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認めたくない日本の憂うべき現状

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福島の原発事故の件については、私もすっかり呆れており、これ以上関連記事を掲載することにどれだけの意味があるのか、疑問に思っているところです。そんな最中、私の情報提供ソースから、日本の裏核産業に関してまたしても情報が入ってきました。

相変わらず確認の取り様がないので、聞いたままを掲載するのは憚られるのですが、その内容に一定の合理性が認められるので、未確認情報とお断りしながら、今回の記事ネタとして使わせていただきます。この事件は、大きく報道されたこともあり、綿密に放射線測定を重ねることによって、状況証拠的な裏付なら取れるかもしれません。残念ながら、私は中々現地へ赴けませんので、近くに住む方々の検証に期待を寄せたいと思います。


■三井化学大竹工場に眠る劣化ウラン

 この情報は、先月4月22日、山口県岩国市の三井化学岩国大竹工場の酸化塔で発生した爆発事故について述べています。そして、この事故に関するメディア報道の中にある以下の文言について詳細に触れています。

「この工場には、放射性物質である「劣化ウラン」が入ったドラム缶をおよそ3,400本保管しているということだが、異常はなく、被害もなかったという。」
 報道ソース(FNN)
 http://www.fnn-news.com/news/headlines/articles/CONN00221770.html

地元自治体も「劣化ウラン」は寝耳に水だったようで、管轄の文部科学省に安全確認を要請した模様です。

「同社は3月28日と爆発があった4月22日以降の保管倉庫と周辺の放射線量が毎時0.22〜9.31マイクロシーベルトを示し、「事故前後で数値は変わっていない」と説明したという。」
 報道ソース(中国新聞)
 http://www.chugoku-np.co.jp/News/Tn201205020009.html


写真1:三井化学大竹工場(山口県岩国市)
    黄枠内が工場敷地


写真追1:1回目の爆発


■原子力発電所の2次産業

三井化学大竹工場は原子力発電所の使用済み燃料から発生する「核燃料廃棄物(アイソトープ)」を扱っているとのことです。ここで今一度、原子力発電所が実際に行っている業務を優先順位の高い順から箇条書きにしてみます(裏ビジネス含む)。

 1.プルトニウム生産 − 兵器用
 2.トリチウム生産 − 水素爆弾、中性子爆弾、核融合実験炉の材料
 3.アイソトープ生産 − 医療用、実験資料、蛍光塗料、LED照明、兵器用

あれ?発電は?と思われた方も多いと思いますが、実際には、発電はこれらの工業生産過程の余剰熱を使って水蒸気タービンを回しているだけのことであり、原子力発電所の存在意義とはまさに、放射性物質の生産にあるとも言えます。その意味では「使用済み核燃料」とは、立派な工業生産物であると言えましょう。しかも、上記のリストから分るように、その多くが軍事目的(兵器生産)であり、一般には民生用と思われているアイソトープに関しても、その使用目的のほとんどが軍事用であることは、もはやこの業界での常識となっています。


■劣化ウラン弾は兵器用アイソトープの主力生産物

兵器用アイソトープから生まれるのが劣化ウラン弾です。劣化ウラン弾には大きく分けて二種類有ります。

 1.アイソトープ弾:住民や家畜を放射能で殺す(ウラン238は含まない)
 2.炸裂弾:国土、環境に放射能を撒き散らし焦土とする(ウラン238を含む)

劣化ウランはその硬質な物性のため、弾頭部分など兵器の構造材に再利用されていると喧伝されていますが、現実には、放射能による生物殺戮兵器であることは明らかです。私も国際軍事評論家B氏から、劣化ウラン弾に関する米陸軍軍医による過去の研究論文をお借りして読んだことがありますが、その中に、"人体(使用する兵士も含む)に非常に有害な為、使用は好ましくない"と、劣化ウラン弾の配備を問題視する記述があったのを覚えています。

これらの爆弾は湾岸戦争やアフガニスタン戦争で米軍に使用され、その放射能が偏西風に乗って、戦地だけでなく、日本を含む世界中が汚染されてしまい、その結果、自然背景放射の100万倍も汚染されたことは、これまで劣化ウラン問題を調査されている方ならとっくにご存知のことかと思います。


■三井化学大竹工場は劣化ウラン弾の秘密工場だった

以上までは前置きです。この情報源はここから恐ろしい日本の暗部について語り始めます。それは、三井化学大竹工場内に、

 1)アイソトープ爆弾の弾頭工場、
 2)炸裂弾の小弾頭(炸裂弾に詰め込まれている中身)工場

の二種類の工場が存在し、ここで造られた爆弾弾頭は全て、近くにある米軍の岩国基地に供給されているというのです。


図1:三井化学大竹工場と米軍岩国基地の位置関係

しかも、米軍が保有しているの劣化ウラン弾を製造しているのは、グアム島の米軍基地内と、岩国の三井化学大竹工場の二箇所だけであり、アメリカ本土には存在していない。つまり、三井化学大竹工場こそは、劣化ウラン弾の2大生産拠点の1つだったと言うものです。


■岩国基地の地下に眠る核兵器

以上に加えて、岩国基地の地下に保管されている核兵器群についても詳細なレポートが届いています。それを以下に記述します。

 (1)原子爆弾完成品 72本 (2m×50cm)
   ---長崎級の30倍程度の威力
 (2)アイソトープ弾頭 580個 (40cm×40cmの円柱)
 (3)炸裂弾頭 330個 (40cm×30cmの卵形)
   ---弾頭当りの炸裂小弾数150個

この内、(2)(3)の劣化ウラン弾頭については、どちらも三井化学大竹工場内で生産されたものであるとのことです。また、原子爆弾についてはアメリカ本土から輸送されてきた物であるとのことです。


■大竹工場に今も眠る恐怖の放射性物質

非核三原則とは言っても、本ブログでは、123便事件に絡む日本の核兵器生産、自衛隊の核兵器配備の可能性について、これまで何度も言及してきました。ですから、米軍基地内の兵器庫や寄航する軍機・艦船に核兵器が搭載されているなどというのは、むしろ常識であり今更驚くことではありません。当然の話です。

問題となるのは、日本の民間工場が外国軍のためにせっせと(準)核兵器を製造しているという点です。その秘密工場について、情報からその存在位置を推定してみました。海に面しているということなのですが、航空写真からでは三井化学大竹工場内に適当な工場群が見つかりません。情報を文字通り解釈した場合に考えられるのは、三井化学大竹工場の東側に隣接する新日本石油の精製工場内となります。これまでの日航機事件の調査で、隣接し合う民間工場間で、人や資材を融通し合っていると思われるケースを見てきた経験から、三井化学の出張工場が新日石工場内にあっても特におかしいとは思えません。しかしここでは、疑問符付きながら、大竹工場敷地内における秘密工場の推定位置(工場群の北端)と、そこに保存されている放射性廃棄物(ドラム缶)の数量を図2及びキャプションに示します(*1)。


図2:秘密工場の推定位置と放射性廃棄物の貯蔵庫
   (東側海沿いにある新日本石油精製工場の敷地内かもしれない)
   A:炸裂弾工場: 500kg放射性廃棄物缶が約600本 
   B:アイソトープ弾工場: 400kg放射性廃棄物缶が約300本
   C:核廃棄物貯蔵庫: 同様の放射性廃棄物缶が約3700本

放射性廃棄物缶に納められている放射性物質の構成は

 ・サマリウム(Sm)
 ・プロメチウム(Pm)
 ・テクチニウム(Tc)
 --- 以上で6割 ---
 ・ストロンチウム(Sr)
 ・バリウム(Ba)
 ・テルル(Te)
 ・ジルコニウム(Zr)
 ・他(全50種程度)

となります。セシウム(Cs)に関しては3%前後であり、これらの存在比率は福島原発事故によって放出された放射能性核種の比率とほぼ一緒であると言います。サマリウム147の半減期は1.06×10の11乗年(約1000億年)ですから、宇宙の開闢から現在までの時間(約137億年)を以ってしても、放射線量が殆ど変化ないという大変恐ろしい物質です。蛇足ですが、これらが福島の放出核種の中に同割合で含まれているのなら、今現在、自然環境の中でどのように存在しているのでしょうか?環境中セシウムの測定は一応の目安にはなりますが、サマリウムやプロメチウムなど、セシウムよりはるかに放出量が多い危険な核種についての情報があまりに少なすぎます。

*1 放射性廃棄物:山口県などの石灰岩地帯は自然放射線値が高いと言われていたが、本当なのか?これら放射性廃棄物の影響ではないと言えるのか?今回の情報を基に再調査する必要があるだろう。また、政府が進めている放射能汚染瓦礫の全国拡散の真の理由とは、秘密裏に作られたプルトニウム保管庫(参照:「認めたくない福島の憂うべき現状3」)や、全国の放射性物質取り扱い事業所内に存在する不法な核廃棄物の存在を隠蔽するためなのではないだろうか。


■爆発事故は身を挺した内部告発

最後に、4月22日起きた爆発事故について、情報はこう結んでいます。

 「爆発の原因ですが、人為的に引き起こされたもので、会社のある幹部が行った(中略)・・なぜ、自社の工場をわざわざ爆発させたのか、その理由はアメリカ軍と三井化学と電力会社と日本国政府の陰謀を世間に公表したかったからです。」

これまでの情報が事実であるなら、三井化学や東電など電力会社、日米政府・軍が行っている行為は、日本だけでなく地球の存亡に関わる大きな背徳行為です。人の心に少しでも良心が宿っているなら、この事実を見て見ぬ振りはできなかっただろうと容易に想像されます。この勇気ある内部告発者は今どうなったのでしょうか。たいへん気になります。


写真2:三井化学株式会社
    代表取締役社長 田中 稔一氏
    この情報が事実であるならば、同じ日本国民として
    あなたに問い質したいことが幾つもある


 * * *

日時を正確に覚えていませんが、10年位前、私が住んでいた町にある三井化学の工場が火災事故を起こしました。工場に上がる火を見て市の消防車が出動したのですが、同工場は門を閉ざし、消防関係者を一歩も中に入れませんでした。工場内の私設消防隊が対応するということで門前払いをしたのですが、火の手の上がった工場は、結局焼け落ちてしまったようです。

危険な化学物質があれば専門的な消化方法を取らざるをえないことは分ります。しかしそれがいったい何なのか、工場は地元に何も説明をしなかった。その後、「三井化学は何かヤバイものを作っている」という噂が町中に流れたのは言うまでもありません。

今回の情報についても真偽は不明です。しかし、「認めたくない福島の憂うべき現状」でお知らせした内容とその背景は全く変わりありません。原子力発電という大義名分が全くの虚構であり、その実態は、日本国民と世界の人民を欺く世界的な核兵器産業であるという告発です。そして、大竹工場の件が事実であるなら、米軍だけでなく我が日本国も湾岸戦争、イラク戦争、そしてアフガニスタン戦争の間接的加害者であり、劣化ウラン弾によりばら撒かれた放射能の影響により、イラクで急増している癌・白血病や奇形について国際的にも重大な責任を負う立場ということになります(*2)。

もちろん、その告発内容は、本ブログのメインテーマである「JAL123便日航機墜落事件」とも密接に絡みます。核が生み出す巨額の金に酔いしれ、その核で世界規模の殺人行為を繰り返す非道の輩とは、まさに123便と乗客乗員の命と共に秘密を隠そうとしたグループと重なります。これから始まる新シリーズ「見えざる人々と神の鉄槌」は彼らに対する最終宣告でもあります。鉄槌が下るその前に、神の前に跪き許しを乞うことを、私は強く求めます。

*2 劣化ウラン弾によるイラクでの被害状況:下記のURLをご参照ください。
「劣化ウラン弾による被害の実態と人体影響について」
http://www.jca.apc.org/stopUSwar/UMRC/du_human_effect.htm


写真3:京都、木嶋坐天照国御魂神社の三柱鳥居


ET IUDICABIT GENTES ET ARGUET POPULOS MULTOS ET CONFLABUNT GLADIOS SUOS IN VOMERES ET LANCEAS SUAS IN FALCES NON LEVABIT GENS CONTRA GENTEM GLADIUM NEC EXERCEBUNTUR ULTRA AD PROELIUM
DOMUS IACOB VENITE ET AMBULEMUS IN LUMINE DOMINI
主は国々の争いを裁き、多くの民を戒められる。彼らは剣を打ち直して鋤とし
槍を打ち直して鎌とする。国は国に向かって剣を上げず
もはや戦うことを学ばない。
ヤコブの家よ、主の光の中を歩もう。
(イザヤ書 第2章4,5節)

管理者 日月土

JAL123便墜落事故−真相を追う−見えざる人々と神の鉄槌(1)

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世の中には不思議な巡り合わせがあるものだと、つくづく思わされます。4月に日本に帰国してまもなく、知人の紹介である方(仮にT氏とします)とその娘さんに出会いました。いわゆる政治の裏事情にも関心がある方で、話の流れでつい123便事件に触れたところ、次のようなお話をされたのです。(メモの書き起こしなので、正確な会話のやりとりではありません、なお、[]内は便宜上の発言番号とします)

----------------------(ここから)----------------------------

T氏娘[1]:123便だったら、私もまだ小っちゃな頃だったけど、その日(1985年8月12日)飛んでいるのを目撃しましたよ。目の前の山の上の低いところを横切って飛んでいきました。飛び去ったすぐ後、ヘリコプターとかいろんな飛行機が追いかけるようにそこを飛んで行ったのを覚えています。

T氏[2]:あまりにも低いところを飛んでいるし、後から他の飛行機が飛んでくるものだから、航空ショーでもやっているのかと思いました。

管理者[3]:その飛行機が日本航空機であることはどうしてわかりましたか?また、飛行機を見て、機体の一部、例えば尾翼とかが、明らかに壊れていることに気が付きませんでしたか?

T氏娘[4]:特にどこかが壊れているとは思いませんでした。そばにいた人が「鶴のマークだ!」と叫んでいたので、それで日本航空の飛行機だと自然と思ったのかもしれません。

管理者[5]:発光体のようなものは見かけませんでしたか?実は、123便と「火の玉」のような発光体の目撃証言がけっこうあるものですから。

T氏[6]:ジャンボ機の周りから赤い花火のようなものが、いくつもバラバラと降ってくるように見えましたよ。私はそれを花火だと思ったこともあって、きっと航空ショーかその予行演習でもやっているのだと思ったのです。その日、自宅に戻ってから123便の事故の話を聞いてビックリしたものです。

----------------------(ここまで)----------------------------

T氏親子は、事故当日の同時刻、合宿に来ていた群馬県上野村の民宿から車で引き上げる最中だったそうです。合宿メンバーの何人かは外に出ていたため、T氏親子以外にも目撃者は複数いるようです。

少なくとも、T氏親子は目撃時にこれから起こる大事故(事件)についての予兆は感じていなかったようです。「変わったものを見た」くらいの認識だったのでしょうか。帰宅後、123便の墜落の話を報道で知って大いに驚いたようですが、以上の証言は敢えて自分からするものではないと思い、以来、この話を外部にされることなく過ごされてきたとのことです。


■証言の検証1−123便を追いかける飛行機

角田四郎氏の秀作『疑惑』の中でも、著者自身が目撃したという、123便を追跡する航空自衛隊のF4ファントムの話が出てきます。123便事件が日米ソが関った国際紛争であるとする本ブログの立場からすれば、[1][2]の目撃証言は強力な傍証であっても、もはや新たな事実発見ではありません。これまでと同じことの繰り返しになりますが、次の2点はもはやゆるがない事実として認められるべきでしょう。

・相模湾での最初の異常発生後、123便は他の航空機に追跡されていた
・翌朝まで墜落現場がわからなかったという当局発表は嘘である


■証言の検証2−折れなかった垂直尾翼

証言[4]も、本ブログの「折れなかった垂直尾翼」シリーズで再三触れている推察を、さらに強力に補強する証言です。当時のジャンボ機で鶴のマークが描かれているのは垂直尾翼だけ。その鶴のマークが墜落現場に程近い群馬県上野村の山中で複数の人々に目撃されているのです。しかも、証言者は機体外観にこれといった異常を認めていません。以上により次の結論が導かれます。

・垂直尾翼が大破したという当局発表は嘘である
・油圧系統を失い操縦不能になったという工学的根拠は存在しない

しかし、最初の異常が発生した相模湾の下田・河津沖では大々的な破片捜索作業が行われています。垂直尾翼の破壊を偽装するダミーとしてはあまりに規模が大掛かりのため、123便以外の機体破片を必死に回収しようとしていた節も伺えます。本ブログ的に解釈すれば、戦闘行動は相模湾上空ですでに始まり、日米ソの関係機材がそこで、撃墜・墜落している可能性も考えなくてはなりません。

これを仮に相模湾空戦と呼びましょう。この空戦には御巣鷹の墜落現場で破片が発見されたソ連製戦闘機MIG25が絡んでいると見られます。この事実があったからこそ、1998年、伊豆半島川奈の海岸沿いに聳え、相模湾を見下ろす川奈ホテルで「エリツィン・橋本会談」が開催されたという推論が成り立つことについては、別途記事を掲載したいと思います。ついでに言うなら、伊豆半島そのものが下田を拠点とした、クロカモ(私が命名した日本の闇組織・秘密結社)の支配地域であることも一言加えるべきでしょう(*1)。彼らと天皇家の千年以上に渡る関係、中国・ロシア側秘密結社との深い関係についても、123便事件と無関係ではありませんし、いまこそ明らかにされるべきだと考えています。

*1 伊豆半島はクロカモ半島:ここでの調査妨害は特に酷かった。下田市の旧地名を調べていただきたい。また、下田に御用邸があることも無関係ではない。風水や呪術に関心がある方なら、不自然なモニュメントや建築物など、伊豆半島の至る所に結界が張り巡らされていることに気が付くだろう。


写真1:河津のループ橋(1981年竣工)
注連縄など螺旋刑は呪術の結界の形であるというが、考え過ぎか・・


図1:我々の調査では、123便はループ橋の真上付近を低空で通過したとみる
   因果関係はもちろん不明


■証言の検証3−赤い発光体の謎

証言[6]の「赤い発行体」については、T氏とその娘さん以外にも、多くの証言が報道や書籍で紹介されています。当初、私は発射されたミサイルなどの航跡をこう表現したのであろうと決め込んでいましたが、この証言でもわかるように、赤い発光体の様子は直線的なミサイルの航跡とは随分と異なるようです(他の証言も同じ)。おそらく、この発光体の正体を突き止めることこそが、本シリーズ「見えざる人々と神々の鉄槌」の最終目的となり、また、これを知ることにより、123便事件の全貌が理解できると考えています。調査の詳細については、追って本シリーズでお知らせしていきます。


 * * *

このブログに長くお付き合いされた方なら、私が「日月神示(ひふみしんじ)」を読む人間であることに既に気がつかれているのではないでしょうか。その御神示の中に「四八音(ヨハネ)世に出るぞ」という予言とも取れる一節があります。これは私の妄想と思っていただいて結構なのですが、私の周りでは既に四八音が顕現し、今後の具体的な指示を受けています。自分でも「本当かよ?」と戸惑っていますし、そんなことをここで書いてよいのかもよくわかりません。

私は、自分が信仰者であると告白しながら、ほんの僅かな神の御印(みしるし)が現れただけでたじろいでいるのを恥ずかしく思います。しかし、見えない神の世界を含め、世の中が大きく変わろうとしているのも確かに感じます。今改めて、私ができること、123(ひふみ)便の真実を世に出し、犠牲者の悲痛な魂を救う手助けになることを粛々と実行しなければと思う次第です。ひいては、それが嘘で塗り固められたこの哀れな国を真実の光の元へ解放する一助になると信じています。


in principio erat Verbum et Verbum erat apud Deum et Deus erat Verbum hoc erat in principio apud Deum omnia per ipsum facta sunt et sine ipso factum est nihil quod factum est in ipso vita erat et vita erat lux hominum et lux in tenebris lucet et tenebrae eam non conprehenderunt fuit homo missus a Deo cui nomen erat Iohannes hic venit in testimonium ut testimonium perhiberet de lumine ut omnes crederent per illum
初めに言(ことば)があった。言は神と共にあった。言は神であった。この言は、初めに神と共にあった。万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった。神から遣わされた一人の人がいた。その名はヨハネである。彼は証しをするために来た。光について証しをするため、また、すべての人が彼によって信じるようになるためである。
(ヨハネの福音書 第1章1-7節)


遠つ祖霊の地より
管理者 日月土

JAL123便墜落事故−真相を追う−見えざる人々と神の鉄槌(2)

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※一部追記があります(2012.06.20)

このブログを書き綴り始め3年近い日が経とうとしています。開始当初、メインテーマの「JAL123便墜落事故」の真相究明がここまで複雑になるとは夢にも思いませんでした。これまでの調査結果を振り返る意味と、また、最終章「見えざる人々と神の鉄槌」のゴールがどこになるのかを明確にするため、この事件が抱える事象レベル毎に下記のような階層別チャートを作成しました。

まずはご覧ください。

-------------------(ここから)-----------------------

?第一層「表」
 A 利害対立構造:
   1.企業責任と被害者補償
 B 事象:
   1.1985年8月12日、日航機123便の隔壁破壊による事故。乗客乗員520名死亡
 C プレーヤー:
   1.日米政府(表)
   2.一般政治家
   3.一般企業
   4.マスメディア
   5.一般市民

?第二層「表の裏」
 A 利害対立構造:
   1.経済対立(経済戦争)
 B 事象:
   1.プラザ合意(1985)
    ・ドイツスパイ事件(1985)
    ・フランス虹の戦士号爆破事件(1985)
    ・日航円高先物買いオペレーション(2000億円の損失)
    ※プラザ合意で不利な条件を飲んだ日独仏は同じ1985年に
     大事故・政治スキャンダルに見舞われる
   2.日航株操作
   3.グリコ・森永事件
   4.作られたバブル経済
   5.日本の失われた20年
 C プレーヤー:
   1.ヤクザ・マフィア(表)
   2.大物政治家
   3.各国政府(表)
   4.公安(表)
   5.警察(表)
   6.末端企業 (大手の系列企業など)
   7.同和・在日系団体

?第三層「裏の表」
 A 利害対立構造:
   1.軍事・政治対立(覇権戦争)
 B 関連事象:
   1.大量のミサイル・軍機破片の発見(於123便墜落現場)
   2.日本の核兵器開発
   3.隠された日米戦争
   4.陸海対立構造
   5.エリツィン・橋本首脳会談(1998 川奈会談)
   6.ゴールドウォーター=ニコルズ法制定(1996)
   7.オウム地下鉄サリン事件
 C プレーヤー:
   1.超大物政治家
   2.各国政府(裏)
   3.各国軍部(表)
   4.公安(裏)
   5.警察(裏)
   6.ヤクザ・マフィア(裏)
   7.大企業・多国籍企業(ロス・ロック、住友、三井、三菱、東芝、伊藤忠など)

?第四層「裏の裏」
 A 利害対立構造:
   1.思想・宗教・権威対立
   ※全体が地球統治機構を形成するため、対立色は薄いであろう
 B 関連事象:
   1.チャールズ皇太子・ダイアナ妃日本訪問(1986)
   2.昭和天皇毒殺事件(1989)
   3.法王ヨハネ・パウロ二世暗殺未遂事件(1981)
   4.人口削減計画
   5.New World Order(NWO)
   6.天皇の金塊
 C プレーヤー:
   1.各国軍部(裏:電磁パルス・レーザー銃など超兵器武装集団)
   2.日本の秘密結社(クロカモ、天皇家)
   3.世界の秘密結社(西欧系ユダヤ族、英王室、ローマ法王、ハプスブルグ家、
            各国王室・王統)

?第五層「真相」
 A 利害対立構造:
   1.神々の騒乱と主の裁き
 B 関連事象:
   1.火球の出現
   2.ツングースカ大爆発
   3.非地球製物質の発見(於123便墜落現場)
   4.高天原山神話
   5.地球社会創生神話
   6.日本創生神話
   7.日月神示(一二三神示:ひふみしんじ)
 C プレーヤー:
   1.宗祖的存在(モーゼ、キリスト、ヨハネ、釈迦、マホメット、孔子、他)
   2.宇宙的存在(見えざる人々、ETI)
   3.神々
   4.主
   5.人
   ※願いを込めて真相の主役に「人」を加えました

   注)今後、見直しによりチャートの内容が変わることがあります

-------------------(ここまで)-----------------------


ここで簡単な解説を加えます。多くの読者様にとっては、上記の一部、特に第五層などは何を言わんとしているのか理解不能なのではないかと思います。もはや世界のオカルト情報総動員の呈を示していますが、とにもかくにも、私がこれまで日航機事件を追い続けた上で、もはや言及を避けられない領域であることは一応ご理解ください。


?は一般でごく普通に理解されている日航機事故のイメージです。これについては多くを語る必要はないでしょう。


?は少し気の利いた週刊誌が書きそうなレベル。いわゆる政治・経済の裏側といった様相の部分です。本当はこの辺の事象についても詳しく書きたかったのですが、残念ながらそれができていません。一方、全5層の中でウェイトは高いとは言えず、現在のように、多くの方が世の中の実相に気がつき始めた時代には、いささか陳腐な内容ともいえます。要するにお金とそれに群がる人々の話といったところです。この世に最高支配者という者が存在するなら、その人物の最末端で動く人々の世界と言えましょう。例えば、防衛庁と住友銀行の金銭まみれの関係を示した平和相互銀行の金屏風事件。この事件でも名前が取り沙汰された竹下登元首相(故人)こそ、中曽根政権下、大蔵大臣としてプラザ合意で円高を容認した人物です。また、プラザ合意の同年に、住友銀行は米国ゴールドマン・サックスと資本提携を取り交わします。バブル時期前後には、日本中を騒がせた伊藤忠系企業のイトマン事件が発覚し、伊藤忠関連と言ってよい船井総研(*5)が同じく伊藤忠系企業のヤナセの経営コンサルで業績を伸ばしました。住友銀行、伊藤忠商事と言えば、日航機事件に関して限りなく黒に近い企業であることは、以前にもお伝えした通りです。

この他、日航機事件後に暴力団ルートから横流しされた優待チケットで業績を伸ばした旅行大手HISなど、一般にも興味を引く話題は豊富なのですが、記事にする優先順位は必ずしも高くなく、当分書けそうにありません。できれば、この辺をまとめるのが得意なベンジャミン・フルフォード氏あたりにでも担当していただけると助かります。


?は「そしてミサイルは発射された」、「折れなかった垂直尾翼」などのシリーズで積極的に記事にしてきたレベルです。少なくとも、軍機破片などの物証と国際軍事評論家B氏の専門知識を用いて説明が可能な範囲であったため、日航機事件の異常さを世間に広く公表・説明する上で細部に渡り取り上げてきました。長らく本ブログにお付き合いいただいた読者様なら、もうほとんど理解されているのではないかと思います。エリツィン・橋本首脳会談(?-B-5)やゴールドウォーター=ニコルズ法(?-B-6)など、やや政治寄りのテーマについては、時間が許せば記事にしたいと思っています。


?については日航機事件の隠蔽工作、取材妨害を大量の資材・人材を導入して行う組織に自ら遭遇し、その謎の組織の存在について考察を行った「蘇る亡霊」シリーズから見えてきたレベルです。いわゆる人の世の最高権力機構、または思想・宗教・権威の統括的地位、言い換えれば人に行動原理を与える立場に居る人々の世界です。他の陰謀論と一線を画すのは、何と言っても日本の知られざる闇組織「クロカモ」の存在を世に提示したことです。彼らには警察の権限も届かず日本国内で超法規的に活動することが許されているようです。警察が指をくわえて彼等のやりたい放題をただ見ている様を、嫌と言うほどこの目に焼き付けてきました。これまでの陰謀論は、どうしても「隷属国家日本」、「世界に冠するユダヤ資本、イルミナティ」という先入観で世界観を論じがちでしたが、私にとっては、それこそ世間を欺くプロパガンダであり、日本の闇組織は権威も科学的技術力も世界のそれと同等、あるいは一段も二段もその上を行っているように見えます。むしろ、認めなたくないことですが、陰謀論の主要テーマ、人口削減計画やNWOの絵を描いているのは、これら日本の秘密結社なのではないかとすら思っています。また、「天皇の金塊」とは「金塊=イエローケーキ」の符牒、つまり、闇の核兵器開発と世界への拡散をベースとした天皇家の資産形成を指していると理解しています。恐れ多いことですが、核絡みの123便事件も福島の事故も言い換えればクロカモもとい天皇家の犯罪(*1)であり、その事実に苦しみ抵抗を試みたのが先の昭和天皇であったはずです。

では、その日本の闇組織や天皇家が何故、日本の国土を穢し、日本人を敵視するような行動に出るのか?元々このレベルを国境で判断すること自体が無意味であり、それについてはまだまだ調査・熟考を要します。私には、正統ユダヤ人であることを自負する彼らが(*2)、彼らの人間的感情をも超えた何か大きな計画に基づいてそれを実行しているようにも見えます。スピリチュアル系の方がよく口にする「アセンション」なども、私は彼らの計画の一部だと捉えています。私に言わせれば「アセンション」とは「心地よき人類大量殺戮計画」と同義です。そして、その計画は現在ほぼ頓挫していると見ています。これらについては、今後詳しい説明を加えながら更に考えていきたいと思います。


?については、?の考察を深めていく過程でどうしても避けられないこと、秘密結社そのものの存在意義と行動原理を規定する存在、いわゆる「神(かみ)」の本質を図るレベルとなります。抽象論・哲学論だけで済むのならこんなにありがたいことはありませんが、残念ながら?日航機事件では通常の科学議論では説明不能な事象が幾つもリアルに現出しており(火球の目撃証言や軍機の大量墜落、非地球製物質の発見など)、実在としての神、もしくは実在としての宇宙的存在(*3)を規定しないと、通常の科学論だけで状況を説明することの方がむしろ滑稽となってしまいます。また、100名近くはいたと思われる多くの事故生存者(超常事象の目撃者)を切り裂き、焼き殺し、毒殺するなど、日航機事件がこれだけ徹底的に隠蔽されてきた理由も、?にとっての精神的・行動哲学的支柱である?の隠された部分が、あまりにも多くの一般人の目に露になったからであろうと、帰納的に導かれるのです。

幸い、私はクリスチャンであり(*4)、神の実在を説くことに抵抗はありません。また、天地宇宙の創造主の前では、同じ被創造物である地球人と他の惑星人、神霊を区別する絶対的な理由など一つもありません。問題なのは、初詣は毎年欠かさないのに、宗教的議論を良しとしない一般的な日本人の性向です。いわゆる科学的論考だけをお求めの読者様にはたいへん申し訳ないのですが、「見えざる人々と神の鉄槌」シリーズはこの領域に敢えて踏み込むつもりです。そうでなければ、私の日航機事件の真相究明作業は永久に終らないでしょうから。


*1 天皇家の犯罪:けして陛下個人を責めてはいません。天皇という地位は、最高権威に群がるクロカモなどの渡来系旧豪族・祭祀集団に絡め取られ、日本の統治王としてもはや名目的存在とさせられているのが実情で、そんな状況がかれこれ千年以上も続いているのでしょう。お隠れになった真の天子様を取り戻すことこそ、今の日本人に課せられた重大な義務であると考えます(岩戸開き?)。

*2 正統ユダヤ人:モーゼのエクソダス(出エジプト)と日本民族誕生の関係についても、本シリーズで触れる予定です。一見、日航機事件とは何の関係もないようですが、クロカモ、現天皇家のアイデンティティと世界的な秘密結社の繋がりを問う上で、避けられない話題となります(参考:「イスラの十二の流れの源泉判る時来たぞ」−日月神示)。

*3 宇宙的存在:イギリスの思想家デビッド・アイク氏は、神とも言えないこのような存在を「四次元に住まう爬虫類的人類(レプティリアン)」と呼んでいるのだろうと私は解釈しています。彼の世界観の中では大きなウェイトを占めるこのレプティリアンですが、私はこれを「見えざる人々」と呼び、彼らの正体と日航機事件との関係について暴くことも本テーマの一つとします。

*4 クリスチャン:とは言っても、私は精霊主義者であり、主とキリストを同一視する三位一体の立場を取りません。日本神道のように、様々な霊的存在・神々を認めていますし、むしろ、神道と源泉は同じだと思っています。自己紹介する時は「神社で祈祷を挙げるクリスチャン(笑)」だとも言ってます。キリスト教なら何でも一神教であるとする、視野の狭い社会学者の学説はまず疑ってかかるべきです。

*5 船井総研:現会長はもはや日本のスピリチュアルリーダーと言ってもよい船井幸雄さんですが、日航機事件と福島原発事故については何故かとても口が重いようです。気のせいでしょうか?


写真1:矢田坐久志玉比古神社(やたにいますくしたまひこじんじゃ)
    奈良県で最も古い神社の一つ。易や風水などを学ばれた方なら、
    この写真から、この神社が結界に閉じ込められているのがわかる
    はずです。呪術の実効性については不明ですが、この国では太古
    の昔から隠しごとや誤魔化しが罷り通っていたと言えるでしょう。
    御祭神は、神武天皇以前に日本を統治していたと言われる、
    櫛玉饒速日命(クシタマニギハヤヒノミコト)です(諸説あります)。
    (Google Map 経緯度: 34.653421,135.748054)


 * * *


これまで、私をずっと監視し続け、時に激しく取材妨害を企てた皆様にお願いがあります。私が作った上記チャートをよく見て、あなたの職業的立場がどこにあるのかよく考えてください。果たして、人命を奪ってまでしがみ付く地位なのかどうか。いずれにせよ、第四層の人々の奴隷、いわんや動物霊の奴隷として使われているだけの身分なのです。また、第四層に属し、尊き血統、希代の霊能者だと自負しているあなた様ですら、広大な宇宙空間と主の前ではただの使いにすぎない存在なのです。いい加減に、ご自身が九尾や天狗の類に化かされていることに気が付いてください。そして、日航機事件を隠し続ける意味とはいったい何なのか、もう一度、ご自身の良心(内なる神)に向き合って問い直すことを強く求めます。


NUNC AUTEM QUAERITIS ME INTERFICERE HOMINEM QUI VERITATEM VOBIS LOCUTUS SUM QUAM AUDIVI A DEO HOC ABRAHAM NON FECIT
ところが、今、あなたたちは、神から聞いた真理をあなたたちに語っているこのわたしを、殺そうとしている。アブラハムはそんなことはしなかった。
(ヨハネの福音書 第8章40節)


遠つ祖霊の地より
管理者 日月土

日本帰国後の日々雑感−放射性食材を食べる

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フィリピンから日本に帰国して2ヵ月半、放射能渦の中で何とか生活してます。現在、西日本にいるので、空気や水についてはある程度凌げますが、食事については帰国当初から苦労しています。

福島原発の事故から約1年、日本からはるか遠くに離れ、現在の日本の状況に慣らされていないためか、食材にある程度以上の放射性物質が含まれていると、口にした直後にそれがはっきりとわかります。

私の場合、側頭部にジワジワとした偏頭痛を覚えるのです。西日本や九州産の米や野菜ならほとんどそれを感じませんが、食事に牛乳や肉、卵が含まれるともうダメです。一部を除くビールや静岡以東のお茶も基本的にダメ、そのため、外食も加工品も、付き合いで断れない場合を除いてまず口にしていません。おかけですっかり菜食主義者になってしまいました。体重が減ったのは非常に喜ばしいことなのですが・・

魚については、スーパーの鮮魚売場の前に立った瞬間にもうダメ。頭がキンキンに痛くなります。なので、試しに食べてみようという気すらおきません。唯一例外だったのは、福岡で玄海灘産の鯛と、札幌で釧路産の平目を頼んだ時で、食べる前はちょっと怖かったですが、特に異常を感じることはなく、おいしくいただきました。札幌では調子に乗ってその他の魚介をお寿司で食しましたが、ウニを食べた時にいつもの痛みが発症し、「やっぱり底物はダメかぁ」と少しがっかりしました。もっとも、出されたものが北海道産とは限りませんが。

西日本産と言っても安心してられません。愛媛産の伊予柑が安く売られていたので、袋を手に取ってみると、「理由あり」の札が。見た目には、ワックスが塗られてない以外、どこが理由ありなのか分からないくらい上質の物だったので、思わず買ってしまいました。

自宅でさっそくひと房つまんだところ、いつもより強いあの痛みが走るではないですか。残念ながら、その瞬間にその袋全部が放射性廃棄物確定となりました。本当に「理由あり」だったようです。出荷農家もちょっと気が咎めたのかどうか知りませんが、それより前に食べた愛媛産柑橘類ではそのようなことはなかったので、おそらく愛媛以外の産物を「愛媛産」と称して卸したのだろうと疑っています。

これまで口にして、最もひどかったのがコンビニなどで売られているヤ○○キの菓子パンです。差し入れで出されたので、仕方なく口にしましたが、その時発症した頭痛は半端なものではありません。通常は数時間で治まるものなのですが、その日の晩は寝ている間も痛みが取れず、翌日になってやっと何とか落ち着きました。これにはもう懲り懲りです。こんな恐ろしいものを食べ盛りの子供たちがオヤツにしているのかと思うと、心底胸が痛みます。

 * * *

東京へも一度行きましたが、銀座の喫茶店で出された水を一口飲んで、直ぐにお腹がゴロゴロし始めたので、頼んだコーヒーに中和剤として携行しているXXを入れ、半分位飲んだところで止めました。その後は、西日本から抱えてきた2Lペットボトルの飲料水で凌ぎ切りました。あと、タバコ葉もひどく汚染されていますね。愛煙家を自称する私ですら他人の煙に耐えられず喫煙室には座ってられませんでした。

関東地方にお住まいの方には失礼かもしれませんが、よくこれで1年間やってこられたなと、妙に感心してしまいました。不思議なことに、フィリピンであれほど感じた日本人旅行者の「放射」感も、まさに汚染の中心地であるはずの東京ではあまり感じません。よかったとホッと胸を撫で下ろす反面、こんな水しかない所でここまで持ち直したことに、逆に不思議な思いを覚えます。これは推測ですが、政府も関東住民に一度にバタバタ逝かれたらたまらないので、私も使っているXXのようなものを、密かに散布したり、水道水に混入しているのではないかと勝手に想像しています。

XXについては、科学的根拠が生理学的に認められている訳でもなく、万人に同じような効果があるとも言い切れないのでここでは紹介しません。少なくとも放射線により発生する水ラジカル(H3O)を中和することはできるので、放射線性の疾患と身体の放射感をある程度抑えることには役立っていると思われます。しかし、体内放射性物質を除去するものではないので、いつまでその抑制効果が持続するかは疑問です。もしも日本政府のとった手法がXXなら、やはり時間稼ぎでしかありません。水でお腹を壊すような所に居住すること自体に無理があるので、一番ベストな選択は、やはりより安全な土地に避難することです。

しかし、その一方、放射性瓦礫の全国広域処理が強行され、避難地の選択肢もこれからどんどん狭まってくると予想されます。私に入ってくる情報は、全国の地方自治体で瓦礫焼却問題が起きているその水面下で、汚染汚泥(おでい)が何の規制もなく全国中に持ち出されていると伝えており、大阪湾などでは既に相当量の汚泥が不法処理されている模様です。また、九州の宮崎にも、かなりの汚染汚泥が集積しており、まさに埋め立てられる寸前であるとも伝えています。政治権力側では、民主党の岡田グループ、自民党の中曽根・小泉・麻生グループがこれに大きく関与しているとの報告も受けています。岡田氏の資金的背景にあるイオングループは、見えにくくされていますがロスチャイルド・三井住友銀行(ここでも住銀か!)の資本系列です。

狂った政府と今更言っても始まりません。そんなことは太平洋戦争や27年前の日航機事件の時に既に露呈していたし、実際に日本を統治しているのは、一般国民の与り知らない闇機関なのですから。今は何とか、地域毎に自分たちの身を守っていくしかありません。幕府の圧制に抵抗する弱小藩主のように。一藩では力不足というなら、もはや同志の藩が寄り集まり、倒幕連合を形成するしかありません。私たちの日本は単一民族の平和国家であるとマンガのような幻想を吹き込まれていますが、その実は、中央と地方の長い対立の歴史を背負った内乱の国であること、それに相応しい統治者(天子)を頂かない限り、真の統一国家(大和)になれない国であることを努々忘れてはなりません。

私が応援する木下黄太さんのブログ↓もご覧ください
http://blog.goo.ne.jp/nagaikenji20070927

遠つ祖霊の地より
管理者 日月土

JAL123便墜落事故−真相を追う−見えざる人々と神の鉄槌(3)

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※一部に加筆・修正があります(2012.06.26 03:40)

前回の「見えざる人々と神の鉄槌(2)」を読み直し、まだかなり説明が不足していると思ったので、その補足をここに記したいと思います。特に、第二層の「経済戦争」については、これまであまり記事にしてこなかった部分なので、そこを重点に解説します。基本的に過去の新聞記事や年表で追える内容なので、必要がない限り出典は特に示しません。

まずは、私が作成した日航機事件の事象別チャートの概略を下記に示します。詳細は前回関連記事を参考にしてください。4年以上に渡る調査活動経験から、複雑なこの事件の全貌を理解するには、チャート内の各層毎に、事象を整理しながら解釈していく必要があると考えます。

?第一層「表」
   一般社会が認知している日航機事件

?第二層「表の裏」
   日航機事件当時の国際間経済対立構造(プラザ合意など)の現れ

?第三層「裏の表」
   日航機事件当時の軍事覇権対立構造(日本の核兵器開発など)の現れ

?第四層「裏の裏」
   世界の意思決定者層の思惑(予期せぬ展開、昭和天皇暗殺疑惑など)

?第五層「真相」
   知られざる最高統治者の露呈(超常事象の発現)


■1985年、プラザ合意(先進5カ国蔵相・中央銀行総裁会議)の背景と日航機事故

日航機事件が発生した1985年、未曾有の520名が死亡するという大事故から、わずか一月余りの9月、米国においてプラザ合意が電撃的に締結されます。これにより、1ドル240円台前後だった為替レートが、1年後には150円台になるという、急激な円高が始まります。

実は、この年の1月にも同じ先進5カ国蔵相・中央銀行総裁会議、加えて6月にも東京で先進10ヶ国蔵相会議が開かれています。基本的に財政赤字と貿易赤字という双子の赤字に悩む米国経済を他の先進国がどう支援するかというのがお題目だったのですが、当時の報道を読む限り、1月の会議でも日本の円高を容認するという意味での合意が甚だしく不調だった痕跡は認められません。ところが、1月の会議直後はむしろ円安に振れ、会議から半年経っても、10円程度の円高に留まりました。その成果は9月の合意に比べれば見る影もありません。

注意すべきなのは、同じくG5の参加国である西ドイツ、フランスの動きです。特に西ドイツのコール首相(当時)は、前年1984年の5月にはフランスと軍事協力協定を調印し、翌1985年には1月、8月とフランスのミッテラン大統領との間で2回も首脳会談を行っています。国際軍事評論家B氏のお話によると、コール首相は米国支配の軍事・経済網から離脱するため、隣国フランスと連携を強め、最終的にはNATO軍の脱米国依存、独立軍化を狙って積極的に外交を進めていたと言います。ここで、ヨーロッパへの影響力を失うことなど、米国政府として到底容認できなかったことは容易に想像されます(*1)。

巨額の対米貿易黒字で潤う日本、米国の影響力排除を計る独仏。しかも、日本は円高を誘導すべき1985年1月のG5の合意を、まともに実行しようとする気配はありません。日本の経済的立場からすれば、自らの不利益になる円高誘導案など飲めるはずがないという理屈も、透けるように見えてきます。貿易立国、電子立国と、現在の姿からは想像できない程の経済力を蓄えた日本が次に打ち出したプランが、アジア共通通貨圏構想だったのです。つまり、将来的なFRB(米国連邦準備制度)からの離脱宣言です。加えて、西ドイツも経済は極めて好調、心配されるのは中距離核弾頭SS20を配備したソ連の動き位だったかもしれません。

ここで、プラザ合意前の「脱米国」という日独仏の基本スタンスがくっきりと見えてきます。そんな矢先に起こったのが次の大事件・大事故です。

(1)1985年7月 虹の戦士号爆破事件(フランス)
(2)1985年8月 ドイツスパイ事件(西ドイツ)
(3)1985年8月 日航機事故(日本)

そして、この3国内政を揺るがした国内事件・事故の直後(9月)に、プラザ合意が改めて締結されるのです。この年、何と3回目の世界的蔵相会議にてです。

(1)の事件では、フランス政府が爆破事件への関与を認め、諜報工作機関(DGSE)の局長が解任され、国防大臣が辞任するなど、フランス国内の大スキャンダル事件となりました。また、(2)の事件では、コール首相の女性秘書とその夫が東側のスパイとされ、国家重要機密情報の流出懸念と、首相の脇の甘さが問題視された大スキャンダルとなりました。そして(3)の日航機事故こそ、表面上でも520名が死亡する大事故として世間の大きな関心を集め、一方その裏側では、本ブログでお伝えしているように、日米ソの軍部が直接介入する程の、未曾有の大事件(事変)であったのです。

これら、脱米国を目指した日独仏3国内で立て続けに起きた大事件と、プラザ合意の電撃締結が、果たして全く無関係であると、読者の皆様は思われるでしょうか?もちろん、これらを繋げる明確な証拠がない限り、それぞれ独立した事象であると言われても反論できません。もしも、状況証拠的な説明を許していただけるなら、

「例え、政府間・中央銀行間で合意が成されても、民間の膨大な資金が実際に動かなければ合意は反故にされる」

という点を指摘します。特に、当時の経済大国、日本と西ドイツ(*2)の民間資本が協調介入しなければ名目だけの合意に終わってしまうはずです。それは、1985年1月のG5合意直後にほとんどその目標が達成されなかったことに端的に現れています。では、9月の合意では何故民間資金がこれだけ大きく変動したのでしょうか?民間資本を突き動かす動機、言い換えれば「恐怖」を考えた時、答は自と見えてきます。


図1:2010.05.16 の講演会資料から(1)
   講演時には、日航機事変は日本、および西ドイツ、フランス
   への英米による軍事的恫喝であると捉えていた


写真1:1985年5月、G8サミットに出席した5カ国首脳(西ドイツ、ボン)
    左から、ミッテラン(仏)、サッチャー(英)、コール(独)、
    レーガン(米)、中曽根康弘(日)、他、伊加露の首脳は省略。
    3国が英米首脳に分断されながら中央に並んでいるのが興味深い。
    良し悪しは別として、当時の首脳クラスには重みがあったものだ。
    それに比べて今は・・・いったい何なのだろう、この軽さは?


(*1)NATO軍の独立は容認できない:TWA800便事故(Wikipedia)など米国発パリ行き便はよく落ちると言われている。NATO軍の主権に絡み、米仏の確執が生んだ計画的事故とも読み解くことができる。実際にTWA機のミサイル撃墜説もある。日航機事件のフランス版といったところだろうか。そういえば、2009年に発生した疑惑のエールフランス447便事故(Wikipedia)も、米国発ではないがパリ行きである。時間が許せば本ブログで取り上げたい。

(*2)日本と西ドイツ:あまり知られていないが、日航機事故犠牲者の中には電通社員が8名含まれている。実は、この年(1985年)に電通ドイツ支社が設立されている。また外国人犠牲者の中には2名のドイツ人貿易商も含まれていた。「蘇る亡霊(15)」では核を巡る日本とドイツの関係にも少し触れた。第二次大戦時の同盟国・敗戦国同士という歴史的背景もあり、日航機事件に絡む日本とドイツの見えない関係がとても気になる。


■予告されていた日航機事故

プラザ合意に前後する、日本航空のおかしな動きにについては以前にもお伝えしたと思います。それは、航空機燃料の先物調達で、

 (1)10年先の先物を購入したこと
 (2)円安想定で購入したこと
 (3)購入決定が事故当月の1985年8月であったこと

などです。9月のプラザ合意以降大幅な円高に触れ、以後高い円が定着したため、日航は約2200億円の大損失を計上することになります。こんな取引は一般銀行が受けるとは考えにくく、どこかの投資銀行と相対取引を行った可能性があります(知ってる方、教えてください)。つまり、2200億円のボロ儲けをした企業があるということです。

(1)の10年先物については、船舶関連など燃料を先物で扱う企業などでも、10年先の燃料価格を見通せるはずなどなく、そんな長期の先物を買うことはまずあり得ないと言います。それは、もはや燃料価格の高騰を防ぐリスクヘッジなどではなく、無謀な賭けに近い取引です。

(2)で円安を想定すること自体は企業判断ですが、(3)の決定時期からするとやはり変です。1月にG5、6月にG10など、日本の円高容認を求める英米の動きは明らかだったはずなのに、何故ここで円安判断をしたのでしょうか?これがプロの購買担当者の結論であるとはとても信じ難いです。

(3)の8月の決定時期ですが、詳しくはわかりませんが、私の調査では8月上旬頃ということで、ちょうど日航機事故発生の前後となります。事故との関連は日付がわからないと何とも言えませんが、少なくとも、9月のプラザ合意に向けて、まるで滑り込むように損を取りに行ってるように見えるのがたいへん気になります。

以上、この先物購入はおかしなことばっかりです。これについては、9月のプラザ合意に実効性が生まれ急激な円高に振れる、つまり、日航機事故の発生とその意味を予め分かっていればこそ可能な(*3)、巨額の利ざや取りだとも言えます。「プラザ合意を予見しているのならどうして円高想定ではないのだ」との反論もあると思いますが、当時、日航という会社が、半官半民企業であり、政治家や官僚、暴力団関係者に事実上私物化された特殊な会社であることを理解する必要があります。その辺の事情は、小説ですが、山崎豊子さんの『沈まぬ太陽』を読むと、雰囲気がよくわかります。作中に書かれた内容が全て事実とは言いませんが、他のノンフィクションと読み合わすと、かなり事実に近いであろうと想定されます。

(*3)事故の発生を予見:先物購入決定が事故発生より前と仮定した場合はもちろん、事故直後だとしても、裏事情には精通していたことになり、事故の惨劇を知りつつ実行した分、なおさら犯罪性が高いとも言える。


図2:2010.05.16 の講演会資料から(2)
   映画『沈まぬ太陽』から。実在の人物と役名を対比してみた。、
   本作品は日航組織内の様子については、非常に参考になる。
   もちろん、フィクションであることは差し引くべきだが。

説明がちょっと長くなりましたが、要するに

「大事故があって、プラザ合意が確定的なら、どうやって日航から金をむしり取ればよいだろうか。この会社は半分政府出資だし潰れることはないから、いくらでも上限は吊り上げられる」

と考えた輩が、日航外部、内部に居たと考えられるのです。金を受け取るのは外部、無理の多い先物購入案を立案するのが内部で、後は両者で話しさえ通しておけば、これ以上よくできたシナリオはありません。あまり想像を膨らましてはいけませんが、私が指摘したいのは、日航機事故の発生とプラザ合意成立の関係性を予め知らされた人物が確実にいて、日航内部に働きかけてこの無茶な先物買いの絵を描いたのだろうということです。更に加えるなら、大事故による混乱で、日航社内に監査の目が行き届きにくくなることも計算の内だったかもしれません。

極秘情報に近く日航内部に影響力のある人物となれば、政治家や有力官僚ということになりますが、それだけでも該当者の数が多くて「誰が」というところまで絞り込めていません。日航とはそんな有力者連中の漁り場のような会社だったようです。以下に関係有力者名の一部を列記して、今回の解説を終わらせたいと思います(役職などは当時のもの)。

 中曽根グループ
 ・中曽根康弘 (総理大臣)
 ・瀬島龍三 (伊藤忠商事会長、旧帝国陸軍参謀、中曽根ブレーン)
 ・竹下登 (大蔵大臣)
 ・糸山英太郎 (前JAL個人筆頭株主、中曽根の資金調達係)
 ・後藤忠政 (後藤組組長※、前JAL個人筆頭株主、糸山との交友関係)
 田中グループ(※)
 ・金丸信 (自民党幹事長、暴力団・朝鮮人脈に強い)
 ・後藤田正晴 (総務庁長官、元警察庁長官)
 ・小佐野賢治 (国際興業、前JAL個人筆頭株主、田中角栄の盟友)
 その他
 ・三塚博 (運輸大臣、福田派)

※田中角栄元首相は、同年2月、脳梗塞で倒れ田中派は急速に影響力を失い、中曽根派に寝返った竹下大蔵大臣(当時)の発言力が強まります。田中元首相の急病についても諸説あるのは皆様ご存知でしょう。ところで、後藤組といえば歴とした山口組系。山口組内では前年(1984)から同年にかけて派手な抗争事件を起こしています。同組の名からはまた、同和・在日系団体、住友銀行、そして米国CIA、英国情報部、バチカン情報部など各国諜報機関との太いパイプが連想されます。このように、関係有力者の人脈を辿るだけでも、日航機事件の裾野の広さが伺えるのです。


 * * *


今回の記事だけにフォーカスすれば、「123便は日本にプラザ合意を飲ませるため米国に撃ち落された!」と性急に結論を出すことは可能です。これなら、「悪の帝国アメリカ」、「属国日本」という一般的な陰謀論が求める答にピタリと合致するでしょう。実際、調査を始めてしばらくは私もそう思っていました。その考えを改めるきっかけとなったのが、S氏の集めてきた、夥しいまでのミサイル・軍機破片の数々、墜落現場に残る核の残像と事件隠蔽に暗躍するクロカモさんたちとの邂逅です。

一例を挙げれば、どうして撃ち落し役の米軍機が落されているのか、それも10数機も。上記シナリオでは全く説明がつきません。そして、ソ連軍機にソ連製装甲車まで見つかった現在、上記のような単純な二元的陰謀論の世界観では全く歯が立たないのが実情です。必然的に事件解釈のレベルを、第三層、第四層へとエスカレートせざるをえません。

但し、第二層の分析からこれだけは言えます。123便を撃墜する計画は当初から存在したと。その最終目的が何であったかはこれから追っていく問題ですが、少なくとも「1つの事象=1つの目的」に囚われる必要はないと言えます。本来の目的を知らなくても、墜落することがわかっていれば、そこにいくらでも謀議を組み込むことができるからです。例えば、経済人にとってはプラザ合意も含め日本のライバル企業に対する圧力に、政府・暴力団・マフィアにとっては知りすぎた関係者の始末に、核開発関係者にとってはIAEAの査察から秘密の核物質を隠すためにと、後めたい背景を持つ人物たちにとってはまさに絶好の機会であったはずです。グリコ・森永事件の実行犯が乗っていたという説も、日航機事件と同日の8月12日に終結宣言が出されたこともあり、その意味では蓋然性が認められると思います。ですから、同事件と日航機事件の関りを私は否定しません。しかし、同事件が日航機事件の主目的とする発想は、論理の主客が転倒しているとみなします。

奇しくも1985年4月、陰謀論世界の帝王、デビッド・ロックフェラー氏が東京を訪れ、三極委員会の場で講演をしています。ここで彼は、「世界経済のために、三極(日米欧)諸国の政府が取るべき措置」を勧告しています。また、当時の日銀総裁であった前川春雄氏も「日本の金融自由化」について発表しています(『日銀−円の王権−』吉田祐二 )。表向きの話はともかく、彼らが裏でどんなことを話していたのか興味があります。そこに、日航機撃墜計画はあったのでしょうか?

以下1985年の関連事件をまとめてみました。

 ・1月 独仏首脳会談
 ・    G5蔵相・中央銀行総裁会議
 ・2月 サッチャー英首相訪米
 ・    田中角栄元首相倒れる
 ・3月 日ソ首脳会談
 ・4月 デビッド・ロックフェラー氏東京講演
 ・5月 G8サミット開催 (西ドイツ、ボン)
 ・6月 G10蔵相・中央銀行総裁会議 (東京)
 ・7月 虹の戦士号爆破事件(フランス)
 ・8月 独仏首脳会談
 ・    ドイツスパイ事件(西ドイツ)
 ・    日航機事故(日本)
 ・9月 G5蔵相・中央銀行総裁会議(プラザ合意)

以後、急激な円高が進み、翌年1986年には日本の市場開放を求める前川レポートが発表されます。そして過剰なバブル経済が生まれ、弾けた後、坂道を転がり落ちるかのように日本の経済は失われた20年へと続くのです。それがすなわち、今の私たちが住む日本なのです。

このように時間の流れを俯瞰すると、日航機犠牲者の悲痛な運命と、現在に生きる私たちの運命とは、27年の時が過ぎようとしている今も、歴史の底流部では深く繋がっていることに気が付かされるのです。


ET NUNC DIXI VOBIS PRIUSQUAM FIAT UT CUM FACTUM FUERIT CREDATIS IAM NON MULTA LOQUAR VOBISCUM VENIT ENIM PRINCEPS MUNDI HUIUS ET IN ME NON HABET QUICQUAM
事が起こったときに、あなたがたが信じるようにと、今、その事の起こる前に話しておく。 もはや、あなたがたと多くを語るまい。世の支配者が来るからである。だが、彼はわたしをどうすることもできない。
(ヨハネの福音書 第14章29,30節)

遠つ祖霊の地より
管理者 日月土

JAL123便墜落事故−真相を追う−見えざる人々と神の鉄槌(4)

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前回の(3)に続き、「見えざる人々と神の鉄槌(2)」の補足を行います。今回は下記の事象レベル?、?に該当する、日航機事故に関わる闇組織について、私がどのような捕らえ方をしているのか改めて説明します。

?第一層「表」
   一般社会が認知している日航機事件
?第二層「表の裏」
   日航機事件当時の国際間経済対立構造(プラザ合意など)の現れ
?第三層「裏の表」
   日航機事件当時の軍事覇権対立構造(日本の核兵器開発など)の現れ
?第四層「裏の裏」
   世界の意思決定者層の思惑(予期せぬ展開、昭和天皇暗殺疑惑など)
?第五層「真相」
   知られざる最高統治者の露呈(超常事象の発現)


■超兵器を操る者たち

これまで本ブログにお付き合いくださった読者様なら、「蘇る亡霊」シリーズの中で、私やS氏が、得体の知れない組織から集団で嫌がらせ行為、調査活動の妨害行為を受けたことはご存知かと思います。そのやり方の一つは、山岳道路のカーブの死角に置石をしたり、調査車両に物理的細工をしたり、複数の車両で執拗に幅寄せするなど、陰湿極まりない手口であり、少しでも気を抜くと死に直結する大事故になりかねないものでした。
(参考:蘇る亡霊(14))

その様な古典的な手口だけならまだしも、車載の電磁パルス銃で電磁波を照射し、あるいは携帯中継局などから電磁波を照射し続けたりなどして、ドライバーの思考力・判断力を奪い、やはり事故を誘発、あるいは調査活動の意欲そのものを喪失させようとするハイテク系機器を駆使した方法まで使ってきました。彼らの使用する電磁波系の非殺傷兵器については、その電磁波を計測器で補足するのに成功し、ビデオ動画と共に記事に掲載したのは、皆様お記憶のことかと思います。
(参考:蘇る亡霊(8))

このブログで彼らが電磁パルス兵器を使用している事を公にすると、今度は計測の難しい超音波系の波動兵器を使い始めるようになります。これはどうやら加湿器の原理と同じようで、濡れたタオルなどを車内に掛けておくと、タオルから蒸気が出てくるので照射されているのがわかります。また超音波は物理的圧力を生じるので、蓋をした空のペットボトルなどを車内に置いてると、ボトルが「ペコッ、ペコッ」と音を鳴らし始めるので、やはり照射に気づくことができます。

電磁波系も超音波系も、不完全ながらとりあえずの防御法は見つけています。それについては、手の内を晒すことになるので、ここで説明するのは割愛させてください。ただし、毒ガス系(微弱な神経性ガス)による妨害については、その場から離脱して口腔を水で洗浄する以外にこれといった方法がありません。ガスマスクを装着すればよいのかもしれませんが、さすがに装着しながらの運転は周囲の目が気になります(苦笑)。

さて、彼らのやり口というのは、とにかく「証拠が残らない」方法に徹しており、どうやら我々が自損事故で死んでくれるのが一番美しいと考えているようです。もっとも、S氏の場合は、業を煮やした相手に車で体当たりされ、跳ね飛ばされた経験もありますが、その時は何とか軽傷ですんでいます。

極めつけは、墜落現場一番乗りの民間人として、2010年5月の講演会で証言をしてくださったM氏のケースでしょう。ご存知のように、陸上自衛隊習志野駐屯地の正門前で、運転中の車の後部タイヤに熱線銃(レーザー光線だと思われる)を照射され、タイヤがバースト。元街道レーサーの運転テクニックがなかったら、あわや対向車線の壁に激突していただろうというダメージを負いました。これは、証言予定日の2週間ほど前の出来事でした。
(参考:蘇る亡霊(13))

以上のように彼らは、一般には知られていない、電磁パルス、超音波系の波動兵器を標準装備として使用しているだけではなく、SF世界のものと思われたレーザー光線銃まで持ち出してくるのですから、その研究開発能力は国家レベル並みと断言できると思います。加えて、その辺にある送電鉄塔や携帯中継局が即兵器に転用できるものならば、その設置に関して、自衛隊、警察はもちろん、総務省などの国家機関、電力会社、大手通信キャリアまでもが彼らとグルであると考えられるのです。
(参考:蘇る亡霊(16))

このSF的ハイテク装備を以って日航機事件の真相究明活動を妨害してくる組織を、国営テロ集団改め、「クロカモ」と私が命名したことについては、すでにご存知かと思います。


■呪術集団としてのクロカモさん

これだけのハイテク武装集団でありながら、彼らにはまた奇妙な一面があります。私も何度か経験しましたが、調査行程の行き返りに、路上に放置された猫の死体をやたら見かけるのです。私の場合は4〜5匹位が最大ですが、S氏の場合は、墜落現場である群馬県の上野村から埼玉県の自宅に帰宅するまでの間、10匹以上もの猫の死体を目撃したことがあるとのことです。

さすがに偶然とは思えず、これについて国際軍事評論家のB氏にお伺いしたところ、次のような返答をいただきました。

「それは典型的な西欧系諜報機関のやり口です。CIAなんかがよくやる手ですね。一種の魔術、呪(まじな)いと考えてよいでしょう。」

超ハイテク機関でありながら魔術・呪術?とちょっと驚きますが、B氏によると、彼らは大真面目でそういうことをやるそうです。それも脅しでなく、本気で呪いをかけてくるのだと。

これに関連して、気になることを思い出しました。調査行程中、クロカモ部隊の大集団を引き連れて車で移動することは度々あったのですが(本当ですよ)、ある特定の寺社に駆け込んだ時だけ、彼らが威圧をピタリと止めることがあるのです。警察署の前だろうがお構いなしのならず者集団が、なぜか、神社仏閣の前で鳴りを潜めるのです。何度となくそういう経験をしていたので、おかしいなと思っていたのですが、B氏の回答と重ね合わせるとおぼろげながらその意味が見えてきます。

その答の一つが、推測ではありますが、彼らが、神道・仏教系の思想的・信仰的バックボーンを背負った集団であるというものです。例えば、大日如来を祖霊(おやがみ)と崇敬するグループが、同じ大日如来を本尊とするお寺の境内の中で果たして無軌道に暴れ回れるものでしょうか?私もキリスト教信仰者ですので、何となくその自制のメンタリティーが理解できるのです。

このブログの連載当初から、「日航機事故隠蔽工作の裏に古代神道系(仏教系も)の秘密結社の存在がある」と主張していたのは、実は、これらの経験と観察から導いた結論なのです。B氏によると、軍隊が最終判断として、呪術(魔術、占星術)や霊視を拠り所にするのは古今東西どこも同じで、先の旧帝国海軍がお抱えの専属霊能者の助言で、出撃を決めていたのは有名な話だとのこと。また、その行動が死に直結する軍人ほど信仰心の厚い者達はいないともお話されていました。

そういえば、第二次世界大戦中のドイツ帝国軍の作戦立案で、ヒトラーのお側占星術師、カール・エルンスト・クラフトなどは有名ですし、その作戦を読み切るために、イギリス側もアレイスター・クロウリーという占星術師を採用したなどというのは、いささかオカルチックではありますが、死に直面する人間心理を考えれば、さもありなん、むしろ大きなウェイト占めていたと考えられないこともありません
(参考:アレイスター・クロウリーと英独の“占星術戦争”)

最近の本ブログ記事で、意図的に「易」、「風水」、「呪術」などという単語を用いたのには、実は、そのような背景があります。私は霊能力者ではないし、正直なところ、呪術と言われても体感できないのですが、信じるものにとって非常に重要な事柄であるのは理解できます。私自身が行う教会における祈りも、いわば呪術のようなものであるし、それを無くして信仰を語ることすらできません。大事なことは、クロカモなる闇の存在を理解しようとするなら、彼らの思想と信仰を理解すること。そのためには、そこに現れる、オカルト的事象までをも含めて、全て大真面目に受け入れる度量が必要だということです。

図1:ご存知、六芒星
   △:無α、▽:有Ω、二つの三角を重ねて「三重→伊勢」となる
   スピリチュアルの世界ではお馴染みだが、日航機事件の真相究明
   ではこうした問題も真面目に考える必要がありそうだ


 * * *


文中では、旧帝国海軍のエピソードを引き合いに出しましたが、旧帝国陸軍も、占領していた朝鮮半島で、朝鮮国家の精気を奪うため、古宮にある風水上の要所に、堅牢な朝鮮総督府を築いたと言われています。また、半島内にある前方後円墳を破壊し続けたとも聞いています。それに何の意味あるのか?というのは現代に生きる我々の感覚であって、そこに国家存亡と己の生死を賭けた人々にとっては、呪術のフィールドにおいても真剣勝負であったのは言うまでもありません。それは、狂気と表現される、イルミナティやフリーメーソンの悪魔崇拝の儀式にも言えることであり、当事者の彼らにとっては、自身を悪魔神の力になぞらえる重要な通過儀礼であることは言うまでもないでしょう。

日航機事件の真相を理解しようと思ったら、形に表れる経済・軍事の覇権争いを論じるだけでなく、我々の常識には納まらない大きな思想・信仰を内に秘めた、闇世界の人間たちの心理を、予断を許さずに見据えなければなりません。




ET QUOD VIDIT ET AUDIVIT HOC TESTATUR ET TESTIMONIUM EIUS NEMO ACCIPIT QUI ACCIPIT EIUS TESTIMONIUM SIGNAVIT QUIA DEUS VERAX EST
この方は、見たこと、聞いたことを証しされるが、だれもその証しを受け入れない。その証しを受け入れる者は、神が真実であることを確認したことになる。
(ヨハネの福音書 第3章32,33節)

遠つ祖霊の地より
管理者 日月土

JAL123便墜落事故−真相を追う−蘇る亡霊(17)

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☆日本の核開発に関する海外の報道(その1)

ちょっと前に、国内在住の評論家として著名なビル・トッテンさんのコラムに次のような文章が掲載されました。以下にURLとその引用文を掲載します。ただし、何か都合悪かったのか、現在ではこの文章は削除されているようです。内容が内容だけに、政治的な判断をされたことは想像に難くありません。

-----引用(ここから)-----

http://www.ashisuto.co.jp/corporate/totten/column/1197399_629.html

2012年05月07日

 4月13日の朝、北朝鮮はロケットの打ち上げに失敗した。北朝鮮は「衛星」であると主張し、発射実験を取材できるよう海外からの取材団を平壌に受け入れていたが、日本政府はその「核実験」に備えて、首都圏にも迎撃ミサイルを配備して迎撃態勢をとるほどだった。

(ビル・トッテン)

原発と核兵器は同じ

 打ち上げまでの数日間、ニュースはこの北朝鮮の核実験の話題でもちきりで、日本が直面している核の恐怖、たとえば事故から1年以上たっても福島第一原発では毎日9トンの水を注入してメルトダウンしないよう燃料棒を冷やさないといけないとか、3号機にある大量のMOX燃料はどうなっているのかといった報道はなされなかった。

 そんな矢先に、アメリカの国家安全保障問題専門の通信社である「NSNS」が、アメリカ政府は核技術の国外移転を禁じるという法律を破って日本が原子力の平和利用の名の下に核兵器の原料となるプルトニウムを備蓄することを手助けしていたという調査レポートを公開した。(http://www.dcbureau.org/)

 この記事によれば、日本政府は1960年代から秘密裏に核兵器開発の計画を保持しており、それをCIAなどの諜報活動でアメリカは確認していながら、プルトニウム増殖炉の設備や技術の日本への移転を認めるとともに、英仏からの再処理プルトニウム海上輸送を容認さえしていたという。つまり日本の権力者たちは、「核兵器を開発する目的で」プルトニウムを作る技術をアメリカから受けていたということだ。さらにこの記事は、日本はアメリカの核の傘に守られていながら、核の平和利用という名の下で電力会社を窓口にして、中国やインド、パキスタンの核兵器をあわせた以上の核兵器を作るのに十分な材料を蓄積してきたと記している。

 もしこの記事が本当なら、日本が民主主義国家だというのは悪い冗談だろう。なぜならこれまでのすべての政府、そして、すべてのマスメディアは国民の生命に関わる最も重要な問題について嘘をついてきたことになり、正しい情報を知らされない国民が適切な指導者を選挙で選ぶことなど、不可能だからだ。

 核兵器の推進は自殺行為である。日本は1つの核爆弾で国家の機能も崩壊するような小さな島国であり、アメリカや中国、ロシア、インドといった、地理的にずっと大きく、政治的、経済的にも機能が分散されている国とはわけが違う。今、福島の原子力発電所の事故が日本にもたらしているものは、まさに原発と核兵器が同じであるという事実を日本国民に突きつけている。

 アメリカの通信社の記事が真実かどうか私にはわからないし、なによりも、平和憲法を持つ世界で唯一、核兵器を投下された国の政府が核兵器を開発すると思いたくない。しかし福島原発の冷温停止を早々に宣言し、住民の反対にもかかわらず大飯原発の再稼働を急いだり、欧米各国は撤退しているのに2兆円以上使っていまだに高速増殖炉「もんじゅ」を推進していることを考えると、日本のジャーナリズムはその使命としてこのNSNSの記事について日本政府に問いただすべきであろう。

-----引用(ここまで)-----


ここで注目すべきなのは、ビル・トッテン氏が参照したDC BUREAUというサイトの記事です。この記事では、「蘇る亡霊(15)」などで本ブログが度々指摘してきた日本の核兵器開発に関する裏事情が述べられています。

本ブログでは、123便日航機墜落事件と日本の核開発を進める闇組織との間に密接な関係が存在すると仮定していることから、この記事を無視する訳にいきません。そこで、拙い訳ではありますが、同記事全文の日本語翻訳をここに転載することにしました。

翻訳文については、訳語が統一されていない、語義が不明瞭だなど不十分な点はあるかと思います。また、本ブログの従来の主張に基づく多少の意訳も含まれています。詳細については原文を参考に読み替えていただいて結構ですが、まずは、本記事が指摘する大意を読み取っていただきたいと、読者様にはお願いいたします。

長い記事なので、数回に渡ってご紹介したいと思います。Peace Philosophy Center さんには既に完訳が掲載されているので、全文に早く目を通したい方はそちらも参考にしてください。本ブログでは、記者と訳出者(日月土)の視点の同異を明確にする意味もあり、原文と新訳、及び解説を付けて紹介します。

-----引用(ここから)-----

http://www.dcbureau.org/201204097128/national-security-news-service/united-states-circumvented-laws-to-help-japan-accumulate-tons-of-plutonium.html#more-7128

米国政府は法の目を盗み、日本がトン単位でプルトニウムを蓄積するのを許していた
United States Circumvented Laws To Help Japan Accumulate Tons of Plutonium

記事:ジョセフ・トレント 2012年4月9日 (日本語訳:日月土)
By Joseph Trento, on April 9th, 2012


写真1:高速増殖炉もんじゅ

国家安全保障ニュースサービス(NSNS)が明らかにしたところ、米国政府は日本に対し、米国において最も機密性の高い核兵器生産施設に関する情報へのアクセスを漸次許していた。これは、1980年代に始まり、アメリカ国民が支払った税金、数百億ドル規模の研究開発費の提供にも相当し、結果として日本に70トンに及ぶ兵器転用可能レベルなプルトニウムの保有を許してしまったことになる。
The United States deliberately allowed Japan access to the United States’ most secret nuclear weapons facilities while it transferred tens of billions of dollars worth of American tax paid research that has allowed Japan to amass 70 tons of weapons grade plutonium since the 1980s, a National Security News Service investigation reveals.

これらの行為は、日本が僅かでも兵器に転用する可能性を有する核関連物質の取り扱いを規制した、米国国内法を度々犯していた。NSNSによる調査は、1960年代から日本に極秘の核兵器開発計画のあることを米国政府は知っていたと、CIAのレポートから見出している。
These activities repeatedly violated U.S. laws regarding controls of sensitive nuclear materials that could be diverted to weapons programs in Japan. The NSNS investigation found that the United States has known about a secret nuclear weapons program in Japan since the 1960s, according to CIA reports.


機密技術情報の拡散は、レーガン政権が100億ドルで中国に核反応炉を売却した時に始まる。日本は、核攻撃が考えられる仮想敵国の中国に影響の大きい核技術がまさに売り渡されんことへ抗議した。レーガンとジョージ.HW.ブッシュ(副大統領)政権は、(引き換えに)その供出を禁止する国内法と協定に反して、日本へ高度な核技術と核関連物質の供出を認可したのだ。
The diversion of U.S. classified technology began during the Reagan administration after it allowed a $10 billion reactor sale to China. Japan protested that sensitive technology was being sold to a potential nuclear adversary. The Reagan and George H.W. Bush administrations permitted sensitive technology and nuclear materials to be transferred to Japan despite laws and treaties preventing such transfers.


写真2:レーガン大統領とブッシュ副大統領(当時)

米国エネルギー省が管轄するサバンナ・リバーサイト、ハンフォード核兵器生産複合施設で蓄積された、たいへん高度なプルトニウム分離に関する技術、その何百億ドルにも相当する増殖炉研究の成果が、核拡散の歯止めもほとんど無しに日本に引き渡された。日本人科学者および技術者は、引渡しプロセスの中でハンフォードやサバンナ・リバーへ立ち入ることを許された。
Highly sensitive technology on plutonium separation from the U.S. Department of Energy’s Savannah River Site and Hanford nuclear weapons complex, as well as tens of billions of dollars worth of breeder reactor research was turned over to Japan with almost no safeguards against proliferation. Japanese scientist and technicians were given access to both Hanford and Savannah River as part of the transfer process.

一方、日本という国は、核兵器の配備を自ら禁じてきているし、アメリカの核の傘の下に留まっていることになっている。NSNSの調べでは、日本は、中国やインド、パキスタンのそれらを合わせた数よりも多大な核兵器を生産するのに十分な核物質を蓄積し、その隠れ蓑に電力供給会社を上手に利用していることがわかってきた。
While Japan has refrained from deploying nuclear weapons and remains under an umbrella of U.S. nuclear protection, NSNS has learned that the country has used its electrical utility companies as a cover to allow the country to amass enough nuclear weapons materials to build a nuclear arsenal larger than China, India and Pakistan combined.

このアメリカ政府による巧妙な核の拡散行為は、例えばイランのように、国際条約や国内法の定めを無視し、独自の核エネルギーへと急速に依存を高めている国々に、反論の余地を与える原因となっている。アメリカ同様に、ロシア、フランス、英国も、世界中で民間レベルの核エネルギー産業を展開しているが、それらは政府が直接管轄しているか、もしくはその子会社として管轄している軍産複合体から生み出されている。日本と同じように、イスラエルもその大きな恩恵を受けており、1960年代から既に核兵器の保有が実行可能であった点も、やはり日本の場合と同じである。
This deliberate proliferation by the United States fuels arguments by countries like Iran that the original nuclear powers engage in proliferation despite treaty and internal legal obligations. Russia, France, Great Britain as well as the United States created civilian nuclear power industries around the world from their weapons complexes that amount to government-owned or subsidized industries. Israel, like Japan, has been a major beneficiary and, like Japan, has had nuclear weapons capabilities since the 1960s.

一年前、自然災害と人災とが折り重なり、日本の東北地方に大被害をもたらした。同時に、3000万人の人口を有する首都圏をあわや居住不可能の地にするところだった。核の悲劇は大いなる苦悩として日本の近代史に記されている。日本とは核兵器による攻撃を受けた唯一の国だ。2011年3月、津波が海岸線を襲った後、水素爆発とそれに続く福島第一発電所の3基の炉心溶解が始まり、同地域に放射性物質を大量に撒き散らした。広島や長崎に落とされた原爆のように、日本は世代に渡る後遺症の大きさに直面するであろう。事故現場から20km以内の範囲は、居住不可能であると考えられる。そこは、国家的犠牲を背負った土地だと言える。
A year ago a natural disaster combined with a man-made tragedy decimated Northern Japan and came close to making Tokyo, a city of 30 million people, uninhabitable. Nuclear tragedies plague Japan’s modern history. It is the only nation in the world attacked with nuclear weapons. In March 2011, after a tsunami swept on shore, hydrogen explosions and the subsequent meltdowns of three reactors at the Fukushima Nuclear Power Plant spewed radiation across the region. Like the bombs dropped on Hiroshima and Nagasaki, Japan will face the aftermath for generations. A twelve-mile area around the site is considered uninhabitable. It is a national sacrifice zone.


写真3:2011年、関東東北大震災と津波被害後の福島原発


日本は核の悪夢からどうやって目覚めるのか?それは、1991年の頃からNSNSが調査を続けてきたテーマだった。調査の結果、私たちには、日本が二つの核開発プログラムを並存させていることが分かってきた。公にされたプログラムは、無限のエネルギーを国家に供給するための核開発だ。しかし、そこには隠された計画が含まれており、それは、日本が原料として十分な核物質を蓄え、極短期間で主要核保有国に成り得る技術力を醸成すること、つまり宣告されることなき核兵器製造プログラムだったのである。
How Japan ended up in this nuclear nightmare is a subject the National Security News Service has been investigating since 1991. We learned that Japan had a dual use nuclear program. The public program was to develop and provide unlimited energy for the country. But there was also a secret component, an undeclared nuclear weapons program that would allow Japan to amass enough nuclear material and technology to become a major nuclear power on short notice.

2011年3月11日、地震と津波が福島第一原発を襲うまで、70トンものプルトニウムを積み上げてきた、この極秘の試みは原子力発電計画の中に隠されていた。まさに、極秘原爆製造核を隠すための民生利用と言えるだろう。日本は、洗練された核兵器の供給システムを作り上げ、それを隠蔽する仕組みとして、核の平和利用という領域を上手く利用してきたのだ。
That secret effort was hidden in a nuclear power program that by March 11, 2011- the day the earthquake and tsunami overwhelmed the Fukushima Daiichi Nuclear Plant - had amassed 70 metric tons of plutonium. Like its use of civilian nuclear power to hide a secret bomb program, Japan used peaceful space exploration as a cover for developing sophisticated nuclear weapons delivery systems.


日本の政治的リーダーたちは、日本人が核利用を自らの生活に受け入れることを了解させる唯一の方策、それが、あらゆる軍事転用の可能性を長期に渡り隠蔽し続けることだと、よく理解していた。そのような理由で、代々の日本政府は純粋無垢なエネルギー政策、民生プログラムと偽装して原爆製造に手を染めていたのである。尤も、1941年に自国のエネルギー確保のため日本が世界大戦に参戦し、結果として核兵器の攻撃に晒された唯一の国になってしまったことは、何と言う皮肉であろうか。
Political leaders in Japan understood that the only way the Japanese people could be convinced to allow nuclear power into their lives was if a long line of governments and industry hid any military application. For that reason, a succession of Japanese governments colluded on a bomb program disguised as innocent energy and civil space programs. The irony, of course, is that Japan had gone to war in 1941 to secure its energy future only to become the sole nation attacked with nuclear weapons.


図1:東京電力ロゴ

エネルギー問題は常に日本のアキレス腱であった。石油を求める日本に、アメリカが取った石油禁輸処置は、日本に真珠湾攻撃の引き金を引かせたが、日本のエネルギー不足は敗戦に至るまで克服されない問題として残った。この屈辱的な状況を打破する唯一の手段、それが原爆製造を可能にする核分裂の利用だった。今となっては、日本は核分裂を自国の目的のために用いるだろう。核が次世紀の安定したエネルギー供給源であると確信するに留まらず、(兵器への転用により)自国が二度と敗戦の屈辱を味わわないと確信することは、同様に重要な目的である。、
Energy has always been Japan’s Achilles’ heel. Her need for oil in the face of an American embargo triggered Japan’s attack on Pearl Harbor, and the continued shortage was a recurring theme in her defeat in that war. Only one act could take more credit for Japan’s humiliation - the splitting of the atom that gave birth to the nuclear bomb. Now Japan would turn that same atom to its own purposes - to ensure a stable source of energy well into the next century and, equally important, to ensure that the homeland never again suffered the indignity of defeat.

日本は、電子産業や自動車産業が取り組んだ同じやり方で核問題に当たってきた。各企業の中核グループは長期的な利潤確保という主要課題を突き付けられていた。そこで、日本政府は企業の成功を確約すべく、財政政策的、技術政策的、そして規制措置による支援で彼らを支えた。この戦略は見事に機能し、日本は戦後の忘れられた状態から僅か一世代で経済的な優位性を築き上げた。
Japan approached the nuclear problem the same way it tackled the electronics and automobile industries. A core group of companies were each given key tasks with long-term profit potential. Then the government nurtured these companies with whatever financial, technological and regulatory support needed to assure their success. The strategy worked brilliantly to bring Japan from post-war oblivion to economic dominance in a single generation.

核技術の開発企業として指定された5社は、1950年代にアイゼンハワー大統領による核の平和利用プログラム下で日本に設置された、軽水炉型反応炉から最初の一歩を踏み出さなければならなかった。日本は、実験用増殖炉開発プログラムを商業的成功に導くという、それまでアメリカもヨーロッパも失敗していた研究から取り組まなければならなかった。過剰とも言える自信家の日本人技術者たちは、彼らがきっとやり遂げるであろうことを確信していた。結局のところ、彼ら日本人技術者は工業化プロセス作りの達人たちであった。彼らは、自動車にしろ、テレビにしろ、マイクロチップにしろ、アメリカやロシアよりも優れた製品を、より良い品質と低いコストで世に出したのである。核事故とは大抵の場合人為的ミスに帰結する。適切な教育や訓練を欠いた気の緩んだ操作、十分な冗長性の確保を怠るなどである。そのような人為的ミスはアメリカ人やロシア人には言えても、日本人には当てはまらない。
The five companies designated for the development of nuclear technologies had to make major strides beyond the conventional light water reactors that had become fixtures in Japan under U.S. President Dwight Eisenhower’s Atoms for Peace program in the 1950s. Japan would have to do what the Americans and Europeans had failed to do - make an experimental breeder program a commercial success. Their hubris convinced them that they could. The Japanese, after all, were the masters of the industrial process. They had turned out automobiles, televisions and microchips superior to the Americans, with better quality and at less cost. Nuclear accidents are almost always the result of human error: sloppy operators without the proper education or training or who did not install enough redundancies. Such things happen to Americans and Russians, but not to Japanese.


写真4:佐藤栄作元首相
    ※訳者注:記事が事実だとすれば、佐藤元首相のノーベル
     平和賞受賞は悪い冗談でしかない

中国、北朝鮮、インドそしてパキスタンが核兵器製造システムを進歩させてきた一方で、日本など西側陣営は、これら急増する脅威に対抗するため連携を強めてきた。1960年代にアメリカのジョンソン大統領と日本の佐藤栄作首相の間で秘密裏に会談が行われ、そこには首脳に次ぐ日米の指導者層も集まり、増大し続ける東アジアの軍拡競争に対抗するため、日本の戦力を強化する目的でアメリカの核製造技術を秘密裏に提供することが、国際戦略の一部として決定された。この方針はレーガン政権の時に最高潮を迎え、アメリカ国家の政策を劇的に変化させた。アメリカ政府は、日本に送られた自国技術に由来する核関連物質の取り扱い権限を、事実上全て日本に譲り渡した。
As China, North Korea, India and Pakistan developed nuclear weapon systems, Japan and her Western allies strengthened their alliances to counter the burgeoning threat. From a secret meeting between U.S. President Lyndon Johnson and Japanese Prime Minister Eisaku Sato in the 1960s and the participation of several subsequent American and Japanese leaders, the secret transfer of nuclear technology was part of an international strategy to fortify Japan against an ever-escalating East Asian arms race. This policy culminated during the Reagan administration in legislation that dramatically changed U.S. policy. The United States ceded virtually all control of U.S.-origin nuclear materials shipped to Japan.


これが世界と自国民を痛く刺激することに対して、日本政府は、よく知れ渡った自国民の核兵器嫌いを逆手にとって、メディアや歴史学者が核兵器開発・保有議論について関心を持たないよう誘導した。結果的に、2011年3月の悲劇まで、日本の核産業の実態については批判の目から遠ざけられていたのである。IAEAだけでなく、世界の核拡散防止機構もまた盲目であったことを露呈した。
To the detriment of the world and her people, the Japanese government exploited the Japanese public’s well-known abhorrence of nuclear weapons to discourage the media and historians from delving into its nuclear weapons activities. Consequently, until the March 2011 tragedy, the Japanese nuclear industry had largely remained hidden from critical eyes. The less than thorough International Atomic Energy Agency, the world’s proliferation safeguard agency, also turned a blind eye.

数十間年も秘密を守り続けた日本の産業界を垣間見ただけでも、日本と西側の核関連政策、そして公的機関が、冷戦後もこうした政策を保持し続けたことに、我々の調査は、重大な関心を提起せずにはいられない。国際的な企業体および公的機関は、この誤魔化しを継続するために公共の安全を犠牲にしたのだ。核の平和利用という見せかけの下、彼らは莫大な利益を手にしてきたのだ。
In a rare glimpse of a Japanese industry that has remained top secret for so many decades, our investigation raises serious concerns about Japanese and Western nuclear policies and the officials who shaped those policies during and after the Cold War. International corporations and officials sacrificed the safety and security of the public to carry out the deception. Under the guise of a peaceful nuclear power program, they made huge profits.

(つづく)

-----引用(ここまで)-----


* * *

以前、日本にプルトニウムの保管庫が5箇所(1箇所は建設中)存在し、その中の保管量が、15トン程あると、「認めたくない福島の憂うべき現状3」でお伝えしました。70トンと15トン、数字は異なりますが、異なる情報ソースが同じオーダーレベルを示したことに、かえって真実味を覚えます。既に輸出や兵器転用されたプルトニウムの量を考えれば、それくらいの差異はむしろ自然なのではないでしょうか?

この記事では、「日本における核の平和利用は、核兵器開発の為の壮大な嘘であった」と伝えています。その主張は、本ブログもまた同じです。同記事では、311のフクシマでその虚実が明らかになったとしていますが、本ブログで度々指摘したように、核兵器開発の秘密が最初に露呈したのは、1985年8月12日に起きた日航機事件だったのです。

日本の核開発疑惑が日航機事件の全てであるとまで言うことはできませんが、本事件の背後に「核」の存在があるのはもはや自明でしょう。さればこそ、彼ら(日本の闇組織:クロカモ)たちが、必死になって本事件の隠蔽に動くのも理解できます。

また、この記事の「米国の核技術を不法に日本に譲り渡した」という文意から、米国人記者が抱く米国政府・軍への不信感が伺えます。同じような不信感は当然ながら、米国政府内、軍内にも存在するはずで、ここに、
 (1)日本の核開発を容認する米国
 (2)日本の核開発を認めない米国
という、二つに分断された米国の姿が垣間見れるのです。

日航機事件における、撃墜された複数の米軍機とその真実を隠し続ける米国政府の矛盾した対応。そこには、裏側にある米国内での核を巡る争いが反映されているとしか思えません。自国が危険に晒されても、核技術の移転を求める理由、それは、今回の引用の最後で触れている「莫大な利益」に他ならないでしょう。利益を巡る争いにもはや国境は存在しないのです。


CANTABO DILECTO MEO CANTICUM PATRUELIS MEI VINEAE SUAE VINEA FACTA EST DILECTO MEO IN CORNU FILIO OLEI
ET SEPIVIT EAM ET LAPIDES ELEGIT EX ILLA ET PLANTAVIT EAM ELECTAM ET AEDIFICAVIT TURREM IN MEDIO EIUS ET TORCULAR EXTRUXIT IN EA ET EXPECTAVIT UT FACERET UVAS ET FECIT LABRUSCAS
NUNC ERGO HABITATOR HIERUSALEM ET VIR IUDA IUDICATE INTER ME ET INTER VINEAM MEAM
QUID EST QUOD DEBUI ULTRA FACERE VINEAE MEAE ET NON FECI EI AN QUOD EXPECTAVI UT FACERET UVAS ET FECIT LABRUSCAS
わたしは歌おう、わたしの愛する者のためにそのぶどう畑の愛の歌を。
わたしの愛する者は、肥沃な丘にぶどう畑を持っていた。
よく耕して石を除き、良いぶどうを植えた。その真ん中に見張りの塔を立て、
酒ぶねを掘り良いぶどうが実るのを待った。
しかし、実ったのは酸っぱいぶどうであった。
さあ、エルサレムに住む人、ユダの人よ
わたしとわたしのぶどう畑の間を裁いてみよ。
わたしがぶどう畑のためになすべきことで
何か、しなかったことがまだあるというのか。
わたしは良いぶどうが実るのを待ったのに
なぜ、酸っぱいぶどうが実ったのか。
(イザヤ書 第5章1-4節)

遠つ祖霊の地より
管理者 日月土

JAL123便墜落事故−真相を追う−蘇る亡霊(18)

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☆日本の核開発に関する海外の報道(その2)

前回に引き続き、DC BUREAU の記事「米国政府は法の目を盗み、日本がトン単位でプルトニウムを蓄積するのを許していた(記:ジョセフ・トレント 2012年4月9日、日本語訳:日月土)」の日本語訳出を掲載します。今回は、日本の核兵器開発計画の歴史的経緯として、太平洋戦争中に、日本でどのような研究開発が行われていたか、また、敗戦後どのような経緯で核開発を再開したか、等について説明が記されています。

今回の内容については、明らかに事実誤認と思われるものも含まれているので、それについては、引用文に続いて解説を加えたいと思います。

-----引用(ここから)-----

http://www.dcbureau.org/201204097128/national-security-news-service/united-states-circumvented-laws-to-help-japan-accumulate-tons-of-plutonium.html#more-7128

F号計画:日本で最初の核兵器開発計画
F-Go: The First Japanese Nuclear Weapons Program

1940年代初頭、世界が人類史上最も血生臭い紛争に懸かりっきりだった頃、ドイツ、イギリス、アメリカ、そして日本の科学者たちは、信じられない程の破壊力を持つ兵器を原子核の中に見出そうとしていた。理論上の話をまさに現実化せんとするこの開発レースは、工業生産力戦争の様相を以ってして、何百万人もの命を奪った先の大戦に、秘められた意味合いを持たすことになった。理論物理学の世界では、日本はライバルであるヨーロッパやアメリカと肩を並べていた。日本に欠けていたのは、原材料とそこから原爆を作り出す工業的な余力そのものであった。しかし、資源や設備がなければ日本がどんなに戦争に突き進んでも無意味なものであった。
In the early 1940s, with the world locked in the bloodiest conflict in human history, scientists in Germany, Great Britain, the United States and Japan struggled to unlock from the atom a weapon of almost inconceivable power. This race to turn theory into devastating reality formed a secret subtext to the war that destroyed millions of lives using industrial warfare. In the area of theoretical physics, Japan was as advanced as her European and American rivals. She lacked only the raw materials and the sheer industrial excess to turn those materials into an atomic bomb. But Japan’s war machine was nothing if not resourceful.


写真1:仁科芳雄博士

1940年(昭和15年)より、日本の科学者は精力的に核連鎖反応の研究に取り組んできた。仁科芳雄博士などは、原子核物理分野における戦前の業績がノーベル賞候補にノミネートされたほどだ。博士と若い科学者たちのチームは理研(理化学研究所)において不眠不休で研究を進めた。2年程の基礎研究の後、F号計画と呼ばれた原爆製造計画は1942年に京都で始まった。1943年までに、日本のマンハッタン計画は、爆弾製造に必要なウラン(U235)を分離生成させるサイクロトロンの製作だけに留まらず、核の知られざる力を解放するための十分な知識を有した、原子核科学者のチームを作り上げてきた。アメリカがワシントン砂漠に建設したウラン濃縮プラントは、グランドクリーダムの全発電量という膨大な電力を必要とした。日本の科学者たちは、原爆製造のため国家に十分なウラン鉱石を回すよう求めたが、その結果はあまり芳しいものでなかった。
Since 1940, the Japanese had been aggressively researching the science of the nuclear chain reaction. Dr. Yoshio Nishina had been nominated for the Nobel Prize for his pre-war work in nuclear physics. Now he and a team of young scientists worked tirelessly at the Riken, the Institute of Physical and Chemical Research, to beat the Americans to the bomb. After two years of preliminary research, the atom bomb program called F-Go began in Kyoto in 1942. By 1943, Japan’s Manhattan Project had not only produced a cyclotron that could separate bomb-grade uranium, but also had developed a team of nuclear scientists with the knowledge to unleash the atom’s unknown power. As America built a uranium enrichment plant in the Washington desert so enormous it drew every watt of electricity from the Grand Coulee Dam, the Japanese scoured their empire for enough raw uranium to make their own bomb, with only limited success.

日本はナチスドイツにも援助を求めた。当時、ナチス政権も原爆開発を推進していた。しかし、1945年(昭和20年)の初頭には、連合軍はライン川に迫り、ロシア軍はプロシアを制圧していた。最後の望みとして、ヒトラーはUボートに1200ポンドのウランを積んで日本に向けて出航させた。この潜水艦は日本に着くことはなかった。1945年の5月、アメリカの艦船がこれを拿捕したのだ。乗船していた二人の日本人担当官は自殺し、ウランの積荷はオークリッジに運ばれた。ウラン無くして、日本はたった1,2個の小型原爆すら製造し得なかったであろう。
Japan looked to Nazi Germany for help. The Nazis, too, had been pursuing the nuclear bomb. But, by early 1945, the Allies were on the Rhine and the Russians had taken Prussia. In a last-ditch effort, Hitler dispatched a U-boat to Japan loaded with 1,200 pounds of uranium. The submarine never arrived. American warships captured it in May 1945. Two Japanese officers on board the submarine committed suicide and the shipment of uranium was diverted to Oak Ridge, Tennessee, for use in the American Manhattan Project. Without the uranium, Japan could not produce more than one or two small atomic bombs.

両国の原爆製造計画がほぼ完成に近づいた1944年(昭和19年)、ダグラス・マッカーサー将軍の蛙飛び作戦は日本本土に迫っていた。B29の編隊は東京や他の主要都市に焼夷弾の雨を降り注いだ。仁科博士はそれまでの研究成果を現在北朝鮮にある興南(訳注:Hungnam-現咸興市内の区域)という小さな寒村に移す必要に迫られた。移転には3ヶ月を要した。
As the bomb programs in both countries neared completion in 1944, General Douglas MacArthur’s island-hopping campaign drew closer to Japan’s home islands. Fleets of B-29 bombers rained fire on Tokyo and other major cities. Nishina had to move his effort to the tiny hamlet of Hungman in what is now North Korea. The move cost the Japanese program three months.

1945年(昭和20年)8月6日、エノラ・ゲイは一発の原子爆弾を広島に投下した。爆発の直接の被害で7万人以上が死亡し、数日、数週間が経過して後、更に数千人の死亡者がそれに続いた。
On August 6, 1945, the Enola Gay dropped a single atomic bomb over Hiroshima. The blast killed more than 70,000 people outright, and in the days and weeks to come thousands more succumbed.

仁科博士が爆発の一報を聞いたとき、彼は直ぐに、アメリカの科学者たちに先を越されたことを悟った。しかし、彼は自身の携わった原爆が首尾よく行くことに、密かに確信を持っていた。仁科博士と彼の研究チームは不眠不休の働きで、動作テストができる所までこぎ着けたのだ。ロバート・ウィルコックスのような歴史家やアトランタ・ジャーナル・コンスティテューションのライター、デビッド・シェルは、日本が原爆製造に成功したと信じている。ウィルコックスは1945年(昭和20年)8月12日、長崎の原爆投下から3日後、そして日本敗戦の3日前に、部分的にせよ日本は興南での実験に成功したと書いている。しかし、その時までの奮闘は単に象徴的なものでしかなかった。如何せん、日本にはそれ以上兵器を生産することも、兵器を確実にアメリカまで運ぶ手段も持ち合わせていなかったのだから。
When word of the blast reached Nishina, he knew immediately that the Americans had beaten him to the prize. But he also had implicit confirmation that his own atomic bomb could work. Nishina and his team worked tirelessly to ready their own test. Historians such as Robert Wilcox and Atlanta Journal Constitution writer David Snell believe that they succeeded. Wilcox writes that on August 12, 1945 - three days after the Nagasaki bombing and three days before Japan signed the articles of surrender - Japan tested a partially successful bomb in Hungnam. By then the effort was merely symbolic. Japan lacked the means to produce more weapons or to deliver them accurately to the United States.

日本の復興が進むにつれて、広島・長崎における原爆攻撃は、それが、アメリカが日本に対して行った非人道的行為であると同様に、大日本帝国の野望に潜む愚かさの一面を象徴する行為として認識されるようになった。そして、日本の人々は核兵器に対して嫌悪感を抱くようになった。日本のリーダーたちも同じ認識を共有していたのだが、核兵器開発競争の末席に居座り続け、それに加えてなお、核爆弾の戦略的価値に傾倒を深めてきたのである。
As Japan rebuilt after the war, the atomic bombings of Hiroshima and Nagasaki came to represent the folly of Japan’s imperial aspirations as well as American inhumanity toward the Japanese. The Japanese people held nuclear weapons in abhorrence. Japan’s leaders shared that view, but, having been on the receiving end of nuclear warfare, also developed a special appreciation for the bomb’s strategic value.

終戦後、数万人ものアメリカ軍人が日本を占領した。原爆による攻撃後、アメリカは、この破壊力を手にしたいとの願望とそれを手にするだけの能力が世界に蔓延してしまうのを恐れた。ワシントンは、日本がそれまでの想定以上に、独自に核爆弾を保有する能力が高いことを知った。日本の核兵器開発能力を壊滅させることに高い優先順位が与えられた。国際的な核不拡散条約を協議することに加え、アメリカ占領軍は、日本の核開発計画が再開されないよう、数機のサイクロトロンと、核爆弾開発計画の痕跡を残すものを破壊した。占領軍は、F号計画の物理的な残存物を消滅させることはできたかもしれないが、仁科博士や彼の研究チームが戦争中に築き上げた膨大な知識体系までは破壊し得なかったであろう。
As the war ended, thousands of American troops occupied Japan. After the nuclear attacks on Japan, the United States feared that the desire and ability to create this power would spread throughout the world. Washington learned that Japan had been much closer to its own nuclear bomb than previously thought. Destroying Japan’s nuclear-weapons capability became a high priority. In addition to negotiating international non-proliferation agreements, U.S. occupation troops destroyed several cyclotrons and other vestiges of Japan’s atomic bomb project to prevent Japan from resuming its nuclear program. Though the troops could demolish the physical remnants of the F-Go project, they could not destroy the enormous body of knowledge Nishina and his team had accumulated during the war.

(つづく)

-----引用(ここまで)-----


■二つの原爆製造計画

戦時中の日本の核兵器開発については、保阪正康さんの記された『日本の原爆−その開発と挫折の道程』(2012年4月 新潮社)に詳しく記述されています。この本によると、記録に残る戦時中の核兵器製造計画には次の二つがあったと述べられています。

(1)ニ号計画(戦時研究37−1)
 管轄:陸軍航空本部
 研究主体:理化学研究所 仁科芳雄研究室
 主な研究員:湯川秀樹、朝永振一郎、玉木英彦、武谷三男、他

(2)F号計画(戦時研究37-2)
 管轄:海軍艦攻本部 第二火薬廠技術研究所
 研究主体:京都大学 荒勝文策研究室
 主な研究員:湯川秀樹、坂田昌一、小林稔、他

仁科博士が担当していたのは、(1)のニ号計画の方であって、NSNSが伝えるように(2)のF号計画ではありません。保坂氏は昭和50年代に両計画の研究担当者に直接面談して話を聞いており、当時の研究員はお互いの存在は知っていても、積極的な交流はなく、むしろ陸海軍の対立構造よろしく、ライバル意識を抱いていたとも言います。また、荒勝博士は仁科博士とはまったく性格が異なる研究者であったとの証言もあり、仁科博士がF号計画を統括していたとする記述は、正しくはニ号計画であることの誤りであろうと考えられます。それは、本記事の中で研究室の所在が「理研(Riken)」と記されていることからも推察できます。


写真2:「日本の原爆」
    開発当事者へのインタビュー記録がたいへん貴重な良書である


■「今次の戦争中に原爆完成は不可能」−研究者の思い

『日本の原爆』が示す内容で、NSNSの記事と決定的に異なるのは、原爆製造に関わった研究者の誰しもが、「今次の戦争中に原爆完成は不可能」という思いを抱いていたという点です。ですから、この記事が示すように、「日本が原爆製造に成功した」ような事実は一切無かったであろうとほぼ断言しています。また、両研究室が本格的に原爆製造研究に取り組んだのは、敗戦色が漂い始めた1944年(昭和19年)のことであるとしており、同記事が伝えるように「1942年に京都で(研究が)始まった」というのは、研究の開始時期に大きく齟齬が生じます。もっとも、軍内で調査検討会程度のものはあったかもしれませんが。これらの点について、米国人の記者や歴史学者が旧敵国の戦力を高めに評価することは、ある程度仕方がないことのように思われます。

一方、日本がなぜ原爆を製造し得なかったか、その理由については意見を同じくしています。それは、本記事で「資源や設備がなければ日本がどんなに戦争に突き進んでも無意味なものであった」とあるように、『日本の原爆』でも、両研究室は原爆製造に必要なだけのウラン鉱石すら入手するのが困難であったと伝えています。


■8月12日の暗号

これは余談になりますが、NSNSの記事が1945年(昭和20年)の8月12日を「日本の原爆完成の日」としているのは興味を惹きます。8月12日とは日航機事件が発生した日とちょうど同じ日です。911や311など、大事件が起きる日付の数字に意味を持たせるのは、闇組織が好んで使う「仄めかし」の常套手段と考えられるからです。

この辺の解析については「日本の陰謀」氏が卓越していますが、812の月日を入れ替えて128とすると、「日米会戦の日」ともなります。そして、かなり強引な解釈となりますが、その入れ替えの意味合いも含めて、8月12日とは、「日本が核で米国に報復する日」と取れなくもありません。

それならば、何故日本の航空会社を狙うのか論理的な矛盾も感じますが、大陸に逃れた旧陸軍系組織にとって、米国の傀儡となった日本など、ましてや米国製航空機を運用する航空会社など日本とは見なさないということだったのかもしれません。

これを証明することは不可能ですし、今後も証明されることはないかもしれませんが、少し気になったので、ここに書き残しておきます。


■記録なき戦史?旧陸軍と北朝鮮

『日本の原爆』で一切触れられず、本記事にはあるもの。それは、「仁科博士はそれまでの研究成果を現在北朝鮮にある興南という小さな寒村に移す必要に迫られた」とあるように、研究場所が国外に移されたという部分です。『日本の原爆』では、本土空襲で研究施設のほとんどが使用不能となり、研究の継続は困難となって、二号計画は中止に追い込まれたとしています。NSNSが何を参照して調査したのか不明ですが、どうしてここで北朝鮮が出てくるのでしょうか?

実は、本ブログの「蘇る亡霊(15)」の中でも、nqlab氏の引用として

「仁科博士の日本陸軍の研究は大陸でも行われた。その拠点は、現在北朝鮮の金策市(キムチャクし)。当時の名称は城津。日本海に面した製鉄・重工業の中心地だ。」

という部分をご紹介しました。本記事の場合は、同じ北朝鮮でも「興南」という場所に研究拠点を移したとしています。こちらも日本海に面した地域です。

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図1:興南の位置(咸興市内の一地区)

私は、どちらが正しいのかという議論よりも、違う情報ソースが北朝鮮の沿岸都市に原爆開発の拠点が移ったとしている点に注目すべきだと考えます。保阪氏は資料と証言を綿密に分析するタイプの歴史研究家で、その研究スタイルに異論を挟むつもりはありません。しかし、資料第一主義の歴史研究は、資料が無ければ史実は存在しないという、おかしな結果を生むことが考えられます。原爆研究という当時の超極秘軍事研究について、全てが管理され記録が残されていると考える方がむしろ不自然ではないでしょうか。

国内の空襲激化で、国内の研究施設は壊滅。記録上のニ号研究、F号研究はここで途絶えます。しかし、記録に残されていない他の研究機関がここで新たに誕生したか、あるいは既に存在しており、北朝鮮に移転し、他の研究機関の成果を集約した可能性も、想像の上では許されるかと思います。秘密研究機関であればこそ、二号やF号の研究員もその実態は知らされず、後年の回想で一切その話が出ないことも考えられます。知っているとすれば、各研究機関を統括する立場にいる仁科博士、荒勝博士、湯川博士などでしょうが、秘密を知る彼らが、果たして真実を後世に伝え残すでしょうか?


■北朝鮮のテポドンはオール三菱製?

nqlab氏は、北朝鮮に残された日本の原爆研究が置き土産となり、現在の核兵器開発、テポドンの開発に繋がっているとしています。これに関連して、以前、北朝鮮の軍備について、国際軍事評論家のB氏に尋ねたところ、次のようなお話を伺いました。

「北朝鮮は既に核弾頭を6発持っています。慣性誘導装置などテポドンに搭載されている主要技術は、全て中国を経由して入った三菱重工のものです。勝手に密輸されたなどというのは建前で、同社の籍を離れた元社員が実際に技術指導のために訪朝していると聞いてます。自衛隊の幕僚会議でもそれが問題となり『三菱、けしからん!』の声が上がったこともあります。」

何のことはない、国力が極めて低いと言われている北朝鮮が核兵器を持ち、長距離弾道弾を飛ばせるのは、先の大戦から現在まで、長きに渡り日本(の闇組織)の支援を受けているからと考えれば、全て合点がいきます。密輸で高性能部品を掻き集めただけでは、弾道ミサイルの制御などという高度なシステム処理ができるはずがありません。それをオーガナイズするプロのノウハウが必ず必要です。だとすれば、今年の4月のように、北朝鮮から発射される日本製ミサイルにおののき、米国製の迎撃ミサイルでそれを打ち落とそうなどという騒ぎは、面白くない吉本喜劇よりも笑えない話です。

同時に北朝鮮・中国を通じて、核技術やミサイル制御に必要な日本の精密加工技術が、ソ連や東側諸国に流れ続けていた可能性も考えなければなりません。以前お伝えしたように、中国北京政府の諜報機関は旧帝国陸軍(関東軍)により構築され、戦後も伊藤忠元会長、旧帝国陸軍参謀の瀬島龍三氏の人脈をなど通して深く繋がっていた可能性が考えられるのです。中国が核ミサイル配備を早期に達成できた理由とは、日本の闇組織を通した技術支援の賜物と考えられなくもありません。一方、米国監視の下、平和憲法を掲げる日本は、核兵器具現化の夢をアジア共産圏諸国に仮託したのだとも考えられるのです。

これに関連して、日航機事件発生の前年(1984年)にかけて、東芝がソ連に高度な潜水艦建造技術を売り渡していたという、東芝ココム違反事件(Wikipedia)や、日立製作所や三菱電機、富士通がIBMのオペレーティング・システム技術を不正に入手したとされるIBM産業スパイ事件(Wikipedia)に見られるように、日航機事件発生の前後、米国の軍事・司法筋が日本企業の動きに対して非常に敏感になっていたという事実は見逃せません。

話は脱線しましたが、史実に残らない日本の原爆製造技術の北朝鮮への移転は、今回のテポドン騒ぎからも推察できるように、決してありえない話ではないと思えるのです。


写真3:北朝鮮のテポドン(三菱製?)


以下引用を続けます。

-----引用(ここから)-----


日本の核開発計画の始まり
The Beginning the Japan’s Nuclear Program

戦後数年が経過し、F号計画に関わった人員は、日本の原子力エネルギー政策のリーダーとなっていった。彼らにとっての最優先事項とは、国内で核の研究を継続するために必要十分なウランを確保することであった。
In the years to come the men behind F-Go would become the leaders of Japan’s nuclear power program. Their first priority was to stockpile enough uranium to ensure that nuclear research could continue in Japan.

戦争とそれを終結させた原爆の威力は、日本人にいつまでも消えない強烈な印象を残した。彼らにとって、広島と長崎の破壊は忌まわしいものであった。しかし、日本の指導者層は、核こそエネルギーの海外依存に取って代る道であると認識した。エネルギーの海外依存は、工業化時代に参入した当初から日本にとっての足枷だったのである。
The war and the atomic blasts that ended it left a strong and enduring impression on the Japanese people. They abhorred the destruction of Hiroshima and Nagasaki. But the Japanese leadership recognized that in nuclear power there was an alternative to foreign energy dependence, a dependence that had hindered Japan since her entry into the industrial era.

日本の降伏によって、アメリカは太平洋地域において強大な力を持つようになった。しかし、1949年(昭和24年)に中国で共産党政権が誕生し、ソビエト連邦が核実験に成功すると、その地位も脅かされるようになった。共産主義政権が太平洋地域でアメリカを脅かし続けるようになると、日本に対する見方も征服された敵対者から価値ある同調者へと突如として変貌した。
With the surrender of Japan, the United States became the preeminent power in the Pacific. But that position was challenged in 1949 with the communist victory in China and successful nuclear tests by the Soviet Union. The communists were challenging America in the Pacific, and Japan suddenly shifted from vanquished adversary to valuable ally.

1952年(昭和27年)に北朝鮮軍が南に押し寄せたとき、アメリカは全くそれに対応できなかった。貧弱な兵装と未熟なアメリカ海兵隊は、日本海を背に釜山で取り囲まれてしまった。陸軍司令官だったダグラス・マッカーサー将軍は、この時、朝鮮戦争において初めて、トゥルーマン大統領に核兵器の使用を許可するよう働きかけた。
The United States was completely unprepared when North Korean troops swarmed south in 1952. Soon poorly armed, under-trained American Marines were surrounded in Pusan with their backs to the sea. For the first of many times during the Korean War, the American military commander, Gen. Douglass MacArthur, lobbied President Truman to use nuclear weapons.

核兵器は日本の沖縄に保管されていた。アメリカ軍が釜山で全滅の危機に瀕していたとき、アメリカのB-29は中国と朝鮮の目標を(原爆で)爆撃するため、エンジン始動のまま待機していた。朝鮮戦争後期、中国軍が朝鮮に侵入した時には、日本を飛び立った核爆弾を搭載した爆撃部隊が、中国と北朝鮮の領空にまさに突入せんとするところだった。1機のジェット戦闘爆撃機がこの時撃墜された。
Those weapons were stored on the Japanese island of Okinawa. While American troops faced annihilation in Pusan, American B-29s waited with engines running to bomb targets in China and Korea. Later in the war, when Chinese troops entered Korea, nuclear-laden bombers flying from Japan would actually penetrate Chinese and North Korean airspace. One jet fighter bomber was shot down.

朝鮮戦争は日本にとって指標ともなるべき重要な出来事である。3千年の長き歴史において最も屈辱的な敗戦を経験した、そのたった7年後に、日本は、彼らを打ち負かした同じ敵軍のために、軍事拠点として自国を差し出したのだ。その時、日本独自の軍隊は事実上存在しなかった。アメリカ兵が東京の安売春宿を頻繁に訪れるがごとく、屈辱的にも、日本の防衛は全てアメリカの手に握られていたのが実状であった。トゥルーマン大統領が中国相手に核による瀬戸際外交を行っている最中、日本の防衛が、まさに第二次大戦で自国を敗戦に追いやった、その核爆弾に依存していることが明から様となった。
The Korean War is an important milestone for Japan. Only seven years after the most humiliating defeat in its three-thousand-year history, Japan served as the staging ground for the same military that had defeated her. Japan’s own military at the time was practically nonexistent. As humiliating as the American servicemen who frequented Tokyo’s nickel brothels was the realization that Japan’s defense was wholly in American hands. As Truman played the game of nuclear brinkmanship with the Chinese, it became apparent that Japan’s defense now relied on the same nuclear bombs that had sealed her World War II defeat.

1950年代初期、アメリカ政府は東京の日本政府に核ビジネスに参入するよう積極的に働きかけた。核エネルギーの凄まじい破壊力を目の当たりしていることもあり、アイゼンハワー大統領は核を厳重な監視の下に置くことに決めた。彼はまた、世界が核分裂技術によるアメリカの一国支配を決して歓迎しないだろうとも理解していた。そこで、彼はそれに替わる方針を打ち出した。「核の平和利用」である。アイゼンハワーは日本やインドのようにエネルギー資源が少ない国々に、技術面、経済面、そしてモラル面における支援と共に、核反応炉を提供したのである。経済と社会インフラを再建する自国資源に乏しい日本は、慢性的なエネルギー欠乏状態である自国経済への処方箋として、すぐさま核エネルギーに飛びついた。
In the early 1950s, the United States aggressively urged Tokyo to get involved in the nuclear power business. Having witnessed the destructive power of nuclear energy, President Eisenhower was determined to keep it under strict control. He also realized that the world would never accept a complete U.S. monopoly on atom-splitting technology, so he developed an alternative - Atoms for Peace. Eisenhower gave resource-starved countries like Japan and India nuclear power reactors as a form of technical, economic and moral support. Lacking the indigenous resources to rebuild its economy and infrastructure, Japan quickly turned to nuclear power as the answer for its chronically energy-starved economy.


図2:IAEAロゴ
   (訳者注:「Atoms For Peace(核の平和利用)」ですかぁ。なるほど)

アメリカの「核の平和利用」プログラムに乗じ、日本は核エネルギー産業における全領域に渡って発展を促すことになる。日本は大勢の科学者を核エネルギー開発のトレーニングのため、アメリカに派遣した。戦後、国際社会での活躍の場を再び獲得することも、かつての発言権や政治力を呼び戻すことにも絶望感を覚えた日本政府は、核反応炉や実験施設の建設に、なけなしの予算を喜んで注ぎ込んだのである。
With the help of the American Atoms for Peace program, Japan began to develop a full-scale nuclear power industry. The Japanese sent scores of scientists to America for training in nuclear energy development. Desperate to regain a foothold in the international arena and reclaim its sovereignty and power after the war, the Japanese government willingly spent scarce funding on research labs and nuclear reactors.

日本の戦時における経験は、核産業をゼロから作り上げるための下準備とはなった。しかし、核の平和利用という掛け声の下で、すでに完成している核反応炉を西側から輸入する方がより安価であった。
Japan’s wartime experience had prepared her to build a nuclear industry from scratch, but with Atoms for Peace, it was cheaper to import complete reactors from the West.

「核の平和利用」はアメリカに限らず、イギリスやカナダの核を輸出に向けさせる後押しとなった。まず初めに、イギリスがマノックス(Magnox)のプラントを日本に売りつけた。GEやウェスティングハウスもすぐさま生産余力を確保して、反応炉の設計図や関連部品を法外な値段で日本に売りつけた。日本の核産業界は、短期間の内に、核の平和利用を志す国のモデルと呼ばれるまでになった。若く優秀な日本人科学者の一世代はこの頃に出現し、全員が核エネルギー分野の開拓に全精力を注いだのである。
Atoms for Peace supported British and Canadian nuclear exports as well as American. Britain went first, selling its Magnox plant to Japan. General Electric and Westinghouse rapidly secured the rest of the industry, selling reactor designs and components to Japan at exorbitant prices. The Japanese industry quickly became a model for other Atoms for Peace countries. A generation of brilliant young Japanese scientists came of age during this period, all committed to the full exploitation of nuclear energy.

一度核産業が活性化されると、日本はアメリカから独立した独自の核研究を再開するようになった。アメリカの核産業に刺激され、1956年(昭和31年)、日本の官僚は包括的な核燃料サイクルの構築を目指す青写真を示した。その時は、核燃料サイクルの概念は理論的なものにすぎず、それは、1939年(昭和14年)にアインシュタインがあの悪名高き書簡をルーズベルト大統領へ送った際に綴られた、原子爆弾の概念以上に現実離れしたものであった。理論上では、従来の核反応炉で燃焼された使用済み燃料からプルトニウムが抽出され、そのプルトニウムはまた、増殖炉の燃料として新たに使用することができるとある。その通りの働きを現実化できる者などまだ誰もいなかった。しかし、この事こそが科学技術時代の夜明けを象徴していた。日本、そしてアメリカやヨーロッパの科学者までもが、科学進歩の可能性に夢中になっていたのだ。日本の計画立案者や官僚たちもまた、情熱を注いだのである。増殖炉計画は、日本がアメリカから輸入しているウラン原料を最も効率よく使おうとするものだった。それは、日本をアメリカへのエネルギー依存から解放し、同時に膨大な量のプルトニウム備蓄を可能にするものであった。そのプルトニウムこそ、最も強力で且つ入手が困難な核爆弾原料なのである。
Once the industry was vitalized, Japan resumed its own nuclear research independent from the United States. Encouraged by the Americans, in 1956 Japan’s bureaucrats mapped out a plan to exploit the entire nuclear fuel cycle. At that time the concept was only theoretical, no more a reality than the atomic bomb was when Einstein penned his infamous letter to Roosevelt in 1939. According to the theory, plutonium could be separated from the spent fuel burned in conventional reactors and used to fuel new “breeder reactors.” No one had yet been able to make it work, but this was the dawn of the age of technology. Scientists in Japan, America and Europe were intoxicated with the possibilities of scientific advancements. Japan’s central planners and bureaucrats were equally enthusiastic. The breeder reactor plan would make the most efficient use of the raw uranium Japan imported from the United States. It would wean Japan from her dependence on American energy and also create an enormous stockpile of plutonium - the most powerful and difficult to obtain bomb material.

(つづく)

-----引用(ここまで)-----

以上の引用は、敗戦直後の日本の核政策について書かれています。その前に朝鮮戦争についての記述がありますが、日本の経済復興が、朝鮮戦争やベトナム戦争など、米国が仕掛けた戦争と軍需によって牽引されてきたという現実も、私たち日本人は深く認識する必要があるでしょう。「日本の憂うべき現状」では三井化学の戦争加担行為の可能性を指摘しましたが、この朝鮮戦争でも、ダイキン工業が製作した砲筒が大活躍したり、日本の掃海艇が機雷を除去したりなど、戦争を放棄したはずの日本が、直接間接に米国の戦争に加担していたという事実はいくらでも見出すことができます。

結局、戦争の記憶がまだ生々しい敗戦直後ですら、第2次大戦の教訓など何一つ生かされていなかったのではないかと疑わずにはいられません。そんな精神構造のまま、いくら「平和利用」だといって核を受け入れても、その辿り着く先はどこなのか、火を見るより明らかだとも言えます。

さて、私のこの記事は日航機事件についてのものなので、ここで、日航機事件当時の首相で事件の主要登場人物の一人、中曽根康弘氏と戦後の核開発との繋がりについて、上述の『日本の原爆』から、関連箇所を抜粋してみます。

「中曽根は昭和26(1951)年ごろから原子力に関心を寄せた。その後の原子力諸案判定にも中心メンバーとなった。昭和30年には衆参両院合同の原子力合同委員会が発足したが、委員長は中曽根が務めている。」

「日本の原子核研究はアメリカの思惑や政策に振り回されていることが分かり、さらに原子物理学者よりも政治家が前面に出て動いたことが分かる。昭和31年5月に初代の科学技術庁長官のポストに就いた正力松太郎や、その後任の中曽根らによって、原子核平和利用の方向付けがされていったことが分かる。」


写真4:正力松太郎氏(左)と中曽根康弘元首相(右)

以上より、中曽根氏の並々ならない「核」への関心が伺えます。戦後の数ある首相経験者の中でも、科学技術庁長官という、王道から外れたポストを経て首相になった人物は珍しいとも言えます。中曽根氏がここまで核に拘った理由は何なのか、正力松太郎氏や瀬島龍三氏との太い人脈も含めてその点に注意すると、NSNSの調査レポートから新たな史実が見出せそうです。


 * * *


文中、「記録なき戦史」という言葉を使わせていただきましたが、その意味では、日航機事件、あるいは日航機事変もそれに該当するでしょう。もしも、誰かがこの不可思議な紛争を記述し記録に残さなければ、520人の犠牲者は不幸な事故死者として永遠に歴史の中に刻まれてしまうでしょう。

日航機事件以外にも隠された歴史、というよりも歴史から消された史実は山のようにあるかと思います。その中でも敢えて日航機事件を取り扱うのは、この事件が昭和という時代の実相を斯くも象徴するからに他なりません。昭和という時代に育てられた私は、自分が生きてきた時代が何であったかを知りたいし、事件の犠牲者の皆さんに、自らの死の意味が何であったのかを伝えてあげたいのです。そうでなければ、あまりにも残酷過ぎます。

今回のNSNSの調査レポートは、全く誤りがないとは言えないまでも、多くの真実と真実への道のりを示している点では画期的です。しかし、真実とは本当に残酷です。ここに書かれていることが事実なら、ビル・トッテンさんではありませんが、戦後の日本には民主主義なるものは一度も存在しておらず、「核の平和利用」だけでなく、非核三原則も平和憲法も、「平和という雰囲気」を醸し出すだけの舞台装置でしかなかったことになります。

日航機事件はその舞台装置が綻びを見せた最初の出来事であり、取り繕いもまだ可能だったかもしれません。しかし、今回の福島原発事故は、旧式の舞台装置がもはや機能しないことをはっきりと示したように思います。しかし、それでもなお真実を直視せず、ポンコツ舞台装置の作り出す仮想世界に居ることを良しとするのが大半のように思われます。私には何も強制できませんが、それが本当に人生を生きていると言えるのかどうか、これを機に考えてくださるだけでも、ありがたいと思えるのです。


ET ERIT IN NOVISSIMIS DIEBUS PRAEPARATUS MONS DOMUS DOMINI IN VERTICE MONTIUM ET ELEVABITUR SUPER COLLES ET FLUENT AD EUM OMNES GENTES
ET IBUNT POPULI MULTI ET DICENT VENITE ET ASCENDAMUS AD MONTEM DOMINI ET AD DOMUM DEI IACOB ET DOCEBIT NOS VIAS SUAS ET AMBULABIMUS IN SEMITIS EIUS QUIA DE SION EXIBIT LEX ET VERBUM DOMINI DE HIERUSALEM
終わりの日に、主の神殿の山は、山々の頭として堅く立ち、
どの峰よりも高くそびえる。国々はこぞって大河のようにそこに向かい
多くの民が来て言う。「主の山に登り、ヤコブの神の家に行こう。
主はわたしたちに道を示される。わたしたちはその道を歩もう」と。
主の教えはシオンから御言葉はエルサレムから出る。
(イザヤ書 第2章2,3節)


本日は、京都祇園祭、山鉾引き廻しの日です

遠つ祖霊の地より
管理者 日月土

日本航空123便事変から27年−123から全てが変わった−

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現在、九州のとある土地でこの記事を書いています。27年前のこの日、群馬県境の高天原山(*1)周辺で発生した123便事変において、犠牲になられた乗客乗員の皆様、短時間の壮絶な戦闘行動で命を落とされた各国軍関係者の皆様、事変後の隠蔽工作等で人知れず犠牲となった皆様、全ての尊い命の犠牲に対して、心より追悼の意を表します。

*1:高天原山:本記事は、一般で言われる日航機事故を日航機事変に、御巣鷹山を、地形的に墜落現場の峰に連なる高天原山(タカアマハラヤマ)に言い換えています。単なる言い換えでなく、実際に基いた対応であることをご理解ください。


■123便事変と福島原発事故

私が123便事変の関連調査を始めてから、3年以上の年月が経ちました。この短い期間に、東北大震災、福島第一原発事故など、日本社会を大きく揺るがす災害が発生し、私自身も南方のフィリピン国へ約一年間の避難を強いられることとなりました。123便事変調査の思わぬ進展と大規模災害の発生及びその後の成り行きは、母国日本に対するそれまでの概念を大きく変えるものでありました。

本記事では詳細を省略しますが、123便事変が墜落事故などでなかったことは多くの物的証拠から、もはや明らかであります。そして、有名大学教授に、もはやあり得ない隔壁破壊による事故メカニズムを強弁させ、それに合わせるようにフライトレコーダを捏造してまで、国はそれを徹底的に隠蔽しました。何より驚きなのは、私自身の調査活動を通して、国家権力をはるかに凌駕する正体不明の闇組織の存在が露になったことです。

読者の皆様がお気づきのように、この構図は福島原発の放射能災禍における隠蔽構造にそのままピタリと当てはまるのが分かります。関東・東北地方で未だにヨウ素が検出され、東京都心でもウランやプルトニウムが検出されているにも拘わらず、一部の学者はそれを「安全」と言い、国は同事故を「収束」と宣言し大飯原発を再稼動させます。同時に、報道機関による宣伝を通して、事故自体がもはや遠い過去の事の様に印象付けるのに躍起です。ネット社会では「原子力村」とか「白蟻」などと呼ばれているようですが、議会審議を経ずして日本政府を直に動かすことのできる、特権的階級(官僚等含む)がどうやら存在していることも公然と囁かれるようになってきました。

四半世紀の時間を隔て発生した、二つの出来事から見えて来る事実とは、国の意思決定機関(日本政府)が実はただの飾りでしかなかったということ。すなわち、戦後の民主主義政治は全くの虚構でしかなかったという、たいへん根の深い、日本の国体そのものが問われる深刻な状態を指します。何より認め難いのは、両事件とも、闇組織の利益のためなら国民の命の犠牲は厭わないという独善性と残酷さが見られることです。もっとも、民主社会でない、事実上の独裁国家なればそれも当たり前なのかもしれませんが。


■世界はそれに沈黙した

もう一つ、両事件に共通しているのは、世界がそれに沈黙しているという、やはり理解し難い事実が含まれていることです。123便の場合は、繰り返しになりますが、自衛隊のみならず、米軍、ソ連軍の航空機、戦闘車両、ミサイル等の破片が墜落現場周辺から相当量見つかっており、物的証拠の数だけでなく、当時の世界的冷戦構造から言えば、世界史に大きく記載されてもおかしくない国際的軍事紛争であったことが分かります。


写真1:墜落現場で発見された米国の偵察機U-2(右)の破片(左)−再掲−
    見つかった軍機破片は数々あれど、米国の国家安全保障局(NSA)が
    直接介入したことを示すこの物証ほど、軍事・政治的に衝撃的な
    ものはない。123便事変とは何だったのか?改めて問い直したい。
    (墜落死は必至と思われる同機操縦士にも謹んでお悔やみ申し上げます)


写真2:墜落現場で発見された旧ソ連の戦闘機MIG25(右)の破片(左)−再掲−
    ミグの墜落が確認された時、私たち日航機調査チーム内でもその
    事実を受け入れるのに大いに困惑したのを覚えている。しかし、
    ミグの本土飛来を示す物証はこの機体破片だけに留まらなかった。
    (同機操縦士にも謹んでお悔やみ申し上げます)

事変当時に超大国と呼ばれた米ソ2カ国が、日本国内で軍事衝突、あるいは軍事紛争に巻き込まれながら、どうして日本の隠蔽工作に合わせるように事実を沈黙しているのか?日本の国情は別として、当時、ソ連のSS20中距離ミサイル配備に関連して、激しく対立していたはずの米ソが何故ここで歩調を合わせたのか、この点に関しては今もって謎だらけだと言えます。もちろん、冷戦構造自体が初めから東西陣営了解の下のヤラセ劇であれば説明はある程度可能ですが、それでも、墜落現場で発見され、激しく破壊された軍用機の破片は、それが本物の戦闘、殺し合いであることを雄弁に物語っており、ヤラセの一言で片付けられない事実性を含んでいます。

一方、福島原発は、大量の放射性物質を大気と海洋に垂れ流し、今でも地球を汚染し続けています。私に入ってきた個人的情報では、太平洋南部のマレーシア、インド洋のタイ沖で獲れた魚介類までもが放射性物質に汚染され始めていることを伝えています。ネット上でも、米国西海岸で獲れる魚が汚染されていることを伝える記事を目にするようになりました。

国によって日本からの食品輸入が厳しく制限されていることは既出の情報ですが、それ以上に、日本国外でも海洋や土地、空気が福島から大量放出された放射性物質でこれからも益々汚染されてくるだろうことは、もはや明らかです。私も、昨年何度となく目撃したフィリピンはルソン島上空に漂う、灰黄色に淀む異常な雲を忘れられません。本来ならば、世界各国は自国民に警戒を呼びかけ、日本に事故収束の強要と莫大な損害賠償を迫ってもおかしくない状況にも拘わらず、欧米の主要メディアを眺める限り、そこまで深刻なものは何故か見かけません。本当にたいしたことがなければ良いのですが、これがIAEAなどの国際機関と日本ならび世界の原子力産業、もとい闇組織が結託した世界的隠蔽工作であるなら、それこそ世界人類の存亡に関る大問題であり、そして、その可能性が非常に高いことは、本ブログでも再三お伝えしてきた通りです。

世界は何故、日本に対しこれほどまで沈黙を守り続けるのでしょうか?


■123便事変は日本と世界の転換点

123便事変が発生した1985年を起点に、日本の政治・経済体制が大きく変化し、今に至ることは「見えざる人々と神の鉄槌(3)」で記述したとおりです。前段で「世界は沈黙」と述べましたが、確かに言葉で表現されることはありませんでしたが、各国、特に米国の対日本政策が、123便事変直後に電撃締結されたプラザ合意後に大きく転換されたことは、それ以後に発生したバブル経済を含む社会の変遷を通し、40歳前後以上の方なら肌身で感じてきたのではないかと思います。

1985年直後、大きな事件が発生したのは日本だけではありません。高天原山の123便事変に関ったと見られる米国、ソ連国内でも重大事件・事故が発生します。

 (1) 1985年8月 日航機123便事変(日本)
 (2) 1986年1月 NY株暴落、スペースシャトル爆破(米国)
 (3) 1986年4月 チェルノブイリ原発事故(ソ連)

詳細は別記事に譲りたいと思いますが、米国は(2)の爆破事故後に、1983年から進めていたSDI(戦略防衛構想)を更に加速させます。SDI計画は表向きは対ソビエト戦略と説明されていますが、対ソ軍備計画としては過剰とも言える宇宙戦争計画であったことは、今更指摘することでもないでしょう。しかもそのソ連自体が、(3)の事故による原因も加わってか、3年後の1989年に始まるベルリンの壁の破壊からあっという間に崩壊してしまい、SDI計画の存在理由自体が消滅してしまいます。しかし、国際軍事評論家のB氏によると、1980年代のこの時期に、ステルス素材やレーザー光線など、現在の超兵器につながる基礎技術の殆どが誕生したのだと言います。

米ソのヤラセ対立的な東西冷戦については、陰謀論に関する多くの著作が指摘するところではありますが、SDI計画に関しては、戦争を煽ることによる軍事費のバラ撒き以上に、何か奥深い謀議を感じます。それはまるで、米国にソ連以外の強敵が別に存在する、あるいは米ソ共通の敵が存在し、それに対し地球科学の全英知を注ぎ込もうとするかのような振る舞いとも見て取れます。

この敵を日本とみなすことも可能ですが、そうだとしても、超大国の米国あるいは米ソ両国が恐れるくらいですから、私たちが認識する日本国とは全く別ものであると考えられます。私は、ここに、日本でもなければ、米国やソ連でもない、強大な軍事力を擁する第4の勢力が存在し、日航機123便事変に関っていたことを確信するのです。その勢力が果たして、私が呼ぶところの日本の闇組織=「クロカモ」そのものであるのか、あるいはクロカモを背後で操る、さらに謎めいた神秘的ハイテク集団であるのかはまだよく分かっていません。

はっきりと言えるのは、その存在を認めない限り、日米ソの当時最新鋭機が高天原山周辺の狭い領域であれだけバタバタと打ち落とされてしまった理由と、その後の当事国の沈黙の理由、何より、以下の図1を説明するその根拠を、私は全く見い出すことができません。


図1:墜落直前の123便の外観(イメージ)
   群馬県上野村での目撃証言と現場調査を基に描いた想像図。
   垂直尾翼は破壊されていない。この後を、複数の飛行機やヘリが
   追いかけていたと証言者は語る。東京都上空でも同じような赤い
   火球(かきゅう)の目撃証言がある。

この隠された第4勢力を明らかにすること、それが本ブログの新シリーズ「見えざる人々と神々の鉄槌」の目指す最終ゴールであり、その結末は、123便事変の真相を明らかにするのみならず、私たちの世界観、歴史観、そして自己認識までをも根底から覆すものになることはおそらく間違いないと思われます。


 * * *


私が滞在しているここ九州も、6月に福岡県北九州市で汚染瓦礫が燃やされてからは、空気の明らかな異常と、現地生産野菜や果物に違和感(*2)を感じるようになりました。この春までは比較的大丈夫かと思われた玄海灘の魚介も、今はほとんど口にできるものはありません。福島の事故が、実際は収束しておらず、今でも放射性物質を吐き出している現状と、汚染物質を人為的に国内・国外に撒き散らかしている、およそ非科学的とも言える政治的蛮行が、日本人だけでなく、世界人類をこれからもじわじわと苦しめていくのは間違いないと思われます。

そんな世紀末的な非常事態の中で、123便事変の真実を明らかにすることは、一つには犠牲者の皆様との魂の約束という面もありますが、私が生きた日本とは、世界とは本当は何だったのか、その姿を記録に残したいという、私自身の切実な思いの表れでもあります。

最後に、特に根拠はありませんが、図1に描いた火球を、近い将来、私たちも目にするような予感がします。もしも、空に赤く輝く第2、第3の太陽を見たとき、この記事と、123便犠牲者のことを思い出してくださるよう、読者様にはお願い申し上げます。

(*2)違和感:あくまでも私個人の感覚的なものとお断りしておきます。


ADHUC MULTA HABEO VOBIS DICERE SED NON POTESTIS PORTARE MODO CUM AUTEM VENERIT ILLE SPIRITUS VERITATIS DOCEBIT VOS IN OMNEM VERITATEM NON ENIM LOQUETUR A SEMET IPSO SED QUAECUMQUE AUDIET LOQUETUR ET QUAE VENTURA SUNT ADNUNTIABIT VOBIS ILLE ME CLARIFICABIT QUIA DE MEO ACCIPIET ET ADNUNTIABIT VOBIS
言っておきたいことは、まだたくさんあるが、今、あなたがたには理解できない。しかし、その方、すなわち、真理の霊が来ると、あなたがたを導いて真理をことごとく悟らせる。その方は、自分から語るのではなく、聞いたことを語り、また、これから起こることをあなたがたに告げるからである。その方はわたしに栄光を与える。わたしのものを受けて、あなたがたに告げるからである。
(ヨハネの福音書 第16章12-14節)


遠つ祖霊の始まりの地にて
管理者 日月土



JAL123便墜落事故−真相を追う−折れなかった垂直尾翼(4)

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北方領土、竹島問題、そして尖閣諸島と、最近になって突然降って沸いたように領土問題が騒がしくなっています。長く本ブログにお付き合いいただいた読者様なら、これら日本の隣国であるロシア、韓国、中国が、日航機123便事件に密接な関係を持つ国々であることにすでに気がついておられることでしょう。

 ・ロシア > 御巣鷹事変の紛争直接当事国−物証による確認
 ・韓国  > 在韓米軍、在日米軍朝鮮人部隊による事件処理関与疑惑
 ・中国  > 旧帝国陸軍(関東軍)と北京情報部との戦時コネクション

これらの国々は、旧帝国陸軍参謀、伊藤忠商事元会長である故瀬島龍三氏を通して一つに繋がることに改めて気がつかされます。瀬島龍三氏は中曽根康弘当時首相のブレーンとして、123便事件以後も日航人事に大きな影響力を及ぼした人物です。その瀬島氏は、韓国の情報機関であるKCIA、在日・部落運動組織、その政治工作部隊である国際勝共連合を影で操っていたと言われてます。これら朝鮮系組織とグリコ・森永事件の繋がり、そしてグリコ・森永事件と123便事件との更なる繋がりを考察すれば、やはり瀬島氏の関与抜きに123便事件を語ることはできません。

その意味で、現在の丹羽駐中国大使が、伊藤忠出身の民間大使であるということは大変興味深いです。瀬島氏が作り上げた中国・朝鮮半島コネクションは現在でも健在であり、シベリア抑留中、あるいはそれ以前から築いたとされるロシアコネクションも含め、日本の極東外交において今以って大きな影響力を保っているように見えます。


写真1:故瀬島龍三氏(左)と丹羽宇一郎駐中国大使(右)
    123便事件だけでなく、戦後日本の暗部に伊藤忠商事が深く関与
    していたことは、いずれ明らかにされるであろう

これら三国の中でも、中国・朝鮮の軍事技術が日本の産業技術に深く依存している可能性については、本ブログでも度々触れたかと思います。中国の核ミサイルしかり、北朝鮮のテポドンしかり、核兵器製造技術を含む日本の産業技術がなければ達成し得なかったと言えるかもしれません。

このように、社会の闇で日本と深く繋がるこれらの国々が、領土問題で派手に争そうことに、何か胡散臭い策略を感じるのは私だけでしょうか?このような時、最初に考えられるのが、日本国民(当事国国民)の目を何かから逸らそうとしていることです。では、その「何か」とは何なのか?私が最も危惧しているのは、国(日本の闇組織=クロカモ)は、福島第一原発による関東・東北地方での健康被害が、数ヶ月以内に顕在化することをすでに想定しており、その予防線として、国民感情を操作誘導する目的で、茶番の領土問題を関係各国共同で打ち上げたとするものです。

事実はいずれ分かってくるとは思いますが、御用マスコミの扇動に乗じることなく、私たちは事の推移を冷徹に見守るべきだと思います。


■海上保安庁も事件隠蔽に加わっていた

前置きがちょっと長くなりました。下記の写真2は、改めて123便事件関連資料を整理していた時に見つけた新聞記事です。まずは、ご覧ください。



写真2:横浜港に陸揚げされた垂直尾翼を報じる記事
    「海上保安庁職員たちによって陸揚げされた日航機の垂直尾翼
     部分 = 13日午後10時45分、横浜市中区の新港ふ頭で」


1985年8月14日(123便事件発生から2日後) 朝日新聞 朝刊

「尾翼の一部が横浜港着」
 事故機の垂直尾翼の一部は、第三管区海上保安本部の巡視艇「あきづき」で横浜港に運ばれ、十三日午後四十五分、同港新港ふ頭4号岸壁に引き揚げられた。

 甲板に置かれていた垂直尾翼の一部を、十二、三人がかりでかかえ上げ、船から下ろした。細長い台形をしており、日航のマークであるつるの羽の先端が一部見えた。両端の白い金属板がめくれ上がり内部の骨組みが露出しており、衝撃のすさまじさを物語っていた。しかし、物がぶつかったような跡はなかった。

 同岸壁に待機していた運輸省の航空事故調査委員会の、門田利周・次席調査官と、樫原福二郎調査官が、検分を始めた。日航職員も見入った。門田調査官は「回収されたものは垂直安定版にほぼ間違いない。この安定板は事故機の物である可能性が高い」と述べた。
 また、安定板の底の部分についていた製造番号は、「65B03286-1」と確認され、「747」とも記されていた。

 垂直翼の一部は巡視船「みうら」の甲板に移され、同夜はそのまま同船に保管された。

写真に写る人物の身長から推測すると、この垂直尾翼破片は1.5m×5.0m以上はあろうかというたいへん大きな物です。また、12、3人で持ち上げたということですから、重量は軽くても2〜300kg程度はあったと推測されます。外板を支える骨組まで付いていたということですから、いくら軽量に作られている航空機材料とは言え、それなりの重量であったことでしょう。

鶴のマークの断片、写真2に写る物体の形状から判断すると、この物体は垂直尾翼の左側前縁部であると考えられます。写真3から分かるように、ボーイング747の垂直尾翼と鶴のマークの位置関係、それらの実寸などから、この推測でほぼ正しいことが確認できます。破れた外板から反対側が透かし見えていないことから、右側前縁部を含む垂直尾翼前縁上部が丸ごともぎ取られたことを示しているように見えます。


写真3:回収部分の機体推測位置

事件翌日の夜に横浜港に陸揚げされたということですから、かなり早い回収だったということになります。すると、回収は13日の日中、日本中が大騒ぎになっている最中に行われたことになります。公式発表では墜落場所が確認されたのが13日の早朝であり、同日日中は事故の発生した明確な場所も、事故原因もまだはっきりとわからないはずの時間ですから、海上保安庁の巡視艇はたまたま相模湾の巡視行動中に、海上で123便の尾翼破片を見つけたのか、何か特別な情報を得て現場に急行したということになります?残念ながら、この記事には「あきづき」の海上行動の経緯が一切書かれておりらず、その辺は推測でしか語れません。

この早すぎる部品回収の他、これまでに浮上した垂直尾翼海上破壊説の疑問点を列記してみます

(1) 圧力隔壁破壊、急減圧はなかった
(2) 日航鶴のマークは陸上でも複数目撃されている
(3) 海上自衛隊の不自然な回収部品の陸揚げ地選択
(4) 金属部品は、通常海上で浮遊するはずがないのに、海上で回収されている

そして、この記事から伺える新たな疑問点として次の項目を加えたいと思います

(5) 海上保安庁の早すぎる部品回収
(6) どう考えても、垂直尾翼前縁部が海上で浮いてるはずがない
(7) 鶴マークを含む最重要証拠なのに、事故調査報告書で検証されていない

(1)については、「折れなかった垂直尾翼−番外編」でも簡単に指摘しましたが、多くの専門家、書籍等でもその不合理性に疑問の声が投げかけられており、生存者4名の証言とも全く噛み合いません。本来ならば、この1点を洗うだけでも十分に事件の隠蔽を覆せるはずなのですが、客観的知見を提供するはずの学識経験者がこぞって体制側に着いており、この事件の根本をなす疑問は20数年間無視され続けたままです。

(2)と(7)は「鶴マーク」で関連があります。鶴マークのペイントを含む垂直尾翼の一部が本当に海上に落ちていたのならば、その周辺部を含む垂直尾翼の大部分が相模湾上空の異変で破壊されたという事故調査委員会の報告は正しいことになります。しかし、「見えざる人々神の鉄槌(1)」で掲載した証言のように、墜落現場近くで複数の目撃者が、「鶴マーク」を目撃しているのです。123便の陸上での目撃証言は初期の報道で多く取り上げられていますが、「飛び方がおかしい」というものはあっても、「尾翼がなかった」、「機体の一部が壊れていた」という証言は全くないのです。一つ一つの証言には不正確さが残るとは思いますが、何十もの目撃証言が尾翼について語っていない不自然さをどう説明すればよいのでしょうか?尾翼は折れていなかったのです。

(4)と(6)については、「折れなかった垂直尾翼(3)」と内容が重なるので詳細は省略します。とにかく、物事を隠すにしろ、やり口があまりにも杜撰です。海上保安庁が回収したとされる部品は、その形状、その大きさ、重量から見て、海上を何時間も浮いていたとは到底思えません。(7)に関連しますが、事実だったら超が付くほどの重要証拠であっただろう当該部品が、事故調査報告書で何故か十分に検証された形跡がないこと、この記事そのものの扱いが極端に小さいこと(*1)、その後、この部品に関する追跡記事がないこと(*2)など、不明瞭な点が多すぎます。

ここからは推測になりますが、海上で異常が発生したとする国民印象操作シナリオが事件直後に急遽作成され、それに基づいて、誰にでも分かりやすく印象的な鶴マークの刻まれた部品が海上で回収されたという事実を急いで捏造したのでしょう。但し、それがちょっと急ぎ過ぎでした。また、隠す側でも、まともな基礎科学知識があればこんな嘘はすぐにばれることに気が付き、その後に「鶴マーク」の目撃証言が幾つか出た頃から、大きく取り扱うのを止めたのだと考えられます。この場合、鶴マークの強調は彼らのシナリオをかえって危うくするものだと気が付いたのでしょう。

では、この鶴マークの部品はどこからやってきたのか?一番考えられるのは、123便の墜落現場から陸上自衛隊のヘリを使って巡視艇まで空輸したことです。


*1 小さな扱い:事件直後は犠牲者の安否が優先で、大きく取り上げる余地がなかったとも言える。必ずしも悪意があったとは考えられず、逆に、このおかしな状況に気がついて欲しいという、記者の必至の訴えだったのかもしれない。

*2 追跡記事がない:私の調査範囲でという意味。追跡情報があれば教えていただきたい。


 * * *


今回の記事で、ご注意を頂きたいのは、海上での証拠捏造に加担したのが、海上自衛隊でなく、海上保安庁である点です。同庁は現在は国土交通省の管轄ですが、当時は運輸省の配下でした。事故調査委員会の出鱈目など、これまでの経緯を踏まえれば不思議はありませんが、運輸省は海上保安庁という自前の実働部隊を投入してまで日航機事件の隠蔽にやっきになっていたことが伺えます。

同時に、事故調査報告書に部品回収で登場した海上自衛隊がこの時関与しなかったことに、同事件の取り扱いに対する海上自衛隊内の激しい抵抗を感じます。私は、報告書に記載された、すぐにインチキだと分かる海上浮遊部品の項目、また上記(3)にある海上自衛隊が見せた不自然な陸揚げ行動については、彼らの声に出せない抵抗であったとも見ています。

現在起きている領土問題において、海上保安庁は日本の守りの要です。現職員の多くは本件と直接関係ないことは分かっていますが、彼らの一部、また旧運輸省上官の一部が123便犠牲者の血で汚れた人物であることは、疑いようがありません。前から唱えているように、私は罪を責めるつもりはありません。しかし、事実を隠し続けることは新たな罪を作るのと同じことです。どうか真実を私たちに話してください。私は、あなた方も救ってあげたいと本気で考えているのです。


QUAE DIXIT NEMO DOMINE DIXIT AUTEM IESUS NEC EGO TE CONDEMNABO VADE ET AMPLIUS IAM NOLI PECCARE
女が、「主よ、だれも」と言うと、イエスは言われた。「わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい。これからは、もう罪を犯してはならない。」
(ヨハネの福音書 第8章11節)


遠い祖霊の始まりの地より
管理者 日月土

旧陸軍士官が語った歴史の真実(1) − 123便関連事項含む −

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※2012.10.01 追記が有ります

竹島や尖閣諸島を巡る最近の報道を見て、人を殺す戦(いくさ)を望む勢力がこの国に台頭してきていることを大いに憂います。本ブログを定期的にチェックされるような方なら、こんな稚拙なプロパガンダに騙されはしないと思いますが、123便事件同様、報道されているストーリーが現実の世界だと信じている大多数の人々は、これからも欺かされ続けるのでしょう。

123便事件を調べ続け、また、現在の狂ってしまった政治状況を見るにつけ、つくづく、日本の国体が骨抜きにされていることを実感します。私には、小手先の政治運動や情報開示ではもはやどうにもならず、フリーフォールのように、落ちるところまで落ちなければ大元に立ち返ることは不可能のようにすら思えます。

現状に不満を言っても仕方ありません。私も、今の日本が抱える原罪を背負った一人であることを十分に自覚しています。ですから、日本と命運を共にして落ちたとしても、その道は自分で選んだのだと理解するようにしています。

落ちるところまで落ちて、そして、そこからどれくらい這い上がれるのか、国と国民の平安を神々に祈りつつも、自分の能力と運命に賭けて善良と思える道を前進するしか選択肢はありません。

 * * *

前回の記事から少し間が空きました。今回は、ちょっと趣向を変えて、ある人物から聞いた先の太平洋戦争に関するお話について、私の記憶に残っている限りここで紹介したいと思います。当然ながら、遠い過去を語ったことなので、記憶違いや誇張なども入っているでしょう。また、私自身の理解不足なども含まれると思います。ですから、あくまでも、「そんなことを言う人がいた」くらいの感覚で受け取っていただければと思います。


■華麗な経歴の持ち主

その方とは、知人の紹介で知り合いました。お会いした当時、本人いわく、誰でも知っている日本企業の会長職を務め、現役から一歩退いている立場だとのこと。その企業の創業者の庶子として生まれ、徳川御三家のある一家に嫡男として養子に入ったとのこと。英語堪能、武道、ピアノ演奏にも秀で、陸軍大学を出てから陸軍の情報部に配属されたとのこと。

もちろん、かなり後世代の私がこの経歴を聞いても、すぐにはピンとはこないのですが、いわゆる旧華族に属する人物で、日本の実権力を握るグループの一員であることは理解できます。政府・財界に親類縁者は多数。それだけではただのお話ですが、目の前で現役の総理大臣に気軽に電話を掛けたこともあり、ただの誇張だけではないことも確認しています。

以下、この方のことをT氏と呼ぶことにします。

現在の代議士の多くが、元議員の2世、3世であると、政治の世襲化が問題になっていますが、T氏のお話によると、吉田茂、鳩山一郎、岸信介などの古い政治家達、もしくはその奥方の多くがT氏の親族であり、必然ながら、最近になって総理大臣を務めた多くの代議士が、T氏の近縁・遠縁に当たることになります。日本を代表する企業群の実質オーナーだったこともあり、血縁だけでなく、資金面でも有力政治家と関係が深かったことは想像に難くありません。


写真1:現在では当たり前の世襲総理たち
    血を遡るとT氏の家系にも行き当たる。これぞ日本流民主主義か?

高齢で財界の重鎮であるT氏の前では、電話の向こう側にいる日本国総理大臣もひよっこ扱いだったのも当然でしょう。これはこれで凄い話なのですが、投票で広く才能を求め結集させるはずの民主主義が、人材発掘の根幹部分で、一部の血族、財閥に牛耳られている光景を目の当たりにした瞬間でした。彼らに悪気があるかどうかは別として、事実としてそうなっていることは、理解しておく必要があります。

T氏の人脈は、自民党、民主党内部に広がっていますが、T氏にとっては、政党の主義主張などは全く意に介していなかったように見受けられました。当たり前でしょう、どちらに転んでも自分の意向は確実に権力中枢に伝わるのですから。


■二・二六事件はやらせだったのか?

このブログのタイトルを見ればわかるように、私は松本清張先生のノンフィクション作品を高く評価しています。「日本の黒い霧」も秀作なのですが、私が最も敬愛する作品は「昭和史発掘」の中の「二・ニ六事件」の章です。もちろん、昭和初期のあの有名なクーデーター事件を取り扱ったものです。


写真2:文藝春秋社「昭和史発掘」文庫版表紙
    松本作品に出会ってなければこのブログもなかった?

その、膨大な資料の蒐集と緻密な分析には今でも学ぶことの多い作品ですが、T氏と出会った頃にちょうど同作品を読み込んでいたので、昭和11年の2月26日、T氏がまだ10代前後の少年だった時、当時東京都内に住んでいたT氏が何を見聞きしたのかを尋ねました。

「前夜から雪が降り始めて、夜に軍靴の音が鳴り響いていた。学校へは車で送ってもらうのだが、その日は休校になったことを覚えている。」

家の中に居たため、外で何が起こったのかを目撃されてはいなかったのですが、それでも、そんなわずかな天候の描写と聞こえてくる音の様子で、当日、都心で起きていたことが生々しく想起されます。私にとっては、T氏のこのリアルな証言だけで十分に満足だったのですが、それに続いてT氏は奇妙なことを語り始めました。それが余りにも衝撃的だったので、その時のやりとりをよく覚えています。記憶を辿ってそれを下記に示します。若干不正確であることはご容赦ください。

-------------------ここから---------------------

T氏「私は陸軍に入隊してから、栗原さん(当時中尉:叛乱首謀者の一人)に会いましたよ。」

日月土「えっ、どういうことですか?栗原中尉は事件後すぐに処刑されたはずですが??」(註:T氏が入隊するのは事件から数年後)

T氏「世間ではそういうことになってますね。でも、私はこの目でお姿を見て、会話もしています。それを信じる信じないはあなたにお任せします。なお、私は歴史というものを一切信じていません。」

日月土「中尉とどんなことをお話されたのですか?」

T氏「栗原さんは、よく歌を歌いながら兵舎の中をこうやって歩いていましたね(歌と身振りの真似)。事件に関わった他の青年将校の方々がどの部隊に配属されたのかも聞いています。」

日月土「なぜ、将校たちは処刑されなかったのでしょうか?」

T氏「理由はわかりませんが、やはり、お国のために立ち上がった方々ですから、殺すに忍びなかったのだと、私は理解しています。」

日月土「戦後、陸軍が解体されて彼らはどうなったのでしょう?」

T氏「それは私にもわかりません。」


写真3:栗原安秀中尉
    T氏はニ・ニ六事件よりだいぶ後に兵舎内で直接お会いしたことが
    あると言う。栗原中尉は処刑されていなかった!

-------------------ここまで---------------------

この会話を終えたとき、松本清張先生の作品を愛読していた一読者として、どれほどショックだったかはお分かりいただけるでしょうか?あれだけの労作の結末、「首謀者の処刑」という歴史的事実の結末が、実は捏造されたお伽話だったというのですから。当時、123便事件の真実についてすらまだ何も知らない自分は、この証言に激しく打ちのめされたのです。

あの松本清張先生ですら騙されていたのか!?


■文藝春秋社は何かを隠してる?

T氏のお話が事実だとすると、松本先生のされたお仕事がだたの徒労であったということに成りかねません。あるいは、松本先生自身がその疑いを持ちつつ、結論を出せぬまま、「処刑」を歴史的事実として渋々綴ったのかもしれません。

T氏のお話に納得しきれない私は、「昭和史発掘」の出版元、文藝春秋社にメールでT氏の語った内容が、「ニ・ニ六事件」の資料に中に僅かでも含まれているか質問を出しました。

かなり突飛な内容なので、メールへの返事は最初からあまり期待していませんでした。案の状、今でもその返事は私の元へ届いていません。しかし、メールを出してから数日後、私の身辺で異変がありました。空き巣に入られたのです。

帰宅して、窓ガラスが破られていることに気がつきました。アパートの1階部分で、道路沿いの端部屋から2番目の部屋。確かに入られても不思議はないのですが、何故、入りやすい端の部屋ではなく奥の自分の部屋だったのか?もっと不思議なのが、何も捕られていないことでした。真新しいノートパソコンが机の上に置いてあり、預金通帳が見えるところにあるにも拘わらず、何も捕られた気配がありません。これには、調書を取りに来た警官の方も首を捻ってました。その後、いろいろ調べて、結局、何も捕られた物はないという結論になりました。被害は、壊された窓の修理代程度のものです。

当時の私は、陰謀論的な話に多少の興味はあっても、社会の裏側や闇組織とかいったものに具体的なイメージはなかったので、不思議な空き巣事件ということで、勝手に納得していました。文藝春秋社へのメールと何か関係があると疑うこともありませんでした。

ひょっとしたらメールでの質問と関係があるのではないかと思うようになったのは、123便事件を調べるようになってからです。123便関連で関わりを深めた国際軍事評論家のB氏に、ニ・ニ六事件の青年将校が実は処刑されず生かされていた件について尋ねると、

「私もそう聞いてます」

と、実にあっさりとT氏のお話を裏打ちしてくださったのです。青年将校の処刑については、やはり何か隠し事があるようです。

ここで、疑問に思うのが、戦後60年以上たった今、青年将校が生かされていた事実が仮に世に出ても「愛国者への温情措置」とすれば、さほど抵抗なく新事実として受け止められると思うのですが、上述の空き巣事件が、重大事実を知った者への嫌がらせ、もしくは警告だとすれば、どうして、その事実をひた隠しにしようとするのか、今一つ釈然としません。これについての論考は後述しますが、少なくとも、文藝春秋社へのメールと空き巣事件には何か関連がありそうだということ。だとすれば、文藝春秋社は何を隠しているのかと、疑問の度合いが必然的にエスカレートしてきます。


■ニ・ニ六事件と戦時体制 − 2つの疑問

T氏の証言「ニ・ニ六事件の叛乱将校は処刑されていなかった」が事実であると仮定し、また、私の遭遇した「文藝春秋社へのメール後に起きた不可解な空き巣事件」が事実隠蔽工作の一端であったと仮定した場合、そこから新たな疑問が幾つか派生してきます。それを箇条書きにすると以下のようになります。

 (1) 何故、青年将校達は処刑されなかったのか?
 (2) 何故、半世紀以上昔の事実が隠蔽され続けなければならないのか?

他にも細かい疑問は色々と出てきますが、重要なのは上記2点になるかと思います。(1)の回答としては、T氏自身が「愛国者達への計らいだったのでは」という推測を述べられていますが、政府の重鎮が暗殺され、陸軍内の青年将校達のシンパ、いわゆる皇道派の高官達が事件後粛清されていることを鑑みれば(これも本当かどうか分からない)、「温情」の一言で処刑を免れたとはとても考えにくいものがあります。なおかつ、証言によると、彼らは、事件後に陸軍内の実権を握った統制派の下で職務の継続と行動の自由を与えられていたようなので、これが特別計らいの温情措置であったとは、常識的には考えにくいものがあります。

この疑問に対する最も簡潔な回答として、以下が考えられます。

 ニ・ニ六事件は、初めから事件後の効果を狙った、皇道派・統制派の両派閥間で巧妙に仕組まれた茶番であった

事件後の効果、あるいはその茶番を企図する一番の目的は、他でもなく"戦争突入"であり、海軍出身で戦争回避派、また天皇機関説を支持する岡田啓介首相(当時)、およびその片腕である高橋是清大蔵大臣が暗殺の対象になったのも、シナリオの流れから俯瞰すれば当然の事であると考えられます(岡田首相は難を逃れたが、急速に求心力を失う)。


写真4:二・ニ六事件で殺害された政府要人(岡田総理は難を逃れる)
    左から 岡田啓介(内閣総理大臣)、高橋是清(大蔵大臣)
    斎藤實(内大臣)、渡辺錠太郎(陸軍教育総監)

ニ・ニ六事件発生の原因は、東北地方を中心とした地方庶民の困窮と生活苦、それに対する政府の無策に憤った志高き青年達の暴走という風に、一般的には説明されていますが、果たしてそんなご立派なものであったのかどうか。あるいは、叛乱した彼ら自身は純粋な理想を抱いていたとしても、その情熱を上手に弄ばれてしまったのかもしれません。

日本を戦時体制に移行させることにより、軍部は国内の政治経済に強い影響力、そして実際的な権限を得ることになります。これは軍部にとって大きなメリットです。そのために目障りな和平派の弱体化を図ること、それと同時に、皇道派など、コントロールが難しい極右勢力の勢いを一定程度削ぎ落とすことが必要になります。

ニ・二六事件は、戦時体制を作り上げるための最後の仕上げとして企図された茶番。そう考えると、事件後に、政府が弱体化し、東条英機を初めとする統制派が幅を利かすようになり、同事件の翌年、1937年に盧溝橋事件が勃発。泥沼の日中戦争へと突入し、更には太平洋戦争へと繋がる急展開に、欧米諸国に追い詰められただけでない、別の説明を与えることができます。以下はニ・ニ六事件前後の簡略年表です。これを眺めると、政府要人への殺害行為を契機に戦時体制へ強く牽引されていく日本の体制が見て取れます。また、1938年の国家総動員法の制定は、事実上、米国との開戦準備であり、日本の軍事政府に和平案など念頭になく、戦争を遂行することが初めからの規定路線であったことが伺い知れるのです。

1931年 5月15日 五・一五事件 犬養毅首相、他殺害
 同年 9月18日 満州事変
1932年 1月28日 第一次上海事変
 同年 3月 1日 満州国建国宣言
1933年       国際連盟脱退
1934年12月    ワシントン海軍軍縮条約破棄
1936年 2月26日 二・二六事件 高橋是清大蔵大臣、他殺害
1937年 7月 7日 盧溝橋事件(日中戦争勃発)
1937年 8月13日 第二次上海事変
1938年       国家総動員法制定
1941年12月 8日 日米開戦(太平洋戦争勃発)

ここで、戦争突入によって最大の利益を得るグループを忘れてはなりません。ロックフェラーやロスチャイルドなどのユダヤ系国際財閥、日本国内だけを注視すれば、三菱、三井、住友などに代表される大財閥とその系列企業、そして、その経営者でもある旧華族・士族に属する人々が、必ずそこに存在するのです。ニ・ニ六事件の勃発を、財閥系企業はかなり正確に予測していたと言われますが、それが、企業内の情報部の諜報活動によってと考えるのは、ちょっと人が良すぎる発想かもしれません。彼ら自身が、直接事件を計画実行した方が、はるかに効率良く自分たちの利益となる戦時体制へと日本社会を導くことができるはずなのです。

これは、もはや推測の域を出ませんが、日米開戦前に、その資産をアメリカ国債にシフトしていた日本の企業経営者連中は、いったいどうして米国の勝利を予測できたのか、疑い始めたら本当にキリがありません。私は、外国勢力を含む日本の軍産複合体は、ニ・ニ六事件の時に初めてその牙を日本国、日本国民全体に向けたのではないかと考えています。あたかも、日航機123便事件の背後に見え隠れする、クロカモさん(日本の闇組織)たちのように。いや、その時既に、クロカモは存在していたのかもしれません。

このように論を進めると、疑問(2)については、次の様なの答が一つ考えられます。

「日本の軍産複合体は二・ニ六事件の頃から存在し、日本を戦争へと駆り立てた。その勢力は現在でも存続し、同事件の真実を過去のものと切り離すことはできない。日本の秘密結社たる彼らは、その存在を悟られないことが最大のテーゼであり、『処刑はなかった』という真実から、自分たち計画者の存在が類推されてしまうことは努めて避けなければならない。」

もちろん、この推論が正しいかどうかなど、今の私には検証のやり様がありません。しかし、123便調査の経験を通して、ニ・ニ六事件にも123便事件と同じ超国家的な巨大隠蔽の臭いを感じ取ってしまうのです。

----------2012.10.01 追記(ここから)------------
後から気がついたのですが、もしも、「処刑の回避」が陛下に伝わっていないのなら、逆賊征討の勅令が無視されたことになります。これが陛下のご意思なら、敢えて隠蔽する必要はなく、すると、当時の陸軍そのものが勅令に逆らった可能性は高いと言えます。現在までも隠し通す理由はその点にもあるのではないでしょうか。

陸海対立の観点から見れば、穏健派の岡田首相を要する海軍閥がその被害者のように見えますが、第二次上海事変は海軍側が起こした事変であり、後に日中戦争は泥沼化し、太平洋戦争への大きな布石となっていることは見逃せません。陸海対立を煽り、日本を大戦へと導いた勢力は海軍内にも存在していると見るべきです。米内光政、山本五十六など、駐在武官経験者と海外資本家とのつながりは、他書でも夙に指摘されてるところであります。そこに、金の力に操られる哀れな軍人の姿を見るのは私だけでしょうか?

どちらにせよ、一番気の毒な方は、偽の愛国者に翻弄され続けた昭和の大君だったと、思わずにいられません。そして、何ともお労しいのは、日航機123便事件で、再び同じお悲しみに御胸を痛められたのではないかと思われることです。
----------2012.10.01 追記(ここまで)------------


 * * *


日産自動車がミサイル開発子会社を所有しているのは知られていますが、トヨタ自動車が軍事用戦闘ロボット(米軍向)を既にタイで生産していることはほとんど知られていません。昨年のタイ洪水の時、トヨタの工場内部の映像がほとんど出なかったことに気がつきましたか?日本では全く報道されませんが、私が滞在していたフィリピンでは、堂々とニュースメディアで取り上げられていました。フィリピンの方々は無邪気に「日本の技術力は凄い」と褒めてくださるのですが、私の心中は複雑です。日本は再び、危険な道を歩もうとしているのではないのか。


写真5:2005年開催の愛・地球博(別名トヨタ博)で公開された歩行ロボット
    華やかな舞台の裏で、軍関係者に向けて軍事ロボットの売込みが
    行われていたという。二足歩行技術はホンダから買ったらしい。
    どうやら、自動車産業界は次の"大イベント"を切望しているようだ。

今月、松下経産大臣自殺の一報がありました。女性問題に悩んだ上と言われてますが、国会議員5期目で、70代の高齢現職大臣が、そんなことを苦にして自殺などするはずがないでしょう。そんな脆弱メンタリティーでは、おそらく代議士当選すらおぼつかないはずです。日本国民はそこまで頭が弱いと思われているのでしょうか?

自殺か他殺の結論はここで問うまでもなく、気にするべきは、政府の要職者が殺された時、その後に何が続くかという予測です。図らずも、今回のテーマはその解答を導くための絶好の過去事例となってしまいました。誰が日本をどこに導こうとしているのか、読者様には、事象の細部ではなく、ぜひ、大局を読み取っていただきたいと願います。

なお、T氏からは、「広島に原爆を投下したのはエノラ・ゲイ号ではない」など、他にも驚くような証言を聞かされています。もう歴史の教科書を読むのが馬鹿らしくなるほどです。これらについては、機会をみてまたご紹介したいと思います。


 身はいかに なるともいくさ とめにけり
 ただたふれいく 民を思ひて
           昭和20年 昭和天皇


遠つ祖霊の始まりの地より
管理者 日月土

認めたくない、首都東京の憂うべき現状

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はじめに、最近更新が滞ってしまいご心配をおかけします。123便事件の情報が大量かつ複雑になってしまい、もはやブログという形式でこの難事件を紐解いていくことに限界を感じています。

現在は、読者様の理解のため、また自分にとっての情報整理のため、一般的なWebページの新設に時間を割いています。半完成でありますが、そのプロトタイプとなる英文サイトを公開しました。英文サイトを先に作成したのは、最近になって外国籍の方に123便事件を説明する機会が増えてきたこともありますが、それ以前に、海外在住者にとって123便墜落の事実認識自体がほとんどないことに、情報の偏りを強く感じたことがあります。

このブログを長く読まれてきた読者様には、123便事件が世界の主要国を巻き込み、今なお終止符が打たれていない重大事件(事変)であることは、すでにご理解されているかと思います。日本国内に留まらず、世界の識者にこの事件の真相を伝えるためにも、外国語によるサイト設立は必ず意味のあることであろうと認識しています。

ネイティブスピーカーではないため、文法的な誤りや、用法の間違いなどあるとは思いますが、あまりに誤用が酷い場合などはご指摘いただければ幸いです。

英文サイトはこちらになります↓↓
"Prayer of White Camellia" The Truth of Japan Airlines Flight 123 Crash Case, Aug 12 1985, Japan

* * *

さて、本題に入ります。ブログの更新をさぼっている間に、何と、次の12月16日には衆議院選挙と東京都知事選挙の投票が実施される運びとなってしまいました。それも、石原都知事が"突然"の辞職表明に続き、野田総理による"突然の"衆議院解散宣言。これが、偶然であろうと誰が信じるでしょうか。悪い癖と指摘されるかもしれませんが、こうした現象が起きた時、「誰がどんな絵を描いているのだろう?」と勘ぐるのが、もはや私の習慣となっています。

■人気アニメに描かれた真実?−新宿原発−

下の画像は、かつての人気アニメ「甲殻機動隊 S.A.C 2nd GIG」の第6話「潜在熱源 EXCAVATION」からのカットです。


図1:後ろの柱に原子力マークが描かれている

このストーリーでは、大戦前、東京新宿の大深度地下に秘密の原発が作られており、大戦後、プルトニウムを取り出すために、陸上自衛軍が極秘裏に現地を掘削していたという設定になっています。

私は、最近になって初めてこのアニメシリーズを目にし、娯楽以上のものはまったく期待していなかったので、このストーリー設定にひっくり返るくらい驚きました。作者は事実を知っていたのか!?

今回は焦らしは無しで単刀直入に結論を伝えます。


東京地下原発は実在しています。


その場所がどこなのかも、もう分かっています。新宿ではありませんが、23区内です。そして、困ったことに、2000年から2001年にかけての頃に、大規模な放射能漏れ事故を起こしています。予想される建設開始時期は1990年代中頃で、ちょうど地下鉄サリン事件があった頃に当たります。石原都政は1990年代後半に誕生し、2000年頃の放射能漏れ事故時の都知事でもありました。

石原慎太郎氏は、まさに東京原発と共に歩んだ、「核」に魅入られた人物です。氏の一連の核擁護発言から、おそらく東京原発の存在も、事故の発生も知らされており、それを隠蔽し後押しするために、闇組織に上手に使われてきたのでしょう。

しかし、福島の原子力発電所事故は石原氏にとっても大きな痛手だったと思われます。世間の脱原発、反原発の眼差しが強くなると共に、民間人による放射線量測定によって、東京の東部が酷く汚染されている実態(ホットスポット)が露になってしまったからです。福島による汚染は当然ですが、それ以前から、東京東部、千葉東葛地域は重度に汚染されていたとみるべきです。核の代弁者、石原氏がなぜ「原発は些細な問題」と言いたいのか、放射能瓦礫をガンガン燃やしたいのか、なぜ都知事を辞めてでも、反核の流れを断ち切りたいのか、真実を踏まえるとその心中が手に取るように見えてきます。

私の情報筋は、日本は既に2000発の核弾頭を有しており、ほぼ同数の大陸弾道弾も発射可能の状態であると伝えています。数の正確さについては不明ですが、一定量が即時使用な状態で配備されているのは間違いないでしょう。その論拠は123便事件関連を含め、これまでの記事で述べてきた通りです。ならばこそ、核兵器の性能維持のため、新鮮なプルトニウムを生産する工場(原子力発電所)がどうしても必要になるはずです。

軍事という観点から見れば、発電所として公表されているプルト工場だけでは心配です。福島のように敵に攻撃されればそれで終わりですから。ですから、一般に知られていない、秘密の地下原子炉のようなものを保持しようと考えるのが、むしろ常識的な発想です。東京の地下原発がその目的なのかどうかは分かりませんが、いずれにしろ兵器生産への転用は可能でしょう。

そのような地下原子炉は他にも数基存在していると考えられます。実は、123便の墜落現場地下に作られた神流川発電所=地下軍事基地内にも、原子炉が据えられているとの情報があります。確かに、現地の放射線値は311以前からかなり高かったのでその可能性はありますが、何より123便事件の時に拡散された核物質の影響も考えられるので、放射線量を以ってのみでは断定できません。

恐ろしいのは、化学工場といい、民間・大学の研究所といい、日本のあちらこちらに原子炉が作られ、半減期の長い核物質が無防備に置かれていることです。本当に、日本もとい世界の人類は、もはや立ち戻ることのできない危険な領域に足を踏み入れてしまったのでないかと思われてなりません。これでは、核戦争を始める前に核によって殺されてしまう。いったい何の為、誰の為の核兵器なのか・・・


写真1:ご存知、石原慎太郎氏
    日本潰すには鉄砲はいらぬ
    石原みたいな劣等感の塊のような政治家がいればよい
    核とそれに纏わる金と利権に漬け込めばあとは勝手に自滅
    だって、核は国家にとって覚醒剤のようなものだから


 * * *


今回の記事内容だけではただのお話でしかありません。東京地下原発の具体的な位置と、存在を裏付ける傍証についてついては、次の記事で詳説する予定です。核関連については、もはや書くのに気が進まないテーマではありますが、来たる都知事選、衆院選に合わせて、何か参考になればと思い、情報提供させていただきました。



HAEC DICIT DOMINUS DEUS ECCE LEVO AD GENTES MANUM MEAM ET AD POPULOS EXALTABO SIGNUM MEUM ET ADFERENT FILIOS TUOS IN ULNIS ET FILIAS TUAS SUPER UMEROS PORTABUNT
主なる神はこう言われる。見よ、わたしが国々に向かって手を上げ
諸国の民に向かって旗を揚げると
彼らはあなたの息子たちをふところに抱き
あなたの娘たちを肩に背負って、連れて来る。
(イザヤ書 49章22節)


遠つ御親の始りの地より
管理者 日月土

認めたくない、首都東京の憂うべき現状(2)

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このブログに書いてることがデマ扱いされていることには慣れています。しかし、この「認めたくない・・」関連記事には、特に強い拒否感を示される方が多いようです。

情報提供を基に、自身で検証できるものは、なるべく検証後に記事にするように心がけていますが、核関連に関しては時の要請も鑑みて、「未確認」と断った上で聞いた情報をそのまま掲載してきた経緯もありました。その点においては、私自身にも反省すべき点はあります。

しかし、今回の東京地下原発については、数年前に情報を初めて耳にし、その後、複数の関係者に接し、またデータなどを調べるにつき、状況的には存在が間違いなかろうという結論に達しています。

私も、日本国民ですから、国家護持において重要な機密事項であれば、敢えてネットなどで情報発信などするつもりはありません。この案件が表に出ていないのも、東京原発関係者に同じような志があったからだと理解しています。

ただし、国体護持のための施設が、逆に国民の生命を危うくするものであるならば、看過することはとてもできません。「お国のために多少の犠牲は仕方ない」という理屈も、「核」という重大危険物質においては「多少」という概念が通用しないと考えます。


■地下原発はそもそも必然?

都市伝説の類に、「国会議事堂の地下は要塞化されている」というのがあります。そんな話は初めから信じないという方は、もうこの先を読まれる必要はありませんし、今後もこのブログに訪れなくても結構です。こんな暗い話は目にせず、健やかに日々をお過ごされることを、私も望みます。

さて、この都市伝説の真偽は別にして、仮にこの話が真実だと仮定すると、現実的に処理しなければならない点が幾つも考え付きます。まず一番肝心な質問として

 Q:地下要塞化されている理由は?

があげられるでしょう。一般的な答えとしては、「核戦争を含む有事に対応し、政府機能を維持するため」というのが、模範的な回答として異論がない所だと思います。続いて、もっと現実的な質問が生まれます。

 Q:地下要塞の機能仕様は?
  ・そこに何人が何日留まることができるのか?
  ・水、食料の確保はどれくらい必要か?
  ・エネルギーはどう確保するのか?

もうお分かりでしょう、この都市伝説が真実であり続けるためには、施設を維持するためのエネルギーが不可欠です。核戦争などが想定されている状況で、地上、ましてや福島などの地方から送電を期待しているなどという想定はあり得ません。化石燃料の大量ストックも物量的に限界があり、化石燃料による発電で長期の篭城には無理があると考えられます。すると、比較的燃料の嵩が少なく、小型化が可能な原子力発電の採用が有利となります。もちろん、放射性物質の管理リスクがありますが、そこは非常時を前提としていることから、不問になることでしょう。大体、公に運用されている原発ですら、安全基準上は様々な問題点が指摘されているのですから、秘密原発に高度な安全基準が適用されるとは端から期待できない相談です。

以上、全て架空の話です。そして、以上のような理由が考えられるからこそ、

 (1). 地下原発は夢物語だ、地下要塞はあり得ない!
 (2). 地下要塞があるなら地下原発もあり得る!

と意見が分かれるのだと思います。常識的には(1)でしょうし、大多数がそう思われるのが当然です。

しかし、私は123便事件の調査を通して、この国の知られざる姿をまざまざと見てきました。その経験こそが、(2)の選択もあり得るとする根拠の一つです。

もちろん、それだけで読者様は納得されないでしょうから、本ブログでは、多少なりとも傍証を示します。なお、今回の記事でそれを示すとした傍証ですが、住居や勤務先の近所にそんなものがあると知った方々の心中を考え、年明けまでは、設置場所を含めそれを公表することはいたしません。

いたずらに人心を乱すのは私の本意ではありませんから。

読者様におかれましては、よいクリスマス、よい年の瀬をお過ごしくださいませ。


 * * *

この記事を書いている最中。中央高速の笹子トンネルで大きな事故があったようです。全ての方が無事であることを神に祈ります。
http://mainichi.jp/select/news/20121202k0000e040117000c.html


AMEN AMEN DICO VOBIS QUIA PLORABITIS ET FLEBITIS VOS MUNDUS AUTEM GAUDEBIT VOS AUTEM CONTRISTABIMINI SED TRISTITIA VESTRA VERTETUR IN GAUDIUM
はっきり言っておく。あなたがたは泣いて悲嘆に暮れるが、世は喜ぶ。あなたがたは悲しむが、その悲しみは喜びに変わる。
(ヨハネの福音書 第16章20節)


遠つ御親の始まりの地より
管理者 日月土

JAL123便墜落事故−真相を追う−神々の落涙(5)

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先月末に開設した、123便関連の英文サイト「Prayer of White Camellia(白椿の祈り)」に、この記事を書いている時点で30カ国以上からのアクセスをいただきました。今の時点では、たまたま目にされた方が多いのだろうと想像されますが、まずは、27年前の昔、東洋の片隅で、2001年の911事件に比肩しうる巨大な共同謀議が謀られていたこと。そこまで及ばなくても、飛行機事故の背後に何か大きな隠し事があると、世界の多くの方々に気がついていただきたいと、強く願っております。

123便関連の主力記事は、徐々に新サイトに移していく予定ですが、ブログの方でも書きかけのテーマは、一応完結させたいと思っています。


 * * *


■奥三河トンネルの謎

123便の墜落現場とされている御巣鷹の尾根、そこから西側に尾根を越えると、かつてこのブログでその不可解さを指摘した南相木ダムが現れ、そこからさらに下ると南相木村の集落へと続きます。

その集落部とダムを繋ぐ舗装道路の途中に、「奥三河トンネル」という、トンネルの両出入口にシャッターが取り付けられている、ちょっと奇妙なトンネルがあります。このトンネルの奇妙さはこれだけでなく

トンネル迂回路の舗装道を使っても、トンネルを使っても所要時間はほとんど変わらないこと
冬季など、時々トンネルだけシャッターが閉まって通れないことがあること(上記の事情から、ダムとの行き来に全く支障はないが)。

そして、これはS氏が地元住民の方に聞いた話として

昔からトンネルはあったが、今あるトンネルは123便墜落後、自衛隊の工兵が爆破破壊し、新たに作り直したものだ

という証言もあります。

これに加え、トンネル周辺の小山、中山があちこち削られ、「多目的広場」という訳のわからない広大な更地にされているのは、現地にいけば違和感として誰でもすぐに気がつくはずです。


図1:奥三河トンネルと、多目的広場
   トンネル西側入り口の経緯度(36.003753, 138.639248)
   グーグルマップなどでご自身で確認してみてほしい。
   ただし、トンネルは表示されないので、図1では赤線で示した。

神々の落涙(4)」でも指摘しましたが、これらの「多目的広場」からは、福島の311原発事故以前に、ロシア製のRADEX放射線測定器で 毎時0.3〜0.4マイクロシーベルとの高い数値を測定しています。この辺に長時間滞在すると、私自身が、嘔吐感など軽い急性放射線症に近い症状を覚えたことも、かつて報告させていただきました。

これら「多目的広場」の土壌からは、S氏とともに、1〜2cm程度に細かく粉砕された航空機体のものと思われる破片を採集しています。あまりに細かすぎて、私たちの分析力では機種の同定はとてもかなわないのですが。

結論を急げば、この奥三河トンネル周辺までが、123便事件関連機材の墜落現場と考えられ、核兵器などを搭載した軍機などが墜落し放射能漏れを起こした、または核兵器そのものが実際に使用されたとする想定も可能です。そうであれば、放射能汚染された土壌を大量に運び出し、その跡地がダム湖に、ダム湖で誤魔化しきれない跡地が「多目的広場」として現在そこ在るように放置されたとみなすことが可能です。


図2:御巣鷹事変は広範囲に発生したと予想される
   群馬、長野、埼玉の3県にまたがる戦闘となったのではないか。

■トンネルは語る

最後に、奥三河トンネルの西側入り口を撮影した写真を以下に掲載します。これには、何か尋常ではないものがが映り込んでいるのに読者様は気が付かれるでしょうか?

普通なら困惑するところなのでしょうが、幸い、私には信仰があります。そして、この写真に現れた現象を神からのメッセージと受け取ります。残念ながらその意味についてはっきりした事はよくわかりません。しかし、123便事件の調査を続けることに、偉大な方からの大いなる後押しを感じることだけはできます。

123便事件の真相解明は天意であると、断言することは果たして不遜なことでしょうか?


写真1:奥三河トンネルの西側入口と複数のオーブ。
    神からのメッセージとは何なのであろうか?


 * * *


人に伝えてもあまり信用されることではないので、これまで敢えて触れることもありませんでしたが、調査活動の最中には、神の介在としか考えられない数々の奇跡に遭遇しています。しかし、それ以上に、人の心に潜む恐ろしい悪魔にも出会っています。私にとって123便事件の調査とは、世の中の真相を見つけ出すこと以上に、「人とは何か」という、根源的な問いを投げかけるものとなりつつあります。


ABRAHAM PATER VESTER EXULTAVIT UT VIDERET DIEM MEUM ET VIDIT ET GAVISUS EST
あなたたちの父アブラハムは、わたしの日を見るのを楽しみにしていた。そして、それを見て、喜んだのである。
(ヨハネの福音書 弟8章56節)


遠つ御親の始まりの地より
管理者 日月土

JAL123便墜落事故−真相を追う−2012年末のメッセージ

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123便事件関連の英文サイト「Prayer of White Camellia(白椿の祈り)」を開設してから、早いものでもうひと月が経過しました。この間、40ヶ国以上からアクセスがあり、日本を除けば、米国(アメリカ合衆国)の方々が最も多くの関心を示されています。本件には米国軍が深く関わっているだけに当然の結果とも言えますが、犠牲となった乗客の中には米国民も含まれることから、同じく同胞たる自国民を失った悲しみを共有し、国境を越え、人の犯した大きな罪を共に贖っていかれることを切に願います。

同サイトは、本ブログでこれまで公開した内容の整理・再掲載が主となっていますが、これまで掲載されていない情報や、高解像度写真などの資料も新たに加えられています。当面は英文主体で記事の掲載を進めますが、日本語による情報も適時本ブログでお知らせしていきたいと思います。


 * * *


■尖閣・竹島問題:自衛隊は防衛軍たるのか

今回のテーマとちょっとずれるかもしれませんが、最近、こんな報道を目にしました。

「第1空挺団隊員、脱法ハーブ吸引し停職60日」
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20121215-OYT1T00536.htm?from=ylist

陸上自衛隊習志野駐屯地の第1空挺団に所属する自衛官が軽犯罪を犯したという記事です。自衛隊も大組織であり、統計学的な見地からも、若干名の隊員が犯罪行為に関わってしまうことにいちいち目くじらを立てるつもりもありません。

しかし、第1空挺団と言えば、自衛隊内でもエリート中のエリート、精鋭部隊として聞こえたセクションです。そのエリート部隊が抱える闇については、「蘇る亡霊(13)」でかつてお伝えしましたが、失礼ながらながらも、こんなみっともないニュースで世間に晒されることには少々驚きを隠せません。

国際軍事評論家B氏によれば、最近行われた世界10数国の空挺部隊による競技会では(そんなものがあるらしい)、習志野第1空挺団の成績はビリから2番目、歴史も浅く、装備も乏しいフィリピンなど東南アジア諸国の空挺団にすら及ばなかったと言います。

この低落振りについてB氏は、もはや訓練方法などの問題ではなく、何か大きな精神的支柱を失っているとしか思えないと付け加えています。

蘇る亡霊(13)」では、空挺団内部で創価vs佼成会の信仰対立が存在するなど、同組織において深刻な問題が生じていることをお知らせしましたが、私は、精神的支柱の分裂は、全部でなくともその一部は、日航機事件の処理を巡る国防組織としての存在意義の崩壊に因ると分析しています。

直接関わったかどうかは別として、日本国民及び外国からの客人計500余名の命を失う大事件に沈黙し続けたその代償は極めて大きい。しかも、墜落現場の証言者、M氏の運転する車両を最新兵器で狙い撃ち、それを基地前の国道上で堂々と実行するなどの幼稚な行動は、隊内に潜む抑え切れない狂気すら髣髴とさせます。


写真1:「地に落ちた空挺団」とは、まさに笑えないジョークのようだ。

現在、尖閣・竹島など領土領海を巡る諸問題で、憲法改正、自衛隊の増強、国防軍への昇格などの論議が喧しいですが、日航機事件において国民の生命を見殺しにした軍隊に何かを期待することには、異を唱えざるをえません。

私は、現実問題としてある程度の武装は当面必要であると考えますが、精神無き軍隊を置くことには反対です。精神無き軍隊とは殺し屋集団のことであり、真の愛国心から程遠いものです。自衛隊を真の国防軍たらしめるには、一にも二にも、日航機事件の真実の開示と総括、組織再編が欠かせないと考えます。念のため断っておきますが、私は自衛隊を責めているつもりはありません、自衛隊には早く過去の重い頚木から開放され、真の国防組織に生まれ変わって頂きたいのです。


■聖者からのメッセージ

クリスマスの夜、今年の春まで私が滞在していたフィリピンから1通のメールが送られてきました。フィリピン滞在中はある教会に何度かお世話になりましたが、そこに降りてこられた聖者の霊から友人にメッセージが託され、それが私に送られてきたものです。

メッセージは毎回、聖書からの引用という形で示されます。そこから、天意を読み取れということです。予断を挟まず、まずは、その引用部分を下記に掲載いたします。

 島々よ、わたしのもとに来て静まれ。
 国々の民よ、力を新たにせよ。進み出て語れ。
 互いに近づいて裁きを行おう。

 東からふさわしい人を奮い立たせ、足もとに招き
 国々を彼に渡して、王たちを従わせたのは誰か。
 この人の剣は彼らを塵のように
 弓は彼らをわらのように散らす。

 彼は敵を追い、安全に道を進み
 彼の足をとどめるものはない。

 この事を起こし、成し遂げたのは誰か。
 それは、主なるわたし。初めから代々の人を呼び出すもの
 初めであり、後の代と共にいるもの。

 (イザヤ書 第41章1-4節) 新共同訳

読者の皆様はどう読まれるでしょうか?私には私の解釈がありますが、それはもう少し秘することにいたします。ヒントを挙げるとすれば、旧約の地における「島々」とは何なのか、それをよく考えてみてください。少なくとも読者の皆様と無関係ではありません。また、聖句全体が伝える意味は大きな流れの中で123便事件とも関係してきます。


写真2:教会の近くにそびえるバルンガオ山
    地下にはかつて日本陸軍が発見し、在比米国軍・比軍が今も管理する
    ウラン鉱脈がある。歴史の本には書かれていないが、日本軍は国内外
    にウラン鉱脈を見つけていた。

年末年始のお休みは、この謎解きに挑戦されてみては如何でしょうか?答えは全て皆様のお心の中に用意されています。

それでは、良い年の瀬をお過ごしくださいませ。


 * * *


上記メッセージと共に次の聖句が「Bread of Life (命のパン)」として添えられていました。ラテン語訳と併せて掲載します。


ERAT AUTEM HOMO EX PHARISAEIS NICODEMUS NOMINE PRINCEPS IUDAEORUM HIC VENIT AD EUM NOCTE ET DIXIT EI RABBI SCIMUS QUIA A DEO VENISTI MAGISTER NEMO ENIM POTEST HAEC SIGNA FACERE QUAE TU FACIS NISI FUERIT DEUS CUM EO RESPONDIT IESUS ET DIXIT EI AMEN AMEN DICO TIBI NISI QUIS NATUS FUERIT DENUO NON POTEST VIDERE REGNUM DEI DICIT AD EUM NICODEMUS QUOMODO POTEST HOMO NASCI CUM SENEX SIT NUMQUID POTEST IN VENTREM MATRIS SUAE ITERATO INTROIRE ET NASCI RESPONDIT IESUS AMEN AMEN DICO TIBI NISI QUIS RENATUS FUERIT EX AQUA ET SPIRITU NON POTEST INTROIRE IN REGNUM DEI
さて、ファリサイ派に属する、ニコデモという人がいた。ユダヤ人たちの議員であった。 ある夜、イエスのもとに来て言った。「ラビ、わたしどもは、あなたが神のもとから来られた教師であることを知っています。神が共におられるのでなければ、あなたのなさるようなしるしを、だれも行うことはできないからです。」 イエスは答えて言われた。「はっきり言っておく。人は、新たに生まれなければ、神の国を見ることはできない。」 ニコデモは言った。「年をとった者が、どうして生まれることができましょう。もう一度母親の胎内に入って生まれることができるでしょうか。」 イエスはお答えになった。「はっきり言っておく。だれでも水と霊とによって生まれなければ、神の国に入ることはできない。
(ヨハネの福音書 第3章1-5節) 新共同訳


遠つ御親の始りの地より
管理者 日月土

年の瀬の小言

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年内はもう投稿しないつもりだったのですが、悲しい事故のニュースが続いたので簡単に触れておくことにします。

■「笹子トンネル:車5台が絡む事故…山梨・中央道」
http://mainichi.jp/select/news/20121230k0000e040114000c.html

大事故からまた。車4台の玉突き。幸い死者はなかったようでよかったです。大混雑が予想される年末年始の帰省・レジャーの際は特に運転にご注意ください。


■「モスクワ近郊の空港で旅客機着陸失敗 死者は4人 乗員のみ8人搭乗か」
http://photo.sankei.jp.msn.com/essay/data/2012/12/1230russia/

本ブログで123便事件を扱っているせいか、飛行機事故は特に気になります。幸い一般乗客は乗っておられなかったようですが、乗員8人のうち4人が死亡し、4人が重症で搬出されたとのこと。死者のご冥福をお祈りします。


写真1:オーバーラン後、頭・腹・尾3つに分断された機体


■「香川で4人死亡事故、19歳逮捕 自動車運転過失致死傷の疑い 」
http://www.nikkei.com/article/DGXNASDG3000U_Q2A231C1CC1000/

これも車の事故。モスクワの飛行機事故と符丁するかのように、4人死亡で4人が負傷。ご冥福をお祈りいたします。月並みですがこれしか言いようがありません、運転には細心の注意を。


そういえば、日航機事件の公表された負傷者(生存者)も4人でしたね。数字の4に絡んでこんなこと↓があったのを思い出しました。


写真2:日航機事件調査中、調査車両に横付けしてきたクロ車両。
    早朝かつ駐車場はガラガラで、恣意行動としては超ストレート。
    妄想?そうかもしれないが、この時の状況は後日報告します。
    Google Map (35.692524, 140.428253)

私もちょっと頭を休ませなければいけませんね。お正月は、今日ついたお餅でも食べてゆっくり過ごすことにします。


遠つ御親の始りの地より
管理者 日月土

JAL123便墜落事故−真相を追う−2013年頭のご挨拶

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平成25年元旦

あけましておめでとうございます。


年が切り替わり、あの日航機事件からもう28年目の年を迎えようとしています。

私の調査も6年目に入るのですが、知人などからは、「もう終わったことなのだから、いい加減に終わりにしたらどうだ」と薦められることもあります。終わりにしたいのは、この私だって同じです。この調査期間中、ろくに仕事もできず、私財も減る一方なのですから。このままだと、いつかは自動的に調査を休止せざるをえないでしょう。しかし、その時が来るまでは、調べ上げた事実をできるだけ文字情報に残しておこうと思っています。

そこまでする理由は何かと問われれば、やはりこの事件で命を落とされた方々の無念の思いが、切実な訴えとなり私の心に届いてくるからです。断筆を薦める方がよくおっしゃるのは、「終わったことは水に流せ」という、ある意味、日本人的な美的な表現なのですが、私はそれは違うと思います。

「水に流す」というのは、争う者同士が過去の罪を認め合い、赦し合う時に成立するものです。そのためには、両者が共通認識として事実を確認するプロセスが絶対に欠かせません。その上での「水に流す」ならば、私も積極的にそれに同意するつもりです。

しかし、日航機事件の場合はどうでしょう?事実は徹底的に隠蔽され、遺族にも伝えられず、搭乗者の死は未だもって事故死扱いです。ここで事件の追及を止めれば、隠蔽側は保身を担保し、遺族は大きな悲しみとわずかばかりの補償金を手にするだけ。こういうのは「臭い物に蓋」と呼ぶのが正確な例えではないでしょうか?

スピリチュアル系の思考パターンが身についた方の中には、すぐに「言霊(ことだま)」の概念を持ち出し、事件について言及すること自体を「穢れ」として嫌う方もいらっしゃいます。しかし、それも違うでしょう。「穢れ」は「祓う」べきものであり、祓うためには穢れを正しく見据えなければ始まりません。いつまでも事実から目を逸らしていては、「穢れ」はたまる一方です。

1985年の日航機事件を境に、経済を中心に日本の社会状況が一変しました。この事件は、今や重い頚木となって日本を苦しめています。私たち日本人の生活にこれだけ大きな影響を与えた日航機事件の解明をすること無しに、輝かしい日本を取り戻すことなど到底不可能なことだと私は思います。

縁とは、不思議なもので、最近になって、公安警察の元重職だった方と偶然知り合う機会がありました。失礼だと思ったのでこちらからは積極的に話を切り出しはしなかったのですが、会話の流れの中でつい日航機事件に外国軍が関与していたことを仄めかしたら、ギョッとした顔をされて「何でそんなことを知っているんだ」とこちらの顔を覗き込んできました。

事件に外国軍(米軍・ソ連軍)が関与していたことなど、わざわざこの方に尋ねなくとも、現地で拾い集めた軍機破片が雄弁にその事実を物語っています。むしろ、私が気になったのは、

 「終わったことなど、忘れてしまうのが一番良いのだ」

という一言です。「それは違う」という私の言葉を添えて、新年のご挨拶を締め括らせて頂きます。


写真1:お正月の二十二社神社
    神武天皇も祈願したと言われる天神地祇の神を祀る


 * * *

ネットで日航機事件に関する情報が流布しているようです。真実追求のためにはありがたいことなのですが、中には他サイトの言説と混同されていたり、本ブログの記述について誤解されている方もいらっしゃるようです。そこで、本年は小規模な講演会を開催し、「(新)日本の黒い霧」が何を主張しているのか、皆様に直に聞いていただこうと考えております。


FACTUM EST AUTEM IN MENSE NISAN ANNO VICESIMO ARTARXERSIS REGIS ET VINUM ERAT ANTE EUM ET LEVAVI VINUM ET DEDI REGI ET NON ERAM QUASI LANGUIDUS ANTE FACIEM EIUS DIXITQUE MIHI REX QUARE VULTUS TUUS TRISTIS CUM TE AEGROTUM NON VIDEAM NON EST HOC FRUSTRA SED MALUM NESCIO QUID IN CORDE TUO EST ET TIMUI VALDE AC NIMIS ET DIXI REGI REX IN AETERNUM VIVE QUARE NON MAEREAT VULTUS MEUS QUIA CIVITAS DOMUS SEPULCHRORUM PATRIS MEI DESERTA EST ET PORTAE EIUS CONBUSTAE SUNT IGNI
アルタクセルクセス王の第二十年、ニサンの月のことであった。王はぶどう酒を前にし、わたしがぶどう酒を取って、王に差し上げていた。わたしは王の前で暗い表情をすることはなかったが、王はわたしに尋ねた。「暗い表情をしているが、どうかしたのか。病気ではあるまい。何か心に悩みがあるにちがいない。」わたしは非常に恐縮して王に答えた。「王がとこしえに生き長らえられますように。わたしがどうして暗い表情をせずにおれましょう。先祖の墓のある町が荒廃し、城門は火で焼かれたままなのです。」
(ネヘミア書 第2章1-3節)


遠つ御親の始りの地より
管理者 日月土

JAL123便墜落事故−真相を追う−第2回講演会(3/23福岡)のお知らせ

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※追記
 (2/27 09:23) 講演会応募用メールアドレスのお知らせは3月3日を予定しています
 (2/24 18:40) 会場のFAX番号の間違いを訂正しました

多忙のためブログの更新がなかなかできず申し訳ありません。

新シリーズで、私が到達した「日本航空123便墜落事故の真相」を発表すると宣言してから、かなりの時間が経過してしまいました。正直なところ、これから先の話を、読者の誤解を受けず文章化するのに多くの困難を感じています。最近市販されている本の中には、明らかに本ブログを参考にしていると思われるものが数点あります。事件を知らしめる材料として取り上げていただくのはたいへんありがたいのですが、その中には誤解や間違いも目立ちます。ここから先のお話は、より複雑精妙となる内容を含むため、どうやって表現すれば私の意図が正確に伝わるのか、考えあぐねていました。

そこで、2010年5月16日に開催した東京講演に引き続き、第2回講演を開催して、私の生の声を関心のある皆さんに聞いてい頂くのが最良の方法であろうとの結論に至りました。ブログでの文書化については、参加された皆様のご反応やご意見を反映し、講演の後追いで発表していきたいと考えています。

以下、第2回講演の概要です。参加者との対話を重視すべく、募集人員は限らせていただきます。このようなやり方が本当によいのかどうか、未だ暗中模索の状態ですが、まずは次の一歩を踏み出したいと思います。


===== 講演会概要 =====

ブログ「(新)日本の黒い霧」の執筆者、日月土(Miroku)本人によるミニ講演会を下記日程にて開催します。

日時:平成25年3月23日(土)
   開場:13:15
   講演:13:30〜16:30

会場:福岡博多市民センター5F 実習室
   〒812-0005
   福岡県福岡市博多区山王1-13-10
   TEL:092-472-5991, FAX:092-472-5952

地図:http://www.hakata-shimin.info/

主催:現代史研究会

参加費用:500円(会場費及び諸経費代として)
 懇親会参加の場合は3〜4千円程度の飲食代負担となります

定員:15名程度

講演タイトル:「123便事件を生み出した日本の社会構造と国際関係」
       〜日米ソ大国の沈黙、何が真相究明を阻むのか?

参加条件:
(1) 当該ブログを一通り読まれてきた方、または日月土本人から個人的にレクチャーを受けた方
(2) 今まで見聞きしたことのないどのような内容でも、感情を抑え冷静に話を受け止められる方

募集方法:3月初旬に期間限定で講演会募集用メールアカウントを本ブログでお知らせしますので、そちらにご連絡ください。応募多数の場合は抽選となります。その場合、事故犠牲者のご遺族・ご友人など関係者の方、福岡近郊の方を最優先させていただきます。募集状況によっては、神戸、京都、東京での講演開催も検討します。

講演内容要旨:
 ブログ「(新)日本の黒い霧」では、墜落現場で直接収集してきたミサイル・軍機破片などを提示することにより、123便が事故ではなく事件に巻き込まれた可能性が大きいことを示唆してきました。3年前に行った東京講演はその点を重点に説明しましたが、今回の講演では、事件の発端となった現代日本の社会構造および、日本と世界の知られざる関係について解説します。よって、本件が事故であるか否かの議論は一切いたしません。事件である前提から話を進めます。

 世の中に数ある陰謀説の中でも123便事件に関わるものは極めて少なく、本件に触ることすらタブー視されていると感じる方は多いと思います。日本が、世界が沈黙するしかなかった123便事件の真相を、単なる言説ではなく、度重なる現場調査と経験を通して私が目の当たりにしてきたこと、そしてそこから分析された驚愕すべき社会の実像を、今回の講演ではお伝えする予定です。

 講演に参加された方は、世界が米国や国際金融機関に支配されているという陰謀論界隈の通説が、如何に陳腐で断片的なものかがご理解いただけるでしょう。また、世界の理解は私たちの足下である日本に始まることに気が付かれるはずです。その他、日本国内で未確認飛行物体のディスクロージャー(情報開示)活動を行っているJCETIのメンバーとのセッションや本件との関連など、ブログでは未発表の新しいトピックについても報告いたします。

※JCETI:日本地球外知的生命体センター(http://jceti.org/)

以上、ご応募お待ちしております。

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新玉の玉の御年の明けそめて罪も穢れも今はあらじな

遠つ祖霊の始まりの地より
管理者 日月土

JAL123便墜落事故−真相を追う−講演会申込先のお知らせ

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※追記
(3/11 02:00)今回の募集では福岡市及びその近隣からの応募が多かったため、急遽、福岡市近隣を主な対象とした2度目の福岡(博多)講演を4月に開催する方向で調整しております。そのため、今回は九州内でも博多より遠方(熊本・鹿児島等)の方を優先させていただきました。先に福岡近郊の方を優先とお伝えしましたが、お詫びした上で、4月講演を個別にご案内いたします。

また、関西・中国・関東地方からの応募者、追加講演希望者も一定数に達しておりますので、5月に大阪講演、6月に東京講演を開催できるよう準備を始めました。メールを頂いた方には近々ご案内したいと思います。

団体向け講演を希望された方には個別でご連絡いたします。それまで少し時間をいただきたくお願い申し上げます。

(3/11 00:00)すみません、抽選のご連絡が遅れています。11日早朝までに該当者にメールしますので、今しばらくお待ちください。

(3/9 00:30) 福岡講演の受付を締め切りました。なお、追加講演・団体講演のご希望に関しては、1週間ほど継続してご依頼を受け付けたいと思います。抽選結果は10日までに該当者にメールでご連絡します。九州居住所の応募が多数だっただめ、基本的に九州以外の方は、大阪・東京での講演をご案内させていただくことになりました。また、九州内で今回の抽選に漏れた方も、博多2回目の講演に優先でご案内します。ご了承ください。

*携帯からメールを送られた方は受信設定を今一度ご確認ください。送信できないケースが発生しています。

(3/5 08:21) 既に定員を上回る応募を頂いています。ありがとうございます。九州各地はもちろん、関西、関東、北海道からも応募もしくは追加講演の依頼を受けました。今後も小規模開催の姿勢を崩さず、また、なるべく漏れる方が出ないよう、博多での2回目講演および大阪・東京講演の検討に入りました。これまで応募頂いた方には優先的にご案内差し上げます。とりあえず、予定の3月8日までは福岡講演の応募を受け付けます。よろしくお願いします。

 * * *

3月23日(土)13:30開催の福岡講演会への応募専用メールアドレスをお知らせします。以下のメールアドレスからお申込みください。

fukuoka130323☆gmail.com
("☆"は"@"に置き換えてください)


■記載事項について

タイトルには「福岡講演申込」とご記入ください

本文には以下の記載をお願いします。
(1)お名前:
  仮名でも構いませんが、できれば本名で
(2)ご住所:
  都道府県名および市町村名までで結構です
(3)犠牲者とのご関係
  関係者の場合は犠牲者のお名前とご関係を簡単にご記入ください
(4)懇親会への出欠
  博多駅近くの居酒屋を予定しています
(5)その他
  ・介助などが必要な場合はご相談ください。
   少ない人員なので限られますが、なるべく対応したいです
  ・以前個人的にお会いしたことのある方は、その旨ご記入ください
  ・個人ブログなどを運営されている方はそちらのURLもご記入願います
  ・日航・自衛隊・警察・行政・報道などの関係者はその旨お知らせください

また、当日参加できない方、福岡が遠い方は、タイトルに「追加講演希望」と記入し、本文に次の事項をご記入ください。
(1)お名前 (仮名または本名)
(2)住所 (都道府県名)
(3)開催希望地

希望者数・希望地に応じて3回目以降の講演開催を検討します。

この他、10名前後の団体での講演依頼も受付けますので、タイトルに「団体講演希望」とご記入し、本文に次の事項をご記入ください。
(1)お名前 (本名)
(2)住所 (番地以降の詳細までお知らせください)
(3)団体の概要
(4)開催希望地
※詳細は個別に対応します


■申込の受付期間
 平成25年3月3日(日)〜3月8日(金)の6日間とさせていただきます。
 それ以降の申込はお断りさせていただきます。


■参加受理のご連絡
 3月10日までに、参加確定の方にのみメールで連絡いたします。抽選から漏れてしまった皆様には、抽選が終了した旨を本ブログ上でお知らせし、それをもって結果のご返答とさせていただきます。抽選は応募多数の場合の実施となりますが、その際は事故犠牲者の関係者、福岡近郊の希望者を最優先します。また、ご記載いただいたバックグランドなどを考慮させていただきます。


■お願い
 メールへのご記入は講演に関する上記内容だけにしてください。個別のご質問へはお答えできません。また、複数名での参加はお断りさせていただきます(介助の方は除く)。

今回の講演は日月土本人と少数の協力者によって運営実施されています。多人数への対応には色々と不備も予想されますので、予めその点をお断りしておきます。

以上、ご応募お待ちしております。


遠つ祖霊の始りの地より
管理者 日月土

JAL123便墜落事故−真相を追う−福岡講演に先がけて

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福岡講演会の連絡を取らせていただく中で、1)調査・生活資金はどうされているのか、2)何故こんな危ない調査活動を続けてるのか、そのような質問をいただきました。

今回に限らず、初めてお会いする方にはよく聞かれる事であり、その都度お答えするのも大変なので、予めブログでお答えしておきたいと思います。

Q1:調査・生活費用について
A1:当たり前ですが私費にて行っています。元々どこにでもいるただの中小企業のサラリーマンだったので、世間並みの貯金はあり、その取り崩しと、ちょこちょこ入る小さな仕事をこなして、残り資金がなるべく続くように努めています。手持ちの資金がなくなれば調査活動はお休みです。というより、お金本位の世の中で資金無しの活動は維持できませんから(笑)。援助のお話などもありますが、基本的にお断りしています。これは自分の意志で始めた活動なので、誰かに依存したり、誰かを本件に巻き込みたいとも思っていません。ただし、ご自身の判断で身体を張って協力して頂ける方の助力は受け入れています。

Q2:危ない活動を続ける理由
A2:これまで記事にしてきた123便事件の現実を省みれば、のこの国だけでなく、この世界には大きな嘘(うそ)があります(*1)。そんな芝居のような世界の中で、日々お金や老後を気にして汲々としているのを、私は「生きている」とは認められません。死んでいるのと同じことだと思っています。幸い、123便の犠牲者の方々や、現地に展開し戦死した兵隊さんと違い、この世で使える肉体がまだ自分には残っています。この世の全てを失った皆様のため自分の命を使うことに、クリスチャンとして、また一人の人間としての正当性を見出しています。


*1 大きな嘘:国際軍事評論家のB氏は、本件が世間に広く知られることになれば、日本の国体は崩壊するだろうと、溜息をついておられました。でも、私はそうは思っていません。崩壊するのはこの芝居世界に依存していた人々だけの話であり、多くの真っ当な日本人は、勇んで新しい日本国建国の道を歩まれるものと信じています。希望は常にそこにあります。


以上ご納得いただけたでしょうか?

 * * *

講演に応募いただいた福岡近郊の方々、本日までに追加講演、団体講演の要望をご連絡いただいた方々。福岡講演終了後から徐々に、メールもしくは本ブログを介して必ずご案内差し上げますので、今しばらくお待ちいただけますようお願い申し上げます。



写真1:白椿咲く美しい季節となりました (久留米水天宮にて撮影)
    まこと神国の御民としての務めを全うせしめたまへ・・・

遠つ御霊の始りの地より
管理者 日月土
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