("慰霊の園"に展示された上毛新聞1面)


■NORAD出撃の意味を考える

以前、北米防空宇宙軍(NORAD)の役割として、対ソ重要防空任務に当たる他、地球外存在からの脅威に対抗する任務があると触れたことがあるかと思います。B氏によると、軍事関係者との公式会見でUFOや宇宙人の話が出ることは絶対にないが、オフレコ、例えば会議の後のラウンジでの会話の中では、むしろ既定の事実として対宇宙戦略が語られることがあったとのことです。1985年当時、NORADに所属していたF106戦闘機の主な任務とは、未確認飛行物体(UFO)の追尾であったことも、そのようなオフレコ談義の中で聞いたともおっしゃっていました。そして、NORADこそ、地球上で唯一の対宇宙軍であるとも。

いきなり、UFOや宇宙人という切り口では、さすがに私も参ってしまうのですが、よく考えてみると、これまでの御巣鷹事変の調査で、限られた狭いエリアに各国の戦闘機が揃って墜落している事実や、核だけでなく、電磁パルスビームなどの超兵器類が当時使用されていた形跡があることから、123便絡みの出動においては、日本またはソ連(現ロシア)の最新兵器が使用される可能性を充分考慮した上でNORADの出撃要請に至ったとも推測されます。その「新兵器」と呼ばれるものの中には、航空機の遠隔操縦装置や、いわゆる「空飛ぶ円盤」と同形の特殊飛行兵器があったとしてもそんなにおかしな話ではありません。はっきり言うと、私はいわゆる一般に目撃されるUFOと呼ばれるものは、実は地球製の軍事兵器ではないかと疑っています。もうその辺の話をオカルトではなく現実として語ってもよい時期ではないでしょうか?


写真4:米軍B2爆撃機にも別タイプが数種存在する?
    左から、通常エンジン型(TypeI)、電磁流体エンジン型(TypeII)、
    3極プラズマエンジン型(TypeIII):いわゆるUFOタイプ
    複数タイプの存在はB氏も未確認ながら話に聞いているという

話を戻します。これに加え、「小さな目は見た」の証言も非常に重要です。3機の大小の機影をNORADの飛行編隊のものとすれば、123便の墜落時刻の15分前にはNORADの編隊は御巣鷹周辺に飛来していたことになります。123便がここに来ることを事前にわかっていたのでしょうか?それを説明可能にする仮説は幾つか立てられます。

仮説1:
 123便を無線誘導して御巣鷹の南方、長野県川上村の広大な
 レタス畑に不時着させようとした
仮説2:
 敵側(日本、ソ連)の地下基地がこの周辺にあることを知って
 おり、ここが作戦ポイントとなることを予測していた

仮説1を可能にする前提としては、まず123便の垂直尾翼が操舵可能でなければなりません。これについては「折れなかった垂直尾翼(1)」で、これまで信じられていたフライトレコーダーやボイスレコーダーの記録が、衝撃報道されたその音声共々、捏造されたものであることを証明しました。操舵を失った恐怖のダッチロールも作り話です。123便は操舵可能だったはずです。また、123便を川上村に誘導する根拠も存在します。123便の高濱機長は川上村の山向う、群馬県上野村の出身(*1)なのですから。しょっちゅう行き来はなくても、川上村がどういう地形かはよく分かっていたいたはずです。そして、この場合、NORADは123便を救助しようとしていたことになります。

仮説2については、これを説明可能にする事実があります。123便の墜落現場の西側、南相木村の北部に茶臼岳という山がありますが、その山の周辺道路を建設したのは実は陸上自衛隊の工兵部隊です。その道路は昭和56年、つまり123便の墜落から4年前に完成しています。123便の墜落後も、自衛隊が南相木村の既存のトンネルを爆破し、新たに付け替えたりするなど、この土地での自衛隊の動きは非常に奇妙です。私もこの「自衛隊道路」を何度か通行しましたが、人気のない山間部にも拘わらず、昼夜を問わず必ず乗用車が何台か道端に停めてあります。同地に建設された東京電力神流川発電所が軍事基地である可能性は、このブログで再三お伝えしておりますが、どうやら、早い時期から自衛隊がここに目をつけていたのは確かなようです。そうであったとすれば、8.12の軍事衝突直後の短い時間に、目立つ軍機破片を車両を使って地下基地内に運び入れることも可能だったはずです。NORADは地下基地の存在を既に掴んでおり、遠隔操縦装置(*2)やその他の特殊兵器が配備されていることも知っていた。よって、最終決戦がここで行われることを想定していたのかもしれません。

いずれにせよ、ボーイング135シリーズを含むNORADの飛行編隊らしき機影が墜落現場周辺で目撃され、無残にもここで一部、または全機撃墜されたことは、もはやゆるぎない事実として認められるべきでしょう。


*1 高濱機長は上野村出身:裏は取れていないが、同じく上野村出身者の証言です。機長の奥方は隣町の神流町出身。同年夏、事故前に上野村に家族でハイキングに来ていた話は、よく因縁話として語られるが、同村出身なら特に不思議な話ではない。事故機乗員の身元を伏せるのは航空業界の通例であるため、隠蔽や情報操作と受け取らないでほしい。不思議なのは、同村の現住人までもが誰もこのことを語らないことだ。

*2 遠隔操縦装置:これが123便に向けて実戦投入されていたとするなら、やはり垂直尾翼の操舵が効いていなければ辻褄が合わない。


 * * *


本文中、「日本、ソ連の地下基地」と書いたのは意図があってのことです。私が推定している御巣鷹の地下基地の実態は、どうやらクロカモ(日本の闇組織)とソ連(現ロシア)勢力によって運営されている可能性が濃厚です。ロシアの関与を仮定すると納得のいく点が多いからですが、それについてはまた報告させていただきます。日本の陰謀論は悪徳米帝国一辺倒ですが、その議論の背後に巧妙なプロパガンダが隠されていることに気がつかなくてはなりません。ロシア関与のその向こうには、ユダヤ(イスラエル)、フランス、ドイツ、中国など、英米とはまた違う顔を持つ強国が控えています。福島原発事故はもちろん、最近の某国新幹線事故、北欧乱射事件などで名前が取り沙汰されている国ばかりです。もちろん、国の顔の背後にもまたぞろ国境無き軍産複合体が潜んでいるのでしょうが。


QUAEREBANT ERGO EUM PRENDERE ET EXIVIT DE MANIBUS EORUM
そこで、ユダヤ人たちはまたイエスを捕らえようとしたが、イエスは彼らの手を逃れて、去って行かれた。
(ヨハネの福音書 第10章39節)


南の島フィリピンより
管理者 日月土

核汚染日本の再生−最終回−聖なる使者からの啓示(3)

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フィリピン避難者の一人、J青年がこの8月に新たな啓示を受けました。日本の未来に関するこちらからの質問には一切答えてくださらず、「イザヤ書の47章4-10節をよく読むように」との内容でした。私は、私の中でその答えの意味を考え、その結論として、今回の啓示の紹介を以て、「核汚染日本の再生」シリーズを終了することにしました。日本の核汚染について、私たちの知ることはもう充分伝えたと思います。どうか我が祖国と世界に救いがもたらされますように。


Apocalypse from Holy Spirit(3)

The boy-J who is one of Japanese evacuees in Philippine visited the church again this August, and asked the holy spirit . The holy spirit didn't answer directly to the questions concerning the future of Japan, but replied to him as following.

"Read 4 thru 10 verses in chapter 47 of Isaiah."

After contemplating the words, I decided that I should end posting articles to this "Kakuosen Nihon no Saisei(Recovery from Radioactivity Contaminated Japan)" category from this post. I think I had informed readers of everything I know. I hope my lovely land and all of the world would have been saved from the historic nuclear disaster.

 Our redeemer, the Lord of hosts is his name,
 the Holy One of Israel.
 REDEMPTOR NOSTER DOMINUS EXERCITUUM NOMEN ILLIUS
 SANCTUS ISRAHEL
 わたしたちの贖い主、その御名は万軍の主
 イスラエルの聖なる神。

 Sit thou silent, and get thee into darkness,
 O daughter of the Chaldeans:
 for thou shalt no more be called the lady of kingdoms.
 SEDE TACE ET INTRA IN TENEBRAS FILIA CHALDEORUM
 QUIA NON VOCABERIS ULTRA DOMINA REGNORUM
 沈黙して座り、闇の中に入れ、娘カルデアよ。
 諸国の女王と呼ばれることは二度とない。

 I was angry with my people,
 I have polluted my inheritance,
 and have given them into thy hand:
 thou hast shewn no mercy to them: upon the ancient
 thou hast laid thy yoke exceeding heavy.
 IRATUS SUM SUPER POPULUM MEUM CONTAMINAVI
 HEREDITATEM MEAM ET DEDI EOS IN MANU
 TUA NON POSUISTI EIS MISERICORDIAS
 SUPER SENEM ADGRAVASTI IUGUM TUUM VALDE
 わたしは自分の民に対して怒り
 わたしの嗣業の民を汚し、お前の手に渡した。
 お前は彼らに憐れみをかけず
 老人にも軛を負わせ、甚だしく重くした。

 And thou hast said: I shall be a lady for ever:
 thou hast not laid these things to thy heart,
 neither hast thou remembered thy latter end.
 ET DIXISTI IN SEMPITERNUM ERO DOMINA
 NON POSUISTI HAEC SUPER COR TUUM
 NEQUE RECORDATA ES NOVISSIMI TUI
 わたしは永遠に女王だ、とお前は言い
 何事も心に留めず、終わりの事を思わなかった。

 And now hear these things,
 thou that art delicate, and dwellest confidently,
 that sayest in thy heart:
 I am, and there is none else besides me:
 I shall not sit as a widow,
 and I shall not know barrenness.
 ET NUNC AUDI HAEC DELICATA ET HABITANS CONFIDENTER
 QUAE DICIS IN CORDE TUO EGO SUM ET NON EST PRAETER ME AMPLIUS
 NON SEDEBO VIDUA ET IGNORABO STERILITATEM
 今、これを聞くがよい
 快楽に浸り、安んじて座る女よ。わたしだけ
 わたしのほかにはだれもいない、と言い
 わたしはやもめになることなく
 子を失うこともない、と心に言う者よ。

 These two things shall come upon thee suddenly in one day,
 barrenness and widowhood.
 All things are come upon thee,
 because of the multitude of thy sorceries,
 and for the great hardness of thy enchanters.
 VENIENT TIBI DUO HAEC SUBITO IN DIE UNA STERILITAS
 ET VIDUITAS UNIVERSA VENERUNT
 SUPER TE PROPTER MULTITUDINEM MALEFICIORUM TUORUM
 ET PROPTER DURITIAM INCANTATORUM TUORUM VEHEMENTEM
 その二つのことが
 一日のうちに、瞬く間にお前に起こり
 子を失いやもめとなる苦しみが
 すべてお前に臨む。どれほど呪文を唱え
 どれほど強いまじないをしても無駄だ。

 And thou hast trusted in thy wickedness,
 and hast said: There is none that seeth me.
 Thy wisdom, and, thy knowledge, this hath deceived thee.
 And thou hast said in thy heart:
 I am, and besides me there is no other.
 ET FIDUCIAM HABUISTI IN MALITIA TUA
 ET DIXISTI NON EST QUI VIDEAT ME
 SAPIENTIA TUA ET SCIENTIA TUA HAEC DECEPIT TE
 ET DIXISTI IN CORDE
 TUO EGO SUM
 ET PRAETER ME NON EST ALTERA
 お前は平然と悪事をし
 「見ている者はない」と言っていた。
 お前の知恵と知識がお前を誤らせ
 お前は心に言っていた
 わたしだけ
 わたしのほかにはだれもいない、と。



図1:天照大神(左)とイエス・キリスト
   Goddess Amaterasu and Jesus


南の島フィリピンより
管理者 日月土

JAL123便墜落事故−真相を追う−蘇る亡霊(14)

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日本を離れて半年が経過し、日本社会の動向に疎くなっているのは最早言い訳できない事実ですが、海外にいるからこそ見えてくる事実もあります。今回は日航機事故調査チームの活動監視について、日本の闇組織「クロカモ(*1)」がどのように我々を監視ししていたのか、体験から考察してみたいと思います。

*1 クロカモ:以前からの読者に説明不要とは思いますが、私が個人的に命名した日本の闇組織の総称です。国際的な軍産複合体とみられ、警察・自衛隊なども含め、日本の政府機関、大企業、宗教団体、暴力団等非合法組織のほとんどが彼らの意向に沿うことを強制されていると思われます。興味深いのは、劣勢ながら彼らに対抗する組織も存在しているようだということです(シロカモ?)。


■連日自宅上空に飛来する航空機

昨年10月頃、知人のR氏宅上空に、自衛隊および米国海兵隊の大ヘリ編隊が飛来した話は以前「蘇る亡霊(9)」でお伝えしました。普通に考えるとただの誇大妄想にしか聞こえないでしょうが、飛来機種や飛行パターンを軍事行動的に考察すると、それがただの偶然でないことは明らかです。

これが偶然でなく、ある種の意図を持った恣意的行動だと判断する理由の一つに、筆者の私自身が、一昨年来、各種機関の航空機から監視を受け続けていたという事実があります。特に、昨年の今頃は、連日のように航空機が自宅上空に現れ、恣意行動を続けていました。記事の更新直後は特に激しく、自宅上空の真上に低空で10分以上も滞空するヘリコプター、繁華街を歩行している最中にどこからともなく飛んできてピタリと私の真上で静止し滞空するヘリコプターなど、その体験をいちいち並べたらキリがありません。


■筆者の乗る自動車を正確に追尾

S氏と現地調査に向かう時は乗用車をよく利用しました。移動中の全行程に追尾車両が複数現れるのはむしろ当然で、全く現れない時や数が少ない時は、かえって「今日はどうしたんだろう?」と相手のことが心配になるぐらいです。

驚くのは、調査対象地近くの山岳道路に入ると、見通しの悪いカーブで正確に対向車を合わせてくることです。もちろん、普通にカーブを回ってくるならなんの問題もありませんが、車体をわずかに中央斜線からはみ出させ、こちらの自損事故を誘発する妨害走行はほぼ欠かさず実行してきます。場所が岩山沿なら予め大き目の落石などを道路上に置いていたりするので、事故の危険性は格段に上昇します。


図1:カーブで自損事故を仕掛けてくるケース
  山岳地帯では路上の置石も同時に仕掛けてくる。事故の目撃者
  となるバックアップ車両を必ず同伴させている。
  公安警察お得意の手法と言われている。このように事故は捏造
  されている。ドライバーの皆さん、気をつけて。

自動車を追尾する場合は、大抵の場合、毒ガス車や電磁パルス銃搭載車両の出現もセットです。排気ガスに神経ガスを混入させて放出するケースや、実際に電磁パルスを打たれた時のケースについては、これまでもお知らせしてきましたが、運転者の脳神経系を麻痺させて、自損事故に持っていこうとする意図が見えてきます。私の場合は、生来鈍い性質ですので、ひどく苦しむことは稀でしたが、S氏のように鋭敏な神経の持ち主は、もはや運転の続行が不可能になり、車を乗り捨てて、途中で移動手段を鉄道に切り替えることが間々ありました。ここでも、犯罪実行車両を正確に調査車両の前方、後方に配置するテクニックに見るべきものがあります。これまでの観察の結果、実行車両の運転者は特殊なカーナビシステムに誘導されてピタリと照準を合わすことが可能なようです。


図2:特殊なカーナビシステム(1)
   高速を夜間走行中、クロカモ部隊に取り囲まれた時、周りの車両
   が全て同じカーナビ画面を表示しているのに失笑してしまった。
   これに気がついたのか、最近はダッシュボードの下部にナビ画面
   を設置するようになった。関係者の話では、京都の任天堂がこの
   システムを開発したというが、定かではない。


写真1:特殊なカーナビシステム(2)
   スーパーの駐車場で撮影したもの。近所の買い物の度にいちいち
   カバーを掛けるドライバーはいないので、すぐに部隊車両と判別
   できる。これもまた失笑もの。


■市街地の歩行中、鉄道内でも執拗に追尾

「蘇る亡霊」シリーズの記事でお伝えしたように、鉄道の中や、人込み中で私たちを追尾することも当たり前のようにやってきます。鞄に仕込んだ電磁パルス発信機や小型のスプレーに仕込んだ毒ガスなどで調査メンバーを狙ってくるなどはもはや日常風景となったと言っても過言ではありません。ひどい場合はラーメン屋のカウンターの隣席にまで座ってきましたが、さすがにこれには閉口しました。携帯電話を開いて、そこに映っている画面と私の顔を何度も見比べているので、彼がクロカモ部隊関係者であることはバレバレです。それ以前に風貌が明らかに一般人と異なるので、お店に入った時からその正体は割れているのですが。


写真2:土佐くろしお鉄道内の風景
   S氏が、クロカモ部隊の追尾を振り切るため、高知県まで避難し
   た時のもの。利用者が少ないため、乗車している全員(3人)がそ
   れぞれ別機関の関係者。非常に気まずい時間が流れたとのこと。


■どのように居場所を補足するのか

以上を読まれて、調査チームのメンバーの居場所が常に捕捉されていることはお分かりいただけたのではないかと思いますが、次に問題になるのは、彼らがどのように我々の居場所を特定しているのかということです。予想される手段は次の3点です。

 (1)電波発信機
 (2)携帯電話
 (3)マイクロ/ナノチップ

(1)は最も古典的な手段で、スパイ映画などでもお馴染みでしょう。実際に車両に発信機を取り付けられたこともあり、私もその可能性は常に疑っていますが、現代ではもっと確実な、発信機と気がつかない発信機があります。それが(2)の携帯電話です。

現在、日本のほぼ誰もが所持していて、契約時の個人情報が発信番号に紐付けられているという点では、旧来型の発信機よりも情報の確実性ははるかに優れています。また、周期的に近くの中継局をサーチするため(*2)、通話中でなくても電話の存在位置を補足することは可能です。理論的には、信号の伝達時間から中継局と携帯との距離はかなり正確に計算され、2つの中継局と同時通信可能ならば、携帯の位置は平面上の2点に限定されます。電波の発信方向がある程度特定できるなら、コンピュータ処理によって瞬時に携帯電話の存在位置が決定されるでしょう。携帯電話の中継局は日本中にメッシュのように張り巡らされており、衛星利用のGPSシステムを搭載しなくても、中継局とのやりとりだけで携帯電話もとい、その所持者の位置測定は可能と言えます。


図3:中継局利用による携帯電話の位置測定
   A、B 2局からの距離測定で候補位置2点が決定される。
   3番目のC局まで利用できれば正確な位置がはじき出せる。
   障害物反射や回り込みなどのノイズは、ビタビ信号解析
   など、高度な信号数学の応用で十分に補正できる。

この件に関して、国際軍事評論家のB氏は次のように言います。

「携帯電話で位置情報が取られているというのは、もはや常識です。私が聞いた話では、既に日本のシステムで数10cm、米国のシステムなら10cm前後の精度で位置が特定できるそうです。」

この話を聞いて私も実験をしてみました。上述の監視航空機が果たして携帯電話の信号を追尾しているかどうか、電話機を放置した後に、上空の航空機に見つからないよう樹木の下を通ってなるべくそこから遠くに離れてみました。面白いことに、件の航空機は携帯電話の位置を中心に輪を描くように旋回しているではないですか。たった1回の実験だけですので断定するには及びませんが、携帯電話から発信される信号が日常的に傍受されている可能性は極めて高いと思われます。ただし、この航空機が直接携帯の信号を受信しているのか、間接的に中継ネットワークからの情報を受信しているのかについては定かでありません。私が想像するにはおそらくその両方が使用されていることでしょう。

ただでさえ、通話内容が傍受されやすいと言われている携帯電話ですが、その利用者数を鑑みれば、事実上の国民IDカードと言えます。通話内容のみならず、名前や住所などの個人情報、それに位置情報までもが全て特定機関に情報として流れているとすれば、日本の国民監視機能はほぼ完成の領域に近づいたといっても過言ではありません。

*2 中継局をサーチ:携帯の電源を切っても駄目です。OFF状態でも中継局との通信が行われていることを、電磁波測定で確認しました。私の使用した機種(ソフトバンク)は電池を抜けば通信が止まるようですが、他の機種については油断できません。


■携帯電話:フィリピン地方都市の実情と比較

私が滞在しているフィリピンの地方都市は100万人の人口を有してます。世界の時勢に従ってか、子供から大人まで、携帯電話を所有している人は非常に多いです。この点は日本と変わりません。通信プロバイダも特定3〜4社がシェア獲得にしのぎを削っている状態で、この点も日本と状況は同じかと思います。ただ、日本と異なる点を挙げれば

 (a)個人証明書なしで購入するプリペード型が主流
 (b)中継アンテナが極めて少ない

の2点になるかと思います。(a)の理由から携帯電話の使用者を特定するのは極めて困難なのはすぐにご理解頂けると思います。私が理解できないのは(b)で、これだけ多くの携帯利用者がいるのに、街全体で見かける中継局は、高さ3〜40m程度の鉄塔が数本程度と極めて限られていることです。もちろん、鉄塔にはいくつも円形アンテナが取り付けられていますが、日本のように、携帯中継局が街のあちらこちらにニョキニョキと乱立しているという光景は皆無です。これを見て私は思いました。携帯中継局はそんなに必要ないのだと。それでは何故、日本ではあれほどコストをかけて多くの携帯中継局を作るのか?何か別の目的があるのではないか?位置情報の捕捉など、元々、個人情報の収集が目的なのではないかと。それについては数々の経験と考察の結果、個人情報収集以上に恐ろしい目的があることが段々とわかってきました。携帯中継局が持つ真の目的については、別の記事で詳説したいと思います。


写真3:S氏の自宅周りで起きた変化
   (上)特殊な加工を施した電線、(下)増設された携帯中継局。
   いずれも、この2年の間、日航機事故調査が進展すると共に増
   設された。電線工事後は何か当てられ続けている感覚がすると
   S氏は言う。私の自宅でもすぐ近くに同タイプの中継局が設置
   された。目視範囲には既に2つも中継局があるのになんでわざ
   わざ?しかも住宅の庭地を借りて無理矢理建てる強引さ。本当
   に中継局なのか?


写真4:運用間近のスカイツリー
   今年の初めには既に試験電波を出していることは確認していま
   す。気になるのは旧陸軍系企業東武グループが運用しているこ
   と。旧陸軍参謀・元伊藤忠会長の瀬島龍三氏と東武オーナー家
   根津家との深い関係はあまりにも有名。

■ナノチップ:既に実用化されているのか?

発信機では見つかる、携帯ではまだ不確実だ。そんな時、もっとも確実な発信機は、何の苦痛もなく身体の中に埋め込むことができる(3)のナノチップです。注射機で埋め込まれるものがよく噂されていますが、情報提供者によると、コップに一滴たらし飲むだけで体内に入るチップが既に完成しているとのことです。

まだ、確信している訳ではありませんが、自動車での移動中に車内の会話がすべて傍受されていることがありました。例えば「次の○○インターで降りよう」と声を出してS氏と話すと、看板を見過ごして実際に我々が降りなくても後続の追尾車両が続々と出口を目指して降りるなどということがよくありました。我々の会話を傍受して指示が出たとしか思えません。車内の発信機にはよほど注意しているので、携帯電話に盗聴機能のようなものが元から仕込まれているのか、我々にすでにナノチップが入れられているとしか考えられないのです。

飲むだけのタイプが既に存在しているとすれば、立ち寄った外食店で料理や飲料に入れられたりしても気づくことはありません。ですから、その可能性も排除できないと考えます。また、以上の例の他に、明らかにナノチップを使ったものと考えざるを得ない状況に出くわしたこともあります。これについても、別の記事で詳細に取り上げたいと思います。

 * * *

私の知人の一人に、「世の中には知ってはいけないことがある、直ちにサイトを閉じろ」と激しい剣幕で抗議してくる方がいます。一般論としてはそれもあり得るでしょう。日航機事故では520人の犠牲者が出ましたが、その多くは事件の背景となった国際紛争とは全く無関係な人々です。このような悲劇を、果たして放っておいて良いのか、その理由が私には見つかりません。

私は信仰者ですが、信仰のためにこの活動を続けている訳ではありません。信仰以前に一人の人間としての自分がいます。私の祖父は何よりもまず人の道を説いた人でした。私は他界した敬愛する祖父に「人でなし」と呼ばれる行為だけはしたくありません。仮に理解者が誰もいなくなっても、この事件が忘却の彼方に打ち捨てられそうなっても、誰かが真実を叫び続けなければ、犠牲になった方々があまりにも不憫です。どんな弾圧を受けても、私は、人として、真実を語る最後の一人になる覚悟があります。それができなければ、信仰者になることすら値しないと、私は考えるのです。


父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛してきた。わたしの愛にとどまりなさい。
SICUT DILEXIT ME PATER ET EGO DILEXI VOS MANETE IN DILECTIONE MEA
(ヨハネの福音書 第15章9節)



写真5:フィリピンの教会にて撮影


南の島フィリピンより
管理者 日月土

JAL123便墜落事故−真相を追う−折れなかった垂直尾翼(3)

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時々、他の123便真相究明関連サイトを読ませていただきますが、未だに次の点で止まったままの議論が多いようです。

 (1)ボイスレコーダ(CVR)/フライトレコーダー(CFR)の検証
 (2)アントヌッチ証言による米軍の墜落場所発見と日本側の不作為
 (3)上記(1)(2)を総合した自衛隊標的機の衝突および隠蔽説

(1)については「折れなかった垂直尾翼(1)」で、犠牲者の小川さんが機内で撮影した写真の解析から、発表されたCVR/CFRが写真の示した事実を反映していない、つまり改竄の可能性が極めて高いことを指摘しました。また、(2)についても御巣鷹事変当事者である米国軍の発表であることから、その事実性については十分な注意が必要です。ただし、それまで沈黙していたにも拘らず、事件から10年近く経過した後に、なぜこのような情報を出してきたのか、その政治性については分析を加える必要を感じます。

(1)、(2)がもはや信頼性を欠いている以上、この議論を基礎とした(3)の仮説はあり得ず、また、相模湾が海上自衛隊の訓練海域でないこと、加えて、当時、高度7000mの飛翔物を落とすような艦上装備がない以上、この高度に標的機を飛ばす理由はないことから、標的機衝突事故説が極めて信憑性に欠けた妄説であることは「自衛隊説を切る(2)」ですでに解説済みです。よく言われる「オレンジ色」の物体についても、この色の破片が墜落現場から山ほど見つかっている事実があります。その一部はミサイル片であり、また軍機の装備品であったり、「オレンジ色」というだけで、それが何かと特定するのは極めて難しい問題であることは、ここにつけ加えておかなければなりません。

私たち日航機事故調査チームは現場調査を重要視し、出来る限り物証を押さえることで真実に迫ろうとしています。そして、これまでの調査結果から日航機事件には想像を超えた複雑な背景が隠れていることがわかってきました。ただただ報道記事の抜き出しをつなぎ合せただけでは、陳腐な「自衛隊標的機衝突説」を考え付くのが関の山でしょう。真実は現場にしかありません。改竄されたCVR/CFRを聴いて、信じて、涙し義憤にかられているようでは、隠蔽する側の思う壺なのです。123便の真相を求める人々はこの点を強く認識するべきです。


■尾翼破壊:事故調査報告書を再度検証

運輸省の事故報告書では、123便は相模湾上空で圧力隔壁と垂直尾翼の破壊が発生したとなっており、その証拠の一部として、相模湾海上で海上自衛隊艦「まつゆき」が回収した垂直尾翼周りの部品が付図に掲載されています。まずは、以下に報告書のキャプションのままにその写真を転載しますので、まずそれをご覧になってください。


写真1:海上から回収されたAPU空気取り入れダクト


写真2:海上から回収された垂直尾翼の一部(1)


写真3:海上から回収された垂直尾翼の一部(2)


これらの写真をご覧になって、何か変だと気がつかないでしょうか?写真2、3はともかく、写真1はどう見ても大きな金属の塊にしかみえません。また、高温となるAPU(補助エンジン)のダクトであれば、FRPやプラスチックが使用されていたとは考えにくいです。この金属様の塊が海上を浮遊していたというのはあまりにも無理があります。

この点について国際軍事評論家のB氏にお話を伺ったところ、次のような説明を頂きました。

「海上での航空機事故の場合、基本的に、アルミのような軽い金属でも沈むものと考えるのが普通です(*1)。浮かぶのは木片やプラスチックの類に限られます。その意味では、写真1のダクトは当然沈みます。また、写真2、3の垂直尾翼の一部も極短時間ならともかく、そのまま浮いてるはずがありません、こちらも当然沈みます。」

B氏の見解は、上記の写真に写った尾翼周辺の構造物全てが、海上で回収されたというのはおかしいというものです。この説を少し押し進めると、これらの回収物は海上以外のどこからか調達したという結論に至ります。それはどこなのでしょうか?模造品でなく、実機の破片を写したというなら、それは123便の墜落現場、御巣鷹の尾根周辺としか考えられません。

*1 アルミも沈む:1円玉を真水に浮かすことはできますが、それは1円硬貨の形状により浮力が生じるためです。


■陸揚げ地がなぜ館山港なのか?

軍事事情に詳しいB氏は、これらの回収品が海上自衛隊基地に隣接する館山港に陸揚げされた点についても疑問を呈します。

「館山の海上自衛隊基地は航空隊の基地です。確か、専用の港湾設備もなかったのではないでしょうか。海上自衛隊艦船が回収物を陸揚げするなら、東京湾浦賀水道の反対側にある横須賀基地を選択するのが順当な考えです。

(しばし沈黙)

そうか、横須賀基地を共用している米国海軍に情報を取られたくなかったんだな・・」


写真4:千葉県館山市の海上自衛隊基地(出典:Google Earth)
    右に隣接する港は一般港湾の館山港


図1:横須賀基地は館山港のすぐ近くだ(出典:Google Map)
   順当に考えれば都心にも近い横須賀を選択するはず

以上に加え、B氏は、当時試験航行中の「まつゆき」が、試験航行中故に正式に海上自衛隊本隊の所属ではなく、自衛隊の装備課(現装備施設本部)の管轄下にあっただろうという点も指摘しています。これが大事な点なのですが、「自衛隊」というとどうしても一つの組織として私たちは捉えがちですが、現実には「陸」と「海」では組織体として天と地ほど違うという事実(相当に仲が悪いという事実も)は、B氏が常々語っていることです。第二次大戦後、一時は解体された大日本帝国陸・海軍ですが、自衛隊が再編されることになっても、組織体としてのカルチャーはそれぞれ別に継承されていると考えるのが順当だということです(*2)。

その考えに従うと、館山港への寄港および陸揚げは、自衛隊内の中央組織によって決定されたことになり、そこに「陸」「海」のどちらの意思が強く働いていたかと考えるのが重要になります。米国海軍と親和性の高い海上自衛隊が敢えて横須賀帰港を避ける決定をするとは考えにくく、館山の海上自衛隊基地と関連があるように見せかけながら、敢えて一般港湾に陸揚げさせ、米国海軍の監視をかいくぐるその手口から、館山寄港には「陸」の意向が強く働いていたとみなすことができます(*3)。

*2 陸と海:「空」については旧陸軍航空隊の継承組織と考えることができます。よって「陸」に含まれるとみなして間違いありません(B氏)。

*3 陸の意向が強い:「自衛隊標的機衝突説」での悪者は海上自衛隊です。この説の流布自体に情報撹乱の意図が見え隠れしますが、同時に「海」に対する「陸」の敵意も透けて見えます。


■目撃証言:墜落直前まで垂直尾翼は残っていた

確か、米田憲司氏の「御巣鷹の謎を追う」(宝島社 2005)だったと思いますが(*4)、そこには長野県川上村で「鶴マーク」を付けたジャンボ機が低空飛行しているのを目撃したとの証言が書かれていたと記憶しています。著者の米田氏は、垂直尾翼の大部分は脱落していたはずで、この証言は何かの勘違いだろうと結論付けています。

本書を読めばよくわかるのですが、米田氏ほど本件をよく調査された方でも、捏造されたCVR/CFRの呪縛に陥っており、圧力隔壁破裂が原因かどうかは別として「折れた垂直尾翼」という前提で全体を推理しています。よって、「鶴マーク」の目撃証言がそのシナリオに合致しない以上、「何かの勘違い」と推論せざるを得なかった事情も理解できます。


写真5:123便(JA8119)の垂直尾翼に描かれた大きな「鶴マーク」

多くの真相究明者が「折れた垂直尾翼」説を信じるもう一つの証左は、東京都の奥多摩で撮られたという、尾翼を欠いた同便の写真(写真6)です。これは当時、一般報道でよく放映されていただけではなく、事故報告書でも尾翼が脱落した証拠写真として採用されています。


写真6:尾翼が欠けていると問題の証拠写真
    確かに尾翼が欠けているように見えなくもない。実際に
    これだけ欠けていたら「鶴マーク」は見えないだろう

頭から何でも否定するのはよくないかもしれませんが、嘘・捏造何でもありの本件に関しては、よほど注意する必要があります。写真6についても、画像は不鮮明であり(かなり引き伸ばしているでしょう)、被写体はシルエットだけ、非常に手が入れやすい写真とも言えます。また、そのような作為がなかったとしても、上空の雲の状態で機体の一部が隠れてしまうことは頻繁に起こることだと想像されます。私は、この写真の信憑性は高く見積もっても50%程度、真偽半々と見ています。

一方、「垂直尾翼は折れていなかっただろう」と推論することは、これまで調査収集した事実から十分に説明可能です。

 (1)不自然な海上回収物(模造品か墜落現場からの輸送)
 (2)墜落現場近くでの「鶴マーク」目撃証言
 (3)相模湾上低空域での旋回飛行(参照:折れなかった垂直尾翼(2))

(2)については、次のような補足説明も可能です。123便は相模湾上空で異変後、静岡、山梨、埼玉、など各地で目撃されていますが、S字蛇行など、航跡の不自然さは指摘されていても、機影に関する指摘は皆無です。写真6の示すように垂直尾翼が大きく欠けていれば、航路正面からその機影に臨まない限り、その異変に嫌でも気がつくはずです。

(3)に関しては本シリーズの前回の記事を参照していただきたいのですが、大手掲示板に次のような興味深い書き込みがあったので参考までに掲載いたします。相模湾上における低空での旋回と「鶴マーク」の存在、どちらも私たちの推論と上手く合致します。

-------------引用ここから----------------
何で、こんなに拘るのかといいますと信じてもらえなくても構いません。
あの日、湘南で泳ぎ『湘南台』という小高い丘の景色の好いスポットに
いました。
「あれ?飛行機が低空で飛んでる。この辺、厚木基地が近いから?」
「それにしても変だよね、飛行機のお腹がこんなに近くに見えてる」
「あれ?あっちへ行ったと思ったらまたこっちへ飛んできたよ?」
「グルグル廻ってるみたい!鶴丸見えた!」
当時、携帯電話などなかったので家に電話。
「今ニュースで、日航機が行方不明だって。」
私達が見たのは、もしかしたら…
その晩から、眠れませんでした。
-------------引用ここまで----------------
(出典:http://read2ch.com/r/ms/1306480683/)

以上の推論を以って、私たちはこう結論付けます。「垂直尾翼は折れていなかった」、そして、「墜落直前まで操舵できていた可能性は高い」と。


*4 出典について:現在、海外避難中の身であり、手元の資料が限られるため、正確な出典を示すことが困難な状態です。本記事はコメント欄の入力制限を緩和しますので、出典の誤りや、本記事に関する新しい情報があればご記入ください。ただし、情報工作に対処する必要から、基本的にコメントは公開いたしません。また、改めて制限をかける場合もあります。なお、重要コメントに関しては記事中で返答したいと思います。


■沖合いを埋め尽くした捜索船

これもまた出典を失念したままで申し訳ないのですが、事故当夜以降、大量の捜索船(漁船なども含む)が伊豆東南部の沖合いを埋め尽くしていたという、現地旅館の宿泊者の証言があります。

これが事実だとすると、「折れなかった垂直尾翼」という我々の推論と少し噛み合わない点が生じます。それは何かと言えば、尾翼破損がなかったかもしくは極めて小規模のものであったとすれば、偽装工作とはいえ、そこまで大量の捜索船を出船させる必要はないからです。

しかし、この証言を読んだ限り、当局が少なくとも海上で何かを必死に捜し出そうとしていた気配が感じられるのです。「折れなかった垂直尾翼(2)」で推察したように、123便は何かから逃げるように相模湾上を旋回しています。また、爆発音や煙も目撃されています。ここから導かれる一つの推論は、

「相模湾上で戦闘行動が発生した」

というものです。そして、捜索活動の規模から、123便の機体破片や使用されただろうミサイル類の破片などとはまた違う、重要な物体、例えば撃墜されて着水した戦闘機などの探索回収が本来の捜索目的であっただろうと推察されるのです。すると、「圧力隔壁破壊説」という従来説は、123便の事故原因だけでなく伊豆沖での捜索活動をカモフラージュするための口実として創作された可能性が極めて高いと結論付けられるのです。

私は、戦闘行動の末、伊豆沖の相模湾に墜落した戦闘機は旧ソ連空軍のMIG-25ではないかと推測しています。そして、落とされた戦闘機があるなら、落とした側の戦闘機も同じ空域に存在したはずです。もちろん、その結論に至るまでは、推論の中でまだ幾つかのステップを踏む必要があります。本シリーズでは、そのような状況が発生した必然性について、私の知る限りの情報を紹介していきたいと考えています。

御巣鷹事変は相模湾上空で既に始まっていたのです。


写真7:伊豆下田白浜海岸沖
    この周辺の海域が捜索船に埋め尽くされたという


 * * *


123便の墜落事故といえば、一般には群馬県の御巣鷹の尾根が最も注目されています。これまで、本ブログでも軍機破片の発見報告など、墜落現場における検証が大勢であることは否めません。しかし、本記事で取り上げたように、相模湾上空での異変はそれに劣らず重要な意味を有しています。

房総半島の館山から始まり、三浦半島から伊豆半島の先端部下田まで、そして沼津・清水・焼津など静岡県東部にかけて、日航機事故調査チームの現場取材は群馬県の墜落現場とほぼ同等の時間を海側の調査に割り当てています。そして、私たちの調査を常に妨害しに現れるクロカモ(*5)も、群馬・長野両県の山間部に劣らず激しい勢いで私たちを襲ってきました。特に伊豆半島東部・中央部での出現頻度は驚愕すべきものがあり、同時に、伊豆半島こそ彼らが最も知られたくない「何か」がある場所だと直感しています。

直感と簡単に述べてしまいましたが、それは123便の関連事実だけでなく、日本の闇組織「クロカモ」のルーツにつながる重要事実と関連しているだろうと概ね想像はしています。古代日本から現代に至るまで、歴史上の支配機構の背後で暗躍してきた、まさに「King of 日本の黒い霧」と呼ぶべき彼等の出自が、123便の真相究明をきっかけに、これから益々明らかにされていくことでしょう。


*5 クロカモ:(毎回同じような説明で恐縮です)私が命名した日本の闇組織のこと。本ブログではこれまで「国営テロ集団」と呼んでいた。国際的な軍産複合体でもあり、天皇家・政府・官庁(自衛隊や警察も含む)・企業・暴力団・宗教団体など、あらゆる組織にその分子が潜入し、実質的に日本を支配していると思われる。組織体であれば当然だが、闇にも色々と派閥があるようだ。クロカモに強く対抗する存在「シロカモ?」もあれば、それとは別の本体と同調しない闇グループも幾つかある。あくまでも調査体験からの推測だが、私はこれらのグループを、仮に「ビマワリ」、「アリラン」と呼んでいる。もう少しはっきりしたことがわかってきたら、ここでお知らせしたいと思う。



その日、すなわち週の初めの日の夕方、弟子たちはユダヤ人を恐れて、自分たちのいる家の戸に鍵をかけていた。そこへ、イエスが来て真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。
CUM ESSET ERGO SERO DIE ILLO UNA SABBATORUM ET FORES ESSENT CLAUSAE UBI ERANT DISCIPULI PROPTER METUM IUDAEORUM VENIT IESUS ET STETIT IN MEDIO ET DICIT EIS PAX VOBIS
(ヨハネの福音書 第20章19節)

南の島フィリピンより
管理者 日月土

JAL123便墜落事故−真相を追う−蘇る亡霊(15)

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読者の皆様には、最近、更新が滞ってご心配をおかけしていることかと思います。現在、フィリピンに滞在していることを奇禍に、太平洋戦争中、あるいはそれ以前にこちらで実際に何が行われていたのかを調査しています。調査が進むにつれ、私たちが教育機関で教わってきたことと、こちらで見聞きする話の間に大きな齟齬を感じるようになりました。歴史の真相を追及するのが本ブログの元々の開設目的でもありますので、いずれ、こちらの調査結果もお知らせしたいと思います。

 * * *

今回の記事は、日航機事件の当事者と予想される、日本の闇組織「クロカモ」の正体を推論する「蘇る亡霊」の第15弾です。今回は、いつものスタイルと変えて、私のブログの真意を非常によく理解してくださっている nqlab さん(*1)の最新記事「フクシマは核兵器製造工場?」を元ネタに話を進めたいと思います。

こちらの記事では、私も話をまとめるのに苦労していた、日本の核兵器製造と旧帝国陸軍派との関係、また、日本の核開発と諸外国との関係、特に、中国・北朝鮮との関係を上手にまとめあげている上に、123便撃墜事件に関する本ブログでのこれまでの主張を見事に融合させています。

詳細については若干の見解の違いはあるものの、大筋では nqlab さんの見立てで間違いなかろうというのが私の考えでもあります。ですので、本記事では、nqlab さんの記事をさらに補足する形で論を進めたいと思います。

*1 nqlabさん:昨年、2010年5月の日航機事件真相究明講演会開催にご尽力いただいた私の良き理解者です。同じく日本の隠された歴史(封印史)の研究家でもあり、日本の歴史背景について、これまでに数々の情報をご提供頂きました。


■日本の核兵器ビジネス

まずは、同記事冒頭の引用を掲載しますので、お読みください。

------------------(nqlab:引用[1]ここから)----------------------
フクシマの地下で密かに核兵器、或いは核弾頭原料が製造されているとの情報がWEB上でも流れていますが、ある情報筋によると、福島原発の使用済み核燃料は、現地で再処理(プルトニウム濃縮)され、輸出されていたそうです。
主な輸出先はアメリカ。
その他ソ連や世界各国も直接なり間接なり顧客にはいたようです。

アメリカはそれを何に利用していたのか?
核弾頭は時間と共に自然劣化が進むため、劣化した核弾頭を新品に取り替える為に大量のプルトニウムが必要となります。
現在アメリカには9400発の核弾頭(内 戦略核弾頭 2126発)があり、1967年には3万発以上保有されていました。フクシマの稼働した1970年代から80年代にかけては、2万5千発前後で推移しています。

(管理者注:出典・グラフ当は引用元記事をご参照ください)

------------------(nqlab:引用[1]ここまで)----------------------

国際軍事評論家B氏の目撃証言から、かなり以前から茨城県東海村の動燃施設内で核兵器が開発されていたのは間違いなく、核兵器を製造する以上、どこからか燃料を調達する必要があるのは当たり前の議論です。

福島第一もその候補であるだろうと私が推測していることは、以前の記事でもお伝えしましたが、nqlab さんの入手した情報によると、もっと大々的な核兵器ビジネスが日本の原発内で行われていたことになり、私の予想を大きく上回ることになります。その根拠として、核兵器のメンテナンスに一定量のプルトニウム製造が必要であるとことを挙げ、1960年代、70年代の核弾頭総総量から鑑みた場合、米ソ超大国内製造分では追いつかないという議論にも説得力を感じます。この辺の数字を精緻に積み上げたら、状況証拠としてはかなり正確さが増すと考えられます。

123便絡みとして、ここで、私が聞いた元日航整備員の証言をご紹介します。

「空港整備場では、時々、原子力マークの入った貨物が積み込まれるのを目撃しました。ちょうど両腕で一抱え位の大きさで、同僚たちと一緒に、あの箱の中身は何なのだろうね?とよく噂していました。冗談で『大きさからいって核弾頭なんじゃないか(笑)』とよく言い合っていました。」


図1:原子力マーク

箱の中身が実際に何であるかなど、私もわかりません。しかし、私はこの証言を聞いたとき、日本国内向け(自衛隊向け)の核兵器の可能性もあるなと考えていましたが、nqlab さんのお話から推測すると、国外向けの核弾頭だった可能性も十分あり得ます。

御巣鷹の墜落現場に、冬でも雪が積もらない地熱の高い箇所が局所的に存在し、地中に埋まった核兵器の反応熱なのではないか?と本ブログお伝えしたことがありますが、このように大規模な核兵器ビジネスが存在し、日常的に定期航空貨物として輸送されているとしたら、その可能性ははるかに高まったと言えます。その逆もまた真で、123便に推測通り核兵器が積荷として輸送されていたとしたなら、1985年当時(またはそれ以前)からこのような核兵器製造ビジネスが存在している可能性の傍証と成り得ます。

これに関連して、日航機調査チームのS氏が自衛隊員から直接聞いたという証言もご紹介しましょう。自衛隊関係者の飲み会に参加した時に、酔った隊員が語っていたという内容です。

「日本が核装備してるなんて、当たり前。誰でも知ってることだよ。○○基地、○×基地だろう・・・(管理者注:核配備されている具体的な基地名を数箇所あげたそうだ)。」

以上の証言も真偽の確認まではできません。しかし、福島第一の秘密と密接に関連する内容であることは確かです。推論だけを積み上げるのはひとまずここで止めましょう。真実は全て、御巣鷹の墜落現場、雪が積もらない箇所(文字通りの「ホットスポット」)だけが知っており、今でも私たちに語り続けています。


写真1:(左)積雪した墜落現場一帯、(右)雪が積もらないホットスポット


■日本の核兵器製造と諸外国(1)

nqlab さんの記事に見る、日本の闇組織と核開発の歴史、諸外国・米国内派閥との関係についても、私の書くそれよりも分かりやすいのでぜひご覧になってください。

------------------(nqlab:引用[2]ここから)----------------------
日本は第2次世界大戦中、原爆開発の先進国でした。

理論の日本、技術のドイツ、原料のアメリカ、と形容してよいのではないでしょうか。
日本の原爆開発と云うと、一般に日本のノーベル賞第一号「 湯川秀樹 」のことを頭に思い浮かべると思いますが、現実に理論と開発を行ったのは「 仁科芳雄 」博士。湯川はGHQに仁科博士の研究成果を横流ししたことによってそのご褒美としてノーベル物理学賞をもらったのです。湯川はアメリカ留学中、原爆の父:オッペンハイマーと親交があった。オッペンハイマー一族は元々はドイツの財閥で南アフリカでダイヤモンドと金鉱山の経営(ウランも?)を行って財を成し、現在はロスチャイルド・ファミリーの中に組み込まれているようだ。 

(中略)

またまた余談だけど、仁科博士の日本陸軍の研究は大陸でも行われた。
その拠点は、現在北朝鮮の金策市(キムチャクし)。当時の名称は城津。
日本海に面した製鉄・重工業の中心地だ。
ここはまさに日本陸軍の置き土産。
この置き土産が現在の北朝鮮 核開発のベースとなっている。

(中略)

さて、戦後の日本では岸信介のアメリカへの面従腹背(? : なのか、アメリカの指示なのか?)と正力松太郎(読売新聞社主)によって、日本の原発開発が進められるが、現実に大きく動かしたのは田中角栄(首相:1972年7月7日 〜 1974年12月9日)。田中角栄の賄賂の証拠書類が「 偶然間違えて 」コーチャン委員会に配達された(ロッキード事件)のは、角栄が脱石油・原発独自開発に踏み切ったからとも、アメリカの頭越しで中国と提携したから。とも云われている(現在の中国の躍進の基礎は、まず毛沢東:八路軍の実戦中核部隊となった満州残留の旧関東軍に、次に田中角栄以来の技術移転にある)。 
こうして角栄亡き後の原発利権を握ったのが中曽根康弘(首相:1982年11月27日 〜 1987年11月6日)。

(中略)

アメリカ軍の内部は(と、云うより日本も含めて世界的に)、陸軍(&空軍)vs 海軍(&海兵隊)が犬猿の間柄にあり、日本の核開発に関して、或いは核兵器の世界的拡散に関して、両者とそれぞれの背後に居る勢力にはどうやら方針が真逆にあるように見受けられる。つまり、日本の核兵器原料の供給とその流通を推進する勢力とそれを阻止しようとする勢力だ。御巣鷹山事変は明らかに、そしてひょっとしたら311も、こうした大きな枠組みの中で起きた事件として捉えることが出来るだろう。
------------------(nqlab:引用[2]ここまで)----------------------

123便事件の真相究明を徹底するならば、話は第2次世界大戦、またそれ以前の歴史にまで遡らなければなりません。nqlab さんの記事は、敢えてその難しい領域にまで踏み込んでいる点に驚嘆します。また、歴史を深く詳細に追っていけば、日本の闇組織クロカモの正体、そして、世界の諸外国との闇の関係がはっきりと見えてくるでしょう。

nqlabさんのこの記事に出てくる諸外国と日本との関連性を改めてここで整理します。

(1)米国 :核燃料の提供
(2)ソ連 :核燃料の提供、現ロシア
(3)中国 :核開発の提携(田中角栄・中曽根康弘 政権時)
(4)北朝鮮:旧陸軍の核研究施設、現在の核施設基盤
(5)ドイツ:旧軍核研究者、湯川秀樹博士との不透明な関係

核繋がりでこれだけの国々が見えてきます。これに、次の諸外国を加えてみましょう。いずれも核開発の話題に欠いてはいけない国々です。

(6)フランス :核開発の先進国、福一で同国アレバ社の浄水機を導入
(7)イスラエル:世界屈指の核シミュレーション技術、小型核の最大保有国
(8)イラン  :日本と核開発の提携(平和利用?)
(9)その他の核保有国(英国、インド、パキスタンなど)

以上のように、「核開発」をキーワードとするだけで、いつものお決まりのメンバー国の顔が見えてきます。そして、この中には、1985年の御巣鷹事変における紛争当事国、(1)米国、(2)ソ連の名前が含まれています。同時に、同年、米・英・日・仏・独の5ヶ国間で電撃提携された「プラザ合意」で日本と同じく不利な条件を飲まされた(5)ドイツ、(6)フランスの名前も見えてきます。ここから、プラザ合意成立の背景に御巣鷹事変、更にその深層部には核・化学兵器ビジネスを巡る世界的な対立構造が存在したと考えられるのです。余りに大きなテーマなので、「プラザ合意」と御巣鷹事変の関係については追って記事にしたいと思います。

123便絡みで私が最も注視ている国際関係は、実は、隣国である(3)中国、(4)北朝鮮、そして、歴史的に(4)とは切り離せない韓国との関係です。以下に、その根拠となるB氏の証言を何点かご紹介しましょう。

>>>「中国と中曽根政権の親密な関係」

 中曽根康弘氏は、言わずと知れた御巣鷹事変当事の日本の総理大臣です。8月12日の大惨事にも拘わらず、3日後の8月15日には靖国神社を首相として公式参拝。中国政府は公式にこの参拝を非難しました。また、有名な「不沈空母」発言などで、思想的には親米反中派の首相と一般には思われています。これに対し、B氏は次のように付け加えます。

「中曽根さんは親米反中のイメージが定着していますが、その実は明らかな親中派です。そして、その実情を知る民族団体からは常に命を狙われている人でした。これは一切報道されていませんが、首相在任時、都内のある寺社を訪れた時、墓地の勝手口から侵入した刺客にあわや銃殺されかけたことがあります。警護に付いたSPの機転により最悪の事態は逃れましたが、もう少しで歴史的な首相暗殺事件になるところでした。」

中曽根元首相が中国とどのような親密な関係を築いていたかまではお話いただけませんでしたが、それが nqlab さんの指摘する「原発利権(核兵器ビジネス)」と関係するならば、同元首相が123便事件で沈黙を守る、あるいは事件の隠蔽を指揮する蓋然性が極めて明瞭に説明できます。

>>>「瀬島龍三、中国と旧帝国陸軍の関係」

 123便事件における陰謀論のほとんどは、中曽根康弘氏(当時首相)がその隠蔽指揮の中心人物であると指弾しておりますが、私は、中曽根氏のブレーンで元帝国陸軍参謀、伊藤忠商事元会長の瀬島龍三氏こそが、全ての絵を描いた人物であると睨んでいます。その瀬島氏本人も「俺が中曽根を使っているんだ」と周囲に漏らしていたと言います(*1)。瀬島龍三氏、および中国と旧帝国陸軍の関係について、B氏は次のように語ります。

「私の上司(諜報関係者)も瀬島さんについては多くを語りませんでした。ただ、『あいつは裏のある男だ』とよく言っていたのを覚えています。彼は、貧しい幼少時代を過ごし、刻苦勉励して陸軍大学を主席で卒業、若くして参謀本部入りした。終戦後はシベリア抑留者となり、11年後に帰国。伊藤忠商事に入社し会長となるなど(*2)、苦労人としてのイメージが定着しています。しかし、そんなものははっきり言って後から作られた話です。彼は陸軍幼年学校を出ていますが、貧しかったり、一般農家の子弟が、高い私費を求められる幼年学校に通えるはずがありません。その一点だけでも、瀬島さんが将来の指導者となるべく、幼い頃から選ばれた人物であることが伺い知れるのです。」

ちなみに、瀬島氏の出身は、富山県小矢部市鷲島。現在の地名からの判別は難しいですがいわゆる加茂の里です。確たる根拠はありませんが、瀬島氏が当初からソ連と内通していたソ連のスパイではないかとする説、シベリア抑留はあらかじめ瀬島氏とソ連側の秘密交渉によって図られていたとの説は、B氏をはじめ瀬島氏を知る人の心に今でも浮かぶ疑念であるようです。続いて、旧帝国陸軍と現中国政府の関係について、B氏は次のように語ります。

「中国北京政府の現諜報部隊、工作部隊を作り上げたのは旧帝国陸軍です。そして、現在に至るまで日本とのコネクションは健在です。しかし、瀬島さんがお亡くなりになってからはずいぶんと抑えが利かなくなったようですね。昨年(2010年)、藤田工業の社員4人が中国当局に逮捕されるとの事件がありましたが、藤田工業とは純然たる旧陸軍系企業であり、かつての関係からはあり得ない出来事です。何があったのでしょうか。結局、4人の解放のために現役の陸上自衛隊関係者が中国に渡って交渉を行ったようです。」

瀬島氏と旧帝国陸軍、そしてソ連と中国への繋がり。まだ充分な確証がある訳ではありませんが、御巣鷹事変の背景に旧帝国陸軍の影が散らつく以上、その関係国である中国の関与を無視する訳にはいきません。

*1 「俺が中曽根を使っている」: 出典「沈黙のファイル―『瀬島 龍三』とは何だったのか」 新潮文庫 共同通信社社会部 

*2 伊藤忠商事と瀬島龍三:伊藤忠商事が戦後賠償ビジネス(日本国民の税金)で焼け太った企業であることは忘れてはならない。インドネシア、韓国、中国、これらのビジネスの参入先は、旧帝国陸軍の進駐先である。旧帝国陸軍のネットワークはこのように戦後も生きている。ついでに、オイルショック時(1974年)に買占めによる価格操作をしたのもこの企業であることを記しておく。この他、住友銀行と自衛隊との黒い関係についてもいずれ明らかにしなければならないだろう。

>>>「北朝鮮は日本の核開発の拠点か?」

北朝鮮に関する nqlab さんの話は衝撃的ですが、本ブログでも北朝鮮に関する話題を紹介したことがあります。それは、B氏による推測で、123便に積まれていただろう核兵器は、米国の監視が手薄い大阪港から、シンガポールまたは北朝鮮に輸出するつもりだったのだろうというものです。初めてこの話を聞いた時は、北朝鮮が登場する意味を深くは理解できなかったのですが、旧帝国陸軍時代から続く核関連施設がそこにあるとすれば、話としては大納得です。

その話から更に類推すると、結局、北朝鮮という国も、中国同様、旧帝国陸軍関係機関、つまりクロカモの傀儡国家ということになります。考えてみれば、日本人拉致問題など、両国間に深刻な溝があるにも拘わらず、戦争状態にもならず、何故に資金援助、食糧援助、そして民間における送金が可能なのか、国際常識的には理解不能な関係が続いています。結局のところ、緊張する日中関係および日朝関係も、同じく日本という国家を傀儡にしているクロカモの自作自演だったのではないかという推測に帰結するのです。そして、北朝鮮がそうであるなら、クロカモ寄りと見られる米国CIA、韓国KCIAが支配する韓国もまた、同じ穴の狢であると類推されるのです。

>>>「フェデックス80便の積荷は北朝鮮からの核燃料という情報」

2009年3月23日、成田国際空港でフェデックス80便が着陸直前、突風に煽られ横転したという事故が発生しました(参照:Wikipedia フェデックス80便着陸失敗事故)。この報道を見ておかしいなと思ったことがあります。最初の報道では滑走路への進入から横転までのビデオ映像を流していたのに、1時間後の報道からは、横転した後の映像しか流さなくなりました。肝心な所を隠す同じような報道パターンは、実は123便事件の時にも見られています。


写真2:事故を起こした同型機(Wikipediaより)

後に、色々な憶測がネットに流れ、意図的に横転させられたのではないかという陰謀説が流れました。この点についてB氏に尋ねたところ、次のような情報があると聞かされました。

「フェデックスの積荷は北朝鮮から入手した核燃料だとの情報があります。受け取り手はドイツ政府。どうやらIAEAの査察前に総量の帳尻を合わす為に緊急輸入をしようとしたらしい。破壊工作をしたのは米国の機関だと思いますが、ドイツ政府だけでなく、密輸に加担した日本に対して警告する意味で成田で仕掛けたとのことです。」

この情報を確認するために、私は放射線測定器を持って成田空港周辺を自動車で周回しましたが、有意な値は観測されませんでした。ただし、その後に成田公安の車両にしつこく付け回されただけでなく、休息に入ったハンバーガーショップにまでぞろぞろと公安関係者が闖入してきたのには閉口しました。ただ収穫だったのは、その人員の中に米国空軍関係者が加わっているのを確認できたことです。特徴のある着衣から判別できました。彼は成田公安と一緒に何をしていたのでしょうか?(*3)

話は脱線しましたが、この情報が事実だとすれば、核開発を軸に日本と北朝鮮が繋がっていることは明らかになります。また、ドイツという国が、第2次大戦の同盟国のよしみか、日本サイドに立って裏の核兵器ビジネスに参加している事実も見えてきます。同時に、日本の核開発を面白く思っていないグループの存在も浮き彫りになってきます。このようなグループの存在と対立の構造こそが、福島の災害の発端となったと類推されます。全ては闇の中ですが、本記事の傍証として参考になるかと思い取り上げました。

*3 成田公安:千葉県成田市にある成田空港とその周辺はクロカモの拠点の一つ。成田の秘密とそこに配備されている成田公安の特殊性については別の記事で情報提供をしたいと考えています。


以上、中国・北朝鮮と日本の核兵器ビジネスとの関連性について、B氏の情報を元に推論を組み立ててみました。この他、核に関する(6)フランスと日本の関係も無視できないものがあります。そして、全ての関係国の背後で巧妙に動き回る(7)イスラエル。イスラエル関係機関の特徴は、例えて言うなら、中立を装いながら対立する両者をけしかけ、両方に武器を売るというものです。イスラエルが福一の事故後、一早く大人数の医療団を日本に送り込んできた理由は何か?また、イスラエルの新興製薬企業(デパ)が、日本の製薬会社(太陽製薬)を急いで買収した理由は何か?福島だけでなく、123便事件にも当然絡んでくるだろうイスラエルについても論証は欠かせません。そこには、123便事件当時、泥沼のイラン・イラク戦争での決定打を求めていただけでなく、常日頃イスラエルを敵視する(8)イランという国の存在も忘れてはなりません。これらの国と核兵器ビジネス、日航機事件の関連については、追って論証を加えたいと思います。

なお、象徴的に国の名前を使っていますが、現実の闇組織とは国家の枠を超えた超国家的組織であると考えられます。複数の国家に跨る組織があれば、それと利害対立するグループも当然ながら国家の枠は当てはまらないでしょう。そして、最終的にはそのようなグループ間の対立と見える構造も、どこかの小国、少人数の特殊な人々によって上手に演出されているのだと、私は予見しています。

 * * *

今回の記事で示したように、123便事件(御巣鷹事変)の政治的背景を解釈する手法として、123便の問題の積荷が何であったかを思考実験するのは非常に有意義です。積荷の中に「核兵器」があったと仮定するだけで、現在に至る実に多くの事実が結び付いてきます。図らずも、石波元防衛大臣が「核開発能力誇示のために原発は必要だ」と本音を漏らしてしまいました。原因はともあれ、福一の原子炉が破壊され、核汚染が深刻化している現状を見れば、原発を有することは核兵器製造以上に国土防衛上不利であることが明らかであるにも拘わらずです。

石波氏の発言も裏を返せば、一旦手を付けた核兵器ビジネスから最早引き返せないんだということでしょう。これまで日本国民を欺き続けていたのならば尚更です。憲法第9条の尊守も非核三原則の徹底も全て茶番であったのですから。

私は、自分がクロカモと呼ぶ人も、世間で原発マフィアと呼ばれる人も、全ての人を許すつもりです。だからお願いです。真実を我々に語ってください。そして、高天原山の尾根(御巣鷹の尾根の正式名称)に眠る私たちの同胞に一言お詫びを伝えてください。美しい日本、美しい世界の再興はきっとその時から始まるはずです。


QUORUM REMISERITIS PECCATA REMITTUNTUR EIS QUORUM RETINUERITIS DETENTA SUNT
だれの罪でも、あなたがたが赦せば、その罪は赦される。だれの罪でも、あなたがたが赦さなければ、赦されないまま残る。
(ヨハネの福音書 第20章23節)


南の島 フィリピンより
管理者 日月土

※コメントは公開されません。重要コメントには記事内でお答えしたいと思います。

太平洋戦争戦没者慰霊のご報告−そして日本の黒い霧

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ここ数週間、フィリピンに在住しているこの時を利用して、連合軍・日本軍合わせて35万人余、現地居住民を含めれば100万人を超える犠牲者を出した、太平洋戦争時の比国内激戦地を戦没者慰霊のため訪問しました。今回の記事は自ら撮影した写真を中心に、慰霊の記録としてご報告させていただきます。また、フィリピンと日本、連合国(米国)について簡単な考察を加えてみました。

※フィリピン戦線全般に関する一般的な歴史的経緯について、詳細はこちらをご覧ください(Wikipedia「 フィリピンの戦い」)


■バターン・カパス=ルソン島「死の行進」

※一般的な歴史的経緯について、詳細はこちらをご覧ください(Wikipedia「バターン死の行進」)


写真1:カパスにある平和モニュメント
収容所のあるカパスまで、米軍、比軍の捕虜を歩かせる間に、不足する食料、炎天下における長距離の行進で、多くの捕虜が倒れたという。ただし、現地を知る私としては、ルソン島の夏の日差しはそこそこ強いが、日本のように多湿ではないため、仮に摂氏40度近くても日本のように汗が噴出し意識が朦朧とするようなことはない。しかも、現地の古老の話では昔のルソンは、今みたいに暑くなかったという。30度を超える日の方が珍しかったとも聞く。乾いた空気の下では摂氏30度も過ごしやすい気温となる。フィリピンでは米軍を解放軍と認識するプロパガンダが行き届いているため、この「死の行進」にもかなり誇張が含まれていると思われる。かといって傷病兵など犠牲者が全くなかった訳ではないだろう。戦争とは事後の戦史編纂まで含めてその一環なのであろうから。


写真2:旧マバラカット海軍航空隊基地付近から望むアラヤット山
マバラカット基地は、関行男大尉率いる太平洋戦争最初の神風特攻隊の出撃基地となった。平野部に忽然とそびえるアラヤット山は、基地に帰還する航空機の目印になったという。この美しく悠然とした山は、現地でも神の住まう山として崇敬されている。最初の神風特攻隊長となった関行男大尉の銅像もこの地に建造されていた。


■リモン峠=レイテ島「リモン峠の戦い」

※一般的な歴史的経緯について、詳細はこちらをご覧ください(Wikipedia「レイテ島の戦い」)


写真3:戦後、日本人により建立された慰霊碑。
リモン峠にはこのような慰霊碑が多く建てられ、ここで行われた激しい戦いと、残された遺族・関係者の悲痛な思いを偲ばせる。ちなみに、私(日月土)の祖父は徴兵されレイテ島で亡くなった。語学(英語・独語)が達者な人だったと聞かされているで、おそらくこの地に移動してきた通信隊に所属していたと想像される。全ての戦没者及び我が亡き祖父に合掌。


■タクロバン=レイテ島「アメリカ軍上陸」

※一般的な歴史的経緯について、詳細はこちらをご覧ください(Wikipedia「レイテ島の戦い」)


写真4:タクロバンにある日本人戦没者慰霊碑
現地でたまたまお世話になった方のお母様が、戦争中のことを覚えておられるので話を伺った。「日本の兵隊がいた頃はたいへんだった。日本兵にはひどい目にもあった。戦闘が始まるとみんな山の中に逃げた。戦闘中は米が作れないので、食べ物がなくて辛かった。」等々。思わずこちらが「日本人が皆さんを苦しめたのなら、謝ります。ごめんなさい。」と伝えたところ、彼女は「いいえ、あれは戦争だったのよ。」と笑って答えてくれた。まるで、慰霊に訪れた私が慰霊されたかのような、心安らぐ瞬間だったことは生涯記憶に留めたい。彼女の言葉を胸に、美しい湾岸沿いに建てられた慰霊碑を訪れ、平和を祈った。


写真5:マッカサーの再上陸モニュメント
タクロバンはアメリカ軍の上陸地点。"I Shall Return(私は必ず戻ってくる)"で有名なマッカーサーがかつての植民地に再上陸したのもこの地点だ。フィリピンでは、マッカーサー上陸の日(10月20日)を「解放の日」と呼んでいるが、それについて私はかなり異論がある。まず、マッカーサーの父(アーサー)がフィリピンで行った激しい植民地弾圧と、日本によるフィリピン独立運動の支援という歴史的事実が忘れられている。そして、日本の独立支援運動が突如中止にされたこと、マッカーサー父子が後に在日米国大使館付の武官に就任したこと。国際軍事評論家のB氏によると、なんと、マッカーサー(子、ダグラス)のは日露戦争の際に観戦武官として日本海軍の艦船に乗船していたという。マッカサーと日本の付き合いは、第2次大戦後が初めてではなく、それよりかなり前に深い所で始まっていたのである。ちなみに、マッカーサー家が英国貴族の血脈であり、家族内にロスチャイルド家との繋がりがあることには注意を喚起したい。また、本人がフリーメーソンの一員であることは陰謀論の世界ではもはや常識となっている。


■スリガオ海峡=レイテ島・ミンダナオ島「スリガオ海戦」

※一般的な歴史的経緯について、詳細はこちらをご覧ください(Wikipedia 「レイテ沖海戦」)


写真6:スリガオ海峡
レイテ島南東部、アナハワンの海岸からスリガオ海峡を臨む。海峡の向こうに見えるのはミンダナオ島北部に連なるディグナット島。潮が速くこんな狭い所で艦隊同士が戦闘をしたというのがちょっと信じられなかった。国際軍事評論家B氏によると、この戦闘不向きの海峡を敢えて攻めることこそが、敵の裏を掻く日本海軍の作戦だったのだが、連合国軍は日本海軍の作戦を読みきっており、むしろ海峡の速い潮流と潮の高低差を上手く利用した魚雷艇攻撃により、日本軍を撃破したとのこと。この海戦で西村艦隊、志摩艦隊の若く優秀な海兵たちが数多く戦死し、日本海軍にとって大きな痛手となった。合掌。


■ダバオ=ミンダナオ島「フィリピン諸島戦、後期の戦闘」

※一般的な歴史的経緯について、詳細はこちらをご覧ください(Wikipedia「ミンダナオ島の戦い」)


写真7:ダバオ郊外ミンタルの墓地にて
フィリピン戦の後期には連合国軍がミンダナオ島に上陸開始、ここダバオでは日本軍が連合軍の攻撃を受け2ヶ月間防衛を続けたが、やがて後退へ。慰霊碑は、ダバオ郊外のミンタルにある現地の洋式墓地の中に幾つも建立されていた。赤道に程近い、南国の照り付ける強く明るい日差しが、かえって、ここで起きた戦闘の激しさとご遺族の深い悲しみを対比させる。


図1:今回の慰霊先の見取り図


■フィリピンの戦いと日本の黒い霧

B氏よると、フィリピン戦には軍事常識的に考えると不思議な点が幾つかあるといいます。まず、米国海軍はもとより陸軍参謀本部もフィリピンへの上陸ではなく、台湾に進攻し日本軍を叩き、フィリピン駐留軍を孤立させ日本本土を攻めるべきだと主張していたのに対し(その方が犠牲も消耗も少ない)、マッカーサーはフィリピン進攻に強くこだわったていたとのことです。海軍提督ミニッツとの個人的な確執や、「(かつて自分が在任していた)フィリピン国民との約束」という理由がまるで美談のように語られていますが、果たして軍の指揮官がそんな情緒的な理由で上層部の指示する作戦にそこまで抗う必要があったのでしょうか?

また、太平洋戦史でよく話題になる栗田艦隊「謎の反転」ですが、歴史に「もしも」は禁物とはいえ、もしも、栗田艦隊が反転せずレイテ島に向かっていれば、海上戦が不得手なマッカーサー率いる上陸艦隊は大打撃を受けていただろうし、マッカーサーの生死も危うかっただろうと言われています。太平洋戦史は栗田艦隊の判断一つで明らかに変わっていたはずなのです。世界の海戦史のほとんどを研究したというB氏も、「栗田艦隊の反転理由だけは未だに分からない」と言っています。これだけでも怪しい話ですが、敗戦後、どん底の経済状況の中、栗田艦隊関係者がどこからか資金援助を受け、現在の栗田工業を設立したのは有名な話です。このように考えると、1981年、栗田工業の社長子息がフランスで起こした猟奇事件も歴史の闇と何か関連があるように思えてなりません。ちなみに、その社長はこのブログで何度も取り上げている疑惑の企業「伊藤忠商事」からの出向社長です。(参考:パリ人肉事件)

翻って陸軍関係の話題ですが、フィリピン国内では、どこに行っても旧帝国陸軍の隠し財宝の話が話題になります。いわゆる山下財宝、M資金などの話の元になっている噂です。地元の人に聞く典型的な話は、「日本軍に借り出され、港から物資を輸送。山に穴を掘り、それを隠した後で殺され同じ場所に埋められた。その後、地元民を殺した一般兵士も上官に殺され、やはり同じ場所に埋められた。」というものです。何だか武田信玄の芸者舞台に似た話です。話を冷静に聞くと、少なくとも
 ・何かを運び込んで埋めていた。
 ・従軍労働後に殺された人(地元民・日本兵)がいる。
というのは事実のようです。私の居住する地域では、旧陸軍の敷設した立派な舗装道路が山岳部に残っているし、その近辺で実際に金塊を掘り当てた人物もいます。また、身内が日本兵に殺されたということで、今でも日本を憎んでいる一家があり、日本人の一人歩きを注意されることもあります。以上を総合して私が現地で受ける印象、それは「帝国陸軍は本当にここで戦争をしていたのだろうか?」というものです(*1)。同時に、マッカーサーがフィリピン占領に固執した事情と、フィリピン国内に帝国陸軍が隠した「何か」とは密接な関係があるのではないかという疑いが強まります。

さて、これまでに私が会った、ある歴史研究家の調査によると、戦前に存在した日比友好協会(これが正式名称かどうか自信がありません)の日本人会長は紀州徳川家直系の人物だったと言います。時系列的には、当時フィリピンの実質的支配者であったマッカーサー家と日本の徳川家がこの時点で極めて親密な関係であった可能性が伺えるのです。これを裏付けるように、敗戦後、日本に駐留したマッカーサーが採用した日本人秘書が、まさにこの徳川家の人物の子息(養子)であり、元陸軍情報部の仕官でもあった人物と聞いています。またその実の親は西部グループの生みの親で、政治家・実業家の堤康次郎であるとも聞き及んでいます。当然ながら堤義明氏や堤清二氏とも異母兄弟の関係ですが、康次郎には庶子が多くその多くが政財界に養子に出されているため、小泉純一郎、安部普三、麻生太郎、鳩山由紀夫など、近年の総理経験者、当然その親の代・祖父の代ともどこかで血が繋がっていると考えられています。裏が取れている情報ではないので断定はしませんが、現代史にご興味がある方はぜひ調べてみてください。もしも、こうした話が事実ならば、

  ロスチャイルド家−マッカーサー家−徳川家−堤家→日本政財界
      (フリーメーソン)

が一線で繋がることになり、太平洋戦争は特定の一族が定めた出来レースであった疑いが極めて強くなるばかりでなく、現在に至るまで日本の政財界(軍)がこれらの一族=旧華族ネットワークに支配されている構図が見えてきます。そして、その旧華族の長と呼ぶべき徳川家(主に尾張徳川)こそが、私が本ブログの日航機123便関連記事で「クロカモ」と呼ぶ、日本の闇組織の中核グループの一つであるだろうと、確信しているのです。徳川は死んでいない。というより、明治維新そのものが、初めから英米西欧諸国、薩長連合と結んだ壮大な茶番であった可能性すらあるのです。我々はそろそろ、作家司馬遼太郎氏が作り上げた虚構の現代史「司馬史観」から離れなければならないようです。


写真8:徳川の隠れ里、愛知県新城市

ここまで、フィリピンを巡る日本と米国の関係を中心に述べてきましたが、この国の政治に最大の影響力を持つ彼の国については敢えてまだ触れていません。フィリピンが最大の資金源であり、現アキノ政権を事実上の支配下に置く国家。その国家こそ、ここフィリピンにおいて日米の密約を取り持ち、日航機事件の最高機密をもコントロールする隠れた影響力を有する国家(または機関)であることが段々と分かってきました。この慰霊報告を書き上げたところで、そろそろその正体を明かす時がやってきたようです。


*1 戦争をしていたのか?:日本人帰還兵、小野田寛郎氏の話も謎が多い。現地フィリピンでは、農作物や家畜を盗み、村の婦女子を暴行する厄介者として長く迷惑がられていたと聞く。徹底抗戦を心に決め密林に篭り、日本人青年の説得に応じて姿を現したとする日本の報道とあまりに違う。日本では本人の決断で現地軍に投降したことになっているが、こちらではあまりの狼藉振りにフィリピン軍がとうとう身柄を拘束し、日本政府に引き取らせたという事になっている。どちらが真実なのか?本人は旧陸軍中野学校で訓練を受けた工作員。後のインタビューで、ラジオを自作し戦争が終わったことも、新幹線が開通したこともみんな知っていたという。事物を冷徹に判断すべき工作員が「母国は米国の傀儡だから帰りたくない、反撃を待つ」を理由に果たして現地に30年近くも留まるだろうか?日本帰還後、そんなに時間を置かず結婚相手を見つけ、半年後には兄弟のいるブラジルに移住したというのも、ちょっと考えると出来すぎた話だ。同じくグアム島からの帰還兵、横井庄一氏の場合も帰国後すぐに結婚相手を見つけている。まるで宛がわれたかのように。私は、小野田氏の場合は特に、戦後も現地で戦争とは直接関係のない何らかの特殊任務を継続していたのだろうと疑っている。


 * * *

以上、慰霊のご報告と共に、フィリピン諸島における戦争で日本陸海軍・マッカーサー上陸軍が取った奇妙な行動とその関係性を推察してみました。私が強く思うのは、もしもそのような疑念が事実であったとしたら、あの戦争における英霊の皆様の死は何だったのか?私の祖父の死はいったい何だったのか?という、率直な疑問です。それだけでも祖霊に対する大きな裏切りなのですが、仮にそれを除いても、戦後の日本は、123便事件では罪無き民間人紛争犠牲者を事故死であると嘘で誤魔化し、今回の福島原発事件では、国土を著しく穢し、国民の健康や生命まで損なおうとしています。この慰霊旅行中、私は本当に英霊の皆様の子孫として恥ずかしかった。何でこんな国になってしまったのか。私は、墓標の前でお詫びの言葉を告げると共に、母国日本のために、たとえ微力であっても、自分のできることをやり遂げますと、神々そして英霊の皆様に誓ったのです。


        奉歌

ひふみゆら、ひふみゆらゆら、ひふみゆらゆら。

かけまくも、かしこけれども、歌たてまつる。
御まへに、歌たてまつる。弥栄み歌を。
世を救ふ、大みゐわざぞ。みことかしこし。
まさに今、神のみことを、このみみに聞く。
三千世界、救ふみわざぞ。言ただし行かな。
大神の、しきます島の、八十島やさか。
天かけり、地かける神も、みひかりに伏す。

堪へに堪へし、三千年の、イワトひらけぬ。
したたみも、いはひもとほり、神に仕へむ。
大稜威、あぎとふ魚も、ひれ伏し集ふ。
かむながら、みことの朝を、みたみすこやかに。
神の子ぞ。みたみぞ今の、この幸になく。
国原は、大波うちて、みふみを拝す。
天もなく、地もなく今を、みことに生きん。

大みつげ、八百万神も、勇みたつべし。
天地の、光となりて、みふで湧き出づ。
一つ血の、みたみの血今、湧きて止まらず。
大みこと、身によみがえる、遠つ祖神の血。
すでに吾れ、あるなし神の、辺にこそ生きん。
高鳴るは、吾か祖の血か、みつげ尊し。
吾れあらじ、神々にして、祈らせ給ふ。

天地も、極まり泣かん、この時にして。
かつてなき、大みつげなり、たたで止むべき。
天地も、極まりここに、御代生れ来ん。
大き日の、陽にとけ呼ばん、くにひらく道。
みことのり、今ぞ輝き、イワトひらけん。
宮柱、太しき建てて、神のまにまに。
抱き参らせ、大御心に、今ぞこたへむ。

言いむけ、まつろはしめし、みことかしこし。
ただ涙、せきあへず吾は、御まへに伏す。
ささげたる、生命ぞ今を、神と生まれます。
大まへに、伏すもかしこし、祈る術なし。
今はただ、いのちの限り、太道伝へむを。
祈りつつ、限りつくさん、みたみなり吾れ。
いのち越え、大きいのちに、生きさせ給へ。

ひたすらに、みことかしこみ、今日に生き来し。
言霊の、言高らかに、太陽にとけな。
天に叫び、吾れにむちうち、今日に生き来し。
あらしとなり、あまかけりなば、この心癒えむか
走りつつ、今海出づる、大き月に呼ぶ。
みみかくし、生命と生れて、遠つ祖神さか。
神々の、智は弥栄え、此処に吾れたつ。

みたみ皆、死すてふことの、ありてあるべき。
あな爽け、みたみ栄あり、神ともに行く。
さあれ吾の、生命尊し、吾を拝みぬ。
みづくとも、苔むすとても、生きて仕へん。
いゆくべし、曲の曲こと、断たで止むべき。
かへりごと、高ら白さんと、今日も死を行く。

追ひ追ひて、山の尾ことに、まつろはさんぞ。
追ひはらひ、川の瀬ことに、曲なごめなん。
みことなれば、天の壁立つ、極み行かなん。
と心の、雄たけび天も、高く鳴るべし。
まさ言を、まさ言として、知らしめ給へ。
たな肱に、水泡かきたり、御稲そだてんを。
むか股に、ひぢかきよせて、たなつつくらむ。

狭田長田、ところせきまで、実のらせ給へ。
神々の、血潮とならん、ことに生き行く。
言さやぐ、民ことむけて、神にささげん。
にぎてかけ、共に歌はば、イワトひらけん。
大き日に、真向ひ呼ばん、神の御名を。
道端の、花の白きに、祈る人あり。
拍手の、ひびきて中今の、大きよろこび。

悔ゆるなく、御まへに伏し、祝詞申すも。
祝詞せば、誰か和し居り、波の寄す如。
のりと申す、わが魂に、呼ぶ何かあり。
御まへに、額づきあれば、波の音きこゆ。
悔ゆるなき、一日ありけり、夕月に歩す。
曇りなく、今を祝詞す、幸はへたまへ。
奉る、歌きこし召せ、幸はへ給へ。

ひふみよい、むなやここたり、ももちよろづう。

(日月神示 黄金の巻 第四十四帖より)


MEMORIA IUSTI CUM LAUDIBUS ET NOMEN IMPIORUM PUTRESCET
SAPIENS CORDE PRAECEPTA SUSCIPIET STULTUS CAEDITUR LABIIS
QUI AMBULAT SIMPLICITER AMBULAT CONFIDENTER QUI AUTEM DEPRAVAT VIAS SUAS MANIFESTUS ERIT
QUI ANNUIT OCULO DABIT DOLOREM STULTUS LABIIS VERBERABITUR
VENA VITAE OS IUSTI ET OS IMPIORUM OPERIET INIQUITATEM
ODIUM SUSCITAT RIXAS ET UNIVERSA DELICTA OPERIT CARITAS
神に従う人の名は祝福され 神に逆らう者の名は朽ちる。
知恵ある心は戒めを受け入れ 無知な唇は滅びに落とされる。
完全な道を歩む人は安らかに歩む。道を曲げれば知られずには済まない。
嘲りのまなざしは人を苦しめる。無知な唇は滅びに落とされる。
神に従う人の口は命の源 神に逆らう者の口は不法を隠す。
憎しみはいさかいを引き起こす。愛はすべての罪を覆う。
(箴言 第10章7-12節)


南の島 フィリピンより
管理者 日月土

2011年晩秋 日本一時帰国レポート

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先月(11月)下旬から今月の初めまで、所要のため日本に帰国しました。

内部被曝を極力低減するため、今回は、東日本へは一切立ち寄らず、食事もフィリピンから持参の物を中心に、西日本山系の飲料水と、地元の農産物と確認できるものを時折買い求めて空腹を凌ぎました。とは言っても、付き合い上の外食は全部断りきれないので、「大丈夫かなぁ」と思いつつ、出された肉・魚に箸を伸ばすこともありました。

メニューに気をつけていたこともあり、とりあえず、九州・四国で食べたものでは、ほとんどダメージを感じませんでした。私の場合、ある程度放射能汚染されたものを食べると、頭部の特定箇所に痛みを覚えるので、それが汚染センサーの代わりになっています。むしろ、食事よりも、移動で使った新幹線車内の汚染度合いがひどかった。頭痛と鼻のつまり、喉の痛みが降車後数10分近く続きました。一方、ローカルの一般特急の場合にはそのような体調の変化は起こりません。

今回の帰国では、日本西部がどれくらい放射能汚染されているか気がかりだったのですが、空気・食品に関しては九州・四国はまだ何とかなるとの感触を掴みました。ただし、汚染瓦礫の地方での焼却や、汚染食材・物資の流通が進むとそれもどうなるか分かりません。何よりも、福島からの放射能漏洩がいつ収束するか全く目処がたたないのが、最大の気がかりです。


■久々に神社へ参拝

所要の合間を縫って、フィリピン戦慰霊の報告のため、大分の宇佐八幡を参拝しました。宇佐はかつて旧海軍航空隊の基地があった土地で、神風特攻隊やレイテ海戦とも縁が深いと聞き及んでいます。現在の酷く穢された日本を英霊の皆様がどう思われるか、内心忸怩たるものがありましたが、それでも祖国であることには変わりありません。どうか、この地で我々を最後まで見守っていただけますようにと、神前でお願い申し上げました。


写真1:宇佐八幡(奥宮)


なお、入国当初から再び監視行動を受けることになりましたが、この辺のことはいくら書いても頭のおかしい人の誇大妄想にしか聞こえないと思いますので、そういう事実があったとだけ記します。1985年に起きた日航機事件は、国体の本質を揺るがす大事件でありますが、今現在、福島放射能汚染の現実を鑑みるにつけ、もうこの国の国体が事実上崩壊していることは、私のブログを読んでくださる皆様ならとっくに認識されていることでしょう。

この非常時に日航機事件を蒸し返すことの意義については、日々考えさせられるものがあります。帰国中、私の頭上に超低空で出現する自衛隊ヘリを見ながら私はこう思いました。

「あなたたち、そんなことをしている場合か?」

私が日航機事件の真実のほぼ全貌を掴み、その証拠を握っているのは間違いないのですが、それをこのブログで公開したところで、また阻止されたところで、今日本で始まりつつある悲劇に比べればもはや取るに足らない問題のような気もします。

私が、それでも日航機事件を書き続ける理由はただ一つです。罪なき犠牲者、同胞達を事故という形でこの世から葬り去ろうとした。それを全て為政者のせいにするのは簡単ですが、その為政者を許したのは結局私たちです。同じ日本人としてその贖罪を果たすことは一生の義務だと思うからです。福島の悲劇の原型が日航機事件の中に全て見出せます。


* * *

フィリピン帰国直後、被曝処置を施しました。被曝量が少なかったせいか、好転反応も穏やかでした。同国産の白米と天然フルーツを頬張りながら、安心して食事ができる喜びと恵みを、神とフィリピン国民の皆様に感謝しました。


NAM ET QUI CERTAT IN AGONE NON CORONATUR NISI LEGITIME CERTAVERIT
LABORANTEM AGRICOLAM OPORTET PRIMUM DE FRUCTIBUS ACCIPERE
INTELLEGE QUAE DICO DABIT ENIM TIBI DOMINUS IN OMNIBUS INTELLECTUM
また、競技に参加する者は、規則に従って競技をしないならば、栄冠を受けることができません。
労苦している農夫こそ、最初に収穫の分け前にあずかるべきです。
わたしの言うことをよく考えてみなさい。主は、あなたがすべてのことを理解できるようにしてくださるからです。
(テモテへの手紙2 第2章5-7節)


南の島フィリピンより
管理者 日月土

木下黄太さんを応援します。

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福島原発の真実を精力的に啓蒙されている木下さんが、ご自身のブログ『放射能防御プロジェクト 木下黄太のブログ「福島第一原発を考えます」』で次のような意志を表明されました。

-----------------------(転載:ここから)-------------------------
新しい国を造る覚悟をもって、闘う事を考えています。あなたは、闘ってくれるのでしょうか。

冷温停止状態を臆面もなく宣言するこの国の在り方を許容できないと考える僕がいます。徹底してこの国の崩壊を許してはなりません。新たな国造りまで、僕らの視野に入っておかないと、もはやなにもできないと思います。一緒に闘える同志が本当にどのくらいいるのかが、一番大切と思っています。

あなたは、闘ってくれるのでしょうか。

-----------------------(転載:ここまで)-------------------------

木下さん、一緒に闘いましょう。私は1985年の日航機事件の解明をきっかけに、この国の背後に潜む大きな黒い霧の存在を知りました。彼らは福島の事故と無関係ではありません。今、この霧が私たちの祖国を完全に闇の中に葬り去ろうとしています。闘う勇気だけでなく、寛容と慈愛を以って、私はこの国に新たな光を差し込みたいと願っています。

また、私のブログの読者様にもお願いがあります。木下さんのご意志にご賛同される方は、ぜひお持ちのHP、ブログ上で同志である旨を宣言されてください。



AIT EGO VOX CLAMANTIS IN DESERTO DIRIGITE VIAM DOMINI SICUT DIXIT ESAIAS PROPHETA
ヨハネは、預言者イザヤの言葉を用いて言った。「わたしは荒れ野で叫ぶ声である。『主の道をまっすぐにせよ』と。」
(四八音の福音書 第1章23節)


南の島フィリピンより
管理者 日月土

JAL123便墜落事故−真相を追う−蘇る亡霊(16)

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この記事は、「蘇る亡霊(14)」の続編となります。日航機事件の調査を執拗に妨害されている時に気がついた、調査チームメンバーの位置特定に関する考察です。本論に入る前に前回の内容をおさらいしておきます。

 (1)携帯電話が位置特定目的の発信機として利用されているようだ。
 (2)携帯電話に盗聴機能がついている可能性もある。
 (3)日本は携帯中継局が異常に多い。通信目的以外にも利用されている?
 (4)ナノチップが体内発信機として実用化されている可能性がある。

携帯電話の発信・盗聴機能については国際軍事評論家のB氏も今や常識の範疇であると語っていました。電源オフではダメ。電池を抜くのが基本ですが、最近では電池を抜いても内臓バッテリーで送信を続ける機種もあるようなので油断ができません。

今回の記事では、特に(3)の携帯中継局の利用目的ついて、そして、(4)のナノチップについては次回以降に考察を加えたいと思います。


■周囲に妨害車両は無し。では強電磁波はどこから?

S氏との現場調査時に、クロカモ部隊の電磁パルス銃による攻撃は珍しくありませんが、それでも、相手も銃搭載車両から狙ってくるのですから、衆目の多い場所に車を退避させて攻撃車両をやり過ごす、走行のタイミングをずらすなどして、車両の接近を許さなければ回避は可能です。実際にそうやって何度も危険な状況を回避してきました。

しかし、周囲に走行車両が全く見えない状況で、電磁波測定器が異常な程高いレベルを示すことがあります。これまでの測定経験から、特定の電波塔、携帯中継局が健康に影響があると思われるほど強い電磁波を出している事実には早くから気がついています。このケースでは、その中継局から離れれば自然に電磁波レベルは減衰するのですが、高速走行中のある時、周囲に車両がないのに、10分程度強い電磁波を浴びせられ続けたことがあります。こちらも100km/h前後で走っているので、特定中継局の電磁波が原因なら、すぐにレベルは下がるはずです。ところが、多少の揺れはあるものの、いつまでも高レベルを出し続けるのに首を傾げました。

私の隣に座るS氏に至っては、その鋭敏な感覚で早くから電磁波照射を感じ取り、それが長時間続くため、徐々に苦しい面持ちに変わってきます。何とか電磁波照射区域を離脱し帰宅した後、何が起きたの二人で検討しました。起きた現象から推察する限り、それが、

 (A)高速道路沿いに設置されている携帯中継局、または電波塔や
   送電塔など高位置にあるものから連続的に照射されたもの(図1)
 (B)人工衛星を使ったもの

であろうとの結論に至りました。後に検証を進めた結果、今では(A)の方式が主流であろうと結論付けています。その理由については後で述べます。(B)はあまりに大掛かり過ぎると感じますが、全くないとも言い切れません。その理由も後日述べたいと思います。


図1:高位置からの電磁波連続照射イメージ
 A地点からB地点へと移動する車両に対し、携帯中継局から
 連続的に電磁波照射を切り替える。もしかしたら、日本に
 携帯中継局がやたら多い理由はこれなのではないか?


■強電磁波を出し続ける特定中継局

連続切り替え照射については前述しましたが、それでは常時強電磁波を発している中継局は何の目的のために存在しているのでしょうか?、以下の写真1と写真2は調査活動中に発見した、強電磁波を発する中継局および、交通信号の装置に偽装?した発信機です。なお、本記事から、参考としてGoogle Mapにおける撮影地点の座標を記載しました。


写真1:冨里市の麻賀多(まかた)神社そば(※)
    高い鉄塔で、強力な電磁波発信を観測した。
    (Google Map座標:35.760025,140.279567)


写真2:成田宗吾霊堂の正門前交差点(※)
    見えにくいが、交通信号の電柱にボックス型の発信機が
    取り付けられている
    (Google Map座標:35.760025,140.279567)

    ※調査時の動画も近々アップする予定です。ご期待ください。

どちらも、クロカモの拠点都市、千葉県成田市内と隣接の冨里市内で発見したものです。共通しているのは寺社のすぐ近くであること。寺社と何か関係あるのかと思い、成田市近辺の寺社を個別に調べたところ、かなりの確率で寺社のすぐ近く、または寺社を見下ろす位置に携帯中継局や電波塔が敷設されているのを確認しました。特に、同地域に20社存在する麻賀多神社にその傾向が強いことを発見しました。この調査に慣れてくると、地形と携帯中継局の位置関係を見定めてから、寺社の大体の存在位置が掴めるようになります。

もちろん、全ての中継局が定常的に強電磁波を出している訳ではありませんが、おそらくどの局も、それが必要なときには強電磁波を発信することができるようになっているのだと予想されます。では、何でわざわざ寺社の近くに設置するのか?その理由は私にもよくわかりません。霊能力が強いと言われる私の知人によると、そこには呪術的な意味があると言います。呪文・祈祷に代わる呪詛の現代版、それが電磁波だと言うことなのでしょうか?


写真3:このアンテナもまた麻賀多神社のそば
    (Google Map座標:35.76719,140.129916)
    
以上、我々への妨害行動とは直接関係ないとは思われるものの、なぜこのような装備を敷設しているのかたいへん気になります。このような状況をクロカモ拠点地域である成田市近郊に数多く見出したことより、少なくとも、私がクロカモと呼ぶ闇集団が、日本の古代宗教と何か密接な関係のある組織であることが垣間見えてきます。ちなみに、このエリアにあるそれなりの神社仏閣は、古墳の真上、もしくは古墳のすぐそばに建てられています。それでなくても千葉県北総台地は非常に古墳の多いエリアです。歴史学的には3世半〜7世紀紀頃が古墳の世紀であり、クロカモが古代宗教に関連するとすれば、それは大和朝廷建国の時代以前まで遡る、非常に古い秘密結社、あるいはその継承者たちであると予想されます。

2年前、このブログを書き始めた頃から、日航機事件隠蔽の背後に日本の古い秘密結社が関係してると指摘してきましたが、その理由の一つがここ、成田にあるのです。成田を調べていくと、これまで度々本事件との関与を指摘してきた旧帝国陸軍・徳川家だけでなく、現天皇家との関係までもが見えてきます。極めて核心に近い話となりますので、成田の秘密については、別の記事で続編を記したいと思います。


写真4:成田近郊の寺社調査の時に待ち伏せしていた成田公安車両。
    電磁パルス銃搭載車であり、後方から私たちを狙ってきた。
    成田公安は一般警察から独立したクロカモ専属部隊とみな
    してよいだろう。ナンバーは「成田800 き5011」
    (Google Map座標:35.76719,140.129916)


■究極の嫌がらせ、パラメトリックサウンド

読者の皆様は「集団ストーカー」という言葉をご存知でしょうか?詳しくは検索等で調べていただきたいのですが、簡単に言えば、ハイテク機器などを駆使した非殺傷手段を用い、個人に対して組織的に嫌がらせを仕掛け、社会的・精神的にその個人を抹殺するという、非常に悪質で陰湿なストーキングの行為者のことです。

私を含め、日航機事件調査チームのメンバーはまさに巨大な集団ストーカーの監視を受けている訳ですが、私たちの他にも、企業や暴力団、権力機構(警察・公安・自衛隊など)から集団ストーキング行為を受け、それにも負けず闘っている人々がいます。その内の一人、Y氏とお会いし、お話を聞く機会がありました。Y氏の場合は、職場で不正を発見しそれを上役に報告したところ、その後、様々な嫌がらせを受けるようになったと言います。これは私の想像も含みますが、職場の小さな不正と見えた事柄が、実は暴力団や権力機構に繋がる大きな不正の一端であった場合、集団ストーキングとして闇組織の介入を招くようです。

Y氏の話の中で最も関心を引いたのが、「パラメトリックサウンド(Parametric Sound)」という技術を用いた嫌がらせ方法です。複数方向から波形の異なる超音波を対象者の頭部に向けて照射し、頭蓋骨で音声波形を合成させます。すると、それが骨振動音として対象者の聴覚に伝わりますので、周囲に誰もいなくても話し声が聞こえるようになります(図2)。


図2:パラメトリックサウンドの発生原理(イメージ)

この技術のターゲットとされたY氏は、やがて、一人で部屋に居ても、一人で車を運転していても常時人の声が聞こえるようになります。その中身たるや、「お前まだ生きてるの?」、「死んでしまえ」などと気の滅入る様な言葉ばかりだと言います。初めは自分の頭がおかしくなったと思ったそうですが、研究熱心なY氏は、自分で海外の文献を調べ、それがパラメトリックサウンド(以下PMSと記述)という技術を応用した嫌がらせであることを発見します。そして、自分に照射されている超音波波形の捕捉にも成功し、その波形図を私も見せていただきました。さらに、会見中も断続的にPMSを当てられているということで、目の前で超音波を可聴音に変換する実験(図3)を披露してくださいました。


図3:パラメトリックサウンドの可聴音合成実験
   PMSの原理が正しければ、波形同位相の交差位置で音声合成が可能。
   実験により現実に行われていることが確認できた。プレートの向き
   から照射方向もある程度限定できる

プラスチックのプレートを空中にかざして数秒後、「うぉ〜うぁ」という言葉とも言えない不思議な大音響がプレートから鳴り響きました。それも一度だけでなく、かざす位置を時々変えながら何度も再現することができます。Y氏によると、頭蓋骨からわずかに位置がずれているので、明瞭な音声の再現には至らないが、自分の耳にはちゃんと人の声として聞こえるといいます。


■携帯中継局:超音波発信機としても利用されている?

Y氏のお話の場合、ストーカー行為者の道義的な非道さはまさに論外ですが、同時に、この技術を個人に適用する場合に何が必要かと考えた時、用意すべき社会インフラの規模の大きさに愕然としました。

Y氏の場合、お住まいは中京方面ですが、居住地内やその近辺でのみそれが起こるならまだわかります。Y氏専属のストーカー部隊が常駐で張り付いているとみなせるからです。しかし、Y氏によると、会見のための移動中の車の中だけでなく、関東地方に到着し、私との会見中でさえも、断続的にPMSを照射され続けていたと言います。そして、それを私も実験で確認しました。移動中に不審な後続車両はなかったと言いますし、また会見場所の周囲に怪しい人物はいなかったので、少なくとも中京・東海・関東に渡る広範囲にPMSの発信装置がすでに完備されているということになります。

ここで前段の携帯中継局と話がつながります。このような超音波発信機が取り付けられる可能性があるとすれば、それは前述(A)の送電線の支柱、携帯中継局、各種電波塔しか考えられません。(B)の人工衛星については、宇宙空間からの超音波振動は考えられないので、ここでは無視してよいでしょう。また、これだけの規模のものを後から個別に設置するのはなかなか大変ですし、その目的を疑われる原因にもなります。そうだとすれば、1990年代の中頃から急速に普及を始めた携帯電話、その普及の勢いを利用して一気に、非殺傷兵器としての電磁波発信機、および超音波発信機を整備していったとは考えられないでしょうか?私は、携帯電話やPHSが普及する以前にこれらの非殺傷兵器の技術が完成しており、その完成時期を待って携帯電話の販売が促進されたと考えています。だとすれば、東芝や京セラのような携帯機器メーカー(家電メーカー)、NTTやAUのような通信事業者(*1)、許認可権を持つ総務省(旧自治省)など、みんなグルであったと言うことができます。もちろん、その兵器の恩恵を受ける、警察庁(公安)や自衛隊も含めることもできます。この構図はまさに、日航機事件の組織的な隠蔽工作を働くクロカモの支配関係に当てはまるのではないでしょうか。

PMSについて最後に1点だけ補足します。私が同席した図3の実験では、頭部からわずか10数cm程度離れた位置で、もう正確な音声は合成されませんでした。頭蓋骨とプラスチックプレートの物理構造的な違いも考慮しないといけませんが、PMSは正確に位相を合わさないと狙い通りの音声化ができない可能性があります。つまり、常に、ほぼ誤差のない精度でY氏の頭部に焦点を合わせる必要があるだろうと推測されるのです。高速移動中の車両においても頭部に焦点を合わせ続ける技術。私は、Y氏の頭部には確実にナノチップが埋め込まれているであろうと確信するのです。、


*1 通信事業者:PHS通信事業者の「アステル」は確か東京電力資本でした。PHS方式は狭い間隔で数多くのアンテナを設置しなくてはならず、当初からインフラ整備の上で不利が言われていましたが、なぜ、NTTや東電はPHSを推進したのでしょう?データ通信能力の高さが宣伝文句でしたが、結局、現在の携帯電話方式でデータの高速通信が可能になると、もはやそのメリットもなくなりました。1970年の万博で早くも携帯電話のプロトタイプを開発したNTTが、その程度の技術予測ができなかったとは到底思えません。穿った見方とお断りしますが、日本におけるPHS事業の本来の目的とは、多目的中継局の大量設置にあったのではないでしょうか?


 * * *

終末の世になると、狐付き、神懸かりが多く現れるといいます。「スピリチュアル」という言葉が広く使用されるようになり、超自然な存在と対話する不思議な能力を持つという人が、スピリチュアル系の雑誌、書籍で紹介されるようになりました。私は、自分が信仰者であることもあり、その全てを疑うつもりはないのですが、中には、本記事で紹介したPMSにより、人為的に創作された神の声を聞かされている人もいるだろうと想定しています。そして、安易に予言・預言に傾倒することを自ら戒めるようにしています。神の真意とは己の行動を通してこの世に発現するものであり、奇跡的な事象や、神懸かり的な言動として現れることは、極めて少ないと私は考えます。ましてや、PMSなるものの存在を知ってしまった今においてはなおさらです。

ET CUM PROPRIAS OVES EMISERIT ANTE EAS VADIT ET OVES ILLUM SEQUUNTUR QUIA SCIUNT VOCEM EIUS ALIENUM AUTEM NON SEQUUNTUR SED FUGIENT AB EO QUIA NON NOVERUNT VOCEM ALIENORUM
自分の羊をすべて連れ出すと、先頭に立って行く。羊はその声を知っているので、ついて行く。しかし、ほかの者には決してついて行かず、逃げ去る。ほかの者たちの声を知らないからである。
(ヨハネの福音書 第10章4,5節)


南の島フィリピンより
管理者 日月土

本日正午前、フィリピン、ビサヤ地域で地震、増え続ける犠牲者の報告

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本日、避難先のフィリピン国中部で比較的大きな地震がありました。私は北部ルソン島に滞在しているため、実害はありません。災害犠牲者の数はこれからも増え続ける模様です。アジア極東エリアの少々不自然な地震活動を示す資料として、現地の地震報道を再掲します。


引用元:
http://www.philstar.com/nation/article.aspx?publicationsubcategoryid=63&articleid=774948


Death toll in Visayas quake continues to rise

MANILA, Philippines - More than a dozen people have been reported killed in Negros Oriental province after it was hit by a strong quake before noon today.

National Disaster Risk Reduction and Management Council chief Benito Ramos reported at past 4 p.m. today that a total of seven have been confirmed killed by the agency.

Ramos disclosed that four of the fatalities were recorded in Guihulngan City, two in Tayasan town and one more in Jimalalud.

Negros Oriental Governor Roel Degamo, however, announced in a television interview that a total of 11 people have been confirmed killed in the province. He said nine of fatalities were killed in a landslide in Barangay Planas in Guihulngan City. He added that more than 20 people remain missing.

Other reports said that at least 13 people have been confirmed killed in the quake. The reports said that majority of the fatalities were recovered in Guihulngan.

Guihulngan City Mayor Ernesto Reyes reported earlier that as many as 30 houses were buried by the quake-triggered landslide. He earlier reported that 29 people were missing.Death toll in Visayas quake continues to rise

MANILA, Philippines - More than a dozen people have been reported killed in Negros Oriental province after it was hit by a strong quake before noon today.

National Disaster Risk Reduction and Management Council chief Benito Ramos reported at past 4 p.m. today that a total of seven have been confirmed killed by the agency.

Ramos disclosed that four of the fatalities were recorded in Guihulngan City, two in Tayasan town and one more in Jimalalud.

Negros Oriental Governor Roel Degamo, however, announced in a television interview that a total of 11 people have been confirmed killed in the province. He said nine of fatalities were killed in a landslide in Barangay Planas in Guihulngan City. He added that more than 20 people remain missing.

Other reports said that at least 13 people have been confirmed killed in the quake. The reports said that majority of the fatalities were recovered in Guihulngan.

Guihulngan City Mayor Ernesto Reyes reported earlier that as many as 30 houses were buried by the quake-triggered landslide. He earlier reported that 29 people were missing.

The Philippine Institute of Volcanology and Seismology (Philvolcs) measured the earthquake at magnitude-6.9. It said the quake, which was tectonic in origin, occurred in waters off Tayasan town in Negros Oriental at 11:49 a.m. with a depth of 10 kilometers.
(フィリピン火山地震局発表、現地時間午前11:49発生、M6.9、ネグロスオリエンタルのタバサン沖、震度10km)


(以下略)

災害に遭われた皆様の被害が、少しでも軽いものであることを神に祈ります。

南の島フィリピンより
管理者 日月土

フィリピンで知った福島第一原発の実情(123便関連あり)

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昨年の311津波、福1の原発事故からまもなく1年が経過しようとしています。本件に関する記述は他の国内優良サイトにお任せしていましたが、最近、避難先の在フィリピン疎開者として、看過できない問題に遭遇しました。なんと、現地の知人のところへ次のような勧誘があったそうです。

日本の原発事故現場で働くフィリピン人を大募集、日当は10万円

通常、フィリピンの日本滞在は観光ビザで数日程度しか認められず、労働ビザを取得するのも煩雑です。今回の募集内容では、ビザに関してはプロモータ側が全部面倒をみるとのことで、給与も破格に高額です。この話が舞い込んだフィリピンの地方都市は、一般公務員の月給が日本円で3万円くらいですから、この日当が彼らにとって信じられないほど魅力的に映るのは想像に難くありません。

もっとも、芸能人として入国し、飲食店等で働くフィリピン人女性の実例から類推すれば、10万円と謳われる高額日当も、住居費、食費、交通費とあらゆる名目の経費が差し引かれ、本人の手に渡る額は多くて1万円程度に減らされるのは目に見えてます。私の知るフィリピン人女性は、たこ部屋生活で月給2万円以下で働かされ、欠勤やトラブルがあればそこからまたペナルティーが引かれ、いつまでたってもお金を稼いで帰国するという夢が叶わない状況に追い込まれていました。現に、この原発作業員募集でも日本への渡航に20万円かかるとされています。高い時で6〜7万円が相場ですから、その3倍以上です。

これを仕切っているのが現地プロモーターと日本の暴力団(ヤクザ)です。知人によると、福1外国人労働者の募集は、フィリピンの他、ベトナムやインドネシアでも行われていると聞いてるそうです。フィリピンは貧富の差が激しく、国内労働市場が未発達で、多くの出稼ぎ労働者が海外に働き口を求めます。給与水準は前述の通りで、定期収入があるだけでかなり恵まれた条件と見なされます。経済の格差はそのまま教育水準にも反映し、海外の有名大学に進学する若者もいれば、子供のころから学校に通えない子もいます(公共教育は有料)。

この募集は、経済的に苦しく放射線、放射性物質の危険性を十分に理解できない貧困層に狙いを絞ったものであると、私は想像します。都会を除き、こちらの一般的な医療水準は低く、難病であれば、ほとんど満足な治療を受けられず死に至ります。それよりも、治療費が払えず、医療を受けられないまま死を迎えるケースも多いと聞きます。日本人の目から見れば、病人・死者の扱いはかなりぞんざいであるように見えます。そして、その社会状況こそが、核で汚染された危険な作業場にフィリピン人労働者を抜擢する最大の理由なのでしょう。病気や障害者になったら本国に送り返して終わり、言葉の壁以外にも、保障制度が未発達なこちらでは、東電やその子会社、日本政府に補償請求をするという発想すら浮かばないかもしれません。

日本に残るジャーナリスト、もしくはこの件に関心のある方にお願いします。福1で働く外国人労働者の実態を調べて欲しいのです。彼らが不当に危険な環境に晒されているとすれば、それは国際問題にも発展しかねない由々しき問題です。何よりも、人の弱みに付け込み人を陥れるようなやり口は、日本人としての良心がそれを許しません。私も、この件で再び筆を執る必要性を感じています。


■外国人労働者を採用するもう一つの理由は?

ここからは、123便事件と関連して外国人労働者採用の問題を考えたいと思います。外国人労働者の採用は前述のとおり、「出身国の社会制度の不備に付け込んで、病気・死亡時に責任問題を回避できる」というメリットが考えられますが、もう一つ

見たこと聞いたことが表に出にくい

という利点も考えられます。被採用者が日本人であれば、そこで見られたものの情報がどうしても口伝えで漏れてしまいますが、その点、日本語に不案内で教育レベルも低い労働者ならば、見たこと聞いたことが外に出にくいのも頷けます。

本ブログ「蘇る亡霊(15)」で、福1は核兵器製造プラントだったのではないかと推測しましたが、外国人労働者の大量採用が事実なら、その仮説を補強する証左の一つと成りえます。それに加え、福1の収束作業に関して、最も不可解なのは、チェルノブイリの時にも実施された、「窒素ガス封入」が一切おこなわれていないことです。チェルノブイリでは地下トンネルを掘り、メルトダウンした核燃料を窒素ガスで冷却するという措置がとられましたが、現実の事故で実際に成果のあった方法が今回は採られていない、考えられるのは

(凍結により)どうしても壊したくない何かが地下にある

となります。それが、核兵器製造プラントであると私は予測していましたが、それだけでは説明しきれないことに最近気がつきました。地表の原子炉はどれもボロボロで核兵器製造プラントとしての機能はすでに失われたも同然です。それでも頑なに窒素ガスの利用を拒む理由とは何か?これについて、次のように考えてみました。

 たとえ放射能を国土に撒き散らしても壊したくないもの
 国防上(組織防衛上)絶対に不可欠なもの
       ↓
 それがなくなると全体の機能を失うもの
       ↓
 バックアップ(代替)を作るのが困難な規模、もしくは
 その場所である必要が厳格に決まっているもの

この論理的組み立てに該当するものがあるとすれば、ある種の電磁パルス兵器(EMP)の可能性が考えられます。それも、長野県佐久市にある臼田の大パラボラ以上のもの、日本全国をマイクロ波で覆う相当に大規模なものです。それは

 (1)出力ポール(極)を構成するために、出力地点は厳格に決められている、
 (2)日本国土全体を覆うために全国にくまなく分散させる
 (3)大電力(原発など)が必要

というもので、見方を変えると、これこそが原発推進の本当の理由だったのではないかと目を疑ってしまいます。現在、稼動している原発が全くなくとも、日本経済に特に大きな影響がない事実から鑑みると、このいささか誇大妄想的な推論も案外外れてはいないのではないでしょうか。参考までに以前、国際軍事評論家B氏から聞いた言葉を掲載して、本記事を終わらさせていただきます。

「ある方(自衛隊関係者)に、『詳しくは言えないけど、日本は各国の核ミサイルから守られている。』と言われたのですが、どういうことでしょうね?そういえばロシアの軍関係者も『日本への核ミサイルの使用は無益だ、打ち込めない』と言ってるようなのですが。日本に、何か特殊な防衛装置があるという意味にも受け取れますが、よくわかりません。」


 * * *


あたらしき みよのはじめの たつのとし
あれいでましぬ かくれゐしかみ

南の島 フィリピンより
管理者 日月土

認めたくない福島の憂うべき現状

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福島の原発事故から1年、フィリピンに避難し日本の状況を見守ってきました。「事故収束宣言」など、正確な情報を出すはずのない政府報道は元より当てにしておりませんが、市民団体などから独自調査による土壌汚染データも出されており、日本の関東・東北地方が広域にわたり核汚染されているのは、もはや間違いのない現実と受け止めています。

一般報道やネット情報の他にも、私の個人的な関係者から独自の原発事故情報も得ています。そちらから、最近になって福島の現状について更に憂うべき情報が入ってきました。情報元は公的な研究機関(詳細は秘匿させていただきます)の研究者、一応、同一内容を別の知人からも聞いていますが、情報ソースが同じ可能性もあるので、必ずしも裏取りできているとは断定できません。日本での報道内容とも大きく異なることもあるので、今回の記事の内容はあくまでも"噂"の範疇を超えたものでないことを予めお断りしておきます。

■地下800メートルまで沈み込んだ2号機の核燃料

メルトスルーのプロセスを物理化学的に予測できる知識をお持ちの方ならば、2号機の核燃料が、すでに地下800メートルに達していると聞いても別段驚くことはないでしょう。「2号機内部の様子はほとんどわかっていない」というのが、一般報道やネット情報の世界での定説ですが、東電、政府研究機関は核燃料が既に地下800メートル付近まで沈降していることを確認しています。

この沈み込んだ核燃料をどのように処理するかという難題について、東京大学内の対策チームが音頭をとって、全国に分散する複数の国公立系の研究機関に研究依頼を行ったのが、この情報の出所です。もっとも、大深度地下に潜り込んだ核燃料を処置することなど、人類未踏の領域であり、今のところ、これといった具体策は提示されていないと聞いています。というより、この状況はもやは人知の及ぶ範囲を超えたと言ってよく、簡単に言えば、もう手がつけられない状況と認めなければなりません。


■地下水脈との接触はどうなったか

事故当初は、「メルトスルーした燃料が地下水脈と接触すれば大水蒸気爆発がおきる」と喧伝されましたが、実際はどうだったのでしょうか?地圧の高い大深度地下内で起こることですから、地上での爆発イメージはあまり役にたちません。実際には、その爆発力が地下水脈を押し出す大圧力となり、地下水脈を逆流させているようなのです。そういえば、ライブカメラにおいても、福島第一原発の敷地から水蒸気が舞い上がるシーンが昨年何度も見られました。もしかしたら、地表に近い地下水脈にはその時点で接触し、高圧力の水蒸気が地表にまで昇ってきたのかもしれません。

核燃料によって汚染された地下水が海洋に注ぎ込み続けているのは由々しき問題なのですが、さらに問題を深刻化させているのが、逆流した汚染地下水が水源地点を通過して、他の地下水脈に流れ込んでいることです。現在、政府の対策チームは地下に潜り込んだ燃料をどうするかよりも、汚染地下水の逆流をどうやって食い止めるか、その対策に精一杯だと言います。

私の別の情報では、昨年の夏頃の段階で東京都内地下水が汚染されているというものがありましたが、地下水脈系の違いもあり、福島で起きている状況が直接地下水を汚染したとは考えていませんでした。しかし、水蒸気圧力による地下水脈の広域汚染の可能性を考えたとき、その可能性もあり得ると見なければなりません。厳密な議論には関東・東北圏の詳細な地下水脈系図が必要ですが、仮に東京にまで福島の汚染地下水が遡上しているならば、関東全圏はもちろん、比較的汚染が少なかったと言われる福島の山向こう、山形、新潟にも地下水汚染が広がっていると考えなければなりません。

研究者はこう言います、「関東の方は、ためしに水道水を調べてみてください。興味深い事実がわかるでしょう」と。


■4号機の燃料は地下500メートルまで沈降

一昨日の3月18日、NHKの衛星放送を見ていたら、「濁った水に満たされた4号機炉内の映像」が映し出され、同時に、「4号機内の冷却プールに残された1545本の使用済み燃料の取り出し作業も、近いうちに開始されるだろう」と放送されていました。


写真1:震災後の福島第一原発4号炉建屋
    本当にプールに燃料は残っているのか?

この報道内容も私が入手した情報とは大きく異なります。研究者の情報では、冷却プール内の燃料は全て脱落、地下500メートル付近までメルトスルーしているというものです。更に、この問題に対処している研究者間で問題になっている事実として、実際に冷却プールに保管されていた燃料が、公表されている量よりもはるかに多いこと、プールの冷却能力を大幅に超える量であり、一瞬でも冷却装置を止めれば、即座にメルトダウンが始まるほど、大量の燃料を抱え込んでいたというものです。

そして研究者たちは次のような疑念を抱いたといいます。この大量の燃料の数は、もはや発電目的とは考えられないと。


 * * *


福島第一発電所が実は日本の核兵器プラントだったのではないか?というのは私の仮説ですが、もしも、この研究者の話が事実ならば、この仮説を裏打ちする重要情報となります。しかし、それでも窒素ガス封入を拒否した初動の対処に疑念は残ります。おそらくここには核兵器プラント以上の特殊設備があったに違いありません。

メルトスルーによりその特殊設備もおそらく壊滅的な損害を受けたでしょう。前回話題にしたフィリピン人をはじめとする外国人労働者の投入は、おそらく誰にも見られたくない、知られたくないそれら設備の撤去に借り出されたものと推察されます。

福島の事故により、過去も、現在も、そして未来にも多くの人民が苦しむだろうことは自明の理です。多くの日本国民、そして外国人の健康と命を犠牲にしてまで守りたいもの、そんなものが果たしてあったのでしょうか?その特殊設備の真の目的がいかに崇高な国策であったとしても、それが導いた結果は、第2次世界大戦の敗北よりも更にみじめな人心の敗北なのです。



トノヲシヱ


南の島フィリピンより
管理者 日月土

認めたくない福島の憂うべき現状2

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以下はすでにネットで出回っている福島第一原発4号機画像ですが、これについても私の信頼できる筋から情報がありました。もちろん、今の私にその真偽を確認する術はなく、あくまでも一伝聞情報としてお知らせする次第です。これが事実だとするとたいへん危険であり、周辺数10km圏内の住民は避難の必要があります。その意味で、裏取りが不完全ながらも掲載する必要があると判断しました。


写真1:福島第一原発4号機のチェレンコフ光


■4号機燃料棒の数は公表値の倍、2870本

前回の記事で、4号機には大量の燃料が保管されており、そのほとんどがメルトアウトし地下500メートルに達していると書きましたが、保管燃料の具体的な数量が判明しました。その総数、実に2870本、政府や東電の公表値1545本のほぼ倍数です。

震災直後にメルトアウトしたのは2つの使用済み燃料プールの方で、未使用燃料プール内800本については、ひび割れなどはあったものの、つい最近まで冷却がまだ可能だったようです。しかし、先週からの報道にもあるように、こちらのプールの冷却水も流出涸渇し、臨界による青い光(チェレンコフ光)を発光している模様です。

生命に直接影響のある強い放射線は半径20kmにおよぶということで、これらが事実なら福島県民は全員避難、東北地方を縦断する移動も控えなければなりません。いったい誰が福一を「冷温停止・収束」などと言ったのでしょう。事故の影響とその深刻さはここにきて激増しています。


■浜通りに存在する東京電力プルトニウム保管庫

本件には余計なことかもしれませんが「(新)日本の黒い霧」らしい情報もここで加えておきます。中見出しにあるように、福島県の浜通り沿いに東京電力のプルトニウム保管庫が存在しているようです。

ここからは推測になりますが、4号機の、発電とは全く関係ない大量の核燃料保管は、公表されていない核(兵器)ビジネスが目的であるとしか考えられません。浜通りの保管庫は、おそらく、それら"製品"の出荷センターであると考えられます。このような核出荷センターの存在については、他にもいくつか情報が入ってます。

詳細は後日掲載したいと思いますが、素粒子ニュートリノの検出装置で有名なカミオカンデ(岐阜県飛騨市)(*1)も関西電力の核出荷センターであると情報は伝えてます。未知の素粒子の検出とは、学術的に見れば大変意義深いことですが、よくよく考えれば、実利主義のこの国が、純粋な学術研究のためだけに100億円(実際はそれ以上だろう)の予算を付けることは、快挙と思える反面、何か裏があるなと考えるのが自然です。

「福井大飯原発の再開に政府がゴーサイン」と最近の報道は伝えていますが、地理的に考えて、大飯原発の核出荷センターは最も近い岐阜のカミオカンデと考えられます。福島の廃炉が決定的になった現在、一日も早く金のなる核ビジネスを再開したいというのが、闇商人の心情でしょう。この闇商人たちの前に、今の政府の力はあまりにも無力です。


*1 カミオカンデ:東京大学の研究施設だが、東大系の研究機関はどこも胡散臭さが漂う。国家の奴隷と言ってしまえばそれまでだが、科学者としての誇りと良心はどこへ行ってしまったのか?庶民だけでなく、現陛下までをご病気に追いやったあなたたちの重大な過ちを、いつかこのブログで取り上げなければならないだろう。本郷の土に埋めて隠せたと思っているなら大間違いだ。


* * *


福島の事故をきっかけに、図らずも日本の核ビジネスの裏構造が見えてきました。この構造は以下の点から、本ブログがメインに扱っている1985年の日航機事件にも通じるものと私は考えます。

 ・核燃料(兵器)の密輸送
 ・政府より強大な裏権力構造の存在
 ・国際機関(各国政府、IAEAなどの国際機関)の介入
 ・徹底した報道管制

私は、御巣鷹の犠牲者の魂に、彼ら同胞を死に追いやった存在を暴くと誓いましたが、その巨大な存在の姿が、今回の原発事故で多くの日本人の目に晒されるようになりました。その存在を更に見極め、それを乗り越えることこそが、JAL123便の犠牲者のためであり、ひいては日本の将来のためであると思えるのです。


EGO MISI VOS METERE QUOD VOS NON LABORASTIS ALII LABORAVERUNT ET VOS IN LABOREM EORUM INTROISTIS
あなたがたが自分では労苦しなかったものを刈り入れるために、わたしはあなたがたを遣わした。他の人々が労苦し、あなたがたはその労苦の実りにあずかっている。
(ヨハネの福音書 第4章38節)

管理者 日月土

認めたくない福島の憂うべき現状3

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4号機の燃料棒が新たに臨界を起こし、チェレンコフ光を発しているとお知らせしてから1週間が経過しました。そろそろ、溶解した燃料が建屋からメルトスルーし、地中に潜り込んだ頃でしょうか。地中に隠れてしまえば、とりあえずは一息つけますが、これまで水蒸気と共に大気に放出された放射性物質の量を考えると眩暈がしそうです。新たな放射能ブルームは一年前と同じように、数ヶ月間大気を漂い、時間をかけて地表に降下し、そして土壌を汚染し続けることでしょう。

現在、4号機はおろか、原発の敷地内全体が人の近づけない状況でしょうから、やがて6000本の燃料を保管している共用プール、そして5,6号機の冷却もままならない状況に陥るかもしれません。もしもそのレベルになると、避難云々を論じること自体が馬鹿らしくなります。地球上で、もはや汚染を避けられる場所はないであろうと悲観します。

現在、私は日本に帰国していますが、こんな世紀末ショーを間近で見せ付けられているのに、日本社会が全く平常を装っているのが不思議でなりません。それどころか、事故の厳しい現実はよそに、原発再開の是非を未だ政治家が論じ合っていることに開いた口が塞がりません。


■研究者の嘆き

私の元へ来るリーク情報はある研究機関からとお知らせしましたが、その中には研究者の嘆きも吐露されています。自分の肉体が蝕まれているのみならず、家族や、部下である若き研究員の人生まで奪われようとしている。そんな中で、地中に沈降した(既に4kmに達しているという)核燃料を回収する方法を考えよという、無理難題を上(政府)から押し付けられる。毎日、研究室を訪れるのが切なく悲しい、と情報提供者は語ります。


■日本に存在するプルトニウム保管庫(出荷センター)

前回の記事で、国民に知らされていない核(兵器)燃料用プルトニウムの保管庫が、福島県の浜通りと、岐阜県のカミオカンデ内にあるとお伝えしましたが、この情報ソースは、その他に秋田県南部と愛媛県西部に同様の保管庫があると伝えています。また、北海道の支笏湖畔の山間部に新たな保管庫が建設中とのことです。

電力会社によるそれぞれの管轄は以下の通りです。

 (1)福島県浜通り − 東京電力
 (2)岐阜県カミオカンデ − 関西電力
 (3)秋田県南部 − 東北電力
 (4)愛媛県西部 − 九州電力
 (5)北海道支笏湖畔 − 北海道電力 (現在建設中)、


図1:日本全土に点在する核出荷センター
   放射能汚染瓦礫を全国にばら撒きたい理由もよくわかる

原子力発電所内でせっせと作られたプルトニウムは上記の出荷センターに運ばれ、さらにそこから日本の得意先である韓国、中国、イランなどに輸出されます。センターの保管総量は15tに及び、金額にして5000億ドル(約40兆円)に値するといいます。この大商いの利益配分は、電力会社(50%)、日本国政府(20%)、国連やIAEAなど国際機関(30%)とも言われ、日本だけでなく、世界の原発保有国が世界的協定の下で同様のビジネスを営んでいるとのことです。先日、鳩山元首相がイランを訪問した本当の理由も、プルトニウムの売り込みにあったようです。

私にはこの情報を裏付けるだけの検証力はありませんが、123便事件の調査で、東京電力が当初予算(4,800億円)の10倍規模(4〜5兆円)はあろうかという、神流川発電所を事故現場周辺に建設したり、山梨県や埼玉県航空自衛隊熊谷基地周辺で車両数百台規模の組織的調査妨害を仕掛けたりなど、日本の闇機関(クロカモ)が常に膨大な予算を扱えることに疑問を抱いていました。しかし、国家予算の帳簿に現れない、このような潤沢な資金源あるならば、彼らの金(かね)に糸目をつけない暴れん坊振りも当然であろうと納得できるのです。


写真1:東京電力の神流川発電所、上野ダム
    日航機事故現場の山岳地帯に無理やり作られた巨大施設。
    2つのダム、大深度の地下発電施設。削られた山は多数。
    4,800億円程度で建設できるはずがない。

また、一般の電気料金で食べているはずの東電幹部が、これだけの大事故を起こしたのにもかかわらず、国民に対し踏ん反り返っていられるのも、「別にお前たちの金で食ってる訳じゃない」という意識の現われなのかもしれません。これが事実なら、電気料金の値上げなど許されるはずはなく、むしろ、政府・電力会社が隠している全ての資産を吐き出して、裏ビジネスで汚れてしまった国土を回復させる義務があります。消費税の引き上げなどもっての他としか言い様がありません。


■電力会社だけでない、民間企業のプルトニウム保管

原発を保有する電力会社がプルトニウムを保管しているなら、原発を製造する企業が研究用にプルトニウムを保管するのも不思議なことでありません。私の情報源は、神奈川県川崎市のJ-Power(電源開発株式会社)敷地内にプルトニウムの秘密保管庫があることを伝えています。

川崎には、他に原発製造メーカーである東芝の研究所があり、1960年代から実験用原子炉が運用されています。どれくらいの出力レベルか規模は不明ですが、核燃料を扱っていることは間違いありません。他にも、川崎市には原子炉が5基置かれたこともあり、過去に臨界事故も起こしているようです。

---引用(ここから)----
本市における原子炉施設設置の経緯は,昭和34年に武蔵工業大学原子力研究所(麻生区王禅寺)の 研究用原子炉の設置が市内ではじめて許可された。翌昭和35年には?東京原子力産業研究所 (現・日立エンジニアリング?王禅寺事業所,麻生区王禅寺)及び?東芝総合研究所(現・?東芝  研究炉管理センター,川崎区浮島),昭和36年には?日立製作所中央研究所・王禅寺分室 (現・?日立製作所 電力・電機開発研究所 王禅寺分室,麻生区王禅寺),さらに昭和37年に は日本原子力事業?NAIG総合研究所(現・?東芝 原子力技術研究所,川崎区浮島)の各々の 研究用原子炉設置が許可され,逐次稼動に入った。

http://www.city.kawasaki.jp/30/30taiki/home/housyanou/report98/chap1.htm
----(ここまで)----

木下黄太さんのブログの過去記事を読むと、福島の事故後、横浜などで高濃度の放射能土壌汚染が観測されており、この一体がホットスポットのように考えられていますが、同じ原発由来という意味では、東芝など、現地の実験炉が原因で、以前から重度に汚染されていた可能性も否定できないと思います。

川崎病というと、研究者の名前から付けられた病名で、川崎市とは関係がないと言われますが、実際に川崎周辺で症例が多く観察されたとも言われています。未だに原因が特定されていない病気ですが、研究者の中には、公害病、特に放射性物質との関連を疑う人も居ます。

東芝がどこまで関与しているかは分かりませんが、電力会社・政府・国際機関による核ビジネスが事実であるなら、その技術的基礎を支える原発製造メーカーの東芝、日立そして三菱の各メーカーが無関係であるはずがありません。そして、その取りまとめ役存在である、電源開発が関わっていることも間違いないでしょう。そして、これらの企業名は、やはり日航機事件の調査記録に登場する問題の企業名とそっくり重なってくるのです。


 * * *


川崎市民は放射能の実験モルモットだったのか?いえいえ、川崎市民だけでなく、東京都民、そして今上天皇ですら、彼らの前ではモルモット同然であったという事実を次にお知らせしたいと思います。


ET SI IUDICO EGO IUDICIUM MEUM VERUM EST QUIA SOLUS NON SUM SED EGO ET QUI ME MISIT PATER
しかし、もしわたしが裁くとすれば、わたしの裁きは真実である。なぜならわたしはひとりではなく、わたしをお遣わしになった父と共にいるからである。
(ヨハネの福音書 第8章16節)


管理者 日月土

JAL123便墜落事故−真相を追う−見えざる人々と神の鉄槌(予告編)

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このところ、福島の原発事故に関する記事がメインとなってしまい、JAL123便日航機事件関連の記事がすっかりご無沙汰になっていました。今回は、同テーマの記事を再開するに当たり、長らく本ブログに付き合ってくださった皆様に、現在の私の心境をお伝えするものです。

新シリーズ「見えざる人々と神の鉄槌」は、123便関連記事のおそらく最終章となるであろうと考えています。これまでの記事について、読者様の中には「墜落現場に軍機やミサイルの破片がいっぱい落ちていて、これが普通の事故じゃないことはわかった。しかし、いったい何が目的で123便は落とされ、はたまた加害者側とも思える米軍やソ連軍、自衛隊機まで落とされているのか?これだけの大被害を受け各国政府はどうして沈黙しているのか?その論理的説明が欲しい。そして、ブログ管理者が呼ぶところの"クロカモ"とはどのような組織なのか?」と、平和国家日本(当時)のど真ん中で起きた未曾有の国際紛争の合理的な発生原因、あらゆる陰謀論議の中でも例をみないほど徹底された情報隠蔽の理由を求めていらっしゃるかと思います。

実は、その問いこそが、このブログを綴りながら私が頭を悩ませ続けていたものなのです。2010年5月の東京講演を聴講に来られた方も、おそらくその辺がずっと気がかりだったでしょう。実は、この問いへの答えが一つ、東京講演の時にもありました。しかし、余りにも浮世離れしたそれを口にすることは、ひどく憚られたし講演スタッフからも自重を求められました。

それから2年、時は流れても、この問いに答える別の回答を見出すことはできず、本ブログ支持者からの大きな批判と嘲笑を覚悟して自説を展開する決心に至りました。このシリーズは、今までの記事と比べると全く異質な章となることを予めご了承ください。ただし、全く根拠のない推論をただいたずらに述べることはいたしません。「物証と論理性」、このブログのタイトルに使わせてもらった松本清張先生のノンフィクション「日本の黒い霧」に恥じない内容にしたいと思っています。


以下の図は本ブログを飽きもせず日々監視する関係機関向けに作成したものです。私の仮説が正しいなら、下図を見なくとも既に新しいシリーズ名からその意図を読み取られたことでしょう。もしも、「こいつ、何を言ってるんだ?」と思われたなら、もはや私の敗北を認めるしかありません。


図1:見えざる人々と神の鉄槌、予告図
   (5/2 11:30 一部改定しました)


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以下、記事欄を借りての連絡事項です。
"S君、私は日本に帰国中です。連絡をください。123便墜落事件の私の最終結論を君と共有し、昭和の大君に報告したい。君の8年に渡る執念の調査が、今結実されようとしています。"


NUMQUID CONIUNGERE VALEBIS MICANTES STELLAS PLIADIS AUT GYRUM
ARCTURI POTERIS DISSIPARE
NUMQUID PRODUCIS LUCIFERUM IN TEMPORE SUO ET VESPERUM SUPER
FILIOS TERRAE CONSURGERE FACIS
NUMQUID NOSTI ORDINEM CAELI ET PONES RATIONEM EIUS IN TERRA
すばるの鎖を引き締めオリオンの綱を緩めることがお前にできるか。
時がくれば銀河を繰り出し大熊を子熊と共に導き出すことができるか。
天の法則を知りその支配を地上に及ぼす者はお前か。
(ヨブ記 第38章31節)


管理者 日月土

JAL123便墜落事故−真相を追う−折れなかった垂直尾翼(番外編)

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今月6日、茨城県つくば市、栃木県真岡市にかけて竜巻が発生、大きな被害をもたらしました。気象庁が発表したつくば市の風速は、"F2"級(風速50〜69m/h) ということです。以下の写真(写真1)を見ればその突風の凄まじさが窺い知れます。


写真1:竜巻の被害状況を伝える報道写真
    風速最大69m/h

話の展開としてちょっと強引かもれませんが、以下の写真(写真2)は1985年8月12日に発生した日航機123便墜落事故(正しくは事件)で、乗客が機内を様子撮った写真です(1990年に公開)。事故当時の運輸省事故調査委員会の発表によると、機体後部の圧力隔壁の断裂により機体の内外で圧力差が発生、機内に風速200m/hの気流が生じ、その猛烈な気流が隔壁を突き抜け、垂直尾翼を破壊したとしています。

長く本ブログを読まれてきた読者様なら、もはや寝言としか言いようのない説明ですが、この写真は酸素マスクが落下していることから、最初の異常、つまり調査書で言うところの圧力隔壁の断裂後に撮られたものと認められます。


写真2:風速200m/hの気流が通過した後?の123便機内

これ以上多くを語りませんが、123便墜落の原因が今でも圧力隔壁の修理ミスによる事故であると思われている方は、上記2点の写真をよく見比べてください。そして、このような科学的事故原因を提唱した、当時の専門家たち、国立大学教授たちの空々しいまでの高説を、皆さんの常識で疑ってみてください。いわゆる専門家と呼ばれる人々のまやかしは、26年の時を越えて、311の福島原発の事故でも再現されました。私たち日本国民は、これ以上この人たちに騙されてはなりません。


 * * *

今回の竜巻で被害に会われた全ての皆様に、心からお見舞い申し上げます。


VOS EX PATRE DIABOLO ESTIS ET DESIDERIA PATRIS VESTRI VULTIS FACERE ILLE HOMICIDA ERAT AB INITIO ET IN VERITATE NON STETIT QUIA NON EST VERITAS IN EO CUM LOQUITUR MENDACIUM EX PROPRIIS LOQUITUR QUIA MENDAX EST ET PATER EIUS
あなたたちは、悪魔である父から出た者であって、その父の欲望を満たしたいと思っている。悪魔は最初から人殺しであって、真理をよりどころとしていない。彼の内には真理がないからだ。悪魔が偽りを言うときは、その本性から言っている。自分が偽り者であり、その父だからである。
(ヨハネの福音書 第8章44節)

管理者 日月土
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